旅に、出た。

バス乗ったり、島行ったり。マニア2人の共同旅ブログ

乗り物好き若手リーマン2人、それぞれの旅行記録

カテゴリ:自治体探訪 > 九州・沖縄

こんにちは てらです。
久大線を本当は色々撮り鉄する予定だったのですが、ちょっと旅程が狂ってしまい日田を観光することにした。
駅前の食堂で日田名物のちゃんぽんをすすり、どこへ行くか迷ったが豆田町を歩くことにした。
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豆田町は日田の駅から少し歩く。
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日田というと日田天領水が有名だと個人的に思っているのだが、水がきれいな日田は天領としてどこの藩にも属さない幕府の直轄地であった。きれいな水を生かし酒造や薬の製造などが江戸時代から行われていた。
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駅から徒歩約20分 豆田の街並みが姿を現した。
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江戸町屋や蔵屋敷が立ち並ぶ街並みは花月川付近まで続く。
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この付近は御幸通り。この通りは大石峠から耶馬渓を通って周防灘に面する中津まで抜けられるようになっており、現在は国道212号線がそれを辿るように走っている。
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豆田町は一周ぐるりと周ると30分ほどで回ることができるが、ところせましと小さな路地にも古い建物が残されている。
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旧古賀医院 豆田町づくり歴史交流館では豆田町の保全、修繕の様子が展示されている。
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豆田町の東側、上町通り。
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ひときわ目立つ建物、岩尾薬舗の日本丸館は登録有形文化財に指定されている。日本丸ってなんで船みたいな名前をしているんだろうと思いきや、薬の名前からきているそうだ。
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江戸末期から大正にかけて増築を繰り返して今の姿になっているそうだ。
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こちらは日田の地酒 薫長酒造の酒蔵
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試飲のほか、酒蔵見学もできる。
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花月川から南の方、元来た通りを戻る。
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土壁の白塗りの建物が軒を連ねる。
ゆっくり歩くと2時間近くかかるが、九州の小京都と呼ばれる街並みをじっくり回ることができた。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
以前このブログでも紹介した特急かもめだが、せっかくならと新幹線が通らなくなる地域をすこし歩いてみることにした。
佐賀県鹿島市は小倉と長崎を結ぶ長崎街道から枝分かれする多良街道の宿場町の一つとして栄えており、長崎本線の特急も停車する有明海最奥部の大きな街の一つなのだが、新幹線のルートからは外れてしまう。
そのなかでも今回は浜中町八本木宿を歩いてきた。


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肥前鹿島下車後、駅前にある祐徳バスセンターからバスに乗車浜三ツ門または肥前浜宿前で下車すれば行くことができる。
浜宿は江戸時代から酒造、醤油といったものの製造で栄えていた。
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いまでも酒造がいくつか立ち並び、試飲することもできる。
あぁ、バスで行きやすいように整備されているのはこのためか…電車を撮りに来るのと兼ねるために車で来てしまった飲兵衛は反省するばかり。

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丁寧に整備されている茅葺 富久千代酒造の建物 なんと古民家の御宿になっているとのこと。
鍋島という銘柄で有名。そうです、鍋島は佐賀の貨物駅…ではなくて肥前の国の藩主です。
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さすがの存在感 水路のせせらぎの音もよい感じ。
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蔵や武家屋敷が立ち並ぶ通り。
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奥に見える緑の建物は郵便局(現在は公民館として利用されている)
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醤油の醸造所
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右手は中島酒造 日本酒 君恩の銘柄で知られている。
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時間に追われながら訪れたのがちょっともったいなかった探訪であった。600mに所せましと武家屋敷や酒蔵が並んでおり、次は試飲しながらじっくり訪れたいところである。

(このページの作成者 てら)

こんばんは てらです。
高千穂での観光を終えた後、熊本空港への帰り道として国道218号線を通り、馬見原を少し観光した。
馬見原は当時の肥後から日向を結ぶ日向往還という街道の宿場町にあたる。馬見原の隣の宿場町は五ヶ瀬(宮崎県)であるため、熊本県側の最後の宿場町ということになる。

