旅に、出た。

バス乗ったり、島行ったり。マニア2人の共同旅ブログ

乗り物好き若手リーマン2人、それぞれの旅行記録

タグ:群馬県

こんにちは てらです。
信越線は高崎から碓氷峠を越え、佐久を経て菅平の玄関口の上田、善光寺詣でで有名な長野、豪雪地帯の妙高と長野県の北部を半円を書くようにぐるりと回り、日本海側の直江津に至り米どころ新潟を縦貫する長大な路線だ。
長野新幹線開業のタイミングで横川と軽井沢の間が廃線となり、群馬県側は高崎~横川を30分余りで結ぶ県庁所在地から郊外に延びるローカル線のような風情になってしまった。
ふと、JRの時刻表を眺めていると、お天気のよさそうな日に臨時列車が走りそうなので仕事にやりくりをつけて眺めに行くことにした。
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後補機のSLがやや目立つが電気機関車がけん引する客車列車は本当にかっこいい。
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臨時列車を撮影後、天気もいいし行ったことがなかったので碓氷峠鉄道文化むらを来訪。
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機関車が好きで撮影に行くことが多い私ですが、こんなにいろんな形式の機関車あったんやなあとしみじみ。
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やはりここは碓氷峠のおひざ元ということで、EF63型機関車を色々な角度から撮ってみた。
横川~軽井沢が廃止になったのが長野オリンピックに間に合わせるように開業した長野新幹線の1997年。生まれていたものの残念ながら記憶には無く。横軽については新幹線が開業する前に機関車を連結して運行されていたくらいの知識。
過去の歴史やルート、アプト式の機関車が走っていたことなどを文化むらで初めて知ったくらいだ。
博物館での撮影がお上手な方の写真を幾度となく拝見しますが、足元にも及ばず…。
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ノッチ(加速)の段数やブレーキが単独ブレーキと自動ブレーキの2種類あるところは電車と全然違う。R0031127
横川駅に戻ると、目的の列車がすでに小休止していた。汗が出るほど暑いがおぎのやでそばをいただきながら機関車を眺める。
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個人的には現存している機関車のなかではピカイチにカッコいいと思っているEF65型500番台のP型。
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夏の青い空の中で小休止する姿。最近ちょっとヘッドマークが仰々しい感じなのがたまにキズで…「碓氷」時代はよかったんだけどなあ…。
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組織改正で機関区も「高」から「群」に変わってしまった。
しかし、機関車の妻面の排気口や飾り帯といった凛々しさは十分。
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中央に向かって少し出張っている角度のあるデザインも良い。こういうのはいくら撮っても停泊中にしか撮れないので本当に来てよかったと思った。
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臨時列車の類も普段全く乗らないので客車列車に乗るのもとても久しぶり。大学生や高校生の頃に簡易リクライニングの急行はまなすに乗った時以来かもしれない。
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平日の臨時列車なのでお客さんも少なくいろいろな角度から写真を撮れた。
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実のところ、乗ったのはEF65のけん引ではなくC61蒸気機関車けん引のSLよこかわ号。片道30分少々だが非常に楽しかった。

余談
2日連続でEF65型がけん引するということだったので翌日も撮影へ。
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夕刻、青々と背を伸ばす稲を横目に走る姿を思い切って流し撮り。いや~やっぱりかっこいい。
2日連続で好きな機関車の写真を色々撮ることができて本当に満足でした。

(このページの作成者 てら)

こんばんは、いしです。
温泉、登山、キャンプ、廃墟などなど。コンテンツが豊富な割に、魅力度ランキングではいつも下位争いを繰り広げている群馬県。皆様は行ったことがあるでしょうか。おそらく、関東の方なら一度くらいは訪れたことがあるとは思いますが、時には「群馬へはパスポートが必要」との冗談も聞かれる、群馬県に皆さんはどうやって入境しているでしょうか。(主に南からの入境を想定)

観光、仕事問わず、群馬に行くとなったらほとんどの人が、関越自動車道(自家用車、高速バス)or鉄道(新幹線、高崎線、東武線)を思い浮かべるし、実際、そのどちらかを皆さん使うでしょう。しかし、そこは懐の広い群馬県ですから、まだまだ入境手段はあります。

