旅に、出た。

バス乗ったり、島行ったり。マニア2人の共同旅ブログ

乗り物好き若手リーマン2人、それぞれの旅行記録

カテゴリ:自治体探訪 > 関西

こんにちは てらです。
ひさしぶりにいしくんと一日日帰り旅行でふらりと大阪南部と紀北を回ってきた。
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関西空港のおひざ元として、また、ふるさと納税により公共施設の建て替えをすすめる泉佐野市。
泉佐野駅前から旅をスタートした。
大阪南部の自治体としては大きな自治体のように思っていたが、岸和田市や和泉市の方が自治体の規模としては大きく思っていたより駅前はこじんまりとしていた。
南海ウイングバスの犬鳴山線に乗車し、終点の犬鳴山で下車。途中日根野駅も経由するが、泉佐野駅から日根野駅までは結構時間を要した。
地図を見てみると、並行して走っているように見える南海線と阪和線も時折大きく広がっている箇所があり、泉佐野と日根野は3km近く離れている。
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30分ほどで終点の犬鳴山に到着。大阪南部の自治体は南北方向に長い自治体が多く、ここから県境まではさらにバスに乗り継ぐ。
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犬鳴山渓谷に沿って犬鳴山七宝瀧寺(しっぽうりゅうじ)や犬鳴山温泉郷が点在する。ここから渓谷沿いを歩いて七宝瀧寺を参拝した。
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温泉街を抜けると参道の入り口が姿を現す。
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七宝瀧寺の名前の由来は七つの瀧と行場があることからきている。ここから樫井川の上流に向かって歩いていくと大小の瀧を横目に歩く。
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瑞竜門。
5月の上旬ということもあり、気温が高いものの渓谷沿いを歩くため汗ばむということはなくむしろ涼しいくらいだ。
歩くこと約2,30分 周囲が開ける。どうやら林道を経由すればこの辺りまで自家用車で乗り入れることができるらしい。
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身代わり不動明王。
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本堂を越えると行者の瀧が我々を迎えてくれた。七宝瀧寺では実際に1日修行体験ができるようで滝行を行っている方もいた。
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参拝後は犬鳴山温泉、山乃湯さんで一風呂させてもらった。
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源泉の温度が18度台であるため加温しているものの加水無しの少し白濁した泉質。
さっぱりしたところで、県境越えのバスに乗車した。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
ふとしたきっかけから、大学時代の先輩と高野山へ行ってきました。(すみません、行ったのは2019年9月だったのですが載せるタイミングを逸していました。)
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ケーブルカーについては別記事にまとめますので少々お待ちを…。
高野山から山内に行くにはタクシーに乗るほか、バスの利用が便利だ。
高野山から大きく分けて、奥之院方面と大門方面に行くバスがある。今回は予定が突発的だったこともあり、奥之院を時間をかけて回るのは厳しいと判断。大門行きに乗車した。
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大門に到着。
高野山は金剛峯寺の総本山にあたるのだが、一山境内地と呼ばれ、山全体が寺の境内という考え方のもと守られてきている。そのため、金剛山金剛峯寺の境内は様々なところに点在している。
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大門は高野山の西側の玄関口になる。表敬訪問といった形だろうか。ここから少しずつ東に向かい、高野山の中心地、金剛山の主殿を目指す。
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大門から歩くこと約5分。壇上伽藍(だんじょうがらん)に到着。中門から中に入る。
主要な法要が執り行われる場所で、金剛峯寺の中心にあたる箇所の一つです。大火で焼失したものを新造したこともあり、随所がきれいだ。
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中門をくぐると金堂が前にそびえる。高野山の総本堂の機能を持っている。こちらも1930年代に再建されたものだ。
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根本大塔 密教のシンボルとして建立されている建物にあたる。
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壇上伽藍は多くの建物が集まっている箇所であり、このように金堂と根本大塔の位置関係が見て取れるのではないだろうか…。
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壇上伽藍を出て、蛇腹道を通り、本堂に向かう。振り返ると葉が徐々に色づいており、初秋を感じることができた。
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見えてくるのは金剛峯寺の正門
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金剛峯寺の正門。1593年に再建されて以来、現存しており、高野山内の建築物では最も古い部類になる。
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金剛山の主殿 襖絵が非常に有名である。
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蟠龍庭(ばんりゅうてい)
つがいの飛び立つ前の龍を表した石庭だそうだ。枯山水といえば禅宗では…と思っていたのだが、密教でも枯山水を造るそう…不勉強だった。
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ここから、2つほどバスに乗り、苅萱堂へ。こちらも金剛峯寺の施設の一部にあたる。
苅萱道心という出家した武士にまつわる御堂である。
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金剛峯寺から苅萱堂にかけては高野山のメインストリートになっており、お土産物店が並んでいて人通りも非常に多い。東側は小田原通りと呼ばれている。
このメインストリートからすこし道を外れ金剛三昧院へ。
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金剛三昧院。近年では1843年に落雷で高野山内が大火に見舞われたようだが、辛うじて三昧院は免れている。
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1200年代から現存する多宝塔。滋賀県の石山寺についで古い多宝塔で、高野山内の建物では一番古い建物だそうだ。
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三昧院から小田原通りに向かう道すがら、ごま豆腐屋さんへ
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おやつに和三盆をまぶしたごま豆腐をいただいた。
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小田原通り
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最後に我々が向かったのは徳川家霊台。徳川家の霊をまつっている。
徳川家の霊を祀る…といえば東照宮なのですが、こちらの方が建造が古いそう。
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徳川家三代目将軍家光が、初代将軍家康(右)と二代目将軍秀忠(左)を祀っている。
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右側、家康を祀っている霊屋は東照宮と呼ばれている。
やや駆け足の世界遺産探訪になってしまったが、先輩も満足していただけたようで、案内し甲斐があった。と、同時に不勉強に反省しきりな日帰り旅行だった。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
天橋立から足を延ばして翌日は与謝野郡伊根町を観光しました。
丹後半島の北側に位置する伊根町は天橋立から車で走ること2,30分で行くことができる。

