旅に、出た。

バス乗ったり、島行ったり。マニア2人の共同旅ブログ

乗り物好き若手リーマン2人、それぞれの旅行記録

タグ:下津井電鉄

どうも、てらです。
12月が多忙ということもあり、新年のあいさつが遅くなりました。

先日…といってももう2021年の10月のことだが、倉敷と香川県の西讃をいしと回りました。
倉敷というと、いしのゆかりの場所であり私が書くのは他人の家に土足で上がり込むような気分が若干あるが、一趣味人として書くとする。
下津井電鉄バスは岡山駅から児島駅、倉敷駅から児島駅を中心として路線バスをいくつか運行している。

倉敷駅の南口は両備バスと下電バスの一大ターミナルとなっており、自由通路には路線図が掲出されている。
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岡山方面のバスのほか、宇野方面の両備バスに接続をとる便もあり、倉敷南部を中心に広く路線網を有している。
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主要な行先はおおむね1時間に1本あり車社会ながらも本数が多い。
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この日は競艇場への送迎バスも運行されており、ひっきりなしにバスが出入りしていた。
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バスは私といしを含めて5,6人ほどが乗り込み発車。
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バスに乗ると倉敷の美観地区をぐるりと回るようにバスは走る。そのためか市街地相互間のバス停での乗り降りも見られた。
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信用金庫のシャッターに「源平合戦ゆかりの地」と書かれており、源平合戦の後期、瀬戸内海に向けて平氏が敗走していく藤戸の戦いがあったところとされる。
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天城中学高校南入口でバスを降りると、盛綱橋には佐々木盛綱の像が橋の中腹に鎮座していた_MG_1460
盛綱橋を渡り東へ歩くと、こちらも藤戸の戦いのゆかりの場所である経ヶ島がある。このあたりは倉敷駅と茶屋町駅から車で20分ほどのところなのでかなり内陸部であるが、当時は瀬戸内の小さな島々が点在するところで、江戸時代になって大規模な干拓が行われたそうだ。
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天城中学高校南入口に戻り、藤戸寺へ。
藤戸寺は行基により創建されたお寺で、源平合戦後に先に紹介した佐々木盛綱は寺社の修復と戦没者の法要を行ったと言われている。
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有名なたい焼き屋「鯛よし」さんにてたい焼きをいただいた。なかなかの有名店とあり、次から次へとたい焼きを焼いているものの、
一度にたくさん買われる人も珍しくなく、なかなか列がはけない。
たい焼きをいただいている間に乗る予定のバスが通り過ぎてしまったが、きちっと予定を決めない旅行もまた一興かもしれない。


児島からはレンタサイクルを貸し切り下電の廃線跡を巡りました。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
ジーンズの街として有名な倉敷市の児島。鉄道路線図だと倉敷と児島ってずいぶん離れているのにな…と思っていたのだが、
地図で確認すると岡山と倉敷は大半の箇所で隣り合っていて、倉敷市域の広さをあらためて認識する。
倉敷から児島までの路線バスを降りて、レンタサイクルを借りた。駅前でレンタサイクルが借りれるので天気のいい日はマイペースで廻れるところが良い。
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天満屋や市民センター、地銀の支店といった町の中心部にひっそり、でも存在感は十分な建物がある。
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下津井電鉄の児島駅跡だ。下津井電鉄はモータリゼーションによるバス輸送による部分廃止、瀬戸大橋線の開業により残りの区間が全廃と、時代の流れを映し出すような栄枯盛衰を歩んだ鉄道である。1991年に全廃なので、もう30年も前のことになる。鷲羽山近辺の眺望や終点下津井の街並みも観光名所の一つではあるのだが、これも今はバスで回れてしまうのでわざわざ鉄道で回るという選択肢もなくなってしまったのであろう。
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がらんとしているホームだが、自転車でホームに上ることができ…
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このように架線設備や踏切の灯具(?)が残されている区間を自転車で巡ることができる。児島市街地はこのように交差する道路が多いので、ちょっと漕ぎにくいのだがそれでもきちんと手入れがされている花壇を横目に自転車をこぐのは気持ちが良い。
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岡山県内はいくつもこのような遊歩道が整備されているようだ。
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児島の競艇場を横目に見ながら坂をぐっとあがると琴海駅に到着。写真でも見てわかるような勾配だが600vの軽便鉄道がのぼっていたというのだから驚きである。
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琴海駅付近から東側の島々を望む
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坂を上りきってほどなく、本四高速道路をまたぐと鷲羽山駅に到着。
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瀬戸大橋をここまでまじまじと傍で見るのは初めて。大阪に引っ越してきてから瀬戸大橋よりフェリーや明石、鳴門大橋で四国に行くことが多いからかもしれない。
東下津井駅から終点下津井までは長い下り坂を大きなカーブを描きながらゆっくりと下る。
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終着の下津井 写真を撮りながら走っても30分程度で着いたのでちょうどよい運動になった。
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下津井みなと電車保存会がちょうど活動されている日だったので、一声おかけして車庫を見せてもらった。
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保存会の有志の方々で線路を補修されていた。車庫にはイベント用車両として走っていた赤いクレパス号も留置されていた。
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駅の北側からも留置されている電車を撮ることができた。
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下津井駅から下津井の漁港はすぐそば。下津井は蛸で有名で市場にも蛸の幟が掲げられていた。
以前は丸亀への連絡船も下津井から出ていたそうだが、瀬戸大橋が架かってそれも今は昔の話である。
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むかし下津井回船問屋ですこし下津井のお勉強。下津井は江戸時代の北前船の寄港地だっようだ。
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鷲羽山を経由するか元来た道を戻るか少し迷ったが、元来た道を戻って児島へ。
体力に不安のある方はこのように自転車を載せることができる路線バスが下津井と児島の間を結んでいるのでおすすめである。

おそらく私は2021年最後のブログ更新になると思います。今年も感染症という大手を振って歩けぬ日々の中ではありましたが、気を付けながらいろいろなところを見て歩いて写真を撮って楽しめたと思います。
来年も何卒よろしくお願いいたします。
(このページの作成者 てら)

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