旅に、出た。

バス乗ったり、島行ったり。マニア2人の共同旅ブログ

乗り物好き若手リーマン2人、それぞれの旅行記録

タグ:重要伝統的建造物群保存地区

こんにちは てらです。
北陸地方は重要伝統建造物群保存地区がいくつか点在しており、高岡市内には山町筋や金屋町といった街並みが保存されている。
2020年に重要伝統建築物群に登録された吉久の街並みを、路面電車に乗って訪れてみた。
恥ずかしながら、万葉線(路面電車)に乗ろうと思って色々調べていて初めて知ったのがきっかけ。
万葉線はいろいろともっと撮りたい風景、写真があるのでブログで紹介するのは別の機会にしようと思う。

北陸新幹線開業直前に北陸本線を走る特急や急行型の普通列車を撮るのに明け暮れていた私。
高岡で乗り換えの時間があったときに山町筋は来訪したことがあるので、これもまた紹介できればと思う。
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15分に1本の万葉線に乗ること30分あまり。
吉久は道路上にペイントで塗装されている電停なので、降りる際は車の往来に注意。
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高岡を走る万葉線は一部区間が単線区間となっており、市街地の大きな通りを走る路面電車を見慣れている私にとってはちょっと普段と違う光景が新鮮である。
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路面電車通りから一筋入ったところに吉久の重伝建の保存地区はある。イラストがどこかかわいらしい酒屋さん。
吉久は伏木港の近くにある集落であるが、加賀藩の米蔵があり北前船の寄港地だったため様々なものの取引拠点となった。
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そっと、手を合わせる。
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江戸時代末期から近代にかけての建物が新湊市街の放生津(ほうじょうづ)まで続く放生津往来に軒を連ねる。
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窓のない家々、吉久の特徴といえる面持ちだそう。

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狭い通りに隣同士の間口がきちきちに詰まった町屋が並ぶ。
重要伝統建築物として49件が登録されており、歩いて回ると30分程度で回ることができるため、規模としてはこじんまりとしている方かもしれない。
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路面電車で吉久の街並みを後にした。
(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
以前から、瀬戸内で行きたいと思って気になっていた場所があった。
仙人が酔うほど美しいとされる仙酔島。
瀬戸内の陽気と穏やかな海は船や電車でも楽しませてもらったが、瀬戸内の町や島をゆっくり歩くような機会はあまりなかった。
鞆鉄バスに乗ってそんな福山市の近郊に位置する鞆の浦へ。いしくんにプレゼンして一緒にいくことにした。