まず、公共交通好きならおそらく、埼玉県熊谷市から群馬県太田市への路線バスを思い浮かべるのでは無いでしょうか。県境を越える路線バスが減る傾向にある昨今、県境を越えるバスを2社が運行しているこの路線は相対的に貴重になっているように思います。北関東民なら言わずと知れた朝日バス、それから群馬のご当地矢島タクシーがそれぞれ、熊谷駅と太田駅を結んでいますし、約1本/hと便数も豊富。矢島タクシーはこの路線に力を入れているようで、「Ota-Cityシャトル500」なる名称までついています。

路線バスで群馬といえば、本庄~伊勢崎の国際十王交通(朝日バスグループ)もあります。東武線沿線から東京へは、東武線を乗り通すよりも、バス+JRの方が早いということなのでしょうか。

さて、路線バス、高速バス、新幹線、在来線以外にもう1つ、群馬へ渡る手段があります。それが、利根川を渡る、赤岩渡船。
赤岩渡船は、埼玉県熊谷市と群馬県邑楽郡千代田町を結ぶ、知る人ぞ知る路線。埼玉県民も知っている人の方が少ないと思います。渡船の港までは埼玉側も群馬側も路線バスが通っていますので、バス+渡船で群馬に入境できるという、令和とは思えない組み合わせ。
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上図、赤い点が渡船の就航地で、オレンジと青の線がバスの走るおおよその方向です。つまり、この渡船を使えば、熊谷→館林や、熊谷→小泉→太田を行き来できるわけですね。もっとも、太田熊谷は前述のバスがあるので、使う人もそんなにいないと思いますが。
20200531_赤岩渡船角田尾
さて、この渡船、確かに道路橋がしばらく存在しない中間地点を結んでいます。拡大図の西側の橋は、熊谷と太田を結ぶ国道407号の刀水橋。東側の黄色い橋は県道20号武蔵大橋で、埼玉側は行田市に位置します。

今回は、熊谷から千代田町までこの渡船を利用します。
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こちらが熊谷の拠点、葛和田バス停。バスの右側に待合小屋、オレンジ色のバス停が見えます。対岸が見えてますね。あそこまで船で渡ります。
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バス停には待機小屋、渡船の歴史を示す板がありますが、それ以外は何とも殺風景。
船は常に赤岩(群馬側)に居ますので、熊谷から利用する場合は、船を呼ぶ必要があります。そこで活用するのが、バス停左にある黄色旗。これを掲げるて、船に乗りたいという意思を示します。

黄色旗を掲揚して合図せよとの旨が小屋にも書いてありましたので、公立中学校の校旗掲揚の要領で、掲げて船を待ちました。この旗、結構重いです。
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船を待つ間はこの小屋で一息付けます。ちなみに、窓の張り紙にあるように、船の料金は無料です。県の補助を受けて運航しているとのこと。

旗は上げたものの、しばらく待っても船が来る気配がないので、不安に思っていると、小屋の中に張り紙を発見。曰く、「来ないときは電話をかけてくれ」と、個人の携帯番号が書いてある張り紙が。というわけで電話すると、担当の方が出て、今から船を出すと仰ってくださいました。ありがとうございます。旗を揚げても船が動いていないと感じたら、電話するのが正解なようですね。

あとで対岸から熊谷側の黄色旗を確認しましたが、結構小さくて見えづらかったので、電話制度が存在するのも納得。
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15分ほどして、舘林土木事務所所有の、新千代田丸、登場。小雨の日に船を出していただきました。ありがとうございます。
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出航。自転車は積み込めますが、屋根はありません。野ざらしです。抜群の爽快感。
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さようなら熊谷。
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群馬がどんどん近づいて来ます。
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ほどなくして、接岸。
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プライバシー保護のため一部加工しました。新千代田丸のみなさん、悪天候にも関わらず、乗せて頂いてありがとうございました。
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群馬側には、先代千代田丸と思われる船も居ました。
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堤防には、バス停が。ここからは館林行のバスが出ています。
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少し歩けば、太田行の路線バスにも乗車できますし、太田行でこの近辺を通らない便もあるので、役場まで1km程度歩けば、そちらにも乗れます。

※赤岩渡船は、待合室の資料によれば風速8m/s、波高0.5mで欠航のようなのでご注意を。

(このペイジの作成者 いし)

