旅に、出た。

バス乗ったり、島行ったり。マニア2人の共同旅ブログ

乗り物好き若手リーマン2人、それぞれの旅行記録

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こんにちは てらです。
住之江区から大正区内を渡船で渡った後、大正区と西成区に架かる千本松渡船に乗船した。
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西成区と大正区の間は工場への通金需要からか利用者の多い渡船がいくつかある。千本松渡船も1日に1,000人程度が利用する渡船で、10分前に南恩加島の渡船場に着いたところ既に利用者が列をなしていた。
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待合室。どこの待合室も同様なのだが空調無く雨はしのげるものの風は…という感じである。もっともな話、強風により波が高いと結構となる。
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地下鉄やバスでは見なくなって久しい大阪市章がここでは健在。
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大半の利用者が自転車利用。出航時間まで並んで待っていた。
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こちらは木津川に架かる千本松大橋。こちらも船の航行を考えて水面から33mの高さにする必要があり、日常利用に堪えないという理由で渡船が残されている。真夏に既に10㎞自転車を漕いでいる私にはループ橋を登るのは気分的に少々憚られた。
向こうに見えるのが南津守(西成区側)。
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木津川渡船や船町渡船よりも一回りほど大きな船にのり出航。最終的には15人ほどが乗船してた。
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こちらは南津守側。次々と利用者が下船していく。
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渡船が利用者を乗せ南恩加島川に戻っていく。
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木津川運河 奥に見えるのは新木津川大橋 橋のたもとを木津川渡船が結ぶ。
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最初は車で出かけようかと考えていたがいい運動になった。1日に3本の渡船に乗り、運河を多くの人が船で行き来している日常にお邪魔させてもらった。
(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
先ほどの木津川渡船を降り、急いで自転車を飛ばして向かったのは船町渡船。先ほどは小一時間の待ち時間があったが、今度はギリギリ間に合いそうだったのでダメ元で自転車を走らせた。
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大きなスロープを渡ると船着き場へ。
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船町渡船場の船町側
大阪市営の渡船の中では対岸までの距離が最も短い。左端に鶴町側を出た渡船が映り込んでいる。
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簡素な待合室。
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向こう岸からは誰も乗っておらず、私のみを乗せて出発。
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船町渡船場を後に。
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木津川運河の奥に見えるのは咲州(南港)
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ものの2分ほどで対岸に到着。写真でもわかる岸壁間の短さである。
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船町渡船場の鶴町側。 右手奥の職員詰め所と、物干しざおにジャージが干してある生活感が公営の残り香を感じた。
南港通にそって走って大正区入り。案外都心を経由するより早いかもしれない。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
あまり遠出する機会が無くなり、旅客船に乗る機会もめっきり…な日々を過ごしているが、渡船に乗る機会があった。
大阪市内の渡船は大正区周辺に点在しており、淀川の三角州だった地を埋め立て運河に位置する工業地帯への通勤者への交通の足として発達したものであった。
運河への架橋で渡船の役割は終わると思われたが、船舶の大きさの関係から高い位置に架橋せざるを得ず日常利用に堪えないという理由から現在も8航路が残されている。
特段の用が無いと乗る機会がないなと思っていたのだが、東住吉区や住吉区から大正区の海沿いの大型ショッピングセンターに向かう場合、渡船を利用したほうが所要時間が早いことがあるようで、ならばと妻子にお留守番をお願いし買い物がてら渡船へ乗って来た。
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住之江区平林から出る木津川渡船、1日の平均利用が200名以下と僅少であるためか日中は45分に1本の運行となる。(他の多くの渡船は15~20分に1本)奥にそびえるのは木津川大橋。歩行者、自転車ともに利用可能であるが40m以上の高さがありループ線を自転車で越えるのは確かにしんどい。
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家を出る時間がぎりぎりになってしまい、着いたころには対岸で機関停止しているタイミングだった。あと2分早く着いていれば…という感じだったが急ぎでもないので小一時間の間船を待った。
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木津川渡船は日中の運行本数がぐっと少なくなる。
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桟橋から対岸を覗く。製造業や運送業の倉庫などが連なる。
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西の方向を向けば南港。
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船が来るまでの間、少し自転車でうろうろと思ったが暑すぎて待合室で涼んでいることしかできなかった。
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もちろん待合室に空調などはないのだが、ぬるい潮風に当たっているだけでも涼しく感じた。
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待つこと小一時間、対岸から船がやって来た。
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3名のサイクリストがさっそうと自転車を押して降りて行った。一方ママチャリで汗だくの私一人が乗り込んで船は出発。
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平林側の船着き場を出発。やや強引に船首を北に向けて船町側へ。
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渡船にしてはめずらしくアクリル板がはめ込まれていた。
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2分ほどで対岸、船町側へ到着。2名の職員は私を降ろし控え室へ戻っていった。
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木津川大橋と渡船。もちろん待ち時間を考えたら橋を渡る方が早い時もあるのだろうけど、エレベータなどが無い限りはこちらの方が圧倒的に楽であろう。水運が盛んだった水都大阪の運河の残り香を目いっぱい吸い込んだ。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
前回に引き続き、宮島航路…ですが、帰りは松大汽船に乗って帰ることにしました。