伊根町は伊根湾に並ぶ舟屋が有名である。
そもそも舟屋というのは漁師を生業としている家が船揚げ場と住居又は作業場を兼ねた建物で、伊根湾周辺では江戸時代からこのような住居がみられたようだ。
高潮には弱そうだなというのは素人考えなのかと思っていたが、どうも高潮の被害を受けては修理して…というのを繰り返しているようだ。
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天橋立の付け根から車を走らせること約30分道の駅に車を止めると眼下に湾内に立ち並ぶ舟屋を見ることができた。
伊根の舟屋はこのように入り組んだ湾に複数の集落が広がっている。これは伊根湾の東側の集落のあたり。
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高台に位置する駐車場から階段で湾内に降りて歩くこと10分、舟屋が立ち並ぶ地区が眼前に広がる。
江戸時代にはこのように湾を向いた舟屋に船揚げ場と作業場を兼ねた建物が並んでいたそう。丹後半島の南側で日本海に面しているにも関わらず南向きの湾というのがここまで舟屋が残っている理由のようだ。
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更に10分ほど歩くと伊根町の中心部に出る。舟屋ばかり写してしまい中心部の街並みの写真を取り忘れて反省…。
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一つ一つ、よく見ると高さや間取りも違い、船の大きさに合わせて1階の船揚げ場が設計されていることがよくわかる。
舟屋を見ながらお食事をいただける、舟屋食堂で魚料理をいただいた。
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食堂からでると日が差して暑いくらいだった。青く澄んだ水面の照り返しが眩しい。
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舟屋の内部を公開しているところがあったので見学をさせていただいた。
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このように、所有されている方の好意で舟屋の船揚げ場を公開している家や民泊として泊まれるも舟屋もあるようだが、大半は観光客向けの施設ではないことを念頭に置いた行動をとって欲しい。
観光協会の公式サイトでもわざわざ書かれているということは目に余る見過ごせない行為もあったのであろう。
街並みを守るうえで、そこに住む人の生活が脅かされることのないようにしなければな…と一趣味人として思わせられる。
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最後に梅雨明けの勢いあまるほど照りつける日差しと日本海と思えないような穏やかな波を見ながら夏を満喫させてもらった。

(このページの作成者 てら)

こんにちは、てらです。
日本三大〇〇というのが日本人は大好きなようで、むろん私も漏れなくそういうものを見聞したくなるたちなのであるが、なかなか三つすべてを制覇するとなると話が難しくなってくる。
興味本位で調べてみたのだが、日本三景、三大瀑布、三大夜景、三大名城、三大名園、三大温泉、鉄道とかなら三大車窓が有名であるし、私がよく訪れる寺社も三大寺、三如来、三不動、三大薬師、三大神社、三大八幡、三大稲荷、三大天神宮…といろいろある。

