旅に、出た。

バス乗ったり、島行ったり。マニア2人の共同旅ブログ

乗り物好き若手リーマン2人、それぞれの旅行記録

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こんにちは てらです。
大阪に住んでいると、大学の友人の用事や出張以外ではすっかり東京に行かなくなってしまった。東京の外側も、よほどの用事がない限りは…。折角なので関空から成田へLCCに揺られ、久しぶりに京成電車を撮影することにした。
本当であれば空港から東成田駅まで歩いて芝山千代田駅まで行ってみて…といろいろと寄り道したかったのだが、撮影したい電車の兼ね合いもあったのでまた今度の宿題に。
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揺られること30分、ユーカリが丘で下車。
山万という不動産会社が運営している新交通システムとやらがあるそうなのだが、関東在住時には乗ったことがなかった。果たしてどんな路線なんだろうか…。
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京成の改札をぬけ、北側の通路へ。土曜の昼間ということもあってか人通りがない。
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券売機と改札機が現れた。もう都市圏では見られなくなったバーのついた改札機。
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料金表と路線図は全然均一料金ということもあり非常にシンプル。テニスラケット型の路線を反時計回りに回る運行形態だ。
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なるほど均一料金だとこういうボタン配置で十分というわけか。
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改札は4通路。
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階段を上がりホームへ上がった。
ユーカリが丘は他社線との唯一の接続駅であり終点。2駅先の駅(公園駅)から環状して再びユーカリが丘に戻ってくる路線形状をしている。
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顔はめパネルが先頭車停止位置付近に設置されていた。
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乗る電車が入線。全区間においてワンマン運転を行っている。ユーカリが丘という地名も山万が名付けたためか、コーポレートカラーが緑だったり、コアラがイメージキャラクターだったりとなにかとユーカリに因んでいる。その気になって探すと券売機や改札機も緑だったし上屋も緑…。
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なんとこの車両は非冷房で夏場はおしぼりの配布があったりするそうだ…短時間とはいえ真夏のラッシュ時とかは暑そうである。
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公園駅を出ると線路が二股に分かれる。一周すると写真中央奥から再び合流しユーカリが丘を目指す。
女子大駅に車両基地が併設されているため、朝晩の増便時に女子大始発便や女子大止まり便が設定されている以外は同じ編成がぐるぐる回り続けるようだ。
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山万の外郭側にニュータウン開発が行われており、内側の景色は非常にのどか。調べたところ山万の内側は市街化調整区域にあたる。
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1周回って公園前で下車。
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ホームから分岐点を望む。
新交通システムは鉄道と比べて無人で味気ないイメージを勝手に持っていたけれど、なかなか濃くて面白いのかもしれない。


(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
1月に大学の同窓会へ。非常に楽しかったので二日酔いにならないわけがなく…。
6時ごろにむりやり体を起こし、地下鉄に乗り寒い風が吹く浅草駅へ。
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こういう時に冬らしくカラっと晴れず、どんよりとしているのが私の体調を映し出しているようでちょっと笑ってしまう。
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仲見世もこの通り、観光客もまばらで静かな日曜の朝。
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先日ブログにもまとめた野岩鉄道の乗り鉄のため、浅草から特急に乗ることにした。
北千住から特急に乗っても十分なのだが、関東に住んでいた頃は浅草から電車に乗るということがそもそもなかったので見物もかねて。
特急は日光、赤城、鬼怒川温泉といった地名が並び、特急料金料金不要の列車も館林、南栗橋といった遠方の地名が並ぶ。
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東武伊勢崎線の日中時間帯のダイヤは半蔵門線に直通する急行系統、日比谷線に直通する各停系統と浅草~北千住の各停系統ときちっと系統が別れてしまっているため、往年のように料金不要の長距離列車が名を連ねることも少なくなった。
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この銀色に茶色の帯を巻いた電車が自分の中での東武のイメージである。世代によって東武の色のイメージは様々あるのではなかろうか…ツートン、セイジクリーム、白に青帯……。白に青帯の東武も現に野田線を初め各線でバリバリ現役だし、見覚えもあるのだが…なんとなく茶色の帯の車両の方が個人的には馴染みがある。
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3,4番乗り場が特急泉陽乗り場になっており、スペーシアやりょうもうといった乗車位置案内がホームからつり下がる。
