旅に、出た。

バス乗ったり、島行ったり。マニア2人の共同旅ブログ

乗り物好き若手リーマン2人、それぞれの旅行記録

カテゴリ: 自治体探訪

どうもてらです。
今日は大阪中心部から電車で一時間余りの温泉地について書きます。

河内長野というと、大阪南部の南河内の自治体の一つというイメージが強いと思う。富田林、大阪狭山市、羽曳野市などと並ぶベッドタウンだ。
そんな河内長野市は、近鉄長野線および南海高野線沿線に大規模なニュータウン開発を1970年代から行っていたのだが、今日はそこが舞台ではない。

もともと河内長野は高野街道のなかでも温泉が湧く宿場町として栄えた経緯がある。有馬温泉のように都心から近い温泉街として戦前に開発を進める予定だったようだが、戦後宅地開発の波もあり廃業している温泉が大半である。そのなかでもしぶとく残っているのが天見温泉南天苑である。
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高野線で難波から揺られること50分、天見駅に到着。無人駅なため電車が発着する時間以外はひっそりしている。天見駅から降りて徒歩3分ほどで南天苑の建物が見えてくる。
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1949年開業なのだが、…にしては建物がずっしりと古いように感じなくもない。
もともと、1913年に開業した堺の大浜にあった温泉施設を1930年代後半に現在の地に移設して今に至る。これらの建築が東京駅などの建築にも携わっていた辰野金吾のものだとわかるのはもっと後の話である。
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入ってまず、いろりのある客間に驚く。
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日帰り入浴の際には併せて料理の予約が必要となるが、ゆとりのある客室に通してもらえ、料亭さながらの会席料理に舌鼓を打った。客室やロビーは、大正期のたたずまいをなるべく残しながら営業しているそうだ。
食事の後はラジウム温泉の熱めのお湯にゆっくりとつかる。露天ではないことと、客室の広さに比べやや手狭な印象を受けたが奥河内の山々の緑を臨みながら浸かることができる。
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館内は3,000坪にもわたる日本庭園が丁寧に手入れされており、池のそばから南天苑の本館の建物を見ることができる。先述の通り、南天苑の本館は辰野金吾の建築なのだが、東京駅や中央公会堂のように、レンガ造りの建築が代表的であるため、細やかな意匠がこらされた和の建築を間近に見ることができるのは非常に興味深い。
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身近に大正ロマンを感じれる旅館に、大阪に来た折には是非立ち寄ってみてほしい。

この記事を作成するにあたり、以下のサイトの記述に依拠しております。
建物・辰野金吾|大阪の温泉旅館 天見温泉南苑園 (公式サイトに繋がります)

(参考)
奈良ホテル…同じく辰野金吾の建築で実際に宿泊できるホテル

(このページの作成者 てら)

こんばんは。先週に続きてらです。
この記事は自治体探訪 奈良県宇陀市(室生寺)の続きです。

直行バスに揺られること40分ほど、長谷寺の境内の傍に着いた。
近鉄長谷寺駅から長谷寺までは歩いて20分ほどあるので、直行バスは非常にありがたい。
長谷寺は600年代から続く真言宗豊山派の寺社で、総本山にあたる。長谷寺にまつわる有名な伝承にわらしべ長者がある。わらしべ長者とのちに呼ばれる主人公が路頭に迷った末に参拝した神社が長谷寺で、寺を出るときに手にした「わら」をもとに億万長者になる物語である。
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長谷寺は駅から寺までの参道の賑わいも有名なのだが、帰る際にゆっくりと楽しむことにしてまずは仁王門から境内に入る。
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広い境内では、花々が丁寧に手入れされており、季節を通じて楽しむことができる。花の御寺と呼ばれるのもうなずける。
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仁王門を通ると広がっているのが登廊である。
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登廊からところどころに花を育てている花壇を間近に見ることができる。
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登廊を登りきると本堂が正面にそびえる。国の重要文化財に指定されている十一面観世音菩薩立像が造立されている。なんと高さは10mに及ぶ。
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本堂の舞台から初瀬の街並みを望むことができる。右手に見えるのが本坊だ。山の中腹にある景色から、観音堂ともよばれている。
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牡丹やつつじの花を見ながら本坊まで降りる。5月は牡丹がおわりかけてつつじが見ごろを迎える時期だが、初春は桜、5月を過ぎるとあじさい、秋は紅葉と四季を通じて楽しむことができる。
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五重塔。実は比較的建立は新しく昭和に入ってから…。
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本坊から見る本堂。
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長谷寺を後にすると、初瀬の参道を駅まで歩く。狭い路地にお土産屋、食事処が軒を連ねる。
初瀬の街並みは長谷寺の参道としてだけでなく、大阪方面から伊勢へのおかげ参りで栄えたそうだ。
(参考 初瀬観光協会公式)草餅をいただきながら歩くと、長い道のりもあっという間に感じる。
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参道から旧坂を上がると長谷寺駅はすぐだ。行きと同じく近鉄電車にゆられ、帰路についた。

