旅に、出た。

バス乗ったり、島行ったり。マニア2人の共同旅ブログ

乗り物好き若手リーマン2人、それぞれの旅行記録

タグ:福島県

この記事は野岩鉄道編の続きとなっています。よろしければ野岩鉄道編もどうぞ。


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今回はいろいろと寄り道をしてからの会津高原尾瀬口駅への訪問となったが、東京浅草から電車一本で福島県南会津町まで来れるというのはすごい。実際のところ、1980年代のバブル期は尾瀬のハイキングやウィンタースポーツで人がごった返していたという話だから鉄道の役割というのはすごかったのだろう。
横道にそれるが、50代の方の話を聞いていると平日バリバリ働いて夜は夜行列車やバスに乗ってそのまま土日はスキー三昧みたいな話も聞くし、今の我々よりもはるかに体力があるのでは…と錯覚することがある。
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会津高原尾瀬口駅は会津高原プラザと併設されており、鉄道とバスの結節点として機能している。
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私は寄り道してひとっぷろ。やや熱めの湯温のお風呂をいただいた。駅から5分ほど歩くだけでも静かに深々と降る雪で冷え切ってしまった体がほかほか湯気が出るような温かさであった。
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駅に戻る。JRのローカル線で聞き覚えのある接近メロディと共に東武の特急リバティがやってきた。

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会津高原尾瀬口から会津田島まではノンストップ。レールの長さが短くなったのか、東武線内や野岩線内とは違いガタン、ガタンと短いリズムで揺られる。
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最新型の電車特急から見れる景色がこんな一面の雪景色…。暖冬だった今年だが会津は雪深い。
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会津高原尾瀬口からはリバティ会津リレー号という特急に接続している列車に乗車。といっても各駅にとまる単行のワンマンカーで1時間余りかけて会津田島から会津若松までを走破する。
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派手な塗装だなと思って目をやれば、芦ノ牧温泉駅で駅長猫が勤務しており「にゃん旅鉄道」という映像作品がつくられたのを基にクラウドファンディング方式でラッピングされた電車とのこと。
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「もう列車の来る時間よ。」とあるが会津鉄道も1日11往復なので、本当はのんびり途中下車しながら行きたいもののその日のうちに大阪に帰るとなるとそうもは行かない。野岩鉄道で楽しみ過ぎてしまったか…。
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列車は阿賀川沿いを走る。
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…普通列車で相席の方がいなかったのをいいことにやらせてもらいました。
これがなんと小野上温泉から芦ノ牧温泉までは立ち客が出るほどの利用で、どうやら海外からの団体旅行客が小野上温泉と芦ノ牧温泉の間を鉄道で移動して、駅長猫に会おうという行程らしい。半分ほどの座席が空いていた車内が一気に満員に。
気まずさからお酒も一気に飲み干してしまった。
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大川ダムにかかる若郷湖を渡り芦ノ牧温泉を出ると徐々に開けてきて終点の会津若松に到着する。
列車が混雑していて行程の後半は写真を撮ることができなかったのが残念であった。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
この記事は野岩鉄道(前編)の続きとなっています。