前編はこちら。

単純に往復はもったいないので折角だしということで宮島を歩いて回った。
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当時(2021年6月)土日にも関わらず人がまばらだったのは宮島の大鳥居が改修中だっただけではなく、コロナ禍だったこともあると思われる。
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シャッターを閉じる店舗も多くあり、人通りもまばら。
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灯篭越しに眺める宮島航路
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折角来たのにどうよこれ…といしくんに話してしまったが、今更見返すと面白い写真だなと思うので、なんでも撮っておくって大事だなと思う次第。
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厳島神社も干潮の時間帯に訪れたのでちょっと雰囲気が出ず…。
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厳島神社の裏側の参道を抜けて少し歩いてみた。
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厳島神社は弥山から流れる御手洗川や白糸川の運河になっている部分に建立されている。写真を流れているのは御手洗川。
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参道の裏手にも土産物店などが軒を連ねる。
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厳島神社の傍にある豊国神社 厳島神社の傍にそびえる五重塔で有名である。
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宮島には起伏の大きいところも点在するためか、このようなトンネルがいくつか見られる。これは豊国神社のすぐ東側。
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参道から一本中に入った町屋通り。表参道の商店街とは打って変わって落ち着いた雰囲気が続く。
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町屋通から表参道に戻ると賑やかな雰囲気…だがいつもより人が少ないこともあってかシャッターを閉めているお店もありやや寂しげであった。
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宮島桟橋へ戻ってきた。松大汽船は向かって右側の改札から乗船する。
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左手にはJRのみやじま丸が停泊していた。今日は運航されていないようだ。
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松大汽船の宮島に乗船。
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15分間隔だが車の往来も多いことがわかる。
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3階建ての船内。二階は4列シートの客席が並ぶ。
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2階と3階は展望シート席
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空いていたので、海を間近に見れる2階のソファ席に我々は腰かけた。
往復10分少々の船旅。手軽であるが面白かった。

(このページの作成者 てら)

どうもこんにちは てらです。
もう一昨年(2021年)のことになってしまいますが、いしくんと行きはJR西日本宮島航路、帰りは宮島松大汽船で宮島を往復してきた。
JRの宮島口を降りて土産物店の通りを抜けると宮島口側の宮島口桟橋が姿を現す
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2020年にリニューアルされた新しいターミナルがお出迎え。コロナ禍とあり減便はしていたもののそれぞれ15分ごとの運行となっている。
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ななうら丸に乗船、宮島航路は約10年に1隻導入されているようで、ななうら丸は2016年、みやじま丸は2006年、みせん丸は1996年の就航となっているようだ。
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車両甲板が上がり、離岸
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廿日市市街からあっという間に離れていく。
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宮島航路のJR西日本フェリーの見どころは厳島神社の鳥居にぐっと近づくところなのだが、鳥居の大規模改修が行われており、
さすがにカバーに架かっている鳥居はなぁと思いきちんと撮らなかった。
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船からは撮らなかったけどせっかく宮島来たんやしと思って撮ったけど…うーん。
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宮島に到着。
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コロナ禍とはいえ観光客もちらほら…。
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こちらは宮島から見たみせん丸。
後半は宮島をぐるっと歩いてから宮島松大汽船で宮島口桟橋へ戻ります。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
尾道から乗船した瀬戸田港、せっかくなので帰りは違うルートで帰ることにした。