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この特急ホームが特筆すべき狭さで、速度制限と思われる「15」がホームの柱に掛けられているのも驚きだが、ホームが非常に狭い。
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3両編成のリバティがわずかに顔をのぞかせているが先頭車から2,30m歩いただけでこの景色なのでなかかなかに急な曲線だ。
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特急には各乗車口用のスロープが備え付け、格納されている。
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隣にりょうもう号が入線してきた。
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今回は鬼怒川温泉行きのリバティに乗車する。
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新型ということもあるし、尾瀬の登山観光シーズンからは外れるのでお客さんも少なくて快適だ。
都内から日光方面は無料の優等列車がいくつも走っていたが、先にも書いたが系統が分断されて長距離を走る料金不要の優等が無くなってしまった。学生の時は乗り得列車にお世話になっていたからこそお出かけが好きになっている自分にとっては複雑な心境である。
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発車時刻を回り、電車が発車していくと線路のキューキュー音と共に車体をくねらせ浅草を後にした。
ここまで停車している列車を見ながら出発できるターミナルも珍しいのではないだろうか。
(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
住之江区から大正区内を渡船で渡った後、大正区と西成区に架かる千本松渡船に乗船した。
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西成区と大正区の間は工場への通金需要からか利用者の多い渡船がいくつかある。千本松渡船も1日に1,000人程度が利用する渡船で、10分前に南恩加島の渡船場に着いたところ既に利用者が列をなしていた。
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待合室。どこの待合室も同様なのだが空調無く雨はしのげるものの風は…という感じである。もっともな話、強風により波が高いと結構となる。
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地下鉄やバスでは見なくなって久しい大阪市章がここでは健在。
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大半の利用者が自転車利用。出航時間まで並んで待っていた。
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こちらは木津川に架かる千本松大橋。こちらも船の航行を考えて水面から33mの高さにする必要があり、日常利用に堪えないという理由で渡船が残されている。真夏に既に10㎞自転車を漕いでいる私にはループ橋を登るのは気分的に少々憚られた。
向こうに見えるのが南津守(西成区側)。
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木津川渡船や船町渡船よりも一回りほど大きな船にのり出航。最終的には15人ほどが乗船してた。
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こちらは南津守側。次々と利用者が下船していく。
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渡船が利用者を乗せ南恩加島川に戻っていく。
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木津川運河 奥に見えるのは新木津川大橋 橋のたもとを木津川渡船が結ぶ。
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最初は車で出かけようかと考えていたがいい運動になった。1日に3本の渡船に乗り、運河を多くの人が船で行き来している日常にお邪魔させてもらった。
(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
先ほどの木津川渡船を降り、急いで自転車を飛ばして向かったのは船町渡船。先ほどは小一時間の待ち時間があったが、今度はギリギリ間に合いそうだったのでダメ元で自転車を走らせた。
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大きなスロープを渡ると船着き場へ。
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船町渡船場の船町側
大阪市営の渡船の中では対岸までの距離が最も短い。左端に鶴町側を出た渡船が映り込んでいる。
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簡素な待合室。
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向こう岸からは誰も乗っておらず、私のみを乗せて出発。
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船町渡船場を後に。
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木津川運河の奥に見えるのは咲州(南港)
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ものの2分ほどで対岸に到着。写真でもわかる岸壁間の短さである。
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船町渡船場の鶴町側。 右手奥の職員詰め所と、物干しざおにジャージが干してある生活感が公営の残り香を感じた。
南港通にそって走って大正区入り。案外都心を経由するより早いかもしれない。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
あまり遠出する機会が無くなり、旅客船に乗る機会もめっきり…な日々を過ごしているが、渡船に乗る機会があった。
