旅に、出た。

バス乗ったり、島行ったり。マニア2人の共同旅ブログ

乗り物好き若手リーマン2人、それぞれの旅行記録

タグ:長野電鉄

どうもてらです。
久しぶりに都市交通カテゴリ(そもそもカテゴリどの程度皆さんがたどって記事を見ているのか手探りな感はぬぐえないが…)今回は長野電鉄のターミナル 電鉄長野駅を紹介します。
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長野駅のメインストリート、善行寺口側のロータリーにまるで地下鉄のような入り口が待ち構えている。
そもそもなぜ長野電鉄が地下化されているかに触れると、モータリゼーションの波に押され、長野駅より北の地域のバスの遅延が恒常化していたため、長野電鉄線を地下化してその用地を長野大通りという道路にしたという経緯となっている。モータリゼーションで鉄道が自動車に対して白旗を揚げている感じは鉄道ヲタクとしてはちょっと気に入らないのだけれど、長野電鉄としては、北部に延びるバス路線の定時運行が確保できるというのは重要なのだろう。
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コンパクトなコンコースだが、物品販売や地元テレビ局の番組が流れている待合スペース等もあり、平日昼間にも関わらず人の賑わいがあった。
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券売機はタッチパネル式の物だったのだが、改札は人の手頼りのようだ。
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ながの東急、竹風堂、湯田中温泉仙壽閣…まぁここまで地元企業の広告でまとめられるなぁとあとから写真をまじまじと見て思う
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ホームは3面4線。特急は真ん中の2番ホームに止まっていることが多いようだが、他はあまり法則性はないようだ。
元JRと東急の車両が停まっているという違和感…。写真では紹介しきれなかったが、営団(現在の東京メトロ)や小田急ロマンスカーが入線することもあり、ひと世代前に首都圏を走っていた車両が大都市間漂う地下駅とマッチする。

おまけ。ここからは地方私鉄では珍しい地下区間の写真を何枚か…。
先述の通り、長野電鉄は約2km程地下区間が続く。時間があったので権堂駅で写真を何枚かとってみた。
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東急田園都市線で活躍した車両なのだが、当時のモーター音そのままに飛び込んでくる姿はどこかタイムスリップしたよう。
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まさに地下鉄。
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サイン類に多国語表記が無いところを見るに、地下区間のみをわざわざ利用している観光客はいないのかもしれない。都市圏からくるとちょっとカルチャーショック。
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広告入りの時計もどこかレトロ…。

というわけで、地方では珍しい地下区間を持つ長野電鉄の電鉄長野駅、権堂駅の紹介でした。
次回もターミナル編、お楽しみに。

ターミナル編 ほかのシリーズが気になる方はこちらをどうぞ



(このページの作成者 てら)

どもども てらです。
長野電鉄長野線沿線の街並みを巡る旅をしてきました。この記事では長野電鉄の乗り鉄を総括した記事を書きます。
それ以前の記事…街並みを巡る旅① 須坂編街並みを巡る旅② 小布施編

高速バスを降りて着いたのは須坂駅前
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電車の時間までまだまだあったため、須坂の街並みを歩いて見学した。 z
そのときの記事はこちらをどうぞ。
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橋上型駅舎の改札では農産物が売られていた。小布施や電鉄長野といった終日係員のいる駅は同じように土産品や農産物が売られていた。売店の延長なのかもしれないけれど風情を感じた。
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須坂は屋代線(2012年に廃止)の分岐駅であると同時に車庫が併設されている駅で、ちょうど特急列車二本が入換を行っていたので駅の近くの歩道橋で写真撮影。ゆけむり(左)は小田急ロマンスカーのお古、スノーモンキー(右)は成田エクスプレスのお古だ。
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以前は4番乗り場が屋代線のホームだったようだ。
今回は下り、信州中野行きに乗車。小布施を出ると沿線の景色ががらっと変わり、山の近くを通ることから、長野電鉄が南北に広がる長野平野の淵を走っていることを実感する。
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信州中野では運行系統が一部の時間帯で分断されており、2両編成の列車に乗り換える。
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信濃竹原で対向の特急を通過待ちするために停車。
信州中野~湯田中は30‰を越える区間が連続するため、列車にとっても小休止だ。
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湯田中駅の写真右手に見えるのは湯田中駅の旧駅舎である。以前は写真右側のホームに止まっていたのだが、スイッチバックの解消とともに写真左側の駅舎に代わった。温泉地の玄関口として野沢、志賀高原方面のバスに乗り継ぐことができる。(修善寺とか水上とか温泉の玄関口の駅ってどこか独特な雰囲気をまとっている気がする)
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旧駅舎は楓の湯という温泉が併設されており、待合室として使われている。すぐの折り返しには乗らず、楓の湯で汗を流す。
折り返し、駅のホームに待っていたのはこの車両
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好きな方は写真を見ただけでわかるかもしれない。小田急ロマンスカーHiSEとして小田急の顔として活躍した後、長野電鉄で特急ゆけむりとして余生を送っている1000形(小田急時代は10000形)である。
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(過去の写真より)小田急時代から編成は短くなったものの格式の高さは当時のままだ。
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車内も小田急時代から全く変わっていない。ロマンスカーは中学生の頃に家族旅行で乗ったので10年以上も前になる。
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初めて乗ったときはこの辺の設備の貴重さがわからなかったのだが、わかるようになってからは栓抜きが車内にある電車がなかなか無いという…。
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前面展望で車窓を楽しませてもらった。志賀高原を見ながら、列車はずっと下り勾配を走り続ける。
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一旦、ゆけむり号を降り小布施で途中下車 小布施編はこちら
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小布施の駅からは晴れていれば北信五岳の峰々がよく見えるそうだが、あいにく山の稜線がかろうじて見える程度であった…。
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また、小布施駅には電車の広場が併設されており、2011年で運用を終了した2000系D編成が展示されている。
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小布施から再び電鉄長野行きに乗車。だんだんと住宅地が増え、長野駅の3つ手前の善光寺下駅から列車は地下を走る。1981年の連続立体交差事業で長野電鉄線を地下化、地上を走っていた用地を片道三車線の長野大通りとして長野市北部とのアクセスに一役買っている。
終点電鉄長野駅では、現役時代は顔を合わせることがなかったような列車の組み合わせを見ることができる。