家から日帰りでいくにはちょっと勿体ないけど泊まりで行くには重い腰があがらなかった天橋立に先日行ってきた。

大阪から天橋立へは特急に乗り福知山で乗り継ぐか、京都から直通する特急にのるかのいずれかで行くことができる。
今回はレンタカーで周辺を周遊するべく福知山からレンタカーを借りた。
このあたり、地名が「文殊」であり、鉄道が好きな私は昔このあたりを走っていた特急の名前が文殊だったのでこの地名が由来なのかなと思っていたのだが、天橋立の傍にある知恩寺にある文殊菩薩からきているそうだ。
ちなみに知恩寺の文殊菩薩は日本三大文殊の一つである。なかなか三大〇〇が二つもあるところって珍しいのかもしれない。

天橋立の南側、天橋立駅のあるあたり温泉街が立ち並ぶあたりから天橋立ビューランドへいくリフトへ乗車した。
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隣にはモノレールが走っており、所要時間はモノレールのほうが早いのだが、1時間に3本なので、待つくらいならばリフトのほうが早く着くことができる。
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宮津湾をきれいに見渡すことができた。左隅には湾内の遊覧船が航行しているのを見ることができる。
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初夏に訪れた割に、空の抜けも綺麗で丹後半島の先のほうまで見えるのだが、残念ながら車を止めていた市営駐車場の時間もあってロープーウェイで降りることに、背中からの日差しがギラギラと暑かった。
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帰りはモノレールが満員だったのでリフトで帰ったのだが、途中でふもとからのモノレールとすれ違った。
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この日は温泉旅館に宿泊。鯛の姿煮やサザエをいただいた。
翌日は天橋立を自転車で渡ってみることにした。自転車だと20分ほどで向こう岸につくことができ、車で湾を迂回するのに比べて早いのである。
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途中、砂州の真ん中あたりに天橋立神社(橋立明神)があり、参拝。神社が建立されるほど大きな砂州というのもなかなか珍しいのかもしれない。陸繋島とかも含めれば函館とか江ノ島とか有名どころは結構ありますが、天橋立神社は砂州の途中にあるという意味で珍しいかもしれない。
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砂州の南端には冒頭にも話しました三大文殊で有名な知恩寺。
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知恩寺の多宝塔は重要文化財に指定されている木造の多宝塔である。
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自転車を返却し、今度は天橋立を北から眺めることにした。
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天橋立鋼索鉄道の府中駅(ふもと側)こちらは鋼索鉄道の駅なのだが、天橋立ビューランドと同様にリフトも同時に運行されている。
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時間がよかったのでケーブルカーに乗車した。こちらは頂上側の笠松駅
このケーブルカーの運営母体である丹後海陸交通は阪急阪神東宝グループの傘下のようなのだが、どのような経緯で阪急傘下となっているのかがよくわからない…。近くに阪急阪神系列の観光施設もないのである。
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傘松駅から傘松公園すぐそばで、北から宮津方向にやや逆光ながらも天橋立を眺めることができた。
写真中央の湾の深い部分が宮津市街である。
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府中駅を発車し、天橋立を眺めつつ索道を登るケーブルカー。
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帰りはケーブルカーまで時間があったのでリフトで天橋立を眺めながら府中駅まで降りた。
天橋立からさらに丹後半島を北へ車を走らせた。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
先週の続きです。(先週分はこちら

大原三千院を巡ったあと宝泉院と実光院、寂光院を参拝しました。
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額縁の庭園や血天井が有名である。ここはもともと、魚山大原寺勝林院の僧房として建立されたのが現在の宝泉院にあたるそうだ。のちに回った実光院も宝泉院同様に僧房の一つだったそうだ。
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大きな五葉松が出迎えてくれる。画面には収まりきらないサイズだが、樹齢700年ほどに上るらしい。
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鶴亀庭園 池を鶴、築山を亀に模して作っているそうだ。部屋の中から楽しめるよう中庭に作ってある。
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こちらは額縁庭園 五葉松を部屋から望むことができる。お茶菓子を出していただき、ほっと一息休みながらのんびり鑑賞することができた。
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まだまだ9月ということもあり紅葉も青かった。
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お次は実光院へ こちらも客殿からの庭園が素敵な寺院だった。
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客殿から望む契心園
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このように歩いて回ることもできる。
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大原の山並みを庭園ごしから望むこともできた。
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大原の小径を戻り、最後は寂光院を参拝した。
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大原はバスターミナルの通りから少し離れるとこのような里山の風景が広がる。天気のいい日だったが時折涼しい風も吹き、のんびり歩くのも苦にならない。
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最後に訪れたのは寂光院、平清盛の娘にあたる建礼門院徳子はここで終生をすごしたことから平家物語ゆかりの地としても有名である。
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本堂は所々がこぎれいだなと思ったのだが、2000年に放火により失火してしまい2005年に再建したものだそうだ。
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ふたたび混雑したバスに揺られ、我々は京都の街へと戻った。
(このページの作成者 てら

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