大阪市内の渡船は大正区周辺に点在しており、淀川の三角州だった地を埋め立て運河に位置する工業地帯への通勤者への交通の足として発達したものであった。
運河への架橋で渡船の役割は終わると思われたが、船舶の大きさの関係から高い位置に架橋せざるを得ず日常利用に堪えないという理由から現在も8航路が残されている。
特段の用が無いと乗る機会がないなと思っていたのだが、東住吉区や住吉区から大正区の海沿いの大型ショッピングセンターに向かう場合、渡船を利用したほうが所要時間が早いことがあるようで、ならばと妻子にお留守番をお願いし買い物がてら渡船へ乗って来た。
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住之江区平林から出る木津川渡船、1日の平均利用が200名以下と僅少であるためか日中は45分に1本の運行となる。(他の多くの渡船は15~20分に1本)奥にそびえるのは木津川大橋。歩行者、自転車ともに利用可能であるが40m以上の高さがありループ線を自転車で越えるのは確かにしんどい。
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家を出る時間がぎりぎりになってしまい、着いたころには対岸で機関停止しているタイミングだった。あと2分早く着いていれば…という感じだったが急ぎでもないので小一時間の間船を待った。
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木津川渡船は日中の運行本数がぐっと少なくなる。
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桟橋から対岸を覗く。製造業や運送業の倉庫などが連なる。
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西の方向を向けば南港。
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船が来るまでの間、少し自転車でうろうろと思ったが暑すぎて待合室で涼んでいることしかできなかった。
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もちろん待合室に空調などはないのだが、ぬるい潮風に当たっているだけでも涼しく感じた。
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待つこと小一時間、対岸から船がやって来た。
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3名のサイクリストがさっそうと自転車を押して降りて行った。一方ママチャリで汗だくの私一人が乗り込んで船は出発。
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平林側の船着き場を出発。やや強引に船首を北に向けて船町側へ。
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渡船にしてはめずらしくアクリル板がはめ込まれていた。
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2分ほどで対岸、船町側へ到着。2名の職員は私を降ろし控え室へ戻っていった。
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木津川大橋と渡船。もちろん待ち時間を考えたら橋を渡る方が早い時もあるのだろうけど、エレベータなどが無い限りはこちらの方が圧倒的に楽であろう。水運が盛んだった水都大阪の運河の残り香を目いっぱい吸い込んだ。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
信越線は高崎から碓氷峠を越え、佐久を経て菅平の玄関口の上田、善光寺詣でで有名な長野、豪雪地帯の妙高と長野県の北部を半円を書くようにぐるりと回り、日本海側の直江津に至り米どころ新潟を縦貫する長大な路線だ。
長野新幹線開業のタイミングで横川と軽井沢の間が廃線となり、群馬県側は高崎~横川を30分余りで結ぶ県庁所在地から郊外に延びるローカル線のような風情になってしまった。
ふと、JRの時刻表を眺めていると、お天気のよさそうな日に臨時列車が走りそうなので仕事にやりくりをつけて眺めに行くことにした。
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後補機のSLがやや目立つが電気機関車がけん引する客車列車は本当にかっこいい。
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臨時列車を撮影後、天気もいいし行ったことがなかったので碓氷峠鉄道文化むらを来訪。
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機関車が好きで撮影に行くことが多い私ですが、こんなにいろんな形式の機関車あったんやなあとしみじみ。
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やはりここは碓氷峠のおひざ元ということで、EF63型機関車を色々な角度から撮ってみた。
横川~軽井沢が廃止になったのが長野オリンピックに間に合わせるように開業した長野新幹線の1997年。生まれていたものの残念ながら記憶には無く。横軽については新幹線が開業する前に機関車を連結して運行されていたくらいの知識。
過去の歴史やルート、アプト式の機関車が走っていたことなどを文化むらで初めて知ったくらいだ。
博物館での撮影がお上手な方の写真を幾度となく拝見しますが、足元にも及ばず…。
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ノッチ(加速)の段数やブレーキが単独ブレーキと自動ブレーキの2種類あるところは電車と全然違う。R0031127
横川駅に戻ると、目的の列車がすでに小休止していた。汗が出るほど暑いがおぎのやでそばをいただきながら機関車を眺める。
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個人的には現存している機関車のなかではピカイチにカッコいいと思っているEF65型500番台のP型。
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夏の青い空の中で小休止する姿。最近ちょっとヘッドマークが仰々しい感じなのがたまにキズで…「碓氷」時代はよかったんだけどなあ…。
