旅に、出た。

バス乗ったり、島行ったり。マニア2人の共同旅ブログ

乗り物好き若手リーマン2人、それぞれの旅行記録

タグ:熊本県

こんにちは てらです。
前編ではブルートレインたらぎについて簡単に紹介させていただいたが、後編では実際にブルートレインがあった時代をイメージして何枚か撮影した写真を紹介したいと思う。
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薄暗くなってきた時間帯、駅にブルートレインが滑り込む。寝台特急はやぶさ。仕事を午前中に切り上げて旅行へ向かう私の心は軽やかだ。仕事が終わってその足で乗る飛行機、フェリー、新幹線…。どれもやったがやはりブルートレインのワクワク感にはかなわない。
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乗車率はまばらなのか、カーテンが空いている寝台もあった。
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私が乗車したのはB寝台ソロ。旅行に行こうと決めてから調べたところ、たまたま空いていた。
ブルートレインの個室、心躍るものである。
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年季が入ったB寝台の文字はいつの間にか飴色になっていた。デッキから客室への扉を開ける。
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乗車した時点では3割程度の乗車率。まだまだ乗車してくるのだろうか。
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窓の外を眺めていると県境にさしかかった。この辺りは駅間も長く、街の灯りも見えない。
夜の景色を見ながらビールといきたかったところだが、明日も早いのでもう横になろうか。
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ふと、列車が動き出した時の衝撃で目が覚めた。まだ5時を回ったばかりのようだ。どのあたりを走っているのか気になるがもうひと眠り…。
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なかなか列車内では寝れないもので、部屋を出て顔を洗いに行く。6時前。
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空もだんだんと明るくなってきて、すれ違う列車も増えてきた。もうすぐ終着駅だ。
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一本、また一本と列車とすれ違う。朝ラッシュの真っただ中をブルートレインは走る。
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寝具を畳み、部屋を後にした。腕時計に目をやると少々遅れて到着したいるようだが、旅程には大きな影響はなさそうだ。
新幹線の路線網やホテルの快適さを考えると、ブルートレインは夜中に移動できるとはいえちょっぴり窮屈だったが、過ごした時間の充実度は何にも代えがたかった。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
九州に親戚が居る私にとってブルートレインというと東京や大阪から西に走るブルートレインのイメージが強く、東京発は鹿児島線方面のはやぶさ、日豊線方面の富士、長崎線方面のさくら 京都・大阪発は鹿児島線方面のなは、日豊線方面の彗星、長崎線方面のあかつきあたりはぱっと名前が出てくる。
しかし、関西発着便は2008年に、東京発着便は2009年を最後に九州行きのブルートレインに定期便はない。
私にとってのブルートレインは小学生のころになは・あかつきに乗ったきりになってしまった。(最も、その後にはまなすには何度かお世話になったものの毎度指定席の貧乏旅行であった…)
前置きが長くなったが、九州方面へ1泊2日旅行へ行く際に、どうも天気が思わしくなかったのでドライブ旅行にした。折角なので訪れたのが熊本県南部、球磨郡多良木町にあるブルートレインに泊まれる簡易宿泊施設、ブルートレインたらぎである。 
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スハネフ14がヘッドマークを掲げ我々を出迎えてくれる。3両編成で、2両目がラウンジカーでチェックインカウンターのほか、椅子と机が並んで飲食ができるスペースで、両脇が開放B寝台(スハネフ14)と個室B寝台(オハネ15)である。
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以前訪れた方の写真を拝見すると方向幕も電照していたようだが、訪れたときは点灯していなかった。はやぶさの東京行き。
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一方、スハネフ14のテールマークはこのように点灯していた。薄暗い時間に見ると雰囲気が出る。
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今回、せっかくだしと個室B寝台に宿泊、宿泊料金は公式でも案内があるが、開放B寝台と個室B寝台の値段は同一である。
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廊下。すでに客車の塩素による消毒のようなにおいが車内を漂う。
寝台列車ではなく建物に宿泊する形になるので非常口表示や火災報知器があるが、雰囲気は十分。(目立たないように頑張って撮ってます笑)
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フロントで頂いた鍵をあけると宿泊する部屋が。基本的には空いている時は下段があてがわれるようだ。
ブルートレイン時代は既にリネンがセットされた状態であるが、こちらではセルフスタイル。
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JR九州時代のモケット柄。この細かで不均一なドット柄がどことなく懐かしい。783系のハイパーサルーンとかとも似ているのかも…。
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宿泊者は車内見学が自由にできるのでスハネフ14の開放寝台も見学した。(たまたま、この日は宿泊者が居なかったようだ。)
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こういった寝台表示も健在。
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飲料水の冷水器は使用できないもののそのまま存置されている。
同様に車内のトイレも使用することができないが、客車のすぐそばに設置されているトイレを使用することができ、ウォシュレット対応便座なので寒い時期も安心。
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洗面台は使用が可能。はまなすで渡道していた時はドライヤー用のコンセントにお世話になりました。
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ラウンジカーには国鉄からJR移行時の広告類が掲示されており、まじまじと見入ってしまった。
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ブルートレインたらぎ「前編」では主な設備や車内の雰囲気についてお伝えした。
後編では実際にブルートレインの乗車をイメージした写真を何枚か撮影したのでその写真と共に旅行記風にまとめてみました。ぜひご覧ください。

