こんばんは、いしです。
小笠原旅行の締め括りは、おがさわら丸です。船内は快適で申し分ないのですが、なにぶん乗る時間と揺れが不安要素。往路のおがさわら丸は波高3mでしたが、復路は前日に通過した前線を伴った低気圧のおかげで、波高4mうねりあり。徐々に回復傾向に向かっているとはいえ、往路以上の悪天候に不安は尽きません。
乗船まで時間があったので、荷役を傍から見学。おがさわら丸は貨客船ですので、島への人の輸送だけでなく、物資の輸送も担っていますので、これも大事なおがさわら丸の使命です。台風などで欠航が続くと、島は品薄状態に。1週間ならまだしも2週間となると流石に島の人も備えるのは難しいと、宿のオーナー談。島の暮らしの厳しさが伺えます。
二見の客船ターミナルは、出港時刻の15:30が近づくにつれて14:00頃から活気が出てきます。旅行客はもちろん、船に乗る地元民や見送りの方々など、港は人でごった返します。
帰りも相変わらずの2等寝台です。乗船から出航まで少し時間があったので、2デッキ、3デッキにある2等和室を見学。
最安区画なのが魅力ですが、船底に近いため波音は大きく、満員の場合は体力を使いそうです。
15:30。船は定刻で出発。10分ほど前から港では太鼓の演奏や旗振りなど、村人総出で見送って頂けます。たった数日滞在しただけでも、感動の瞬間です。
おがさわら丸の岸壁のすぐ隣にある岸辺から、観光用の小型船がいくつもおがさわら丸に並走して来ます。この日は3月でしたので、小笠原とはいえ気温は15度程度。まさかとは思いましたが、小笠原好例のお見送りです。
二見湾を出るまでの数分間、おがさわら丸と並走しながら、小型船に乗った地元の方々が次々に海に飛び込んで我々を見送ってくれました。感動!!!
興奮冷めやらぬまましばらく父島を眺めていたかったものの、二見湾を出るとすぐに船を揺れが襲ってきます(地図)。出港前のアナウンスでは「本日は波が高く、少々船が揺れます」とアナウンスされていました。確かに、往路よりも明らかにおおきく船体は揺れていて、ほとんどの人たちが船外はおろか船内のパブリックスペースから早々に立ち去って、自らのベッドで横になっていました。
ドーンという波音とそれに続く大きなグワンという前後の揺れが何度も何度も繰り返され、体が揺さぶられます。たまらず昼寝をしましたが、何度も大きな揺れで起こされました。さすが波4m。
出港から4時間が経った19:30頃。偶然目も覚めたので意を決して夕食へ。ところが激しい揺れのために、うどん、そば、ラーメンといった麺類は提供しないとのこと。とてもじゃないけど重いものを食べたら吐いてしまいそうだったので、カフェのスープとサラダで軽く済ませました。
軽食を食べたらすぐに横になって、ベッドでじっと過ごします。ひたすら横になって寝たり、(揺れで)起こされたりしているうちに22時になり消灯。アナウンスでは深夜頃から揺れは収まるとのことでしたが、消灯後も何度か揺れで起きてしまいました。
8時頃に起き上がって、朝食に向かいます。明らかに揺れは収まっていて、それでも往路と同じくらいは揺れていましたが、麺類の提供も再開されていました。
御蔵島を左舷に捉えるころには揺れもほとんど収まって、海に白波もうねりもなく、久しぶりに楽しい船旅です(地図)。
往路は見えなかった三宅島もはっきりと確認できました。
昨晩の悪天候の影響で、船は揺れが激しかっただけでなく、波にあれだけ大きな音を立ててぶつかっていたぶんスピードが落ちたようで、船は1時間遅れて運行していました。それでも昼過ぎには東京湾に入りました。右にも左にも陸が見え、貨物船や漁船が行き交っています。東京湾が混雑した海だということがよくわかります。
信号旗を掲げながら、浦賀水道を低速で航行。
旗を変えて、羽田空港を横切れば、竹芝桟橋はもう間もなくです。竹芝には予定より1時間遅れた16:30に接岸。25時間の船旅となりました。結局、人生で2番目に揺れた船旅になりました(1番揺れたのは2月に乗船した、市営船「すくも」)。
(このペイジの作成者 いし)