こんばんは、いしです。
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JR高崎線の新町駅から2時間以上をかけて、上野村までやって来ました。
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こちらは役場近くのバス停。バスが通るとは思えない細い路地にあります。メインの国道は集落から少し離れた山肌を走っていて、おそらく新道なのでしょう。
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上野村の街中は、うねる細い路地が繋がっていて、全体感が掴みにくく感じました。
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役場近くは川和という集落のようです。
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役場の近くの集落は観光客が立ち入れるところがあまり見当たらなかったため、歩いて西の方にある集落へ。
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少し山を登り、集落を見下ろせる国道を歩きます。
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このトンネルを抜ければ、隣の集落です。
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トンネルを抜けた先に、乙父(地理院地図によれば、おっちと読むそう)に向かう道があります。
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畑と家をつなぐ道をたどって川を渡り、乙父を歩くと、集落内に、「母の菜豆(かかのさと)」というカフェがありました。営業終了時間ギリギリでしたが、切り盛りされているお母様のご厚意で上がらせていただきました。

こちら、後から調べたら、営業日が限定で、要予約とのこと、、、次は予約して伺います。ご迷惑をおかけしました。
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コーヒーも大変おいしかったですが、パンナコッタや、
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群馬名物みそおにぎりまで出していただきまして、どれもおいしい!思い出に残る味でした。しっかり米粒一つ残さず頂きました。
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また訪れたい店の一つです。

(このペイジの作成者 いし)

こんばんは、いしです。
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神流川沿いに位置する群馬県神流町は、平成の大合併で万場町と中里村が合併して誕生した、新しい街です。
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真夏のこの日、万場はキャンプにやってきたファミリー客、レジャー客で町が大変賑わっていました。河原に、子どもが楽しめる小さな人口流れるプールのようなものが作られています。
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河原からの隣にあるメイン通りは、嘘のように静かです。
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それでも、車やバイクなどの交通量はそれなりにありました。また、飲食店も何軒か。あるいは、レジャー客向けの河原の屋台で食糧の調達も出来ます。
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万場の街は県道46号に沿って細長く立地。
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街の西端には、八幡神社が。
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神社の向かいにある商店には、今なら物議を醸しそうな一文も。

神流町は観光協会が川や山で遊ぶレジャーを提案しており、まさにその通り、首都圏からのレジャー客で賑わっていました。

(このペイジの作成者 いし)

こんばんは、いしです。
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鬼石郵便局バス停は、鬼石の中心街に位置します。
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目の前は群馬県道13号。
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想像してたよりも、歴史ある建物が残っています。
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以前紹介した通り、鬼石の近くを流れる神流川を渡れば、すぐそこは埼玉県です。
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ここから先は、埼玉県神川町。
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下には、かつての自治体名、神泉村の石碑が。神泉の集落は、川から少し道を上がったところに位置していますので、神流川にかかる橋から集落を見ることはできません。
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ちなみに、鬼石の対岸にある埼玉県の観光案内所近くからは、鬼石の街が一望できました。
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鬼石に戻ってきて、街を眺めます。
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中心地ですが、ほとんど人も歩いておらず、たいへん静かな場所です。

鬼石はかつて、十石街道の宿場町として栄えたのだとか。確かに、この道をまっすぐ信州方面に進むと、関東最強酷道と名高い酷道299につながり、十石峠を越えて長野県に至ることが出来ます。鬼石にぽつぽつと存在する古い建物は、その名残なのでしょうか。

首都圏に住んでいても、ほぼ聞くことのない、鬼石。なんとも魅力的です。

(このペイジの作成者 いし)

こんばんは、いしです。

2019年夏、群馬県上野村へ路線バスで行ってきました。

群馬県上野村へのアクセスは、JR高崎線の新町駅から発車する、日本中央バス奥多野線を利用することになります。

奥多野線は高崎市新町から、藤岡市、旧鬼石町、神流町(旧万場町、旧中里村)を経由して上野村に至る、約2時間30分も走り続ける(しかも車両はポンチョサイズの小型バス)ストイックな路線バスです。区間便を除いて7便/日、区間便を入れて11便/日と本数も多く、1日乗車券も存在して、ローカル路線バスの旅にうってつけ。
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高崎線を新町で下車。
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駅前ロータリーに、居ました。日本中央バスです。都心では群馬行の高速バスをよく見かけますが、一般路線バス車はここまで来ないと見られません。
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新町駅前のバス時刻表をチェック。年季が入っています。上野村へは看板左側の鬼石行・上野行を使います。平日と土休日でダイヤが異なるので要チェック。