(このページの作成者 てら)

こんばんは てらです。
高千穂での観光を終えた後、熊本空港への帰り道として国道218号線を通り、馬見原を少し観光した。
馬見原は当時の肥後から日向を結ぶ日向往還という街道の宿場町にあたる。馬見原の隣の宿場町は五ヶ瀬(宮崎県)であるため、熊本県側の最後の宿場町ということになる。

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駐車場に車を止めると、出迎えてくれたのが新八代屋。馬見原の豪商であった八代家の土蔵造りの三階建ての建物である。
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馬見原の商店街は様々なお店が軒を連ねる。
もともと街道の宿場町として栄えた分、いろいろなものが集積していたため商店がこのように集まったようだ。
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白壁の土蔵造りの建物がここまで並んでいる姿は壮観である。
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しかし、高千穂の時と打って変わって観光している人が少なく拍子抜け…。
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若山牧水は17歳の時に日向往還を通り馬見原を訪れたという記録があるそうだが、商店街の一角に歌碑が建てられている。若山牧水が宮崎の出身というのも初めて知りました…。
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歩行者は下を通り、車は上を通る不思議な構造の馬見原橋。太鼓橋と逆太鼓橋を組み合わせたデザインになっている。どうしてこういう形なんだろうかと思い検索してみると、熊本県の土木部建築課のウェブサイトが出てきてびっくりした。
(参考)馬見原橋 熊本県ホームページ
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馬見原橋のすぐ近くにある夫婦岩。もともと、この馬見原橋のかかっていた辺りが関所だったようだ。
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お昼ご飯は肉のみやべさんで馬肉を使ったコロッケのハンバーガーをいただいた。
馬刺しやホルモンでも有名なようで、近県のナンバープレートの車がひっきりなしに出入りしており驚いた。
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ここは熊本バスの馬見原出張所。もともとは営業所であり立派な建物が建っていたのだが、
現在は営業所の建物は取り壊され、バスの転回場と駐車場があるのみ。
昔は熊本の桜町までバスが乗り入れていたようだが、現在は山都町の中心部である浜町に行くバスが走るのみである。
街道沿いの古い町並みを横目に、我々は熊本空港へ車を走らせた。
(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
2020年の11月に熊本空港を拠点に高千穂方面を観光しましたので記事にします。

熊本空港から阿蘇山方面へアプローチする場合、国道57号を道なりに進むため、小一時間でアクセスすることができる。
以前、阿蘇山の北の縁(豊肥本線と並走する地域エリア)を観光したことがあったので、今回は阿蘇登山道路赤水線を経由し、阿蘇市の南と南阿蘇村を中心にまわった。
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草千里浜ドライブウェイに車をとめ、草千里が浜をしばし散策した。
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左に見えるのが阿蘇火山博物館、右に見えるのは草千里グリーンパーク、ニュー草千里。土産物店や飲食店が並ぶ。
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草千里が浜は78.5万平方メートルにおよぶ草原と、過去の火口跡による池が織りなす景色だ。
草千里が浜は初夏になると青々とした草が生い茂り、言葉通り草千里なのだが、11月も下旬になると荒涼とした大地が続いている。
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北西方面(カルデラ縁よりむこうは熊本市街)の方向を覗く、うっすらと熊本の市街地もみることができた。
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せっかくなので阿蘇火山博物館に併設されたレストランで熊本の阿蘇名産の赤牛の牛丼をいただいた。
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草千里が浜から火口までは10分ほどで行くことができるためも向かったが、風向きが強く火口への立ち入りが禁じられていた。
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路線バスは感染防止を啓発するくまもんが…。マスクを着けた黒づくめのぬいぐるみ。うーん不審である。このあと、山頂から阿蘇登山道路吉田線を通り車を南部へ走らせ、南阿蘇村へ抜けた。
南阿蘇村は阿蘇郡長陽村、白水村、久木野村が2005年の平成の大合併に合併して発足した村である。
なんといっても有名なのが…。
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阿蘇のカルデラにより、水が湧き出るため、村内には遊水地が複数みられる。
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新鮮な水質で表す青い苔が生き生きとしており、水面も絶えず湧水によりもわもわと動いていた。
空きペットボトルの販売もあり、自分で水を詰めることができる。
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ついで、といってはなんだが、「元」日本一長い駅名だった南阿蘇鉄道の、南阿蘇水の生まれる里白水高原駅を訪れた。南阿蘇鉄道は先の熊本地震により甚大な被害をうけ、今でも半分近くの区間で運休を余儀なくされている。
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記事を書いている現在は、嵐電の「等持院・立命館大学衣笠キャンパス前」が一番長い駅名であったが、2021年の1月から富山地方鉄道の「トヨタモビリティ富山 Gスクエア五福前」にとって代わられるそうだ。日本最長駅名の攻防は話題作りのためなのだろうが執念すら感じる…。
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一通りドライブを終えた後は、ホテルグリーンピア南阿蘇の温泉につかった。
ホテルグリーンピア南阿蘇は、阿蘇五岳が見渡せる温泉として有名で、高岳、中岳、根子岳、烏帽子岳、杵島岳を見渡すことができる。雲一つなくきれいな景色だった。
ここから、国道325号線で高森町を経由して高千穂町へと急いだ。

(このページの作成者 てら)

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