旅に、出た。

バス乗ったり、島行ったり。マニア2人の共同旅ブログ

乗り物好き若手リーマン2人、それぞれの旅行記録

カテゴリ:自治体探訪 > 中国・四国

こんにちは てらです。
以前から、瀬戸内で行きたいと思って気になっていた場所があった。
仙人が酔うほど美しいとされる仙酔島。
瀬戸内の陽気と穏やかな海は船や電車でも楽しませてもらったが、瀬戸内の町や島をゆっくり歩くような機会はあまりなかった。
鞆鉄バスに乗ってそんな福山市の近郊に位置する鞆の浦へ。いしくんにプレゼンして一緒にいくことにした。

戦後すぐ廃線となった鞆鉄道の廃線跡を沿うように走る路線バスは他の記事でも紹介しているので是非。

瀬戸内の漁師町の一つであった鞆だが、古くから栄えており、江戸時代には北前船が立ち寄るなど多くの船が行き来するようになった。船舶の大型化により徐々に鞆の役割が他の港湾にとって代わられ、現在は沼隈半島の島々(走島など)を結ぶ船と漁船が行きかう長閑な街並みが残っている。
鞆港のバス停を降りると、走島へ向かう桟橋の近くから湾内を眺めることができた。
折角なので、湾内の狭い路地を色々と歩き回ってみることにした。
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走島への定期船が出ているが、商店の隣にある、右の建物が待合室。
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瀬戸内の島々の漁港町の雰囲気十分である。
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写真中央奥に見える小高い木々が集まっているのは玉津島 波止場を伝って行くことができる。神社のある小さな島。
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鞆バス停から太田家住宅を結ぶ通りは人通りも多い。こんなところがバス通りなのだから驚きである。
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狭い道を縫うように建物が立ち並ぶ。
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鞆では保命酒という薬味酒を造っている。鞆よりも大きな港が整備されたことや人口減少などを理由に生産量は減っているようで、写真に映る十六味保命酒は残されている酒蔵のひとつだ。
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鞆港の土産物店などが軒を連ねる。
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ひときわ目立つモダンなデザインの信用金庫の建物
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石畳の街並み。
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鞆の浦から西方向、阿伏兎(あぶと)の方向を向く。
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軽自動車でも精一杯の道だが、バス通りというんだから驚きだ。
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この辺りは江戸後期の建物がそのまま残されている。
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間口の小さな町家が立ち並ぶ。太田家住宅(写真左)も江戸時代後期に建てられた建物の一つで、もともとは保命酒を製造していた。
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ついつい、目線を落として軒下の住居表示を撮ってしまう。
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鞆の浦を象徴するスポットの一つ、湾内に位置する常夜灯 湾内を照らし続けている。
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晩夏、蒸し暑い天気だったが時折そよぐ潮風が涼しく感じた。
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最後に、鞆港のバス停付近から湾内の景色を眺めながらバスを待った。

(このページの作成者 てら)

こんにちは、いしです。
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名湯、俵山温泉は山口県長門市の山奥にひっそりとあります。
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街中は至って静か。三連休とは思えない人の出です。

関東では殆ど知名度が無いように思いますが、俵山温泉は防長四湯にも数えられ、一説によると1100年の歴史があるのだとか。
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昔ながらの温泉街は、観光客向けの建物と、地元の方の住居が細い路地で迷路のように繋がっていて、生活と非日常が入り混じった不思議な雰囲気です。
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残念ながら、街で開いているお店はほとんどなく、目についたのはバス停近くのこのお土産屋さんくらい。(他にもおそらく数軒あります)
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ここはメイン通り。左右に旅館が並びます。
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この道の先を行ったところに、町湯が2湯あって、それだけです。こじんまりして落ち着いた温泉街です。
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軒を連ねる旅館も、趣があります。
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この日お邪魔した旅館は、中庭もあって風情に溢れていました。
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俵山温泉は、湯治場として発展したとのことで、確かに観光スポットは見当たりません。かえって今では滅多に味わえない雰囲気が漂っていて、そこがたまらないのですが。
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観光スポットがあるわけでもなく。

さて、温泉街に戻ってきました。
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温泉街には、町湯が2つ。そのうちの1つが下記の白根の湯。
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ここはレストランも併設しており、街で唯一の食事処。ただし、19時ごろまでしか営業していないため、俵山温泉に素泊まりする場合は、食事の時間に要注意です。

これまでに訪れた温泉地とは一味違った、趣深い温泉街でした。
(このペイジの作成者 いし)