行きは瀬戸内クルージングでした。
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生口島瀬戸田から本州側へは、広島、三原、尾道へと船が出ている。三原~瀬戸田は弓削商船とマルト汽船が共同で運行している。
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瀬戸田港から5分差で出港する尾道行きは自転車を乗せられるサイクルシップが就航しており観光客がわんさかといった様相だったが、こちらは打って変わって生活路線。
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皆さん日が当たらない方をきちんとわかっていらっしゃる…。
券売機は瀬戸田には無く船内での改札(現金での支払い。)
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船からは左手に高根島、右手に佐木島を望みながら進んでいく。
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高根島が途切れると次は安芸神崎の造船上や呉線の東側を沿うように海上を進む。
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沼田川が見えてくると三原の市街地もどんどんと大きくなってくる。
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三原港に到着。25分ほどの船旅もあっという間であった。
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三原からは佐木島(瀬戸田便の一部が経由する)や生口島以外に因島や大久野島への船も出ている。
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コンパクトな窓口で桟橋の待合室もまばらであった。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
JR西日本が発売しているMaasアプリであるSetowaを使用し、福山市の鞆の浦に続いて生口島の瀬戸田へ。
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尾道駅の目と鼻の先にある駅前桟橋から瀬戸田行きの船を待つ。
がらんとして誰も待っていないので心配していたが、出航5分前になってもなかなか来ないので係員さんに伺ったところどうやら出港1分前の入港のようだ。
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放送に合わせて自転車を手に乗船客がわんさか列を成した。おどろくべきことに女性の2人組が多かった。
自転車が載せられるサイクルシップLazli 座席はあっという間に満席となった。もちろん1分では折り返せず若干の遅延をもって出港した。
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もっとカメラで色々撮れるかなと思っていたのだが、30席あまりしか座席がなく全く身動きが取れなかった。
船室は30席ほど3人掛けシートが3列配置されている。(※下船時に撮影)
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お隣のグループがデッキに出ている間に一枚。
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最前部からは景色が映し出され景色をみることができる。時折デッキを歩いている人も映りこんでいたのでおそらく船の2階部分の展望デッキからの撮影なのだろう。
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船は因島の重井港と生口島の沢港を経由して瀬戸田へ。ウェブサイトで紹介されていた瀬戸田港の建物とは違うのでリニューアルされているようだ。
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30分あまりの短い船旅だったが、今までの船旅との年齢層の差にびっくりする船旅だった。