戦後すぐ廃線となった鞆鉄道の廃線跡を沿うように走る路線バスは他の記事でも紹介しているので是非。

瀬戸内の漁師町の一つであった鞆だが、古くから栄えており、江戸時代には北前船が立ち寄るなど多くの船が行き来するようになった。船舶の大型化により徐々に鞆の役割が他の港湾にとって代わられ、現在は沼隈半島の島々(走島など)を結ぶ船と漁船が行きかう長閑な街並みが残っている。
鞆港のバス停を降りると、走島へ向かう桟橋の近くから湾内を眺めることができた。
折角なので、湾内の狭い路地を色々と歩き回ってみることにした。
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走島への定期船が出ているが、商店の隣にある、右の建物が待合室。
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瀬戸内の島々の漁港町の雰囲気十分である。
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写真中央奥に見える小高い木々が集まっているのは玉津島 波止場を伝って行くことができる。神社のある小さな島。
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鞆バス停から太田家住宅を結ぶ通りは人通りも多い。こんなところがバス通りなのだから驚きである。
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狭い道を縫うように建物が立ち並ぶ。
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鞆では保命酒という薬味酒を造っている。鞆よりも大きな港が整備されたことや人口減少などを理由に生産量は減っているようで、写真に映る十六味保命酒は残されている酒蔵のひとつだ。
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鞆港の土産物店などが軒を連ねる。
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ひときわ目立つモダンなデザインの信用金庫の建物
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石畳の街並み。
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鞆の浦から西方向、阿伏兎(あぶと)の方向を向く。
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軽自動車でも精一杯の道だが、バス通りというんだから驚きだ。
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この辺りは江戸後期の建物がそのまま残されている。
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間口の小さな町家が立ち並ぶ。太田家住宅(写真左)も江戸時代後期に建てられた建物の一つで、もともとは保命酒を製造していた。
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ついつい、目線を落として軒下の住居表示を撮ってしまう。
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鞆の浦を象徴するスポットの一つ、湾内に位置する常夜灯 湾内を照らし続けている。
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晩夏、蒸し暑い天気だったが時折そよぐ潮風が涼しく感じた。
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最後に、鞆港のバス停付近から湾内の景色を眺めながらバスを待った。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
久大線を本当は色々撮り鉄する予定だったのですが、ちょっと旅程が狂ってしまい日田を観光することにした。
駅前の食堂で日田名物のちゃんぽんをすすり、どこへ行くか迷ったが豆田町を歩くことにした。
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豆田町は日田の駅から少し歩く。
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日田というと日田天領水が有名だと個人的に思っているのだが、水がきれいな日田は天領としてどこの藩にも属さない幕府の直轄地であった。きれいな水を生かし酒造や薬の製造などが江戸時代から行われていた。
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駅から徒歩約20分 豆田の街並みが姿を現した。
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江戸町屋や蔵屋敷が立ち並ぶ街並みは花月川付近まで続く。
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この付近は御幸通り。この通りは大石峠から耶馬渓を通って周防灘に面する中津まで抜けられるようになっており、現在は国道212号線がそれを辿るように走っている。
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豆田町は一周ぐるりと周ると30分ほどで回ることができるが、ところせましと小さな路地にも古い建物が残されている。
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旧古賀医院 豆田町づくり歴史交流館では豆田町の保全、修繕の様子が展示されている。
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豆田町の東側、上町通り。
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ひときわ目立つ建物、岩尾薬舗の日本丸館は登録有形文化財に指定されている。日本丸ってなんで船みたいな名前をしているんだろうと思いきや、薬の名前からきているそうだ。
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江戸末期から大正にかけて増築を繰り返して今の姿になっているそうだ。
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こちらは日田の地酒 薫長酒造の酒蔵
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試飲のほか、酒蔵見学もできる。
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花月川から南の方、元来た通りを戻る。
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土壁の白塗りの建物が軒を連ねる。
ゆっくり歩くと2時間近くかかるが、九州の小京都と呼ばれる街並みをじっくり回ることができた。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
以前このブログでも紹介した特急かもめだが、せっかくならと新幹線が通らなくなる地域をすこし歩いてみることにした。
佐賀県鹿島市は小倉と長崎を結ぶ長崎街道から枝分かれする多良街道の宿場町の一つとして栄えており、長崎本線の特急も停車する有明海最奥部の大きな街の一つなのだが、新幹線のルートからは外れてしまう。
そのなかでも今回は浜中町八本木宿を歩いてきた。


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肥前鹿島下車後、駅前にある祐徳バスセンターからバスに乗車浜三ツ門または肥前浜宿前で下車すれば行くことができる。
浜宿は江戸時代から酒造、醤油といったものの製造で栄えていた。
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いまでも酒造がいくつか立ち並び、試飲することもできる。
あぁ、バスで行きやすいように整備されているのはこのためか…電車を撮りに来るのと兼ねるために車で来てしまった飲兵衛は反省するばかり。