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駐車場に車を止めると、出迎えてくれたのが新八代屋。馬見原の豪商であった八代家の土蔵造りの三階建ての建物である。
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馬見原の商店街は様々なお店が軒を連ねる。
もともと街道の宿場町として栄えた分、いろいろなものが集積していたため商店がこのように集まったようだ。
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白壁の土蔵造りの建物がここまで並んでいる姿は壮観である。
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しかし、高千穂の時と打って変わって観光している人が少なく拍子抜け…。
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若山牧水は17歳の時に日向往還を通り馬見原を訪れたという記録があるそうだが、商店街の一角に歌碑が建てられている。若山牧水が宮崎の出身というのも初めて知りました…。
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歩行者は下を通り、車は上を通る不思議な構造の馬見原橋。太鼓橋と逆太鼓橋を組み合わせたデザインになっている。どうしてこういう形なんだろうかと思い検索してみると、熊本県の土木部建築課のウェブサイトが出てきてびっくりした。
(参考)馬見原橋 熊本県ホームページ
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馬見原橋のすぐ近くにある夫婦岩。もともと、この馬見原橋のかかっていた辺りが関所だったようだ。
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お昼ご飯は肉のみやべさんで馬肉を使ったコロッケのハンバーガーをいただいた。
馬刺しやホルモンでも有名なようで、近県のナンバープレートの車がひっきりなしに出入りしており驚いた。
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ここは熊本バスの馬見原出張所。もともとは営業所であり立派な建物が建っていたのだが、
現在は営業所の建物は取り壊され、バスの転回場と駐車場があるのみ。
昔は熊本の桜町までバスが乗り入れていたようだが、現在は山都町の中心部である浜町に行くバスが走るのみである。
街道沿いの古い町並みを横目に、我々は熊本空港へ車を走らせた。
(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
前回の阿蘇市・南阿蘇村のつづきとなっております。
阿蘇市から国道325号線を走ること小一時間で高千穂の中心部につく。高千穂神社の傍のホテルにて一泊した。観光地としても宮崎県の諸観光地よりも熊本県の阿蘇地域との結びつきが深く、空港からのアクセスも熊本空港からアクセスするのが一般的であるようだ。
翌日は高千穂神社→高千穂峡→国見ケ丘→天岩戸神社というコースで約半日間、高千穂を散策した。
高千穂は阿蘇山の噴火により冷え固まった火砕流が、五ヶ瀬川の浸食によって作り上げられた高千穂峡が有名であるほか、神話の街と知られ、神社が点在している。
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まずは高千穂神社を表敬訪問した。高千穂神社は高千穂郷八十八社の総社であり、高千穂を代表するだけでなく九州を代表する神社である。写真の本殿は重要文化財に指定されている。
ほぼ毎夜高千穂神楽を奉納しており、観光客でこれを楽しみに高千穂を訪れる人も多い。
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高千穂神社の祭神であるミケヌノミコトが本殿の隅に
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二本の大きな杉は夫婦杉と呼ばれ、夫婦、恋人、友達と手をつないで3回まわると縁結び、家内安全、子孫繁栄がかなうとされている。
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高千穂神社から車から10分ほどで高千穂峡へ 奥に見えるのは国道218号線の神都高千穂大橋、その手前が高千穂大橋、神橋と3つの橋が並んでいる。夏になると一番奥に架かる神都高千穂大橋が見えないようだ。
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阿蘇山の火山活動により流れ込んだ火砕流が柱のように冷え固まった柱状節理を見ることができた。
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写真左手の切り立った崖は仙人の屏風岩と呼ばれている。
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五ヶ瀬川を下流に向かって20分ほど歩いた。
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御橋(下流側)から撮った真名井の滝
真名井の滝は日本の滝百選に選ばれている滝で、遊覧ボートから眺めている人も多かった。
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こちらは位置を変えて滝見台からみた真名井の滝。
こちらのほうが「高千穂峡の滝」としてなじみがあるだろうか。
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来た道を戻るようにし、大橋の近くの駐車場から車を走らせて国見ケ丘へ 
熊本県、大分県方面が綺麗に晴れていて見渡すことができた。目の前に見える大きな橋は国見大橋で、熊本県と高千穂町の東部を結ぶ。
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一方太陽の位置の関係か、高千穂の市街は逆光気味…画面中央から右側が高千穂の市街地だ。
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レンタカーの返却時間も考えながら、せっかくなので天岩戸神社にも参拝。
天岩戸神社は天照大神を祭っている神社で東本宮と西本宮がある。こちらは西本宮。
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岩戸神楽を奉納している神楽殿。
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最後に、足を延ばして天安河原へ。こちらは古事記などで、八百万の神がお集まりになられたと書かれている。河原の傍に大きな洞窟があり、こちらに建立されている神社が天安河原宮である。
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天安河原は早朝に行くべきという評、確かに当たっているのかもしれない…。
人が途切れることなくお参りをしており荘厳な感じが写真には撮れなかった。