こんにちは、いしです。

萩市で街並みといえば市街の城下町があまりにも有名ですが、旧旭村に位置する萩市佐々並も昔ながらの宿場町の雰囲気を残す、雰囲気ある街並みです。
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県都山口から萩へ走るJRバスを途中下車して、佐々並を少し歩きました。
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佐々並バス停は、街から外れた国道沿いの交差点にあります。萩行のバスを見送って、交差点を右に曲がると佐々並の宿場町に至ります。
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石柱を越えれば、奥に黄土色の瓦屋根が密集する宿場町が現れます。
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ここは、国に指定された街並み保存地区です。とても穴場スポットのようで、平日ということもあってか観光客は皆無でした。
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街中はかつての街道を思わせる道幅と、90度に曲げられた道。宿場町を感じます。どうやら高度経済成長期まではここがメインの道路だったようで、昭和30年代に佐々並を訪れた民俗学者宮本常一氏は、この狭い道をバスが通っていたと記述しています。
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残念ながら、往年の活気は全く見られず、たまに走る車の他は、人っ子一人見当たりませんでした。(観光センターのような使われ方をしていた民家には、地元の方が当番制で詰めてらっしゃるようで、そこで情報収集が可能です)
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統一された街並みです。
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街の周辺には田畑が広がり、山の中とはいえ、かなり開けた土地がありました。


(このペイジの作成者 いし)

どもどもてらです。
元日乗り放題切符の旅 津和野町編の続きです。

目次
1. JR山口線
2. 島根県津和野町
3. JR山陰本線 島根県区間
4. 島根県温泉津町(このページ)
5. 特急やくも

温泉津駅を降りると、地図と温泉街によくあるゲートでお出迎えしてくれた。
温泉津温泉は世界遺産「石見銀山とその文化的景観」の登録地の一つなのだが、列車を降りても観光客がほとんど見当たらず、驚くほどひっそりとしていた。
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島根県内の温泉では松江しんじ湖温泉、玉造温泉、美又温泉などとならんで有名なのが温泉津温泉である。
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温泉津駅からは20分程度歩く。海が近いこともあり風が冷たく、温かい温泉に浸かれる期待も高まる。
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途中、温泉津漁港を横目に温泉街の方へ
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温泉津温泉は閑静な温泉旅館が軒を連ねることから、温泉街では珍しく重要伝統的建造物群保存地区に登録されている。
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この通り、メインストリートも温泉旅館が縫うようにして建ち並んでいる。
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この公衆浴場が温泉津温泉の元湯である。元湯は2020年1月1日から営業再開ということだったので再開初日に早速浸かってきた。1300年からこの地では温泉が湧いているそう。
45度を超える黄土色の熱い湯、長くは浸かっていられなかったが、湯上り後の体の温かさや汗の量が半端ではなかった。
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もう一つ元湯に近接するところにまた別のこちらが源泉の一つ、薬師湯。
1800年代の浜田地震により温泉が湧き出たことから「震湯」という異名を持つ。旧館はレトロな建築ということもあり有名だ。(時間がなかったとはいえ、旧館の喫茶店に入ればよかったと今更後悔)
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ところどころゆけむりが建ち、路面も温泉の湯がどこからか漏れているのかぬれていた。
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小一時間しか散策できなかったのが残念だったが、列車の都合もあるので急いで駅に戻った。(続く)

(このページの作成者 てら)