一日乗車券は車内でも販売しています。まずは新町駅から朝の区間便(鬼石行)で鬼石へ。バスは途中、八高線の群馬藤岡駅を経由して、鬼石へ向かいます。
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鬼石着。
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奥多野線は、写真の通り、日野のポンチョサイズの小さな車両。これで山道を2時間半も上野村まで行くのだから乗り通すのにも覚悟が必要。酔い止め、飲んでおいた方が無難。
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鬼石郵便局バス停は、待合所もあります。
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鬼石の中心地は、すぐそばに川が流れており、対岸は埼玉県の神川町。ゆえに、本庄から上里を経由して神川町へ至る埼玉県内の朝日バスが一瞬だけ、この鬼石へやってきます。公式には案内されていませんが、乗り換えが可能。
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噂の、朝日バス。群馬県でみられるとは、なんとも不思議な場所です。
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後ろには、埼玉県神川町の町営バスも。町営バスが他都道府県へ乗り入れるのは大変珍しいのでは。

この後、鬼石を少し散策して、再び日本中央バスへ乗車。新町駅から鬼石郵便局までは約40分の道のりでしたが、ここからバスはいよいよ山道へ分け入ります。下久保ダムを車窓左手に見下ろしながら、うねる山道をさらに50分(新町からは90分)進むと、神流町の中心地、旧万場町に到着です。
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万場バス停では、ほとんどのバスが10分ほど時間調整します。この日は、万場あたりで昼休憩にしました。
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さて、万場にある八幡神社から乗りバスを再開。ここから30分かけて上野村へ向かいます。バスはこれまで走ってきた国道462をひたすら西進。途中、神流町が終わるところで、埼玉から来た関東屈指の国道299と合流し、道は299となって、上野村へ向かいます。
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上野村では、役場前で下車しました。こちらは乙母という集落。上野村は集落が分散していましたので、数km隣にある乙父集落まで歩いて移動しました。

(このペイジの作成者 いし)

こんばんは、いしです。

高崎から軽井沢へ、マイナーなルートで向かっております。今回は、上州一ノ宮から松井田へ向かいます。地図では、緑の線に挟まれた、青色の線で表してあります。

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上信電鉄を上州一ノ宮駅で下車しました。上信電鉄は木造駅舎が多く、旅情が掻き立てられます。

駅前の国道を信号1つの距離だけ北上すると、一ノ宮北という交差点があります。その交差点の左側に、今回乗る富岡市乗合タクシーの一ノ宮北バス停があります。
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ありました。一ノ宮北バス停です。地方のコミュニティバスならではの本数の少なさですので、利用には十分な下調べが必要です。

バスはほぼ定刻でやってきました。バスと言っても、旅館などの送迎で使われるようなマイクロバスです。乗車した菅原線は、富岡市乗合タクシーの中で唯一土日も運行する路線。この日は他の利用者も居たため、バスは7名の乗客を乗せて出発しました(既に乗っていた他の方はおそらく病院か始発の上州富岡駅からの乗車と思われます)。
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バス車内は簡素なつくり。助手席側のサンバイザーに「回送」のサボが括り付けられているのが、なんとも面白いです。掲示して走っているところも見てみたいものです。
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15分ほど乗車して、北山というバス停で下車しました(地図では、青線の終端Bの地点)。バス停とはいっても、この辺りはフリー乗降区間のため好きな場所で降りられます。乗る時も手を上げれば乗せてくれます。一方、バス停は見当たらなかったため、初めてここから乗るのは戸惑いそう。

ここからは、徒歩でJR信越本線の松井田駅を目指します。約数十分の歩きです。

続く。

(このペイジの作成者 いし)

前回の続き
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みなかみ町の水上駅から北に向かうバスは大きく2つある。1つはJR上越線に沿って湯檜曽、土合と北上し、谷川岳ロープウェイに接続する路線。もう1つは、湯檜曽駅手前から右に逸れて藤原集落方面へ向かう路線(地図を見る)だ。今回は藤原へ向かう後者のバスに乗車した。

