私が物心ついた時の阪急電車といえば、8000系列が四角くてカッコよくて今でも好きな形式である。
しかし、時たま隅のホームに止まっている飾り帯のついた河原町行きの2扉の特急車両6300系のオーラは特筆すべきであった。
京都線の特急に乗る機会がなく、いつの間にか本線から退いて1編成が京とれいんという名前で特殊な装飾を施された他は短い編成となり嵐山線を往復するようになった。
本線系統のホームドアの関係から京とれいんも引退してしまい、いまや6300系が走るのは嵐山線のみ。
全線単線の嵐山線だが、撮影の仕方によっては往年の特急の雰囲気が出せるかもしれない。
自分の拙い腕を試行錯誤して嵐山線へ撮影へ行った。

梅田から電車に揺られること30分余り、桂駅へ到着、折り返しで佇む姿をまずは1枚。
なんか幼少期の憧れも、目の前に車両が止まっていると逆に冷静になってしまうというか、なんというか…。
隣の列車に反射している飾り帯の威厳は特急時代そのもの。

運よくなのか、5300系の旧阪急社章の記念装飾車が隣のホームに入線して来た。

フルマルーンの車体と邂逅
改めて思うが、阪急電車の車体の丁寧な塗装は自分が映り込んでしまわないかヒヤヒヤして神経を使う。
せっかくなので、各駅を回りながら写真を撮ろうと思う。
嵐山線は1時間に4本。12分間隔と18分間隔が交互に運行されており、交換駅が12分間隔のときと18分間隔のときで異なる。
撮影していてパターンに慣れるのに時間がかかった。

単線区間での離合。

松尾大社駅は駅名の通り、松尾大社の鳥居と電車を絡めて撮ることができる。

結構交通量が多くてうまく撮れずに何度もリベンジした。

嵐山駅まで乗りとおした。

嵐山線は単線だが、太平洋戦争により複線設備をはがされた経緯があり、線路際から線路まで距離があるものの、 住宅地が迫っている関係から適した場所がなく…。嵐山駅近辺ですこし踏切から距離があるところを発見。
特急時代をほうふつとさせるような流し撮りになっただろうか。

最後に、元特急車同士の離合を撮影してみた。信号制御の関係か、対向列車が止まり切って間もなく自列車が発車するようなダイヤなので、なかなかシャッターチャンスが難しかった。
4kmあまりの路線ではあるが、特急車の現役時代を十二分に感じ取ることができて楽しいお出かけだった。
(このページの作成者 てら)
しかし、時たま隅のホームに止まっている飾り帯のついた河原町行きの2扉の特急車両6300系のオーラは特筆すべきであった。
京都線の特急に乗る機会がなく、いつの間にか本線から退いて1編成が京とれいんという名前で特殊な装飾を施された他は短い編成となり嵐山線を往復するようになった。
本線系統のホームドアの関係から京とれいんも引退してしまい、いまや6300系が走るのは嵐山線のみ。
全線単線の嵐山線だが、撮影の仕方によっては往年の特急の雰囲気が出せるかもしれない。
自分の拙い腕を試行錯誤して嵐山線へ撮影へ行った。

梅田から電車に揺られること30分余り、桂駅へ到着、折り返しで佇む姿をまずは1枚。
なんか幼少期の憧れも、目の前に車両が止まっていると逆に冷静になってしまうというか、なんというか…。
隣の列車に反射している飾り帯の威厳は特急時代そのもの。

運よくなのか、5300系の旧阪急社章の記念装飾車が隣のホームに入線して来た。

フルマルーンの車体と邂逅
改めて思うが、阪急電車の車体の丁寧な塗装は自分が映り込んでしまわないかヒヤヒヤして神経を使う。
せっかくなので、各駅を回りながら写真を撮ろうと思う。
嵐山線は1時間に4本。12分間隔と18分間隔が交互に運行されており、交換駅が12分間隔のときと18分間隔のときで異なる。
撮影していてパターンに慣れるのに時間がかかった。

単線区間での離合。

松尾大社駅は駅名の通り、松尾大社の鳥居と電車を絡めて撮ることができる。

結構交通量が多くてうまく撮れずに何度もリベンジした。

嵐山駅まで乗りとおした。

嵐山線は単線だが、太平洋戦争により複線設備をはがされた経緯があり、線路際から線路まで距離があるものの、 住宅地が迫っている関係から適した場所がなく…。嵐山駅近辺ですこし踏切から距離があるところを発見。
特急時代をほうふつとさせるような流し撮りになっただろうか。

最後に、元特急車同士の離合を撮影してみた。信号制御の関係か、対向列車が止まり切って間もなく自列車が発車するようなダイヤなので、なかなかシャッターチャンスが難しかった。
4kmあまりの路線ではあるが、特急車の現役時代を十二分に感じ取ることができて楽しいお出かけだった。
(このページの作成者 てら)