(このページの作成者 てら)

どもども。てらです。
大和四寺というのをご存じだろうか。
飛鳥時代に反映した奈良県中部 桜井、飛鳥地域にある寺社(室生寺、長谷寺、岡寺、安倍文殊院)の四つの寺院を指して大和四寺と呼ぶそうだ。 詳しくは公式サイト
このうちの室生寺と長谷寺へ2018年の春頃行ってきた。
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難波から近鉄電車にゆられること一時間と少し 宇陀市の室生口大野駅で降りる。
近鉄大阪線は近鉄の主要幹線の一つだが、八尾を過ぎると住宅がまばらになり、二上の峠を越えて奈良県の香芝市を走るころには田畑が目立つようになる。東京との通勤圏との差というものを感じる。
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駅前には観光案内図が貼られていた。この地域も平成の大合併により、大宇陀町から宇陀市になった。
ここから奈良交通のバスに乗ること15分。
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バスを降りるとこじんまりとしているが旅館や喫茶店が軒を連ねる参道が見えてきた。
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太鼓橋 寺と参道をつなぐ橋なのだが、俗世間と境内の境界のようだ。
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室生寺仁王門
同じ真言宗でも、高野山は女人禁制とされていたのに対して、女性の参拝も許されていたため、江戸時代以降は女人高野という呼び名でも呼ばれていた。s__MG_1404
金堂へ向かう参道。鎧坂と呼ばれている。奥に見えているのが金堂である。
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金堂
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本堂(灌頂堂)室生寺は先にも述べたように密教の色が濃い自社のようで、密教の儀式の一つをここでおこなうそうだ。
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国宝五重塔。これは、屋外で現存する五重塔の中では一番規模が小さいものである。しかし、法隆寺の次に古く、800年代に建立されたとされている。
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しゃくなげの花が見事に咲いていた。春先はしゃくなげ、秋は紅葉が見事に境内を彩るそうだ。
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折角なので奥之院(御影堂)まで足を延ばしてみる。
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うっそうとした木々を縫うように階段が続く参道を歩くこと10分
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大きくせり出した位牌堂がみえてくるとあと一息。
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奥之院
そもそも奥之院ってなんのために建立されているかをご存じでない方も多いのではないか。
日本史をまじめに勉強していなかったことがばれてしまい恥ずかしい限りだが、開祖を祀っているのが奥之院の役割であり、室生寺の場合は弘法大師空海が祀られている。
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このあと、私は元来た道を戻り、長谷寺に向かうべく直行バスに乗車した。
奈良県桜井市(長谷寺)編 に続く。

参考までに、2019年も臨時の直行バスが運行されておりますので、訪れる際に参考にどうぞ。
ニュースリリース 奈良交通 

(このページの作成者 てら)

こんばんは、いしです。

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飯山駅で自転車をレンタルし、飯山市を少し探検しました。

駅西側に、正受庵というお寺がありました。少し高台にあります。
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中には、庵と鐘を鳴らす堂でしょうか。
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反対側にも建物が。
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偶然にも掃除をされているボランティアらしき方々がいらっしゃって、ご厚意で抹茶を頂くことに!お話を伺ったところ、真田にゆかりのある庵だそうで、写真手前の賽銭箱には確かに真田の六文銭が。左手には池もあり、風情のある縁側で抹茶を頂きました。
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実は境内は奥に広く、写真正面のお堂では、月1度、座禅を組む会が行われているようで、この日も何名かが参加されていました。
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後ろを振り返れば、飯山の街を少し見下ろすことが出来ます。
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黄色と緑に囲まれた、雰囲気のある所でした。