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丁寧に整備されている茅葺 富久千代酒造の建物 なんと古民家の御宿になっているとのこと。
鍋島という銘柄で有名。そうです、鍋島は佐賀の貨物駅…ではなくて肥前の国の藩主です。
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さすがの存在感 水路のせせらぎの音もよい感じ。
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蔵や武家屋敷が立ち並ぶ通り。
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奥に見える緑の建物は郵便局(現在は公民館として利用されている)
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醤油の醸造所
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右手は中島酒造 日本酒 君恩の銘柄で知られている。
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時間に追われながら訪れたのがちょっともったいなかった探訪であった。600mに所せましと武家屋敷や酒蔵が並んでおり、次は試飲しながらじっくり訪れたいところである。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
天橋立から足を延ばして翌日は与謝野郡伊根町を観光しました。
丹後半島の北側に位置する伊根町は天橋立から車で走ること2,30分で行くことができる。

伊根町は伊根湾に並ぶ舟屋が有名である。
そもそも舟屋というのは漁師を生業としている家が船揚げ場と住居又は作業場を兼ねた建物で、伊根湾周辺では江戸時代からこのような住居がみられたようだ。
高潮には弱そうだなというのは素人考えなのかと思っていたが、どうも高潮の被害を受けては修理して…というのを繰り返しているようだ。
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天橋立の付け根から車を走らせること約30分道の駅に車を止めると眼下に湾内に立ち並ぶ舟屋を見ることができた。
伊根の舟屋はこのように入り組んだ湾に複数の集落が広がっている。これは伊根湾の東側の集落のあたり。
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高台に位置する駐車場から階段で湾内に降りて歩くこと10分、舟屋が立ち並ぶ地区が眼前に広がる。
江戸時代にはこのように湾を向いた舟屋に船揚げ場と作業場を兼ねた建物が並んでいたそう。丹後半島の南側で日本海に面しているにも関わらず南向きの湾というのがここまで舟屋が残っている理由のようだ。
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更に10分ほど歩くと伊根町の中心部に出る。舟屋ばかり写してしまい中心部の街並みの写真を取り忘れて反省…。
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一つ一つ、よく見ると高さや間取りも違い、船の大きさに合わせて1階の船揚げ場が設計されていることがよくわかる。
舟屋を見ながらお食事をいただける、舟屋食堂で魚料理をいただいた。
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食堂からでると日が差して暑いくらいだった。青く澄んだ水面の照り返しが眩しい。
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舟屋の内部を公開しているところがあったので見学をさせていただいた。
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このように、所有されている方の好意で舟屋の船揚げ場を公開している家や民泊として泊まれるも舟屋もあるようだが、大半は観光客向けの施設ではないことを念頭に置いた行動をとって欲しい。
観光協会の公式サイトでもわざわざ書かれているということは目に余る見過ごせない行為もあったのであろう。
街並みを守るうえで、そこに住む人の生活が脅かされることのないようにしなければな…と一趣味人として思わせられる。
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最後に梅雨明けの勢いあまるほど照りつける日差しと日本海と思えないような穏やかな波を見ながら夏を満喫させてもらった。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
前回の岐阜バスの乗りバス記録の続きになります。お読みでない方はこちら 
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美濃バス停から、街の中心部までは徒歩10分ほど。
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うだつの上がる街並みは歩いて1㎞程度の距離なので、1時間もあったらゆっくり見ることができる。
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コロナ禍とはいえ、GoToキャンペーン期間ということもあってかちらほら観光客の人通りもありにぎやかであった。
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うだつとは建物の隅、隣の建物のあたりの屋根の部分を少し持ち上げることで防火や防風を狙っているそうだ。ちょうどこの写真中央に並ぶのがうだつ。
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うだつがよくわかる一枚。美濃市のこの一帯は「うだつの上がる街並み」と呼ばれている。
ちなみに「うだつの上がらない」という慣用句はこの屋根の「うだつ」からきているそう。
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うだつがズラリと並んでいるさまは壮観である。
うだつについては、こちら(美濃市観光協会)がアップの写真もあり解説も詳しい。
もう少しうだつがわかりやすいように正面から何枚か撮ったらよかったなと反省。
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今はなき会社名ばかりでおっと思って撮影したホーロー看板。
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街並みの一番北西側から一枚。
美濃ICからほど近く駐車場も整備されており、車でも行きやすそうだ。
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来た道を戻り、先ほどの美濃駅の前を通る。
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うだつの上がる街並みから徒歩10分程度で長良川鉄道の美濃市駅に到着。
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時代が止まったような木造駅舎。驚くことに駅係員さんもいる。
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ちょうどよい時間帯に美濃太田行の列車があり、それに乗って美濃の街並みを後にした。