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湯西川温泉駅で列車を待っていると四筋の光が見えてきた。
トンネル駅で電車が来た時の安心感は何にも代えがたい。ホームで電車を待てる駅ではこういうシーンを撮影してしまう。
野岩鉄道がクラウドファンディング方式により、6050系をイベントでも使用できる車両に改造しておりお披露目を込めた臨時列車「やがぴぃ号」の設定があった。モーター車は掘りごたつや運転台のモックなどがあり整理券が必要だが、付随車は乗車券のみで乗車可能。乗客は整理券が必要な車両に20名ほど乗っていたのに対して、私が乗り込んだ付随車は家族連れ一組のみ。車内の写真を撮るのにはちょうどいいがちょっと寂しい。
野岩鉄道はダイヤ改正で線内完結列車が減り、多くを特急の乗り入れ運用に頼っている状況にある。
どうしても首都圏からの旅行客を見込んでの路線であるため厳しい経営環境であることは想像に難くない。そんななか行楽期は臨時列車等が設定されるので6050系のローカル運用を狙って見るのはどうだろうか。
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湯西川温泉駅を出た列車はすぐトンネルを抜け、湯西川に架かる橋梁を渡っていく。
写真は雪原ではなく凍っている湯西川。6050系に乗っている感じが写真で撮れてよかった。
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上三依塩原温泉口で特急と行き違い。日曜日ということもあり3両で結構な座席がうまっていた。
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降り鉄の方にはおなじみの男鹿高原駅 特急が止まらなくなったことに加え線内完結運用も減ったため1日5往復となってしまい、秘境度が増してしまった。
もちろん臨時列車への乗降はなく発車。
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6050系系列といえば多層建ての列車であるため車内にも方向幕が設置され行先を見ることができる。雪景色とともに一枚。
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日光市と南会津町の境目はさらに雪深い景色となった。
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終点会津高原尾瀬口駅に到着。途中駅からの乗車だったため30分にも満たない乗車であったが、雪景色を楽しむことができた。
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新藤原方には「やがぴぃ号」のヘッドマークが掲出されている。
ちょうど時間があったので、近くの温泉に入浴して会津田島方面への列車を待った。

(このページの作成者 てら)

こんにちは、てらです。
大学生のころから、東京から会津方面へ遊びに行くときに所要時間は新幹線に分があり、価格面では東京会津若松・郡山間でバスが走っていたこともあり乗ったことがなかった野岩鉄道線、会津鉄道線。
調べていると、6050系を使用した臨時列車が走るとのことで撮り鉄も乗り鉄も両立できそうである。
そうなれば話は早い。最初は宇都宮に宿をとって日光線で今市まで出て…と考えていたのだが、浅草から特急に乗れば宇都宮を出る時間と小一時間も差はない。折角なので行ったことのない浅草から特急に乗って野岩鉄道線、会津鉄道線を乗りに行くことにした。
全線複線で高規格な伊勢崎線、日光線に揺られた後、鬼怒川線からは一気にローカル線の様相に様変わりしたものの、鬼怒川温泉まで2時間余りの快適な移動だった。
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終点の鬼怒川温泉駅からAIZUマウントエクスプレスは2分の乗り継ぎ。車両の写真や駅の写真を撮る間もなく列車は満席に。
3両の特急からほとんどの人が乗り換えていたので新緑や紅葉の季節ではないものの奥日光や塩原方面への温泉旅行をする人だらけであった。
野岩鉄道線はもともと国鉄会津線(現会津鉄道)と国鉄日光線(JR日光線)を結ぶ路線として敷設、国鉄の経営改善の一つとして工事が凍結された際に、第三セクターで工事を続行し東武鉄道と直通運転を行うこととなった。
なるほど、国鉄転換線(会津鉄道)と東武鉄道をどうして結んでいるんだろう…という謎も調べてみて初めて知った。
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1週間前に大雪だったようだが、晴れていても残雪がところどころある東武鬼怒川線沿線。
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川治温泉~川治湯元の車窓からはダム設備が見える。最初はダム湖から野岩鉄道を撮影することも考えたのだが帰る時間が遅くなるので泣く泣くあきらめた。
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湯西川温泉は結構な利用者が下車。バスに乗り換えて湯西川温泉に行く人が大半の模様。
AIZUマウントエクスプレスは専門の派手な塗装である。以前は名鉄8500系が担当していた。
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湯西川温泉は日本でも数少ない365日営業しているトンネル駅。土合、筒石などが有名だが、湯西川温泉もこのうちのひとつである。
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階段を上がると、湯西川温泉に接続するバスが待っていた。
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こちらが今回のお目当ての一つ、6050系の定期運用が湯西川橋梁を渡るところ。
撮影するところをどこにするか迷ったが、鉄道建設公団線であるところがわかりつつ、景色も風光明媚なところにしたかったのでこの場所をチョイス。駅からも近かったので非常に良かった。
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駅に併設されている道の駅に温泉があるため、ひとっ風呂浴びて駅へ。
折角のトンネル駅、雰囲気がわかるように色々撮影。
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発売範囲が広くてびっくり。係員さんがタブレットを操作しレシート状の切符が出る。この範囲の駅はレシートの切符を収受することもあるってことなんだろうか…。
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ホームへ続く階段
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列車が来る直前のホームは雰囲気がある。ここで第二のお目当てを待つ。後編へ続く。

