こんにちはてらです。
今回は三重県の三岐鉄道に乗ってきました。
なぜ、三重に…?と疑問に思っている方もいるだろうが、このブログの趣旨から楽しみにしてくださっている方には申し訳ない理由で、場所というよりも今回は車両が主な目的だ。

三岐鉄道は西武鉄道のお古が走っている路線である。西武の車両が走っている私鉄というのは少なくないのだが、ここは一部が復刻塗装車として西武時代の塗装で走っているのだ。
大阪生まれ東京育ちの私にとって西武鉄道はお世話になった身近な存在である。そんななか西武鉄道時代の塗装を残しているの車両が身近で走っているとなると乗りにいかない手はない。
(細かい話になってしまうが、三岐鉄道を走っている車両が西武鉄道に在籍していたのは1990年代で、当然私は生まれて間もないので記憶もないのだが…)
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大阪から近鉄特急に揺られること1時間余り、四日市駅から普通列車に乗り換えてすぐのところに近鉄富田駅はある。

近鉄富田から三重県の員弁(いなべ)地域を南北に走り西藤原まで至るのが三岐線だ。
写真右側の列車に乗り込んで乗り鉄スタート。高校が夏休みという事もあって学生が少なく静かな車内だった。
三岐鉄道が「近鉄富田」と他社の駅名を使用しているのは、近鉄富田駅近くにJRの富田駅があることに起因している。また、40年以上前はJR(当時は国鉄)の方の富田駅に列車が乗り入れていた経緯があり、誤乗を防止する意味合いで「近鉄」を冠している。2019年現在はJR富田駅に乗り入れる列車は貨物列車を除いて一本もない。
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途中、黄色い電車を撮るべくちょっと有名な撮影ポイントのある山城(やまじょう)で下車。
もっと上の世代の人(失礼)にとっては西武といえば赤電と呼ばれる赤とベージュの塗装なのだろうけれど、自分にとって西武といったらこの塗装なのだ。

近鉄富田でこの復刻塗装車が折り返しで西藤原行きになるので駅に戻って電車を待った。
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折角なので、終点の西藤原まで乗りとおすことに。
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車内を見渡すと、あちこちに西武鉄道時代からのステッカーサインがある。非常用ドアコックの案内なんかは今でも西武の一部車両でみることができる。
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車内は中づり広告の代わりに、西武鉄道時代の写真や復刻塗装の施工行程の写真などが貼られていた。
西武鉄道時代の姿を再現するにあたり多くの人の想いが込められていることを感じさせられる。
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平野が広がっていた車窓も、終点に近づくにつれて標高に合わせて坂を上っていく。
次第に車窓から鈴鹿山脈の山々を望むことができる。
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終点の西藤原に到着。一日の乗降客数は100人に満たない小さな終着駅だ。この列車も私以外の3人程の乗客はすぐに降りて行ってしまいホームはしんとなってしまった。
駅舎は2000年代に入ってから供用を開始しているため比較的新しく、駅のなかには簡易郵便局が併設されている。
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駅のすぐ近くに藤原岳の登山口があるため、土休日は登山客で駅はにぎわうようだ。
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折り返し時間が迫り、運転士が点検や運転準備を始めている時のひとこま。
天気が悪かったので乗り鉄に専念しようと思っていた矢先、晴れてきたので急遽予定を変更して黄色い電車のお見送りへ。
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西藤原駅を発車する801形。西武鉄道を撮っていたころから感じていたのだが、曇りの日にこの黄色い車体を撮影すると黄色のくすみが強調され辛子色のようになってしまい、あまり映えない。
晴れると黄色の発色がきれいなのでちょっぴりうれしい。

さて、急遽予定を変更したため、次の電車まで50分近く待たなければならない。
駅前を少し歩くことにした。
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駅前には藤原町時代の観光案内図や国定公園の地図が貼られていた。
藤原岳は鈴鹿山脈のひとつに属し、鈴鹿国定公園のエリアにあたる。鈴鹿山脈と聞いてもあまりなじみがないと思うが、東海道新幹線に名古屋から京都に向かって走っていると、鈴鹿山脈の一番北(関ケ原付近)を通り、やがて琵琶湖が見えてくると反対側の車窓は山並みが続いている。新幹線は鈴鹿山脈を避けるようにして走っているのだ。
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駅前も列車の到着前は送り迎えの車が何台か止まっていたがそれも捌けてしまうとひとけが感じられない。駅前の商店では猫が建物の影で休んでいた。
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一本後の電車に乗り込み、私は三岐鉄道を後にした。

オマケ…
写真に見とれ、こんなお土産を購入してしまった…作りがしっかりしていたので乗り鉄を考えていらっしゃる方はぜひ。
三岐鉄道801形 旧塗装復元記念乗車券

追記
記事をぼちぼち書いていて感じたのだが、セメント輸送で栄えた側面がありながらそれに関する見聞や写真が無いのはちょっと反省…。またの機会という事で。

(このページの作成者 てら)