帰りは弓削商船で三原に出ました。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
前回の記事はこちら

鞆鉄バスを乗り鉄した後は常石から船に乗って尾道を目指すことにした。
福山市の常石は造船場があり、バスも複数系統が運行されており通勤を意識したバスの運行本数である。
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常石造船の工場をバックに一枚。
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簡素な待合室と券売機がある。待合室はソファとテレビが置かれた簡素なもの。我々が乗るのはフェリー百風「ももかぜ」
航路上にある百島を意識しているネーミングだ。常石造船の終業の時間に合わせてあるためか、松永から乗車したバスの時間から50分ほどあったのでやや手持ち無沙汰だった。
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フェリー百風が出航する前に高速船ニュー備後が入港してきた。百島と比べると自動車を乗せないということもあってかなり小ぶりだ。
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15分前になると船員さんが船から出てきて改札が始まる。
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ニュー備後が停泊しているのをよそに出港。
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座席定員40名ほどの船内には雑魚寝できる畳敷きのスペースもある…が、常石から尾道まで乗り通しても1時間ほどの船旅だ。
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本州側と百島、向島を縫うように航行する。
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出航直後、我々が歩いた内海大橋をみることができた。
(参考 鞆鉄道バス(沼南線/新川線 内海農協前~松永駅南口/福山駅南口)
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横島、田島を通り過ぎ、船は百島へ舵を切る。
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百島の桟橋では車や原付の大半が下船したが入れ替わりに乗船する船も多い。
航路あるあるだが、乗船、下船時の改札は待合室からおじちゃんおばちゃんが出てきて手で精算、収受していた。
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百島を出ると再び本州側へ航行する。
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海に浮かぶ鳥居が目を引く道越港に到着。
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向島の歌港でも結構な下船があった。因島や生口島方面への近道となっているようだ。
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歌港と戸崎港の間は渡船も運行されており、我々が戸崎港を出るタイミングで歌港から出航した渡船とすれ違った。
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尾道大橋が見えてくると尾道の市街地まで残りわずか。せっかくなのでデッキで潮風に当たった。
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あいにくの曇り空だが夕闇迫る尾道の街が迎え入れてくれた。
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写真右側は千光寺公園やロープーウェイをかすかに見ることができる。
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尾道(右)と向島(左)
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視点を変えてこちらは向島側。兼吉の渡船乗り場が見える。
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尾道市街と向島の間は複数の渡船場があり、双頭船が行ったり来たりしているのを眺めることができた。
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尾道港に到着。改めて瀬戸内を船で回っていると短距離航路でも自動車や原付の利用が多く、人々の生活と密接に関わっていることを肌で感じる船旅だった。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
鞆鉄道バスを降りたわたしといしは、さっそく仙酔島の渡船乗り場へ。
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鞆港からは仙酔島のほか、走島へも航路が出ているが、それぞれ別の港からの出港となる。
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券売機と観光案内所を兼ねた窓口、改札は船員さんが兼ねている。
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観光客向けとはいえのんびりとした雰囲気。私たち以外に1組の観光客を乗せて出港した。
瀬戸内の市町村が運営する渡船は数あれど、福山市営渡船はちょっぴり変わり種。
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その名も平成いろは丸。幕末のイギリスの蒸気船を模しているそうだ。
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船内は小さなベンチといろは丸の歴史について触れられている。いろは丸は愛媛の大洲藩がイギリスから購入、所有していたそうだが、土佐藩へ貸与され、このあたりを航行している際に紀州藩の明光丸と衝突して沈没したことにちなんでいるようだ。
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鞆の乗船場を出港
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進行方向左側はハスで通ってきた道を望む
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鞆の街並みを船から
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鞆と仙酔島の間に挟まるように浮かんでいる弁天島
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仙酔島には5分ほどで到着。いろは丸が検査等で航行できない際は停泊している第二弁天丸が航行するようだ。
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仙酔島の港から歩いて5分ほどの所に御膳山という小高い丘があり弁天島越しに鞆の街並みを見ることができる。
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鞆に停泊している平成いろは丸を遠めに見ることができた。
鞆と仙酔島の間は日中20分に1本程度の運行となっており、鞆の乗船場を出たタイミングで船の動きに合わせるように我々も仙酔島島の乗船場に戻った。


(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
この記事は八重山航路 IV(西表大原港~竹富港)の続きです。


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涼しい風がそよいでいたものの、短時間でも炎天下を回るというのは体力的にしんどいもので、駆け抜けるような竹富島観光になってしまった。竹富港の建物をロータリー側から
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竹富港、こちらは桟橋側。 待合室がガラス張りになっていて冷房が効いているものの窓際にいると窓から熱気を感じるほどの暑さだった。
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船の出港時間がせまりがらんとしている待合室 ちょうど我々が乗った時間は安栄観光と八重山観光がほぼ同時に出港するとあって、待合室の座席はごった返していた。
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小浜島や西表島に比べて、観光アクティビティの当日受付(水牛車観光、レンタサイクル)などのカウンターもあり賑やかで人の行き来も多かった。比較的大型の船が往復したり、臨時便が就航したりするのもよくわかる。
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竹富島の桟橋 ちょうど臨時便のサザンパラダイス号が出航準備をしていた。
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我々が乗船したのはにぃぬふぁぶし号 北極星を意味する方言だそうだ。
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石垣竹富航路は15分ほどで石垣港についてしまう。竹富港を出たらもう石垣島の西部がみえるくらい近い。
石垣港で小浜島行きの船を待っていると、さっきまで乗っていたにぃぬふぁぶし号が桟橋からバースへ戻っていくところを写真に撮ることができた。

八重山航路についてシリーズでまとめさせていただいた。まだまだ乗船していない波照間や与那国航路も含め、続編が出せるようにしたい。遅ればせながら、海の穏やかさにも恵まれ離島航路の面白さについて学ぶことができた旅行だった。
(このページの作成者 てら)

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