旅に、出た。

バス乗ったり、島行ったり。マニア2人の共同旅ブログ

乗り物好き若手リーマン2人、それぞれの旅行記録

タグ:小京都

どうもてらです。
元日乗り放題切符の旅 JR山口線編の続きとなっております。

1. JR山口線
2. 島根県津和野町 (このページ)
3. JR山陰本線 島根県区間
4. 島根県温泉津町
5. 特急やくも

前回の更新から間が空いてしまい失礼しました…。
新山口から山口線の特急に揺られること約1時間、島根県に入って最初の町が津和野町になる。
表敬訪問ということで津和野駅で写真を一枚。
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なぜ今回目的地として津和野を選んだかというと、ずばり友人を誘って行きにくいけれど行きたかったから。
山陽地方の有名観光地(倉敷や宮島、錦帯橋などなど)山陰でも関西寄りの観光地(城崎をはじめとした兵庫県北部の各温泉地は日帰りも容易なことから友人を誘いやすいというのもあるかもしれない…。
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駅を出て中心部に向かって歩いた。
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写真の鯉の米屋ではお店の庭を鯉が泳いでいる風情のあるお米屋さん。残念ながら年末年始休業。ここが元日に旅行をする欠点である。
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途中、市内の中心部と各地を結ぶ石見交通の路線バスと遭遇。駅や道の駅に併設された温泉、観光名所も結んでいるため観光でも利用出来る。
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殿町通りに通じる本町通りは銘菓、日本酒等、特産品の店が軒を連ねる。
このあたりから殿町通りにかけては重要伝統的建造物群保存地区と呼ばれており、古い建物が保存されている地区にあたる。
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華泉酒造さん 華泉の蔵元にあたる。
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白壁の蔵も軒を連ねる。ところどころに国旗がかかっており、あ、そうか今日は元日か…とはっとさせられた。電柱、電線も地中化されている。
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こちらはもうひとつ有名な古橋酒蔵。初陣の蔵元。少しだけ試飲もさせていただいた。
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更に殿町通りを南に歩を進めると津和野カトリック教会がある。津和野とキリスト教の関係は深く、長崎の隠れキリシタンが津和野の乙女峠にある光琳寺(現在は現存せず)で改宗を迫られ拷問を受けたという歴史がある。このカトリック教会は1929年に設立され日本でも珍しい畳張りの聖堂である。
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殿町通りにはところどころ、土堀の掘割を鯉が泳いでいる。
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殿町通りを抜けると大きな鳥居が出迎えてくれる。津和野に来たもう一つの目的、初詣へ参拝することに。
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津和野川からみた太鼓谷稲成神社。日本五大稲荷神社の一つに入っているそう。
普通は稲「荷」神社と表記するのだが、願望「成」就にあやかって稲「成」神社という表記になっているそうだ。
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太鼓谷稲成神社の表参道。無数の鳥居に囲まれながら境内へ行くことができる。
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階段を上り続けて5,6分。本殿に到着。大きな神社というだけあり、神社の臨時駐車場は初詣に参拝する車で長蛇の列ができていた。おみくじをひくのも一苦労…。
お供え用のおあげが売られているのはさすがお稲荷さんといったところか。
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本殿からは山口線と津和野の街並みを望むことができた。
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私は元来た道を戻り、駅へもどった。
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津和野からは再び山口線を下り、温泉津へ向かう。(続く)

(このページの作成者 てら)

愛媛県の南部、南予地域を鉄道で旅していると、川沿いにそびえる天守閣を横目に列車が走っていく箇所がある。愛媛県の大洲市だ。
鉄道を使って旅行していると、気になる景色があっても後戻りをすることができないのが痛いところ…。
機会をあらためて、関西空港と松山空港の間で格安航空便が就航されているのを期に大洲市街を観光してみることにした。
松山空港から松山駅行きのバスに乗り換えて旅のスタート。
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平屋建てで改札が正面にある地方都市の駅も少なくなってきた気がする。
松山は高松、岡山を結ぶしおかぜ・いしづち号と、宇和島を結ぶ宇和海の乗り換え駅として機能しており、大きなカバンやキャリーケースを抱えている人を多く見かける。
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途中乗り継ぎのついでに内子の町を歩いてみた。内子にも古い街並みが残っている。
飛行機の時間が遅めだったことや、内子で道草を食っていたこともあり大洲に着くと日が傾いていた。
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駅前の大きな鳥居が印象的である。当日は炉端焼きと日本酒で一杯。翌日、どのように歩くかルートを考える。

翌朝、宿の外に目をやると雪が舞っていた。
折角なので朝のお散歩と称して雪の降る大洲の街を散策してみようと思う。
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伊予大洲の駅前に宿を取っていたので、大洲旧市街まで大洲街道を20分ほど歩く。
やがてモノトーンな大洲城址が右手に見えた。
大洲街道から左手、東側に小京都の街並みが立ち並ぶ。
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昭和初頭の建物が残る、古き商店街。雪が舞っている景色は珍しいかもしれない。
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煉瓦館。銀行として昔は使われていたそうだ。
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おはなはん通り。NHKの連続テレビ小説のロケとしても使われた。
おはなはんって聞いたことないなぁと思ったら昭和41年の連続テレビ小説らしく、通りでピンとこないなと…。蔵のそばを流れる水路には手入れが行き届いた花壇が。_MG_1121_convert_20181215214440
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この辺りは明治期の武家屋敷の建物が現存している。
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大洲の古き街並みは、おはなはん通りより北側が昭和初期、東側が明治期の建物が混在しており、ひとまとめに小京都とくくっていいのかなという気がするが、どちらも興味深い。
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肱川沿いは鵜飼の船がしんしんと降り積もる雪をかぶっていた。
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列車の時間に余裕があったので大洲城の周りを一周し、県道43号沿いの繁華街を歩いた。
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歩くこと20分。伊予大洲駅に到着。

大洲から特急に乗り、松山へ戻る。
一日一往復しか航空便が就航していないと、観光できる時間や場所の制約があり、オマケに予讃線の鉄道公団建設区間(向原~伊予大洲間)を降りて道草していたので慌ただしくなってしまった。
天守閣や臥竜山荘に入れなかったのは反省点である。

追記
大洲市を流れる肱川が氾濫したことにより、洪水の被害に見舞われたことは記憶に新しいと思う。もちろん人的な被害もさることながら、鵜飼の鵜も精神的な疲労に見舞われたと聞く。
洪水後も市の観光協会のHPでは積極的にPR活動等を行っているようなので、自分も今回いけなかったところを含め再訪したいと思っている。
松山から特急で35分、松山空港からバスで1時間10分で行けるため松山市内観光と兼ねることも十分可能だ。

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秋田県仙北市角館町 古き良き街並み、秋田県の角館市を街歩きしたときの記事です。

(このページの 作成者 てら)

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