旅に、出た。

バス乗ったり、島行ったり。マニア2人の共同旅ブログ

乗り物好き若手リーマン2人、それぞれの旅行記録

タグ:和歌山県

近所だけどあんまり写真撮ってないし、撮りに行くか…と、重い腰が上がるのは決まって春、4月から5月ごろ。
こんにちは てらです。
家の近所を走る特急こうや号。都心部では17m4両の短い特急を撮ろうとしてもどうも映えない。
しかし、橋本以南の区間はそれこそ山を縫うように急曲線を登るように走る。新緑が映える季節に撮影に行った。(※1)
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折角なのでそういう姿を存分にと、大阪市内から電車に揺られること1時間半。高野下駅で下車。
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高野下駅から極楽橋駅の区間は特に急曲線、急こう配が続く区間である。高野下駅付近は90度近く方向を変えながら川に沿って勾配を上がっていく。駅から直線距離はすぐそばだがこの通り高低差があり、息が切れそうになる。
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高野下駅付近は良いロケーションの撮影地が顕在しており、こちらも駅から20分程度。
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高野下駅から、さらに下り電車に乗り込むとしよう。
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向かったのは紀伊細川駅。上古沢~紀伊細川の間に急曲線を曲がりながら走る橋梁があるので、その撮影地まで歩いていくことにする。
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新緑の中、影を歩けば涼しいが日が照ると暑い天気を歩くこと35分ほど。
関西電力南大和線の広大な送電線と高野線が見られる撮影地へ。
高野山への参拝という名目ながら、こんなところに線路を敷いて電車を走らせることに驚きだが、隅々まで電力を行き渡らせるために送電網をしいている電力会社もすごい。
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こちらが笠木橋梁。川を挟んで反対側の集落から橋梁の名前がついている。
車窓から笠木の集落をみたときに、あそこまで歩かなければならないのか…と少し覚悟したが、ペースよく歩けば汗だくにならずに済んだ。
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以前の作例を見ると1両半くらいは写っている作例が多いのだが、1両の半分が精一杯だった。所々咲いている藤の花が美しい。
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この後は紀伊細川から上古沢は下りなので楽なのだが、当てにしていたドライブインで休憩しようと思っていたらドライブインが閉まっていたのと、駅までの坂道が急だったのでどっと疲れた。
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5月なのに冷房が入っている電車に感謝しながら乗り込む。
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3枚目、天空を撮影した丹生川橋梁の撮影地は少し進むと、午後順光の撮影地となる。
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折り返し列車を九度山駅から歩いて俯瞰撮影地へ。紀の川フルーツラインの柿の郷大橋の上から一枚。
中央奥に映っている赤い橋梁が1枚前の写真で紹介した丹生川橋梁である。
一面雪が降る季節に再訪したいところだが、果たして重い腰があがるかどうか…。