1. 水上駅→水上温泉
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上越線の土合駅を訪ねた帰り、水上駅には大雪の影響で1時間半近く遅れて14時過ぎに到着した。次の湯の小屋行バスは15:55とだいぶ時間が余るので、駅から1kmほど南に位置する水上温泉へ昼食を食べに向かった。

14:30発の関越交通バス上毛高原駅行で移動した。バスは土合駅よりも北にある谷川岳の麓からやってくるのにもかかわらず、ほぼ定刻で水上駅のバス乗り場に入ってきた。消雪パイプでびちゃびちゃになったバス乗り場からなんとか乗車し、温泉街へ向かった。
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5つ目の水上温泉バス停で下車した。雪国では、バス停にこのような小屋が付いていると大変にありがたい。
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昼食を食べた後、雪の降る中を温泉街のメインストリートを通りながら歩いて駅に戻った。

2. 水上駅→湯の小屋
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湯の小屋行バスは、水上駅を起点として一日6往復している。うち2往復は、途中、外国人にも有名な宝川温泉まで乗り入れる。乗車したのは水上駅を15:55に出発する、終バスの1本前のバス。乗客は6名だった。終点の湯の小屋までは約50分の道のりだ。

水上駅のバス乗り場を出発してしばらくは国道291号を北上する。道は2車線が確保されていて、消雪パイプによる融雪も行われている。湯檜曽駅の数百メートル手前からバスは右手に曲がり、県道63号線に入っていく(地図を見る)。バス停なら、ゆびそ入口もしくは大穴バス停がこの分岐点にあたる。大穴バス停から湯檜曽駅までは徒歩圏内だが、バス車内から見た限りではバス停近くに屋根のある待合場所が無く、歩道も雪で見えなかったので、冬は乗り換えに使わないほうが無難だろう。
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湯の小屋へ向かう県道へ入って程なく、前方に高速乗合バスと書かれた関越交通バスを捉えた。しばらくここから追走することになる。大穴から数km進むと消雪パイプもなくなり、道が雪に覆われ始めた。
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大穴から5kmほど進んだダム管理事務所入口バス停付近で(地図を見る)、前の大型観光バスが止まってしまった。どうやら、前から乗用車数台と4トン級のトラックがやってきて、雪でかなり狭くなったこの場所ではすれ違えなくなってしまったらしい。双方のバス運転士が無線で連絡を取りながら、結局こちら側が道が広くなっているところまでバックすることになった。しかし、乗っていたバスのすぐ後ろにも2トン級のトラックが迫っていて、なかなか下がれない。
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反対側の乗用車の運転手とこちらのバスの運転士が一度道に降りて、さらに後ろにいる2トントラックの運転手に状況を伝えた後、バスは後ろに下がり始めた。もともと狭い道の上に雪が積もっているので、乗っているバスもギリギリまで道の左端に寄りながら、同時に無線で前の大型観光バスのバック走行も誘導していく。雪で見えなくなった側溝に蓋があるかどうか、記憶と勘を頼りにトラブルを回避していく様子は、まさにプロフェッショナルを感じさせる仕事ぶりだった。厳しい気象条件の中でバスを走らせる苦労を見ると、乗客の少なさがなんとも寂しい。
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どうにかトラックとのすれ違いをやり過ごした後、バスはひたすらに雪道を進んでいく。藤原湖というダム湖の堤防で、乗車していた路線バスが観光バスを追い抜かし、先行して道路状況と対向の車の状況を無線で連絡しながら進む体制になった。途中、道幅が狭い洞門やつづら折れで立ち往生してしまった乗用車数台を抜かしながら、バスは進む。この先はスキー場が多いため、数分に1台は乗用車とすれ違う。交通量は存外に多い。
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ダム湖を超えて久保バス停まで来ると(地図を見る)、視界は開けて集落に到着した。郵便局と駐在所もある、規模の大きな集落だった。久保で1名が下車すると、再びバスは雪の山道を分け入って行く。先ほどのすれ違いトラブルでバスは20分程遅れており、もう既に暗くなり始めていた。おまけに、雪の降り方も強くなっていて視界は相当悪くなっていた。
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3. 湯の小屋→水上駅

終点の湯の小屋には、すっかり陽の落ちた17時過ぎに20分遅れで到着した。ここで全員が下車する。このバスの折返しが終バスなので、私もここでこのバスと共にすぐに折り返す。車内点検の後、バス停で待っていた2名を乗せてすぐにバスは折返し、水上駅に向けて出発した。