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組織改正で機関区も「高」から「群」に変わってしまった。
しかし、機関車の妻面の排気口や飾り帯といった凛々しさは十分。
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中央に向かって少し出張っている角度のあるデザインも良い。こういうのはいくら撮っても停泊中にしか撮れないので本当に来てよかったと思った。
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臨時列車の類も普段全く乗らないので客車列車に乗るのもとても久しぶり。大学生や高校生の頃に簡易リクライニングの急行はまなすに乗った時以来かもしれない。
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平日の臨時列車なのでお客さんも少なくいろいろな角度から写真を撮れた。
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実のところ、乗ったのはEF65のけん引ではなくC61蒸気機関車けん引のSLよこかわ号。片道30分少々だが非常に楽しかった。

余談
2日連続でEF65型がけん引するということだったので翌日も撮影へ。
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夕刻、青々と背を伸ばす稲を横目に走る姿を思い切って流し撮り。いや~やっぱりかっこいい。
2日連続で好きな機関車の写真を色々撮ることができて本当に満足でした。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
前編ではブルートレインたらぎについて簡単に紹介させていただいたが、後編では実際にブルートレインがあった時代をイメージして何枚か撮影した写真を紹介したいと思う。
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薄暗くなってきた時間帯、駅にブルートレインが滑り込む。寝台特急はやぶさ。仕事を午前中に切り上げて旅行へ向かう私の心は軽やかだ。仕事が終わってその足で乗る飛行機、フェリー、新幹線…。どれもやったがやはりブルートレインのワクワク感にはかなわない。
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乗車率はまばらなのか、カーテンが空いている寝台もあった。
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私が乗車したのはB寝台ソロ。旅行に行こうと決めてから調べたところ、たまたま空いていた。
ブルートレインの個室、心躍るものである。
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年季が入ったB寝台の文字はいつの間にか飴色になっていた。デッキから客室への扉を開ける。
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乗車した時点では3割程度の乗車率。まだまだ乗車してくるのだろうか。
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窓の外を眺めていると県境にさしかかった。この辺りは駅間も長く、街の灯りも見えない。
夜の景色を見ながらビールといきたかったところだが、明日も早いのでもう横になろうか。
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ふと、列車が動き出した時の衝撃で目が覚めた。まだ5時を回ったばかりのようだ。どのあたりを走っているのか気になるがもうひと眠り…。
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なかなか列車内では寝れないもので、部屋を出て顔を洗いに行く。6時前。
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空もだんだんと明るくなってきて、すれ違う列車も増えてきた。もうすぐ終着駅だ。
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一本、また一本と列車とすれ違う。朝ラッシュの真っただ中をブルートレインは走る。
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寝具を畳み、部屋を後にした。腕時計に目をやると少々遅れて到着したいるようだが、旅程には大きな影響はなさそうだ。
新幹線の路線網やホテルの快適さを考えると、ブルートレインは夜中に移動できるとはいえちょっぴり窮屈だったが、過ごした時間の充実度は何にも代えがたかった。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
九州に親戚が居る私にとってブルートレインというと東京や大阪から西に走るブルートレインのイメージが強く、東京発は鹿児島線方面のはやぶさ、日豊線方面の富士、長崎線方面のさくら 京都・大阪発は鹿児島線方面のなは、日豊線方面の彗星、長崎線方面のあかつきあたりはぱっと名前が出てくる。
しかし、関西発着便は2008年に、東京発着便は2009年を最後に九州行きのブルートレインに定期便はない。
私にとってのブルートレインは小学生のころになは・あかつきに乗ったきりになってしまった。(最も、その後にはまなすには何度かお世話になったものの毎度指定席の貧乏旅行であった…)
前置きが長くなったが、九州方面へ1泊2日旅行へ行く際に、どうも天気が思わしくなかったのでドライブ旅行にした。折角なので訪れたのが熊本県南部、球磨郡多良木町にあるブルートレインに泊まれる簡易宿泊施設、ブルートレインたらぎである。 
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スハネフ14がヘッドマークを掲げ我々を出迎えてくれる。3両編成で、2両目がラウンジカーでチェックインカウンターのほか、椅子と机が並んで飲食ができるスペースで、両脇が開放B寝台(スハネフ14)と個室B寝台(オハネ15)である。
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以前訪れた方の写真を拝見すると方向幕も電照していたようだが、訪れたときは点灯していなかった。はやぶさの東京行き。