お断り
※1この記事は、2回撮影にいったものを1つの記事にまとめております。
※2天空は運転日・ダイヤが日によって異なるので撮影前に要確認。また、上り方に自由席車両が連結されるため天空車両だけ撮影したい場合は撮影地を工夫されたい。
(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
ふとしたきっかけから、大学時代の先輩と高野山へ行ってきました。(すみません、行ったのは2019年9月だったのですが載せるタイミングを逸していました。)
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ケーブルカーについては別記事にまとめますので少々お待ちを…。
高野山から山内に行くにはタクシーに乗るほか、バスの利用が便利だ。
高野山から大きく分けて、奥之院方面と大門方面に行くバスがある。今回は予定が突発的だったこともあり、奥之院を時間をかけて回るのは厳しいと判断。大門行きに乗車した。
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大門に到着。
高野山は金剛峯寺の総本山にあたるのだが、一山境内地と呼ばれ、山全体が寺の境内という考え方のもと守られてきている。そのため、金剛山金剛峯寺の境内は様々なところに点在している。
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大門は高野山の西側の玄関口になる。表敬訪問といった形だろうか。ここから少しずつ東に向かい、高野山の中心地、金剛山の主殿を目指す。
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大門から歩くこと約5分。壇上伽藍(だんじょうがらん)に到着。中門から中に入る。
主要な法要が執り行われる場所で、金剛峯寺の中心にあたる箇所の一つです。大火で焼失したものを新造したこともあり、随所がきれいだ。
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中門をくぐると金堂が前にそびえる。高野山の総本堂の機能を持っている。こちらも1930年代に再建されたものだ。
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根本大塔 密教のシンボルとして建立されている建物にあたる。
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壇上伽藍は多くの建物が集まっている箇所であり、このように金堂と根本大塔の位置関係が見て取れるのではないだろうか…。
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壇上伽藍を出て、蛇腹道を通り、本堂に向かう。振り返ると葉が徐々に色づいており、初秋を感じることができた。
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見えてくるのは金剛峯寺の正門
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金剛峯寺の正門。1593年に再建されて以来、現存しており、高野山内の建築物では最も古い部類になる。
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金剛山の主殿 襖絵が非常に有名である。
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蟠龍庭(ばんりゅうてい)
つがいの飛び立つ前の龍を表した石庭だそうだ。枯山水といえば禅宗では…と思っていたのだが、密教でも枯山水を造るそう…不勉強だった。
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ここから、2つほどバスに乗り、苅萱堂へ。こちらも金剛峯寺の施設の一部にあたる。
苅萱道心という出家した武士にまつわる御堂である。
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金剛峯寺から苅萱堂にかけては高野山のメインストリートになっており、お土産物店が並んでいて人通りも非常に多い。東側は小田原通りと呼ばれている。
このメインストリートからすこし道を外れ金剛三昧院へ。
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金剛三昧院。近年では1843年に落雷で高野山内が大火に見舞われたようだが、辛うじて三昧院は免れている。
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1200年代から現存する多宝塔。滋賀県の石山寺についで古い多宝塔で、高野山内の建物では一番古い建物だそうだ。
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三昧院から小田原通りに向かう道すがら、ごま豆腐屋さんへ
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おやつに和三盆をまぶしたごま豆腐をいただいた。
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小田原通り
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最後に我々が向かったのは徳川家霊台。徳川家の霊をまつっている。
徳川家の霊を祀る…といえば東照宮なのですが、こちらの方が建造が古いそう。
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徳川家三代目将軍家光が、初代将軍家康(右)と二代目将軍秀忠(左)を祀っている。
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右側、家康を祀っている霊屋は東照宮と呼ばれている。
やや駆け足の世界遺産探訪になってしまったが、先輩も満足していただけたようで、案内し甲斐があった。と、同時に不勉強に反省しきりな日帰り旅行だった。

(このページの作成者 てら)

どうもこんにちは てらです。
今回和歌山から徳島へでるフェリーについて書きます。

関西から四国方面の航路は、三宮から高松、六甲アイランドから新居浜、大阪南港から東予(今治)といった便がある。愛媛方面のフェリーは夜行便になっており昼間の運航はない。
そのなかで1日8往復しているフェリーが和歌山徳島航路、南海フェリーだ。
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南海フェリーは鉄道との接続が考慮されており、和歌山港駅を発着する電車はフェリーが運航されている時間帯以外は和歌山港近辺の工場関係の勤務者が通勤する時間帯に運転されているくらいで、一日に11往復の運転にとどまる。
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そんなこんなで、電車を降りた人は足早にフェリー乗り場に足を進める。駅構内をこそこそ写真を撮っているとあっという間に私一人になってしまった。
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列車の発着時のみフェリーの係員と思しき職員が改札をおこなっていた。
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改札を出て右手に折れるとフェリーへの乗り場に直通する歩道橋があるのだが、まだまだ時間があるのでフェリーターミナルに立ち寄ることにした。
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駅直結のフェリーターミナルも日本津々浦々探しても珍しいだろう。
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南海四国ラインという愛称、いまやあまり見かけない気がするが…。
もともと南海四国ラインは、徳島側は小松島港だったが、徳島港の整備に伴い徳島港に航路が変更となった。
小松島港時代は大阪南港や千葉を結ぶフェリーも運行されていたようだが、徳島港から出る旅客を扱うフェリーは南海フェリーの和歌山便のみである。
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券売機の横にはイメージキャラクターがお出迎え。
しかし、南海電鉄の各駅でフェリーの船賃込みの企画券が売られているため、今回は券売機のお世話にはならなかった。くわしくはこちら
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フェリーの待合室から先ほどの歩道橋まではここの階段を上るのだが、なんか事務所の二階って感じがして本当に利用者が使っていいのか不安感を覚える。実際のところ、徒歩乗船で鉄道以外を使う人はそんなにいないのだろう。
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残念ながら南海フェリーは桟橋からフェリーが近いため、船舶全体がわかるような撮ることができない…。
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たまたま私が乗ったのは新型のあい だった。
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晩の便だったため、晩御飯ついでに晩酌をし、真新しさの残るこぎれいなカーペットで横になっていたら徳島はすぐであった。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
今回は先日高野山に行った際に往復でケーブルカーに乗りましたのでその際の乗車記録です。
高野山編はこちら
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高野山へのアクセスとして、南海高野線と南海鋼索線を乗り継ぐのが一般的だ。行き(極楽橋発高野山行き)が非常に混んでおり写真を撮るのが困難であったため、今回は帰りの極楽橋行きに乗ったときの写真を紹介する。
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高野山駅の二階の展望スペースから、紀北地域、紀ノ川沿いの街並みを見ることができる。
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実は高野山のケーブルカーは2019年3月に新しいものに更新された。繁閑の乗客数の差が大きいこともあるからか、全体的にコンパクトな車体に対して床面積は先代の車両より広がっているような気がした。
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高野線の橋本~高野山の各駅は南海電鉄の他の駅の駅名表とタイプが異なり、観光を意識したものとなっている。併せて駅の標高も書かれており、極楽橋から高野山の間は320mほど登っている。
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中間地点でのすれ違い。余談だが、フランス語の自動放送、観光案内が流れるのがちょっと独特だった。どうやらミシュランガイドの影響も大きいらしい。
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極楽橋で鋼索線から鉄道線に乗り換えることができる。
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極楽橋から、橋本行きの各停が先発して逃げ切るそうなので、特急には乗らず各停に乗って帰宅の途についた。
(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
久々に撮り鉄の記事を書きます。