(このページの作成者 てら)

どもどもてらです。
元日乗り放題切符の旅 津和野町編の続きです。

目次
1. JR山口線
2. 島根県津和野町
3. JR山陰本線 島根県区間
4. 島根県温泉津町(このページ)
5. 特急やくも

温泉津駅を降りると、地図と温泉街によくあるゲートでお出迎えしてくれた。
温泉津温泉は世界遺産「石見銀山とその文化的景観」の登録地の一つなのだが、列車を降りても観光客がほとんど見当たらず、驚くほどひっそりとしていた。
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島根県内の温泉では松江しんじ湖温泉、玉造温泉、美又温泉などとならんで有名なのが温泉津温泉である。
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温泉津駅からは20分程度歩く。海が近いこともあり風が冷たく、温かい温泉に浸かれる期待も高まる。
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途中、温泉津漁港を横目に温泉街の方へ
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温泉津温泉は閑静な温泉旅館が軒を連ねることから、温泉街では珍しく重要伝統的建造物群保存地区に登録されている。
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この通り、メインストリートも温泉旅館が縫うようにして建ち並んでいる。
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この公衆浴場が温泉津温泉の元湯である。元湯は2020年1月1日から営業再開ということだったので再開初日に早速浸かってきた。1300年からこの地では温泉が湧いているそう。
45度を超える黄土色の熱い湯、長くは浸かっていられなかったが、湯上り後の体の温かさや汗の量が半端ではなかった。
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もう一つ元湯に近接するところにまた別のこちらが源泉の一つ、薬師湯。
1800年代の浜田地震により温泉が湧き出たことから「震湯」という異名を持つ。旧館はレトロな建築ということもあり有名だ。(時間がなかったとはいえ、旧館の喫茶店に入ればよかったと今更後悔)
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ところどころゆけむりが建ち、路面も温泉の湯がどこからか漏れているのかぬれていた。
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小一時間しか散策できなかったのが残念だったが、列車の都合もあるので急いで駅に戻った。(続く)

(このページの作成者 てら)