どうもてらです。
元日乗り放題切符の旅 JR山口線編の続きとなっております。

1. JR山口線
2. 島根県津和野町 (このページ)
3. JR山陰本線 島根県区間
4. 島根県温泉津町
5. 特急やくも

前回の更新から間が空いてしまい失礼しました…。
新山口から山口線の特急に揺られること約1時間、島根県に入って最初の町が津和野町になる。
表敬訪問ということで津和野駅で写真を一枚。
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なぜ今回目的地として津和野を選んだかというと、ずばり友人を誘って行きにくいけれど行きたかったから。
山陽地方の有名観光地(倉敷や宮島、錦帯橋などなど)山陰でも関西寄りの観光地(城崎をはじめとした兵庫県北部の各温泉地は日帰りも容易なことから友人を誘いやすいというのもあるかもしれない…。
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駅を出て中心部に向かって歩いた。
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写真の鯉の米屋ではお店の庭を鯉が泳いでいる風情のあるお米屋さん。残念ながら年末年始休業。ここが元日に旅行をする欠点である。
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途中、市内の中心部と各地を結ぶ石見交通の路線バスと遭遇。駅や道の駅に併設された温泉、観光名所も結んでいるため観光でも利用出来る。
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殿町通りに通じる本町通りは銘菓、日本酒等、特産品の店が軒を連ねる。
このあたりから殿町通りにかけては重要伝統的建造物群保存地区と呼ばれており、古い建物が保存されている地区にあたる。
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華泉酒造さん 華泉の蔵元にあたる。
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白壁の蔵も軒を連ねる。ところどころに国旗がかかっており、あ、そうか今日は元日か…とはっとさせられた。電柱、電線も地中化されている。
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こちらはもうひとつ有名な古橋酒蔵。初陣の蔵元。少しだけ試飲もさせていただいた。
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更に殿町通りを南に歩を進めると津和野カトリック教会がある。津和野とキリスト教の関係は深く、長崎の隠れキリシタンが津和野の乙女峠にある光琳寺(現在は現存せず)で改宗を迫られ拷問を受けたという歴史がある。このカトリック教会は1929年に設立され日本でも珍しい畳張りの聖堂である。
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殿町通りにはところどころ、土堀の掘割を鯉が泳いでいる。
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殿町通りを抜けると大きな鳥居が出迎えてくれる。津和野に来たもう一つの目的、初詣へ参拝することに。
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津和野川からみた太鼓谷稲成神社。日本五大稲荷神社の一つに入っているそう。
普通は稲「荷」神社と表記するのだが、願望「成」就にあやかって稲「成」神社という表記になっているそうだ。
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太鼓谷稲成神社の表参道。無数の鳥居に囲まれながら境内へ行くことができる。
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階段を上り続けて5,6分。本殿に到着。大きな神社というだけあり、神社の臨時駐車場は初詣に参拝する車で長蛇の列ができていた。おみくじをひくのも一苦労…。
お供え用のおあげが売られているのはさすがお稲荷さんといったところか。
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本殿からは山口線と津和野の街並みを望むことができた。
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私は元来た道を戻り、駅へもどった。
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津和野からは再び山口線を下り、温泉津へ向かう。(続く)

(このページの作成者 てら)

こんばんは てらです。
久しぶりに自治体訪問の記事でランドマークといった観光名所ではなく中山間地域を扱うという事もあり、個人的にちょっと緊張…。

この日の午前中は高知市内でとさでん交通を乗り鉄(過去の記事に飛びます)、ひろめ市場で腹ごしらえ、午後イチの特急に乗車して土佐山田で下車。土佐山田から土讃線の阿波池田行きの単行に乗り込む。
途中、新改という駅を通るのだがちょっと特徴的なので簡単に写真で紹介する。
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上り列車は左側の線路から左奥の線路に進入した後、写真の箇所までバックする。
その後、二つある信号機のうち右側の信号機の信号に従って右側に進んでいく。
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ポイントの左側には新改駅 右側にはトンネルがあることがわかる。
なぜこのような経路をとっているかというと、当時の車両ではこの急こう配をクリアすることができなかったためである。現在は線路の形状から、この駅を通過することもできるので、普通列車の一部はこの駅を通過する。そのためスイッチバックに入っているところをまじまじと見ることができてちょっと得をした気分だ。
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この駅の3つ隣の土佐北川駅で降りる。
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土佐北川駅は橋梁上にある珍しい駅で、列車同士の交換も行われた。穴内川の橋梁と駅を兼ねている。
今回、国道32号線沿いに土佐北川駅から大杉駅までの約7kmを歩いた。

大豊町は、高知県の嶺北地域(主に四国山地の麓にあたる大豊町、本山町、土佐町、大川村、いの町)の中では、徳島、香川、本州への大動脈である自動車道、国道、鉄道が整備されており比較的アクセスは良い地域である。また、早明浦ダムの水没地域にもあたらなかったこともあり大川村のような人口の急減もなかった。早明浦ダムの上流域にあたる大川村は現在離島を除くと日本で一番人口の少ない自治体として知られている。交通の便の良さを生かして製材などが盛んである。
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穴内川と国道32号線を北向きに撮影してみた。
穴内川を挟んで32号線の対岸側にまばらに民家は見られるが、32号線側は民家は少ない。
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歩くこと約1時間。後半はずっとトンネルをあるくのでなかなかしんどかった。道の駅大杉に到着。
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ここでクボタ食品のアイスを食す。あまり首都圏では出回っていないのだが、幼いころに非常にお世話になったこともあり懐かしい味だ。
道の駅付近から町が開けており、NTTの中継基地と思しき建物もあった。
ここから、土佐の大杉という観光名所を目指して八坂神社へ向かう。
土佐の大杉というのは、樹齢3000年を超えていると言われている杉の巨木で、大豊町の中心駅にあたる大杉駅の駅名の由来にもなっている。
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環境整備料を払い境内へ入る。杉の巨木はどこだろうかと見まわしてみると、左手に杉の巨木が二本。
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写真を撮ろうとしても、見切れてしまう。
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これが特別天然記念物 土佐の大杉である。
もともとは一つの木が途中で二俣に別れているようだ。
近年の大雨や台風でところどころ痛んでいるような箇所もあるようだ。ワイヤー等で補修も行われている。
境内を後にし、再び穴内川を上流に向かって歩く。駅は約徒歩10分で着く。
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大杉駅付近から南を向いて写真を撮った。写真左にある大杉中央病院(青の縦型の看板がある建物)付近が中心市街地であるため、駅はやや北のはずれにあることがわかる。
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大杉駅は不審火で焼失してしまった過去があり、現在は中高生など町全体を巻き込んでデザイン、建築を行ったものである。製材がひとつの産業というだけあり木をふんだんに使った特徴的な駅舎だ。
ここから、約3時間に1本の大杉停車の特急に揺られて岡山経由で帰宅の途についた。