JR西日本の大阪エリアで最後まで顔を出していた国鉄形特急として、北陸方面を走る雷鳥(485系)とくろしお、スーパーくろしお(381系)、山陰方面のはまかぜ(キハ181系)が挙げられる、新型特急が導入されてからこれらの特急にカメラを向ける人も少なくなったのではないだろうか…
私が写真を撮りはじめて早いことにもう10年近く経つが、これらの特急が風前の灯の時代でありかろうじて写真が何枚か手元にあるくらいである。

しかしそれから、これらをJR化直後に置き換えた車両も徐々に車齢が30年に近づきつつあり、老朽化は否めない。その形式の一つに、オーシャンアローという愛称をもつ走る283系がある。
283系はどうも車両の調子が悪いようで、他形式の車両による代走が相次ぎ、2021年春のダイヤ改正で新宮の乗り入れが1往復分減少した。2024年の置き換えが発表されている。

和歌山を走る特急だし、せっかくならば海の見える区間で撮影したいと誰もが思うだろうけれど、そうは一筋縄にもいかず…。
海沿いを走っているイメージのある紀勢線だが、なかなか海沿いを走る区間が少ない。また、海沿いを走る区間の普通列車の本数が少ないのだ。
列車の本数が多い和歌山〜紀伊田辺間だと、海の見える箇所は海南〜下津、印南〜南部のわずかな区間しかない。この区間でオーシャンアローが運用に入る特急を撮影しようとすると、阪和線の初発の関空快速に乗車して…というなかなか朝の弱い人には苦しい行程になってしまう(現在はダイヤ改正により行程も組みやすくなった。)
とまぁ前置きが長くなってしまったが、黄砂も少なそうな時期を狙い写真を撮りに行ってきた。
最寄駅から阪和線の駅まで向かう道のりの長いこと長いこと…
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朝8時半に紀伊田辺にほど近い岩代駅に到着。(この写真は上りホームから撮影したもの)
岩代から千里海岸を目指して歩く。
公共交通を利用した撮り鉄をすると毎度思うのが「駅間の移動が楽にならないか」である。
特急停車駅レベルの大きな駅ならばレンタサイクルをやっているようなところも少なくないのだが岩代は普通しか止まらない駅で、駅前にも商店がぽつりとあるだけ。社会人になってから一人でレンタカーを転がして撮影地に行く機会も少なくないのだが、幅が利く分なにか味気ない。(今回の場合はレンタカー屋さんに開店時にお邪魔してもお目当ての通過に間に合わなさそうという可能性があり断念。)
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熊野九十九王子(熊野古道沿いにある神社)の一社である千里神社の駐車場付近が撮影地だ。
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下りの普通列車が最新鋭の227系であった。
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上りのくろしお14号は6両編成なので、283系とイメージがしやすい。
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283系のオーシャンアローが担当するくろしお1号 新宮までのロングランである。
まずは海をめいっぱい入れて一枚。
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編成を強調してもう一枚。

このまま来た道を駅まで戻り、大阪へ帰るのはちょっと味気ないので、御坊で紀州鉄道に乗ることにした。
よろしければこちらもどうぞ。


(余談)
御坊からの帰りに新宮から帰ってきた特急に乗ることができた。せっかくなので進行方向一番後ろの展望席が空いていれば…と思って券売機で座席を探すと空きがあり、座ることができた。
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土日なのにこの閑散っぷりはちょっと寂しいですね。
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御坊から北側だと、海の見える区間は残念ながらわずか。下津~海南の区間は海を見渡すことができた。
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和歌山で乗務員が交代、私も和歌山で降りて快速に乗り換えた。