※鉄道路線としては新藤原~会津高原尾瀬口が野岩鉄道の所属である。
 今行程では直通列車に乗車しており、新藤原から乗車していないため鬼怒川温泉~湯西川温泉としている

(このページの作成者 てら)

どうも先週に続きまして、てらです。
このページは河沼郡柳津町【奥会津探訪II】の続きです。

目次
大沼郡三島町【奥会津探訪I】 
河沼郡柳津町【奥会津探訪II】
大沼郡金山町【奥会津探訪III】 現在のページ



金山町は今回の奥会津探訪シリーズの中では只見川の上流域にあたり、会津若松から車でも一時間以上かかる地域である。今回は主に只見線沿線に位置する川口、中川、沼沢湖畔に位置する太郎布の各集落をめぐった。

まず、私は金山町の集落と只見線を一望できる撮影地へ向かうべく、沼沢湖畔へと向かった。
沼沢湖畔は火山の噴火によってできたカルデラ湖であるため、只見川沿いより少々標高が高く、夏季はキャンプ、冬はスキーなどのレジャーを楽しむことができる。
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沼沢湖の湖畔を回るように車を走らせると、太郎布集落をかすめる。只見川に張り付くような集落が多い中で太郎布のような高原地域に位置する集落は珍しい。
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太郎布から只見川を見下ろすとこのような景色が広がっている。奥に見えるのは金山町の公共施設が集積している中川集落。手前が大志集落である。そして、…見えるだろうか、集落をかすめるように走っているのが只見線の会津川口行きの列車である。
ここで撮影した前日に大雨が降った影響で、川の水の色がやや汚いが、空気が澄んでおり良い景色だった。
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このあと、車を回して会津川口駅へ向かう。川口の集落の入り口付近で一枚
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川口の集落は役場や小中学校、高校といった公共施設があり、地方銀行の支店も所在している。
只見線は水害の影響を受け、会津川口~只見区間で2011年から長期間にわたり運休しており、代行バスによる輸送が行われている。そのため、福島県側は会津川口駅が実質終着駅となっている。
列車の時間に合わせて代行バスが運転されているため、ちょうど入れ替わりに只見行きのバスが出発していった。
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駅舎はJAや郵便局と併設されており、駅の売店だったスペースで観光案内所がある。驚くことに町の職員が常駐しているようだ。
完全な余談だが、公共施設と駅を集積することにより、公共交通機関の利用促進になるのではないか、というのを卒論で書こうとしていた経緯もあり、見入ってしまった。
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この後、一つ隣の駅の会津中川駅へ向かう。
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この駅は只見川沿いの平地に所在しているため、駅と集落が近接している。
中川駅の周辺は町民体育館や老人ホーム、役場の職員向けの宿舎など金山町に関連する建物が多くある。
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先ほど撮影した列車の折り返し列車を見送ったあと、町営施設の一つである中川温泉ゆうゆう館にお邪魔した。
ん、どこからどう見ても公民館…。
受付(とはいっても町の職員さんが福祉関係の仕事をしているところの一角)で料金を支払い、熱めのお湯につかった。いかにも地域住民向けの施設なのだが、町外の観光客の利用も歓迎しているそうだ。とはいっても、職員の方が書き込んでいるリストを見る限り3日ぶりの町外利用者だったようだ…。
茶色っぽいお湯は、午前中に使った早戸温泉とは泉質が異なるのか、ちょっと浸かっただけで体全体がほっと温まるようなお湯だった。
温泉旅行をしていると感じるのだが、温泉に入っている時は体の疲れが少しずつ抜けて行って気持ちいいのに、家に帰る途中で再び疲労が蓄積してしまうのはどうにかならないものかなというどうしようもないことを考えてしまう。
残念ながらいつまでも温泉に浸かるわけにはいかず、中川温泉を後にした私は、常磐道で郡山まで出てレンタカーを返却し、新幹線を経由して東京の実家へと帰った。