余談
大学で過疎地の持続可能な開発についてちょっと触れる経験があり、中山間地域を歩いて卒業論文を書くという経験をさせていただいたのですが、「足を運んで見る」の大切さを改めて感じさせられるのでした。

この旅を気に入った方はこちらもどうぞ。いしが高知県の島々を巡っています。

(このページの作成者 てら)

愛媛県の南部、南予地域を鉄道で旅していると、川沿いにそびえる天守閣を横目に列車が走っていく箇所がある。愛媛県の大洲市だ。
鉄道を使って旅行していると、気になる景色があっても後戻りをすることができないのが痛いところ…。
機会をあらためて、関西空港と松山空港の間で格安航空便が就航されているのを期に大洲市街を観光してみることにした。
松山空港から松山駅行きのバスに乗り換えて旅のスタート。
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平屋建てで改札が正面にある地方都市の駅も少なくなってきた気がする。
松山は高松、岡山を結ぶしおかぜ・いしづち号と、宇和島を結ぶ宇和海の乗り換え駅として機能しており、大きなカバンやキャリーケースを抱えている人を多く見かける。
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途中乗り継ぎのついでに内子の町を歩いてみた。内子にも古い街並みが残っている。
飛行機の時間が遅めだったことや、内子で道草を食っていたこともあり大洲に着くと日が傾いていた。
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駅前の大きな鳥居が印象的である。当日は炉端焼きと日本酒で一杯。翌日、どのように歩くかルートを考える。

翌朝、宿の外に目をやると雪が舞っていた。
折角なので朝のお散歩と称して雪の降る大洲の街を散策してみようと思う。
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伊予大洲の駅前に宿を取っていたので、大洲旧市街まで大洲街道を20分ほど歩く。
やがてモノトーンな大洲城址が右手に見えた。
大洲街道から左手、東側に小京都の街並みが立ち並ぶ。
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昭和初頭の建物が残る、古き商店街。雪が舞っている景色は珍しいかもしれない。
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煉瓦館。銀行として昔は使われていたそうだ。
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おはなはん通り。NHKの連続テレビ小説のロケとしても使われた。
おはなはんって聞いたことないなぁと思ったら昭和41年の連続テレビ小説らしく、通りでピンとこないなと…。蔵のそばを流れる水路には手入れが行き届いた花壇が。_MG_1121_convert_20181215214440
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この辺りは明治期の武家屋敷の建物が現存している。
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大洲の古き街並みは、おはなはん通りより北側が昭和初期、東側が明治期の建物が混在しており、ひとまとめに小京都とくくっていいのかなという気がするが、どちらも興味深い。
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肱川沿いは鵜飼の船がしんしんと降り積もる雪をかぶっていた。
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列車の時間に余裕があったので大洲城の周りを一周し、県道43号沿いの繁華街を歩いた。
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歩くこと20分。伊予大洲駅に到着。

大洲から特急に乗り、松山へ戻る。
一日一往復しか航空便が就航していないと、観光できる時間や場所の制約があり、オマケに予讃線の鉄道公団建設区間(向原~伊予大洲間)を降りて道草していたので慌ただしくなってしまった。
天守閣や臥竜山荘に入れなかったのは反省点である。

追記
大洲市を流れる肱川が氾濫したことにより、洪水の被害に見舞われたことは記憶に新しいと思う。もちろん人的な被害もさることながら、鵜飼の鵜も精神的な疲労に見舞われたと聞く。
洪水後も市の観光協会のHPでは積極的にPR活動等を行っているようなので、自分も今回いけなかったところを含め再訪したいと思っている。
松山から特急で35分、松山空港からバスで1時間10分で行けるため松山市内観光と兼ねることも十分可能だ。

この旅が気に入られた方はこちらの記事もどうぞ
秋田県仙北市角館町 古き良き街並み、秋田県の角館市を街歩きしたときの記事です。

(このページの 作成者 てら)

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