追記:このほかに長野電鉄線の地下区間と電鉄長野駅についていくつか写真を撮っているが、それはターミナル探訪シリーズでまとめる予定なので、しばしお待ちを…。

この旅が気に入った方はこちらの旅もどうぞ。
いしが2019年春にしなの鉄道を使って野沢温泉方面へ出かけています。
しなの鉄道しなの線【長野2019①】
(このページの作成者 てら)

どうもてらです。
前回取り上げました、街並みを巡る旅①須坂編はこちらをどうぞ

小布施は須坂の街並み保全とはまた違った形で町おこしを行っている地区である。
前回取り上げた須坂は日本画家の東山魁夷ゆかりの地であったが、小布施は浮世絵師の葛飾北斎とゆかりが深く、昭和50年代に葛飾北斎の作品の離散を防ぐべく北斎館をはじめとする美術館が建てられた。
北斎館を取り囲むように修景し回遊できる街並みづくりを行った。
同時に地場産品のアピールを進め、町内では栗を使った菓子店が軒を連ねる。
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長野電鉄に長野から乗ること30分程で、小布施に到着。
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修景地区は駅から10分程度のところに固まっており、歩いて回れる観光地だ。s__MG_3878 (1)
このように街を歩けば栗を使った和菓子店が軒を連ねている。写真の道である403号線は松本方面と新潟方面に通じており、前回取り上げた須坂や小布施は東御、上州、妙高方面(現在の国道292号線、406号線)と松本、新潟方面(403号線)といった道が重複していた地域であり、古くから人の往来があった地域のようだ。
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そのなかの一店舗、竹風堂さんで栗おこわの定食をいただく。
お箸の袋に各メニューの説明が書かれており読み入る。なによりちょっと塩辛めのおかずが甘い栗おこわとよく合う。
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土産物店もこの通り雰囲気たっぷりである。修景地区として30年以上たった今、古き街並みとして見まごうほどだ。二枚目は小布施では珍しい日本酒の専門店だ。
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北斎館の周りは広場のようになっており、料理店や和菓子店が向かい合ってい並んでいる。ちょうどこの写真の地域を中心に修景によるまちづくりが行われている。
もともとはこの辺りは田んぼだったそうだが、美術館が複数点在していること、長野新幹線や上越道の開業を控えていることなどを機に、街並みを修景(=ある一定の意匠にそったデザイン)により整える街づくりで町おこしを行った。現在でも北斎館をはじめ年間120万人近い観光客が訪れる。
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路地を入ると小布施堂の店舗の脇に出る。小布施堂のお菓子は全国の百貨店などでも出張販売を行っているので小布施についてちょっと気になった読者の方はお菓子から入ってみるというのもありかもしれない。(自分はこう見えて甘党なので家族へのお土産は和菓子になることがなぜか多い)
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最後に栗の小径で一枚写真を撮って小布施を後にした。
街並みをめぐる旅③につづく

(このページの作成者 てら)

どうもてらです。
今回は長野電鉄沿線の街並みを巡る旅をしました。

今回、大阪からの夜行バスに揺られ、降りたのは長野県の須坂市。長野市の右隣に位置し長野駅から電車で20分程度のところである。駅前は橋上駅舎に複層階のスーパーと、典型的なベッドタウンのようなところであった。
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しかし、駅前の通りを抜けて一本路地に入ると…。
蔵の街並みが目の前に広がる。もともと、須坂は明治初期から製糸で栄えた街で、当時の商家の建物や蔵の多くが残されている。
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須坂クラシック美術館 明治初期の建物を美術館に改装している。ここより、銀座通りを道なりにいくと、徒歩10分圏内に古き街並みが保全されているので、順をおって紹介する。
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クラシック美術館付近から東側を向くと、町屋と蔵が並ぶ通りが続く。
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明治初期の製糸家 観光交流センターを兼ねている。正面に写っている3階建の蔵はまゆを貯蔵するまゆ蔵と呼ばれ、製糸業で栄えた街で見ることができる。
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蔵を改装したブティック。
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店舗だけでなく集会所や観光施設など、いろいろな建物にリノベーションされている建物が目立つ。
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手前に建つ西田屋は、明治初期の黒塗りの蔵店。隣の山下薬局は江戸末期の造りで、当時から薬屋であり、近隣の藩とも取引があったそうだ。屋根の段にも特徴がある。

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小田切家 製糸で栄えた須坂らしく、長屋門のある商家と蔵が併設されている家である。
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最後に、私は墨坂神社へ向かった。銀座通りから伸びる参道と鳥居
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墨坂神社の本殿。墨坂神社はもともと奈良県の榛原に位置する神社であるが、大和地域の部族が須坂付近に移住した際に、墨坂神を遷祀したそうだ。

街並みを巡る旅② につづく。

(このページの作成者 てら)

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