自転車を方向転換して南に走らせ、駅から南東に数km行ったところにある蕎麦屋へランチに向かいます。
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坂を昇り降りしつつ、南へ。途中、踏切で飯山線を渡ります。
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線路は飯山駅まで盆地を突っ切って走っています。

線路に平行した国道沿いに、富倉そばの名店がありました。
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本来は、さらに山奥の富倉地域発祥の富倉そば。つなぎにオヤマボクチという豆を使っているのが特徴です。
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同じく名物である笹寿司と共に頂きました。
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帰路では道を間違って、渡れそうで渡れないなんちゃって踏切に遭遇。
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もう少し飯山駅寄りの踏切まで戻った時、偶然にも列車が長野方面からやってきました。
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景色によく溶け込んで、きれいな飯山線を拝めました。


(このペイジの作成者 いし)

こんばんは、いしです。

地図上の青線にある赤い地点、田中駅から長野駅へ、しなの鉄道で向かいます。途中、戸倉上山田温泉へ向かいました。

温泉街を歩くのに夢中になったのと、空腹だったことも合わさって、すっかり街の写真を撮り忘れました。ただ、狭い路地にスナックやカラオケバー、宿などが密集して立っている、なかなか他にないレトロな雰囲気を醸し出している温泉街でした。少しうらぶれた姿の街が好きならば、訪れるのもありです。

田中駅からはしなの鉄道普通列車長野行で戸倉駅へ。ここは「おしぼりうどん」で有名な戸倉上山田温泉の最寄駅。
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戸倉駅は油槽タンクもあるようで、貨物列車が停車中でした。
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偶然にも、駅には観光列車ろくもんが停車中でした。なかなかの乗車率。
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改札は下り線ホームに隣接した平屋造りで、非常にシンプル。

戸倉上山田温泉の最寄り駅とは言っても、駅から温泉街までは歩くと20分ほどかかります。タクシーか日に数本のコミュニティバスで行くのがよさそうです。(そもそも鉄道じゃなくて自家用車で行くべきです。)
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駅から少し歩いたところには、昔酒蔵だったお店があります。
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10分ほど歩いて、川を渡る橋からは左手に温泉街が見えてきます。
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橋の先には大きな鳥居と神社が。
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目当てのお店は残念ながら休業だったので、少し先にある「おしぼりそば」のお店へ。
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大根おろしの絞り汁に味噌を溶かして、それをつけ汁にして食べる郷土料理です。美味しかったですが、胃が弱い人はきついかも。(本当は、「おしぼりそば」ではなく「おしぼりうどん」を食べようと、温泉街まで向かったのですが、休業中でうどんは食べられませんでした。要再訪です。)
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戸倉上山田温泉から戸倉駅へ、復路はタクシーで戻りました。丁度よい時間のコミュニティバスが無かった上に、来た道をまた20分も歩くのは骨が折れると思ったので。
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再び、しなの線で長野へ向かいました。

続く
(このペイジの作成者 いし)

どうも先週に続きまして、てらです。
このページは河沼郡柳津町【奥会津探訪II】の続きです。

目次
大沼郡三島町【奥会津探訪I】 
河沼郡柳津町【奥会津探訪II】
大沼郡金山町【奥会津探訪III】 現在のページ



金山町は今回の奥会津探訪シリーズの中では只見川の上流域にあたり、会津若松から車でも一時間以上かかる地域である。今回は主に只見線沿線に位置する川口、中川、沼沢湖畔に位置する太郎布の各集落をめぐった。