(このページの作成者 てら)

どうも先週に続きまして、てらです。
このページは福島県大沼郡三島町【奥会津探訪I】 の続きです。

目次
大沼郡三島町【奥会津探訪I】 
河沼郡柳津町【奥会津探訪II】 現在のページ
大沼郡金山町【奥会津探訪III】 

三島町にある温泉施設で汗を流したあと、元来た道を戻り柳津町へ入った。

(前回と地図の縮尺が異なっています)
柳津町は前回取り上げた三島町の東隣、只見川の下流側にあたり、隣の会津坂下町と並んで奥会津の玄関口のようなな存在である。
只見川沿いに車を走らせていると、只見川を渡る橋から岸壁にそびえる寺院を見ることができる。
まずは会津柳津駅前の駐車場に車を止め、圓蔵寺の裏参道を歩くことにした。
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柳津の駅前はやや町のはずれにあるためか人もまばら。C11型機関車が駅前に鎮座している。
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駅から数分歩くと店舗が並び人通りも増えてきた。
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圓蔵寺の裏参道にあたる。
圓蔵寺は、日本三大虚空蔵の一つとして数えられ、参道として町が栄えている。
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本堂には舞台がせり出しており、この通り柳津の街並みを一望できる。
一旦ここで車を取りに駅まで戻り、表参道側から表敬訪問しなおすことにした。
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中心部の瑞光寺公園の駐車場に車を止めると、眼前に広がったのは只見川に張り付くような圓蔵寺を見ることができた。
只見川のそばに圓蔵寺が建立されているのは、牛と深い関係がある。建立の際に大量の木材の運搬に難儀していたところ牛の群れが手伝ってくれた伝説や、1600年代の大地震で本堂を再建する際に牛が現れて手伝ったという伝説など、圓蔵寺と牛は切っても切り離せない関係にあり、境内にも大きな牛の石像が横たわっている。
諸説あるが、会津の伝統工芸品の一つである赤べこも、この圓蔵寺の牛にまつわる伝説から、牛を木彫りして福にまつわる赤い色で装飾を施しているようだ。
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中心部から表参道はすぐそこである。山門から改めて圓蔵寺を参拝した。
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本堂、江戸初期の地震により再建したものがそのまま残されている。…ということはおよそ600年前ということだ。
最後に参拝を終えて駐車場に戻る途中に面白いモニュメントを見つけた。
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柳津は、西山(せいざん)温泉から源泉を引いており、圓蔵寺周辺も温泉旅館が並んでいる。
本当ならば日帰り温泉でひとっ風呂浴びたいところだったが、私は金山町に向けて車を走らせた。
(続く)

(このページの作成者 てら)

どうも てらです。

久しぶりに町歩きを主にした旅行をした。
場所に選んだのは奥会津である。どうしても関西からはアクセスが悪く、まとまった休みが取れたら取れたら…と後回しにしていたという経緯である。
もともとは只見線の東側(会津川口~会津若松)の乗り鉄をしたいと思っていたのだが、沿線の地域を調べるうちに乗るよりも町を回るほうを主軸に置くことにしようと思い立ち、レンタカーで各自治体をまわることにした。 