今回は神都と言われる高千穂をかなり駆け足で回り、荒建神社や槵觸神社といった行くことができなかった神社も多くあったが、時間をかけて行った分の期待を裏切ることなく大いに楽しむことができた。
熊本空港への帰りは、来た道を戻るだけではもったいないので少し寄り道をしながら帰った。

続く

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
2020年の11月に熊本空港を拠点に高千穂方面を観光しましたので記事にします。

熊本空港から阿蘇山方面へアプローチする場合、国道57号を道なりに進むため、小一時間でアクセスすることができる。
以前、阿蘇山の北の縁(豊肥本線と並走する地域エリア)を観光したことがあったので、今回は阿蘇登山道路赤水線を経由し、阿蘇市の南と南阿蘇村を中心にまわった。
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草千里浜ドライブウェイに車をとめ、草千里が浜をしばし散策した。
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左に見えるのが阿蘇火山博物館、右に見えるのは草千里グリーンパーク、ニュー草千里。土産物店や飲食店が並ぶ。
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草千里が浜は78.5万平方メートルにおよぶ草原と、過去の火口跡による池が織りなす景色だ。
草千里が浜は初夏になると青々とした草が生い茂り、言葉通り草千里なのだが、11月も下旬になると荒涼とした大地が続いている。
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北西方面(カルデラ縁よりむこうは熊本市街)の方向を覗く、うっすらと熊本の市街地もみることができた。
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せっかくなので阿蘇火山博物館に併設されたレストランで熊本の阿蘇名産の赤牛の牛丼をいただいた。
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草千里が浜から火口までは10分ほどで行くことができるためも向かったが、風向きが強く火口への立ち入りが禁じられていた。
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路線バスは感染防止を啓発するくまもんが…。マスクを着けた黒づくめのぬいぐるみ。うーん不審である。このあと、山頂から阿蘇登山道路吉田線を通り車を南部へ走らせ、南阿蘇村へ抜けた。
南阿蘇村は阿蘇郡長陽村、白水村、久木野村が2005年の平成の大合併に合併して発足した村である。
なんといっても有名なのが…。
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阿蘇のカルデラにより、水が湧き出るため、村内には遊水地が複数みられる。
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新鮮な水質で表す青い苔が生き生きとしており、水面も絶えず湧水によりもわもわと動いていた。
空きペットボトルの販売もあり、自分で水を詰めることができる。
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ついで、といってはなんだが、「元」日本一長い駅名だった南阿蘇鉄道の、南阿蘇水の生まれる里白水高原駅を訪れた。南阿蘇鉄道は先の熊本地震により甚大な被害をうけ、今でも半分近くの区間で運休を余儀なくされている。
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記事を書いている現在は、嵐電の「等持院・立命館大学衣笠キャンパス前」が一番長い駅名であったが、2021年の1月から富山地方鉄道の「トヨタモビリティ富山 Gスクエア五福前」にとって代わられるそうだ。日本最長駅名の攻防は話題作りのためなのだろうが執念すら感じる…。
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一通りドライブを終えた後は、ホテルグリーンピア南阿蘇の温泉につかった。
ホテルグリーンピア南阿蘇は、阿蘇五岳が見渡せる温泉として有名で、高岳、中岳、根子岳、烏帽子岳、杵島岳を見渡すことができる。雲一つなくきれいな景色だった。
ここから、国道325号線で高森町を経由して高千穂町へと急いだ。