まず、私は金山町の集落と只見線を一望できる撮影地へ向かうべく、沼沢湖畔へと向かった。
沼沢湖畔は火山の噴火によってできたカルデラ湖であるため、只見川沿いより少々標高が高く、夏季はキャンプ、冬はスキーなどのレジャーを楽しむことができる。
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沼沢湖の湖畔を回るように車を走らせると、太郎布集落をかすめる。只見川に張り付くような集落が多い中で太郎布のような高原地域に位置する集落は珍しい。
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太郎布から只見川を見下ろすとこのような景色が広がっている。奥に見えるのは金山町の公共施設が集積している中川集落。手前が大志集落である。そして、…見えるだろうか、集落をかすめるように走っているのが只見線の会津川口行きの列車である。
ここで撮影した前日に大雨が降った影響で、川の水の色がやや汚いが、空気が澄んでおり良い景色だった。
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このあと、車を回して会津川口駅へ向かう。川口の集落の入り口付近で一枚
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川口の集落は役場や小中学校、高校といった公共施設があり、地方銀行の支店も所在している。
只見線は水害の影響を受け、会津川口~只見区間で2011年から長期間にわたり運休しており、代行バスによる輸送が行われている。そのため、福島県側は会津川口駅が実質終着駅となっている。
列車の時間に合わせて代行バスが運転されているため、ちょうど入れ替わりに只見行きのバスが出発していった。
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駅舎はJAや郵便局と併設されており、駅の売店だったスペースで観光案内所がある。驚くことに町の職員が常駐しているようだ。
完全な余談だが、公共施設と駅を集積することにより、公共交通機関の利用促進になるのではないか、というのを卒論で書こうとしていた経緯もあり、見入ってしまった。
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この後、一つ隣の駅の会津中川駅へ向かう。
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この駅は只見川沿いの平地に所在しているため、駅と集落が近接している。
中川駅の周辺は町民体育館や老人ホーム、役場の職員向けの宿舎など金山町に関連する建物が多くある。
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先ほど撮影した列車の折り返し列車を見送ったあと、町営施設の一つである中川温泉ゆうゆう館にお邪魔した。
ん、どこからどう見ても公民館…。
受付(とはいっても町の職員さんが福祉関係の仕事をしているところの一角)で料金を支払い、熱めのお湯につかった。いかにも地域住民向けの施設なのだが、町外の観光客の利用も歓迎しているそうだ。とはいっても、職員の方が書き込んでいるリストを見る限り3日ぶりの町外利用者だったようだ…。
茶色っぽいお湯は、午前中に使った早戸温泉とは泉質が異なるのか、ちょっと浸かっただけで体全体がほっと温まるようなお湯だった。
温泉旅行をしていると感じるのだが、温泉に入っている時は体の疲れが少しずつ抜けて行って気持ちいいのに、家に帰る途中で再び疲労が蓄積してしまうのはどうにかならないものかなというどうしようもないことを考えてしまう。
残念ながらいつまでも温泉に浸かるわけにはいかず、中川温泉を後にした私は、常磐道で郡山まで出てレンタカーを返却し、新幹線を経由して東京の実家へと帰った。


(このページの作成者 てら)