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一方、スハネフ14のテールマークはこのように点灯していた。薄暗い時間に見ると雰囲気が出る。
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今回、せっかくだしと個室B寝台に宿泊、宿泊料金は公式でも案内があるが、開放B寝台と個室B寝台の値段は同一である。
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廊下。すでに客車の塩素による消毒のようなにおいが車内を漂う。
寝台列車ではなく建物に宿泊する形になるので非常口表示や火災報知器があるが、雰囲気は十分。(目立たないように頑張って撮ってます笑)
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フロントで頂いた鍵をあけると宿泊する部屋が。基本的には空いている時は下段があてがわれるようだ。
ブルートレイン時代は既にリネンがセットされた状態であるが、こちらではセルフスタイル。
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JR九州時代のモケット柄。この細かで不均一なドット柄がどことなく懐かしい。783系のハイパーサルーンとかとも似ているのかも…。
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宿泊者は車内見学が自由にできるのでスハネフ14の開放寝台も見学した。(たまたま、この日は宿泊者が居なかったようだ。)
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こういった寝台表示も健在。
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飲料水の冷水器は使用できないもののそのまま存置されている。
同様に車内のトイレも使用することができないが、客車のすぐそばに設置されているトイレを使用することができ、ウォシュレット対応便座なので寒い時期も安心。
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洗面台は使用が可能。はまなすで渡道していた時はドライヤー用のコンセントにお世話になりました。
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ラウンジカーには国鉄からJR移行時の広告類が掲示されており、まじまじと見入ってしまった。
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ブルートレインたらぎ「前編」では主な設備や車内の雰囲気についてお伝えした。
後編では実際にブルートレインの乗車をイメージした写真を何枚か撮影したのでその写真と共に旅行記風にまとめてみました。ぜひご覧ください。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
2024年3月のダイヤ改正により北陸新幹線の金沢~敦賀が延伸開業した。
ダイヤ改正を前に特急街道であった北陸本線の特急系統の見直し、系統の変化があった大きな改正だった。
開業に湧く福井県を走る福井鉄道は、ドイツ南西部のシュトゥットガルトで走っていた車両をイベント車両として運用している。
新幹線開業を機に、観光資源として通年運行を可能にするために空調機を設置する予定である発表がされていた。
しかし、開業当日のイベント運行では窓枠の形が若干変更となったのみで工事を実施していないようであった。
せっかくなので、外観が大きく変わる前に開業ブームが醒めやまぬ福井へ行くことにした。
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第三セクターに転換された武生駅で下車 
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から歩くこと約5分で福井鉄道福武線のたけふ新駅に到着。
本来であればゆっくりと写真を撮りたいところだが、時間がないのでそそくさと電車に乗り込んだ。日中のパターンダイヤだとハピラインと福武線の相互の乗り換えは難しい時間が多い。
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最新型のフクラムライナー 角張ったデザインのリトルダンサータイプ。
10分ほど乗車し、家久で下車
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どこで撮影しようか迷ったが、何分初めて撮影するので光線が良く撮りやすいところをチョイスし、日野川橋梁を渡る構図で一枚。
パンタグラフが大きいのと、電柱の間隔が難しかった。両運転台に改造されたのが目立たないように撮ってみた。
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撮影のあと、大いに気をよくして水落駅で下車。地図だけだとわからないが、連続する勾配を名鉄の車両がガンガン走るのは気分の良い物であった。揖斐線とかでの走りはどうだったんだろうか。
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お昼はヨーロッパ軒へ。都心の店舗は土日だと混んでいるだろうと思ったが、福井市街の店舗以外はロードサイド店舗だらけ…。
駅から比較的近い店舗へお邪魔した。ごちそうさまでした。
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専用軌道の箇所では分岐が雪によって凍結しないようにシェルターが設置されている。私鉄で設置されているのは珍しいのではないだろうか。ミニチュアのようなサイズ感なので思わず一枚。
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名鉄車、スノーシェッド、構内踏切 自分が思う福鉄っぽさの三点セット。
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西鯖江でお客さんの入れ替わりが多かったので一枚。特徴的な丸い通路の車内。
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先ほど撮影した家久駅は終日列車の行き違いがある。名鉄車同士とわかるように1枚撮ってみた。富山地鉄に行った際も感じたが、福鉄も古い駅舎がきちんと手入れされて丁寧に使われている。降りてないので写真はないが神明駅や浅水駅も素敵な駅舎の駅だった。