関越交通バスでは、営業所に電話を掛けると運行状況を伝えて頂ける。折り返してすぐに営業所から無線が入って、どうやらこの先のバス停で数人がバスを待っているようだった。湯の小屋から少し戻った宝川温泉入口バス停から、外国人が4人乗車してきた。このバス停から数十分歩いた所にある宝川温泉は、その巨大な露天風呂から外国人にも有名なところ。おそらくそこから来たのだろう。一日に2本だけ宝川温泉を経由するバスがあるのだが、この終バスは宝川温泉に向かう道の分岐点までしか行かないのだ。

途中の洞門やトンネルで何回かワイパーに付着した雪を落としながら、バスは水上駅へ向かって山をひたすら下っていく。久保バス停まで戻った頃には雪が小康状態になり、道路状況も落ち着いてきた。往路ですれ違ったスタックした乗用車は残念ながらまだそのままレッカー車を待っていたが、それ以外のトラブルは特になく、終点の水上駅には約20分遅れのまま18時過ぎに到着した。
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4. 付記

関越交通では交通系ICカードが使えなかった。一方、2日間有効のフリー乗車券3,000円がある。今回はこのフリー乗車券を使用した。(参考:関越交通バスサイト「水上得々乗車券」

寄り道をしたみなかみ温泉では、蕎麦屋で鍋焼きうどんを美味しくいただきました。雪が降り積もる中では美味しさも一入でした。午後3時近くだったにもかかわらず快く受け入れてくれた店の方に感謝です。
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(このペイジの作成者 いし)

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群馬県の高崎市から新潟県の長岡市までを結ぶのが上越線だ。乗り鉄をしていると、日本海方面へ抜けるのに幾度となく利用するため馴染み深い路線ではあったものの、上越線それ自体を目的にすることは少なかった。同じく素通りするだけだった水上温泉への寄り道も含めて、2018年の年末に訪れた。今回乗車したのはこの地図のオレンジ色の区間(この記事に出てくる主要な所には印を付した)。上越線で、新潟県との県境までひたすらに北上した。


水上駅から同じみなかみ町の北端にある土合駅などを通って新潟県へ超える列車は、日にわずか5本。冬期は臨時の普通列車が出るものの、それでも8本しかない。ゆえに、水上を超えようと思うと、おのずと接続の列車は限られてくる。

この日選んだのは、通年を通して土日と繁忙期に運転する臨時列車(8735M。越後湯沢から先は定期列車1735M)で、それに接続する列車は上野駅を8:35に出発する快速アーバン高崎行(3920E)だ。このアーバンは東海道本線から直通してくる15両編成だが、他の普通列車と同じように籠原駅で前5両を切り離す。高崎まで行くには後ろに乗る必要がある。今回、ボックスシートに座ろうと1号車に乗車した(注1)。

注1:高崎線のボックスシートは、1,2,14,15号車にある。列車によっては、9,10号車にもある。


しかし、アーバンは座席が埋まって立ち客が出るほど盛況のため座れなかった。この列車が高崎線下り方向の最初の快速ということに加えて、終点高崎からの信越本線、上越線両方面への接続もよい。さらにこの日は帰省ラッシュ真っ只中で、車内の客の多くが大きめのボストンバッグやキャリーバッグを持っていた。途中、新幹線接続駅の熊谷でも帰省客はほとんど入れ替わらず、地元の学生や住人が主要駅で降りていく以外は、高崎まで車内が大きく動くことは無かった。
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高崎には定刻の10:15に到着した。水上方面は階段を使って5番線に乗り換える。車内に居た帰省客の多くも5番線へ向かっていった。
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駅構内通路へと向かう階段の下にあるこの電光掲示板を見ると、高崎に来たことを実感する。現在では電光掲示板がかなりの数の駅に普及したが、路線別に種別と番線だけを表示し、行先と時刻が書かれていないものは非常に珍しい。

高崎(地図を見る)を10:25に出発する普通水上行(731M)に乗り込んで、水上まで北上する。高崎地区の普通列車は全てロングシートの211系に統一されていて、乗車したのは4両編成。車内は帰省客とスキーや登山などのレジャー客、地元民で混雑しており、始発駅の高崎を出発した時点で通路も埋まっていた。上越線は晴れていると車窓も変化に富んでいて飽きない。この日の関東一円は雲一つない快晴で、進行方向右手の赤城山も左手の榛名山もくっきり見えていた。