どうも先週に続きまして、てらです。
このページは福島県大沼郡三島町【奥会津探訪I】 の続きです。

目次
大沼郡三島町【奥会津探訪I】 
河沼郡柳津町【奥会津探訪II】 現在のページ
大沼郡金山町【奥会津探訪III】 

三島町にある温泉施設で汗を流したあと、元来た道を戻り柳津町へ入った。

(前回と地図の縮尺が異なっています)
柳津町は前回取り上げた三島町の東隣、只見川の下流側にあたり、隣の会津坂下町と並んで奥会津の玄関口のようなな存在である。
只見川沿いに車を走らせていると、只見川を渡る橋から岸壁にそびえる寺院を見ることができる。
まずは会津柳津駅前の駐車場に車を止め、圓蔵寺の裏参道を歩くことにした。
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柳津の駅前はやや町のはずれにあるためか人もまばら。C11型機関車が駅前に鎮座している。
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駅から数分歩くと店舗が並び人通りも増えてきた。
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圓蔵寺の裏参道にあたる。
圓蔵寺は、日本三大虚空蔵の一つとして数えられ、参道として町が栄えている。
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本堂には舞台がせり出しており、この通り柳津の街並みを一望できる。
一旦ここで車を取りに駅まで戻り、表参道側から表敬訪問しなおすことにした。
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中心部の瑞光寺公園の駐車場に車を止めると、眼前に広がったのは只見川に張り付くような圓蔵寺を見ることができた。
只見川のそばに圓蔵寺が建立されているのは、牛と深い関係がある。建立の際に大量の木材の運搬に難儀していたところ牛の群れが手伝ってくれた伝説や、1600年代の大地震で本堂を再建する際に牛が現れて手伝ったという伝説など、圓蔵寺と牛は切っても切り離せない関係にあり、境内にも大きな牛の石像が横たわっている。
諸説あるが、会津の伝統工芸品の一つである赤べこも、この圓蔵寺の牛にまつわる伝説から、牛を木彫りして福にまつわる赤い色で装飾を施しているようだ。
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中心部から表参道はすぐそこである。山門から改めて圓蔵寺を参拝した。
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本堂、江戸初期の地震により再建したものがそのまま残されている。…ということはおよそ600年前ということだ。
最後に参拝を終えて駐車場に戻る途中に面白いモニュメントを見つけた。
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柳津は、西山(せいざん)温泉から源泉を引いており、圓蔵寺周辺も温泉旅館が並んでいる。
本当ならば日帰り温泉でひとっ風呂浴びたいところだったが、私は金山町に向けて車を走らせた。
(続く)

(このページの作成者 てら)

どうも てらです。

久しぶりに町歩きを主にした旅行をした。
場所に選んだのは奥会津である。どうしても関西からはアクセスが悪く、まとまった休みが取れたら取れたら…と後回しにしていたという経緯である。
もともとは只見線の東側(会津川口~会津若松)の乗り鉄をしたいと思っていたのだが、沿線の地域を調べるうちに乗るよりも町を回るほうを主軸に置くことにしようと思い立ち、レンタカーで各自治体をまわることにした。 

目次
大沼郡三島町【奥会津探訪I】 現在のページ
河沼郡柳津町【奥会津探訪II】
大沼郡金山町【奥会津探訪III】

まず、大阪から会津地域はアクセスが決していいとは言えず、ルートの選定に難儀した。
夜行バスは直行便がなく、郡山までの夜行バスに乗り換えなければならない。新幹線の乗り継ぎは時間が読める半面、割高感がぬぐえない。福島空港や仙台空港からは時間がかかるが…またま、格安航空のセールで関空仙台が3000円台で投げ売りされていた。
レンタカーはいずれにせよ借りなければならないことがわかっていたため、やや強行軍であるが仙台便を利用してレンタカーで会津に向かうことにした。
東北道の追い越し車線のやんちゃっぷりは後日、記す機会があれば記すとして、19時半にレンタカーを転がして、会津地域の拠点である会津若松に着いたのが22時前。

翌日、6時前に起床して私は広域農道を車で飛ばしていた。最初に立ち寄ったのが大沼郡三島町である。

位置関係としては、会津盆地から只見川沿いへ車を小一時間ほど走らせた場所にある地域だ。
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まずは道の駅 尾瀬街道みしま宿を訪問。もちろん7時すぎなので道の駅の営業時間外である。にもかかわらず、郡山をはじめ、近隣の他県ナンバーの車が数台とまっている。
実はこの道の駅のそばに有名撮影地があり、撮影に来ている人の車のようだ。私が早起きした理由は紛れもなく有名撮影地で列車を撮ることであり、他の撮影者に混ぜていただいて撮影した。s__MG_3147
只見川の上にかかる鉄橋をゆっくりと2両編成の列車が走っていく。
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只見線の次の列車までややあくので、会津宮下駅の前を散策した。
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会津宮下駅は三島町役場の最寄り駅ということもあり、駅前もこじんまりとしていながら生活に必要な機能が揃っており、コンビニエンスストアや郵便局、農協なども徒歩圏内にある。
三島町の町営バスも、列車の時間を基準にして接続をとっているようだった。
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まだ午前8時をまわったところなので人通りもまばらである。
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三島町の観光の取り組みで興味深かったのが、屋号を取り入れた町おこしである。各家の軒先にこのように屋号が掲げられている。人々の営みを身近に感じることができる取り組みであり、屋号をみながら街を歩くのも楽しい。
詳しくは 三島町宮下地区屋号サインプロジェクト
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この後は、駅のそばにある三島神社を表敬訪問。「三島」の町名の由来となった神社である。
道の駅の営業時間になってから再度立ち寄った。会津地域の寒暖の差を利用した桐の製品が販売されており、実家に茶器をお土産として購入した。製造元のウェブサイトでも紹介されているが、桐細工をの技術を用いて密閉性を保ちつつ、茶さじを遣わずにお茶の葉を急須に入れることができるスグレモノである。(参考にこちら