どうもてらです。
元日乗り放題切符の旅 JR山口線編の続きとなっております。

1. JR山口線
2. 島根県津和野町 (このページ)
3. JR山陰本線 島根県区間
4. 島根県温泉津町
5. 特急やくも

前回の更新から間が空いてしまい失礼しました…。
新山口から山口線の特急に揺られること約1時間、島根県に入って最初の町が津和野町になる。
表敬訪問ということで津和野駅で写真を一枚。
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なぜ今回目的地として津和野を選んだかというと、ずばり友人を誘って行きにくいけれど行きたかったから。
山陽地方の有名観光地(倉敷や宮島、錦帯橋などなど)山陰でも関西寄りの観光地(城崎をはじめとした兵庫県北部の各温泉地は日帰りも容易なことから友人を誘いやすいというのもあるかもしれない…。
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駅を出て中心部に向かって歩いた。
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写真の鯉の米屋ではお店の庭を鯉が泳いでいる風情のあるお米屋さん。残念ながら年末年始休業。ここが元日に旅行をする欠点である。
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途中、市内の中心部と各地を結ぶ石見交通の路線バスと遭遇。駅や道の駅に併設された温泉、観光名所も結んでいるため観光でも利用出来る。
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殿町通りに通じる本町通りは銘菓、日本酒等、特産品の店が軒を連ねる。
このあたりから殿町通りにかけては重要伝統的建造物群保存地区と呼ばれており、古い建物が保存されている地区にあたる。
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華泉酒造さん 華泉の蔵元にあたる。
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白壁の蔵も軒を連ねる。ところどころに国旗がかかっており、あ、そうか今日は元日か…とはっとさせられた。電柱、電線も地中化されている。
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こちらはもうひとつ有名な古橋酒蔵。初陣の蔵元。少しだけ試飲もさせていただいた。
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更に殿町通りを南に歩を進めると津和野カトリック教会がある。津和野とキリスト教の関係は深く、長崎の隠れキリシタンが津和野の乙女峠にある光琳寺(現在は現存せず)で改宗を迫られ拷問を受けたという歴史がある。このカトリック教会は1929年に設立され日本でも珍しい畳張りの聖堂である。
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殿町通りにはところどころ、土堀の掘割を鯉が泳いでいる。
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殿町通りを抜けると大きな鳥居が出迎えてくれる。津和野に来たもう一つの目的、初詣へ参拝することに。
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津和野川からみた太鼓谷稲成神社。日本五大稲荷神社の一つに入っているそう。
普通は稲「荷」神社と表記するのだが、願望「成」就にあやかって稲「成」神社という表記になっているそうだ。
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太鼓谷稲成神社の表参道。無数の鳥居に囲まれながら境内へ行くことができる。
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階段を上り続けて5,6分。本殿に到着。大きな神社というだけあり、神社の臨時駐車場は初詣に参拝する車で長蛇の列ができていた。おみくじをひくのも一苦労…。
お供え用のおあげが売られているのはさすがお稲荷さんといったところか。
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本殿からは山口線と津和野の街並みを望むことができた。
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私は元来た道を戻り、駅へもどった。
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津和野からは再び山口線を下り、温泉津へ向かう。(続く)

(このページの作成者 てら)

冬に、北へ行く。
決して、スノースポーツを楽しむ目的ではない。
冬に北へ足を運びその地域の営みを覗いてみたいなと思ってしまうのが旅人の性なのだ。

選んだのは仙北市の角館町。武家屋敷が並ぶ街並みで有名である。
春は桜の名所としても有名なのだが、雪国の冬の営みを覗いてみたくなり訪れた。
盛岡からレンタカーを走らせること小一時間、途中雫石で休憩をはさんで角館についた。
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駐車場が建造物保存地区付近に整備されており、駐車場からはあまり歩かない。
車通りが少ないため景観にも配慮されている。
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内町を散策。内町は武家屋敷群が立ち並び、江戸時代に武士が住んでいた場所にあたる。
JRのポスターなどでもたびたび目にするのはこの通りである。春は桜が咲き乱れるため多くの観光客が訪れるようだが、冬の黒い壁と雪の白さのコントラストが強い冬もまた見ごたえがあった。
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黒い壁は柿の渋で染めているそうだ。
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角館の武家屋敷はいくつかが内部も公開されている。
写真撮影が可能なところのうちで、最古の武家屋敷という事もあり石黒家に入ってみた。
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石黒家は唯一茅葺で屋根がつくられており、かつ今も末裔が住んでいる武家屋敷である。
武家屋敷にも格式があるそうで、正玄関と脇玄関の二つを備えている石黒家は特に格式が高いそうだ。
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江戸時代の角館の地図を見ていると、武家屋敷(地図の左)と商家(右)はばっさり分かれている。火事の延焼を防ぐ目的があったともいわれている。
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石黒家以外にも武家屋敷は内部公開がされている。
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青柳家の蔵
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商店も景観を崩さないたたずまいだ。
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重要伝統的建造物群保存地区とは、価値のある建築物を単体で保護するのではなく、面(その周辺一帯にわたって)保護することにより街並み全体を残していくことを目的としている。
角館の他には、世界遺産にも選ばれている白川郷や五箇山といった山村集落、関東近県では川越や佐原の商家の街並みなどがこれにあたる。
建物だけでなくエリアとして地域を守ることで、地域の個性なども際立つのだなと勉強させられるのだった。

ここから田沢湖を回るべく、角館の街並みを後にした。

(このページの作成者 てら)

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