(このページの作成者 てら)

実際に見たことは無いけど、記憶に焼き付いている景色
そんな景色、皆さんにはないだろうか。

非常にニッチなのだが、私には早朝の人吉の街並みが記憶に焼き付いていた。
長崎の祖父母の家に遊びに行って、朝のテレビから天気予報で九州各地の景色が流れるとき、熊本支局は決まって球磨川が流れる人吉の街並みを流すのだ。
他県も展望台や山から市街地を一望できる景色を流すのだが、なぜか人吉だけ印象に強く残っているのである。

折角なので長崎の祖父母の家から東京に帰るついでに人吉に寄ってみることにした。
ちょうど4年前 2015年の正月である。
長崎から18切符を片手にフェリーと鉄道を乗り継ぎ、途中熊本市内で一泊して人吉には二日目の朝に到着した。
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表敬訪問を兼ねて青井阿蘇神社へ参拝する。
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禊橋と一の鳥居を横から
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正面から
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楼門
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本殿
寺社仏閣に茅葺をつかうのはこの地方特有だそうで、桃山様式と茅葺屋根が融合している珍しさから国宝にも指定されている。
球磨川と人吉の街並みを見に行くべく、人吉城跡へ向かう。
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城址公園の石段を上ること約5分。この景色だ。
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なんだろうか、川沿いに発展した町の景色としてはどこでもありふれているのだろうけど、記憶のある風景だけに夢中でシャッターを切ったのを覚えている。
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こちらの角度と高さの方が天気予報で流れている人吉の街並みに近い気がする。朝もやが球磨川沿いにある都市を守っているかのようで、食い入るように見入ってしまった。
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人吉市内を散策した後、肥薩線のいさぶろう・しんぺい号に乗り込んだ。
肥薩線の記事は


(このページの作成者 てら)

大分県は温泉地が県内各所にあり、温泉県の異名を持つ。
有名なところであれば、街角にゆけむりが立つ別府温泉や鉄輪温泉、由布岳の麓に広がる由布院温泉、九重温泉や玖珠温泉といったところだろうか。
今回取り上げるのは、大分県日田市の天ケ瀬温泉郷だ。
昔は大分三大温泉地の一つだったが、アクセスのいい別府やリゾート開発が追い風となった由布院と比べるとひっそりとした印象を受ける。

小学生のころ、父親の趣味の登山について行ったときに、九大本線に乗ったのだが、日田駅から山間部を川沿いに走る車窓が突然ぱぁっと景色がひらけて玖珠川沿いの温泉街としばらく並走した景色が忘れられなかった。
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久留米から普通列車で一時間二十分、今回の目的地の天ケ瀬に到着。
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駅の真上を国道のバイパスが横切っている。平地が少ないことを物語る。
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駅前を流れる玖珠川からの景色
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ひなびた温泉街が広がり、川の両岸を挟むように温泉旅館が立ち並ぶ。

天ケ瀬温泉で外すことができないディープなものが、公営の露天風呂
駅前温泉をはじめ、5つの露天風呂がひしめいている。
脱衣所が外から見えるような箇所も多く、ちょっと敷居が高いが、さらりとしたお湯に湯の花が舞っており、外すことはできない。時間もあるので二つくらいめぐってみようと思う。
駅前温泉は地元の利用客が多いため、入浴したものの写真を撮れなかったが、神田湯は入浴者がおらず写真を撮れた。
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ん…?角度をかえてもう一度
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これが神田湯である。脱衣所がないため、水着やバスタオルでの入浴も認められている。
赤い料金箱に100円を入れて入浴。駅前温泉に比べ加水が少ないのか、湯温は高め。
川面と同じ目線でせせらぎに耳を傾けていると、時間が過ぎるのを忘れてしまう。

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ところどころ立ち上がるゆけむりを横目に、天ケ瀬を後にした。

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(このページの 作成者 てら)

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