宮下の集落を後にして、宮下の隣の集落にあたる早戸の日帰り温泉に入った。
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只見川沿いにある早戸駅に会津若松行きの列車が止まり、静かに発車していった。
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以前は只見川沿いに道が通っていたようだが、現在はバイパスがあり、早戸集落と三島集落はトンネルを通じて車で5分ほどで行き来できる。
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早戸温泉つるの湯は露天風呂から只見川を望むことができる。外を歩き回る旅行をしているとこのような日帰り温泉は汗を流せるためありがたい。やや熱めの湯温だが、川のせせらぎを聞きながらの入浴なのでゆっくりと浸かることができた。
昔は早戸集落の対岸にも集落があり、渡し船で行き来していたようだが昭和30年代に土砂崩れなどが相次ぎ、廃墟となっているそうだ。しかし、当時の渡し船を再現した観光渡船が営業しているようだ。

昼食がてら、温泉を後にし柳津町へ向かった
(続く)

(このページの作成者 てら)

こんばんは、いしです。

山梨で湖と言えば、富士五湖があまりにも有名ですが、市川三郷町の山の奥の奥に、もう1つ湖があります。四尾連湖(しびれこ)です。
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甲府盆地から延々と山道を登ること数十分、県道の終点に、四尾連湖はあります。

県道は1つの沢づたいをずっと登るのではなく、トンネルやヘアピンカーブでいくつかの峠を越えて四尾連湖を目指します。
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湖には、山荘が2つあり、キャンプ場を管理している模様です。湖までの道は舗装されており、湖の透明度も高く、日常から切り離された感覚が漂って、リフレッシュには最適な環境が整っているにもかかわらず、観光客はまばら。キャンプ客と少しの地元民が寛ぐだけの、ゆったりとした空間が広がっていました。
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湖は山のほぼ頂上に位置するため、このように天気はころころ変わります。
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湖は流入河川も流出河川もなく、静かそのもの。透明度も高く、湖畔から泳いでいる魚が良く見えます。
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県道の起点を表す標識もありました。湖の周りには集落は存在しませんが、少し県道を下った開けた所に、四尾連という集落がありました。
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どうやら地図を見る限り、山保集落のなかの四尾連という字のようです。麓から延々と県道を登って来た時に、湖の手前に位置する最後の集落になります。最後と言っても、この集落の手前には藤田峠という峠が存在するため、最も標高が高い所に位置するわけではありません。
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写真でもわかるように、集落は県道から少し標高が低いところに固まって存在しています。訪問した日は曇りがちで景色は見えませんでしたが、このさらに下に沢があり、奥には山が迫っているものと推測できます。
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民家なのでしっかり写真に収めるのは遠慮しましたが、屋根の形が特徴的でした。
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県道から集落とは反対方向を見ると、四尾連公民館がありました。
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この近くには、一応、コミュニティバスのバス停もあります。
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一応というのは、月・水・金のみの運行だから。集落の方向けのバスですから、麓からこの集落へアクセスへは不向きです。



【アクセス】(2019年6月現在)
1. 四尾連集落
身延線市川大門駅からコミュニティバス山保線(月・水・金のみ運行)約40分

2. 四尾連湖
コミュニティバス山保線によるアクセスでは、ダイヤの関係上最低2泊は必要。
よって、四尾連湖へのアクセスは必然的に自家用車。
自家用車:四尾連湖の駐車場は有料400円(1日)