(このページの作成者 てら)

こんにちは どうもてらです。

紀勢線特急の記事の続きとなっております。
和歌山県の中心部、和歌山駅から電車に乗ること約1時間、御坊市の中心部である御坊駅に到着する。
紀勢線において、御坊は田辺(駅名は紀伊田辺)と並び運行系統上は重要な駅であり、御坊を境に列車の本数が変わる。

和歌山県は大阪府と県境を接するいわゆる紀北と呼ばれる地域に人口が集中しており、御坊市は人口2万4千あまり、人口では県内10番目の都市である。
もともと紀州鉄道は御坊臨海鉄道という名前で運営されていたが、リゾート開発等を行う不動産会社が慢性的な赤字に陥っていた御坊臨海鉄道を買収し今に至る。不動産会社が鉄道を運営することで会社としてのブランド力や信頼を高めるというのがもっぱらの通説であるが真相は私にもわからない。
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いったん改札を出て、紀州鉄道線の改札を探したが見当たらない。JRの係員に聞くと、JRの改札を通ればよく、改札等も無いそうだ。
JRのホームの端っこを間借りするようなローカル私鉄や三セクは、JRの窓口や自動券売機で切符を扱っている場合が多く、紀州鉄道もてっきりそうなのかと思っていたため拍子抜けだった。
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0番線から紀州鉄道は発車する。

レールバスには7,8名ほどが乗車、JRとの接続が考慮されているためか、和歌山方面からの乗り継ぎのお客さんが多いようだ。
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わずか8分で終点の西御坊へ到着。5人が下車し、乗務員さんが休憩の詰所に入ってしまったため1人になってしまった。
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壁に貼られたギャラリーの写真から御坊の街と鉄道の栄枯盛衰を垣間見ることができた。右上に写っている車両がつい最近まで
現役だったとは…。
昼間の時間帯は1時間ほど運行が空く時間帯があり、たまたまその時間に当たってしまったようだ。
せっかくなので、御坊駅まで全駅を巡りながら歩いて戻ることにした。

紀州鉄道は1989年に一部区間が廃線となった関係で西御坊~日高川の0.7㎞が廃線となった関係で全線2.7㎞、決して歩けない距離ではない。
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ちょうどお昼ご飯に近い時間帯だったので、駅にほど近いところで中華そばをいただいた。
中華そば、なぜか和歌山のB級グルメとしては有名なので、地元の名店のようなお店があるとついつい食べに行ってしまう。
海鮮も美味だが一人では入りにくいというのもあるかもしれない。
まるよしさんにて昼食の後、線路沿いの国道を歩く。

西御坊から市役所前までは国道沿いのを並行するように走る。
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市役所前駅に到着。市役所の傍にある。図書館や商工会議所や地銀の支店など御坊の中心部である。
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西御坊まで直線であるためか、西御坊で小休止している列車がうっすらと見える。
ここから、国道を離れていく線路に沿って紀伊御坊駅を目指す。
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紀伊御坊は、紀州鉄道の鉄道部門の要所で、車庫が併設されており、駅係員がいる有人駅である。
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駅舎では女性の鉄道員、「鉄道娘」のキャラクターのポスターがおもてなし。和歌山県内では紀勢線や和歌山電鉄にも同じシリーズのキャラクターがいる。
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ホームに入ろうかと思ったが、入場券は扱っていないようで、声をかけるのもなんとなくはばかられたので、駅舎の中の写真と駅の待合室の写真を撮り、歩を進めた。

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隣接している広場には過去に紀州鉄道線を走っていたキハ603が鎮座していた。列車内で営業しているお店があるようなのだが、残念ながら営業していなかった。
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紀州御坊駅から学門駅は目と鼻の先ほどの距離で、学門駅の名前の由来にもなっている県立日高高校の建物に向かって歩くとすぐだ。
駅のホームの端に学問地蔵というお地蔵さまがまつられているのだが…
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正面から撮るにはちょっとしんどい狭さだ。
もうあんまり勉強することはないかなと思いつつも、試験の言う名のものに追われるのがサラリーマンの悲しいところ。うまくいくように拝んできた。
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学門駅からは高校を横目に県道26号まで出ると、ロードサイド店舗が立ち並ぶ。およそ徒歩20分で、JR御坊駅まで戻ってきた。
よくよく考えたら西御坊~日高川の廃線跡も見てくればよかったなという後悔もありつつ、全駅を探訪し御坊を後にした。

(このページの作成者 てら)

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