目次
大沼郡三島町【奥会津探訪I】 現在のページ
河沼郡柳津町【奥会津探訪II】
大沼郡金山町【奥会津探訪III】

まず、大阪から会津地域はアクセスが決していいとは言えず、ルートの選定に難儀した。
夜行バスは直行便がなく、郡山までの夜行バスに乗り換えなければならない。新幹線の乗り継ぎは時間が読める半面、割高感がぬぐえない。福島空港や仙台空港からは時間がかかるが…またま、格安航空のセールで関空仙台が3000円台で投げ売りされていた。
レンタカーはいずれにせよ借りなければならないことがわかっていたため、やや強行軍であるが仙台便を利用してレンタカーで会津に向かうことにした。
東北道の追い越し車線のやんちゃっぷりは後日、記す機会があれば記すとして、19時半にレンタカーを転がして、会津地域の拠点である会津若松に着いたのが22時前。

翌日、6時前に起床して私は広域農道を車で飛ばしていた。最初に立ち寄ったのが大沼郡三島町である。

位置関係としては、会津盆地から只見川沿いへ車を小一時間ほど走らせた場所にある地域だ。
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まずは道の駅 尾瀬街道みしま宿を訪問。もちろん7時すぎなので道の駅の営業時間外である。にもかかわらず、郡山をはじめ、近隣の他県ナンバーの車が数台とまっている。
実はこの道の駅のそばに有名撮影地があり、撮影に来ている人の車のようだ。私が早起きした理由は紛れもなく有名撮影地で列車を撮ることであり、他の撮影者に混ぜていただいて撮影した。s__MG_3147
只見川の上にかかる鉄橋をゆっくりと2両編成の列車が走っていく。
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只見線の次の列車までややあくので、会津宮下駅の前を散策した。
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会津宮下駅は三島町役場の最寄り駅ということもあり、駅前もこじんまりとしていながら生活に必要な機能が揃っており、コンビニエンスストアや郵便局、農協なども徒歩圏内にある。
三島町の町営バスも、列車の時間を基準にして接続をとっているようだった。
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まだ午前8時をまわったところなので人通りもまばらである。
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三島町の観光の取り組みで興味深かったのが、屋号を取り入れた町おこしである。各家の軒先にこのように屋号が掲げられている。人々の営みを身近に感じることができる取り組みであり、屋号をみながら街を歩くのも楽しい。
詳しくは 三島町宮下地区屋号サインプロジェクト
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この後は、駅のそばにある三島神社を表敬訪問。「三島」の町名の由来となった神社である。
道の駅の営業時間になってから再度立ち寄った。会津地域の寒暖の差を利用した桐の製品が販売されており、実家に茶器をお土産として購入した。製造元のウェブサイトでも紹介されているが、桐細工をの技術を用いて密閉性を保ちつつ、茶さじを遣わずにお茶の葉を急須に入れることができるスグレモノである。(参考にこちら

宮下の集落を後にして、宮下の隣の集落にあたる早戸の日帰り温泉に入った。
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只見川沿いにある早戸駅に会津若松行きの列車が止まり、静かに発車していった。
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以前は只見川沿いに道が通っていたようだが、現在はバイパスがあり、早戸集落と三島集落はトンネルを通じて車で5分ほどで行き来できる。
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早戸温泉つるの湯は露天風呂から只見川を望むことができる。外を歩き回る旅行をしているとこのような日帰り温泉は汗を流せるためありがたい。やや熱めの湯温だが、川のせせらぎを聞きながらの入浴なのでゆっくりと浸かることができた。
昔は早戸集落の対岸にも集落があり、渡し船で行き来していたようだが昭和30年代に土砂崩れなどが相次ぎ、廃墟となっているそうだ。しかし、当時の渡し船を再現した観光渡船が営業しているようだ。

昼食がてら、温泉を後にし柳津町へ向かった
(続く)

(このページの作成者 てら)

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