※アニメ「ゆるキャン△」のロケ地になった模様。車で降り立つと、駐車場の係員さんに「『ゆるキャン△』ですか?」と聞かれました。

(このペイジの作成者 いし)

こんばんは てらです。
久しぶりに自治体訪問の記事でランドマークといった観光名所ではなく中山間地域を扱うという事もあり、個人的にちょっと緊張…。

この日の午前中は高知市内でとさでん交通を乗り鉄(過去の記事に飛びます)、ひろめ市場で腹ごしらえ、午後イチの特急に乗車して土佐山田で下車。土佐山田から土讃線の阿波池田行きの単行に乗り込む。
途中、新改という駅を通るのだがちょっと特徴的なので簡単に写真で紹介する。
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上り列車は左側の線路から左奥の線路に進入した後、写真の箇所までバックする。
その後、二つある信号機のうち右側の信号機の信号に従って右側に進んでいく。
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ポイントの左側には新改駅 右側にはトンネルがあることがわかる。
なぜこのような経路をとっているかというと、当時の車両ではこの急こう配をクリアすることができなかったためである。現在は線路の形状から、この駅を通過することもできるので、普通列車の一部はこの駅を通過する。そのためスイッチバックに入っているところをまじまじと見ることができてちょっと得をした気分だ。
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この駅の3つ隣の土佐北川駅で降りる。
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土佐北川駅は橋梁上にある珍しい駅で、列車同士の交換も行われた。穴内川の橋梁と駅を兼ねている。
今回、国道32号線沿いに土佐北川駅から大杉駅までの約7kmを歩いた。

大豊町は、高知県の嶺北地域(主に四国山地の麓にあたる大豊町、本山町、土佐町、大川村、いの町)の中では、徳島、香川、本州への大動脈である自動車道、国道、鉄道が整備されており比較的アクセスは良い地域である。また、早明浦ダムの水没地域にもあたらなかったこともあり大川村のような人口の急減もなかった。早明浦ダムの上流域にあたる大川村は現在離島を除くと日本で一番人口の少ない自治体として知られている。交通の便の良さを生かして製材などが盛んである。
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穴内川と国道32号線を北向きに撮影してみた。
穴内川を挟んで32号線の対岸側にまばらに民家は見られるが、32号線側は民家は少ない。
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歩くこと約1時間。後半はずっとトンネルをあるくのでなかなかしんどかった。道の駅大杉に到着。
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ここでクボタ食品のアイスを食す。あまり首都圏では出回っていないのだが、幼いころに非常にお世話になったこともあり懐かしい味だ。
道の駅付近から町が開けており、NTTの中継基地と思しき建物もあった。
ここから、土佐の大杉という観光名所を目指して八坂神社へ向かう。
土佐の大杉というのは、樹齢3000年を超えていると言われている杉の巨木で、大豊町の中心駅にあたる大杉駅の駅名の由来にもなっている。
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環境整備料を払い境内へ入る。杉の巨木はどこだろうかと見まわしてみると、左手に杉の巨木が二本。
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写真を撮ろうとしても、見切れてしまう。
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これが特別天然記念物 土佐の大杉である。
もともとは一つの木が途中で二俣に別れているようだ。
近年の大雨や台風でところどころ痛んでいるような箇所もあるようだ。ワイヤー等で補修も行われている。
境内を後にし、再び穴内川を上流に向かって歩く。駅は約徒歩10分で着く。
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大杉駅付近から南を向いて写真を撮った。写真左にある大杉中央病院(青の縦型の看板がある建物)付近が中心市街地であるため、駅はやや北のはずれにあることがわかる。
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大杉駅は不審火で焼失してしまった過去があり、現在は中高生など町全体を巻き込んでデザイン、建築を行ったものである。製材がひとつの産業というだけあり木をふんだんに使った特徴的な駅舎だ。
ここから、約3時間に1本の大杉停車の特急に揺られて岡山経由で帰宅の途についた。

余談
大学で過疎地の持続可能な開発についてちょっと触れる経験があり、中山間地域を歩いて卒業論文を書くという経験をさせていただいたのですが、「足を運んで見る」の大切さを改めて感じさせられるのでした。

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(このページの作成者 てら)

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