一方の日本海側は、この冬最初の寒気が南下した影響で大雪だったようだ。関東北部も多くの降雪が予報されていて、列車が岩本駅を過ぎて沼田駅(地図を見る)に向かう頃には車窓に積雪も見られるようになった。その頃には混雑していた車内もだいぶ空いてきて、沼田で多くの降車があると空席もでき、車内のほとんどが帰省客とスキー客、登山客だけになった。
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終点の水上駅(地図を見る)には定刻通り11:29に到着した。高崎方面の普通列車はいつも駅舎側の1番線から発着する。沼田駅周辺では薄く積もるだけだった雪も、後閑、上牧と北上するにつれて厚さが増し、水上駅では屋根のあるホームにも積もっていた。
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乗車した731Mは、降車扱いの後に車内点検を行って折返し738M高崎行となって折り返す。
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狭い乗換階段を渡って、反対側のホームに待つ長岡行普通列車(8735M)に乗り換える。写真からも雪が舞って、ホームの中深くまで積雪があったことがわかる。上越線は既に写真のE129系に統一されていて、列車によって両数は変わる。この日は4両編成だった。雪の中でも列車は水上駅を時刻表通りに発車し、上越線最後の群馬県の駅、土合駅(地図を見る)にも定刻の11:50に到着した。
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新潟方面へ向かう下り線はトンネル内にホームが存在する。土合駅がマニアには有名になっている一因だ。また、そのホームから山の上にある駅舎までを繋ぐ400段を越える階段も有名だ。
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下から仰ぎ見ると、頂上が見えるためにそこまで長くは感じないが、実際に登ってみると意外にしんどい。
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頂上に到達すると、通路の先に頑丈な斜めの大きな板が見えた。トンネル内の風がそのまま通路に吹き込むのを抑制しているようで、この壁の横からさらに進んで駅舎に向かう。
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新潟との県境がすぐそばということもあって、駅の外は大雪だった。
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駅前のバス停はこの通り、すっぽり埋もれてしまっている。

土合駅からは反対方向の水上行(1732M普通水上行)に乗って、高崎方面に1つ隣の湯檜曽駅に行くつもりだった。土合駅は無人駅だが比較的広い待合室があってそこで列車を待っていると、乗車予定の列車が除雪のために1時間遅れていると構内アナウンスが駅スピーカーから入った。駅前の水上駅行のバスも冬は本数が減るので良い時間のバスもなく、待合室で待つことに。

予定の発車時刻を1時間ほど過ぎた頃、駅にジョイント音が響いて貨物列車がやってきたのがわかった。しかし、待合室から見えるところで止まってしまったのでホームに様子を見に行ってみると、運転士さんが前面ガラスについた雪を箒とスコップで落としているところだった。前面にたまった雪の量も凄まじいが、彼によるとこれは新型機関車だからこの位の量なら問題はないそうだ。しかしガラスについてしまった雪はいちいち列車を止めて手動で落とす以外どうしようもないらしく、既に石打駅と、土合駅の手前のループ線のトンネル内で同じ作業を行ったとのことだった。
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おおよそ10分ほどかけて雪を払い落とし、貨物は再び発車して行った。ほどなくして、遅れていた1732M水上行も2両編成で到着した。前方の信号機が見えないほどの視界の悪さだったため、指令に連絡を取って信号が進行現示であることを確認してからの発車となった。その後は湯檜曽駅に停車し、雪を巻き上げながら水上駅まで進んだ。前方も側方も雪でほぼ視界は無く、運休にならなかったのが不思議なくらいだった。もっとも、貨物の運転士さんの話では雪は県境の峠だけでひどかったようだから、問題はないのかもしれない。終点水上駅には約1時間20分遅れで到着した。



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みなかみ町をバスと徒歩で少し見て回った後、18時台の列車で東京への帰路に着いた。乗車したのは普通高崎行(750M)で6両編成だった。ただ、水上駅で接続の長岡始発の普通列車(1742M、E129系2両編成)が遅れていたため、待ち合わせてからの発車となった。駅は相変わらずの雪で、車内の窓にも霜が降りていた。
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結局、終点の高崎駅には予定より6分遅れの19:54に到着した。

続く

(このペイジの作成者 いし)

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