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終点たけふ新の一つ手前、北府駅で下車。車庫のある駅だ。
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ここも有人駅だった名残からか立派な駅舎を構える。
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車庫のそばには引退した200形が化粧直しがされ展示されていた。200形が走っていた頃は北陸新幹線金沢開業前でJRの国鉄急行型ばかり追いかけており走っている姿を撮影することはできず…。
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北府駅でどのように撮影しようか悩んでいたところ、直前になって地元の方のお見送りも含めて撮影者が10人ほどになった。
駅の雰囲気とうまく絡めたかったものの断念。すぐ後の福井方面の電車に乗り込む。
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福井鉄道の福井駅周辺で撮る際に福鉄の運行系統について紹介する。
下り:たけふ新→福井城址大名町(スイッチバック)→福井駅→福井城址大名町→田原町(鷲塚針原)
上り:田原町(鷲塚針原)→福井城址大名町→福井駅→福井城址大名町(スイッチバック)→たけふ新
(一部の急行はたけふ新→福井駅、福井駅→たけふ新)
といったルートで走行するため、福井城址大名町→福井駅は必ず福井駅側にパンタグラフが来る。スイッチバックの折り返し時間や交差点の信号待ちを活用すれば大名町の交差点や福井駅前の通りで何度か撮影することができる。
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西武鉄道沿線で育ったので、馴染みのある西武百貨店とドイツのレトラムを共演させてみた。
新幹線バブルで再開発が進む福井だが、西武百貨店は首都圏以外の店舗を縮小している傾向にあるのでこのような光景はいつまでみれるのだろうか。
今回はレトラムの撮影に合わせて撮影地を移動していたので、名鉄車の770型、880型の写真をあまり撮ることができなかった。雪の降る季節に名鉄のお古を撮りにもう一度訪れたい福井鉄道であった。
(このページの作成者 てら)

この記事は野岩鉄道編の続きとなっています。よろしければ野岩鉄道編もどうぞ。


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今回はいろいろと寄り道をしてからの会津高原尾瀬口駅への訪問となったが、東京浅草から電車一本で福島県南会津町まで来れるというのはすごい。実際のところ、1980年代のバブル期は尾瀬のハイキングやウィンタースポーツで人がごった返していたという話だから鉄道の役割というのはすごかったのだろう。
横道にそれるが、50代の方の話を聞いていると平日バリバリ働いて夜は夜行列車やバスに乗ってそのまま土日はスキー三昧みたいな話も聞くし、今の我々よりもはるかに体力があるのでは…と錯覚することがある。
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会津高原尾瀬口駅は会津高原プラザと併設されており、鉄道とバスの結節点として機能している。
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私は寄り道してひとっぷろ。やや暑めの湯温のお風呂をいただいた。駅から5分ほど歩くだけでも静かに深々と降る雪で冷え切ってしまった体がほかほか湯気が出るような温かさであった。
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駅に戻る。JRのローカル線で聞き覚えのある接近メロディと共に東武の特急リバティがやってきた。

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会津高原尾瀬口から会津田島まではノンストップ。レールの長さが短くなったのか、東武線内や野岩線内とは違いガタン、ガタンと短いリズムで揺られる。
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最新型の電車特急から見れる景色がこんな一面の雪景色…。暖冬だった今年だが会津は雪深い。
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会津高原尾瀬口からはリバティ会津リレー号という特急に接続している列車に乗車。といっても各駅にとまる単行のワンマンカーで1時間余りかけて会津田島から会津若松までを走破する。
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派手な塗装だなと思って目をやれば、芦ノ牧温泉駅で駅長猫が勤務しており「にゃん旅鉄道」という映像作品がつくられたのを基にクラウドファンディング方式でラッピングされた電車とのこと。
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「もう列車の来る時間よ。」とあるが会津鉄道も1日11往復なので、本当はのんびり途中下車しながら行きたいもののその日のうちに大阪に帰るとなるとそうもは行かない。野岩鉄道で楽しみ過ぎてしまったか…。
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列車は阿賀川沿いを走る。
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…普通列車で相席の方がいなかったのをいいことにやらせてもらいました。
これがなんと小野上温泉から芦ノ牧温泉までは立ち客が出るほどの利用で、どうやら海外からの団体旅行客が小野上温泉と芦ノ牧温泉の間を鉄道で移動して、駅長猫に会おうという行程らしい。半分ほどの座席が空いていた車内が一気に満員に。
気まずさからお酒も一気に飲み干してしまった。
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大川ダムにかかる若郷湖を渡り芦ノ牧温泉を出ると徐々に開けてきて終点の会津若松に到着する。
列車が混雑していて行程の後半は写真を撮ることができなかったのが残念であった。

(このページの作成者 てら)

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