旅に、出た。

バス乗ったり、島行ったり。マニア2人の共同旅ブログ

乗り物好き若手リーマン2人、それぞれの旅行記録

カテゴリ: 自治体探訪

こんにちは てらです。
北陸地方は重要伝統建造物群保存地区がいくつか点在しており、高岡市内には山町筋や金屋町といった街並みが保存されている。
2020年に重要伝統建築物群に登録された吉久の街並みを、路面電車に乗って訪れてみた。
恥ずかしながら、万葉線(路面電車)に乗ろうと思って色々調べていて初めて知ったのがきっかけ。
万葉線はいろいろともっと撮りたい風景、写真があるのでブログで紹介するのは別の機会にしようと思う。

北陸新幹線開業直前に北陸本線を走る特急や急行型の普通列車を撮るのに明け暮れていた私。
高岡で乗り換えの時間があったときに山町筋は来訪したことがあるので、これもまた紹介できればと思う。
_MG_5589
15分に1本の万葉線に乗ること30分あまり。
吉久は道路上にペイントで塗装されている電停なので、降りる際は車の往来に注意。
_MG_5592
高岡を走る万葉線は一部区間が単線区間となっており、市街地の大きな通りを走る路面電車を見慣れている私にとってはちょっと普段と違う光景が新鮮である。
_MG_5580
路面電車通りから一筋入ったところに吉久の重伝建の保存地区はある。イラストがどこかかわいらしい酒屋さん。
吉久は伏木港の近くにある集落であるが、加賀藩の米蔵があり北前船の寄港地だったため様々なものの取引拠点となった。
_MG_5581
そっと、手を合わせる。
_MG_5582
江戸時代末期から近代にかけての建物が新湊市街の放生津(ほうじょうづ)まで続く放生津往来に軒を連ねる。
_MG_5583
窓のない家々、吉久の特徴といえる面持ちだそう。

_MG_5585
狭い通りに隣同士の間口がきちきちに詰まった町屋が並ぶ。
重要伝統建築物として49件が登録されており、歩いて回ると30分程度で回ることができるため、規模としてはこじんまりとしている方かもしれない。
_MG_5587
路面電車で吉久の街並みを後にした。
(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
以前から、瀬戸内で行きたいと思って気になっていた場所があった。
仙人が酔うほど美しいとされる仙酔島。
瀬戸内の陽気と穏やかな海は船や電車でも楽しませてもらったが、瀬戸内の町や島をゆっくり歩くような機会はあまりなかった。
鞆鉄バスに乗ってそんな福山市の近郊に位置する鞆の浦へ。いしくんにプレゼンして一緒にいくことにした。

戦後すぐ廃線となった鞆鉄道の廃線跡を沿うように走る路線バスは他の記事でも紹介しているので是非。

瀬戸内の漁師町の一つであった鞆だが、古くから栄えており、江戸時代には北前船が立ち寄るなど多くの船が行き来するようになった。船舶の大型化により徐々に鞆の役割が他の港湾にとって代わられ、現在は沼隈半島の島々(走島など)を結ぶ船と漁船が行きかう長閑な街並みが残っている。
鞆港のバス停を降りると、走島へ向かう桟橋の近くから湾内を眺めることができた。
折角なので、湾内の狭い路地を色々と歩き回ってみることにした。
_MG_4122
走島への定期船が出ているが、商店の隣にある、右の建物が待合室。
_MG_4193
瀬戸内の島々の漁港町の雰囲気十分である。
_MG_4121
写真中央奥に見える小高い木々が集まっているのは玉津島 波止場を伝って行くことができる。神社のある小さな島。
_MG_4158
鞆バス停から太田家住宅を結ぶ通りは人通りも多い。こんなところがバス通りなのだから驚きである。
_MG_4157
狭い道を縫うように建物が立ち並ぶ。
_MG_4162
鞆では保命酒という薬味酒を造っている。鞆よりも大きな港が整備されたことや人口減少などを理由に生産量は減っているようで、写真に映る十六味保命酒は残されている酒蔵のひとつだ。
_MG_4163
鞆港の土産物店などが軒を連ねる。
_MG_4164
ひときわ目立つモダンなデザインの信用金庫の建物
_MG_4169
石畳の街並み。
_MG_4172
鞆の浦から西方向、阿伏兎(あぶと)の方向を向く。
_MG_4177
軽自動車でも精一杯の道だが、バス通りというんだから驚きだ。
_MG_4185
この辺りは江戸後期の建物がそのまま残されている。
_MG_4178
間口の小さな町家が立ち並ぶ。太田家住宅(写真左)も江戸時代後期に建てられた建物の一つで、もともとは保命酒を製造していた。
_MG_4187
ついつい、目線を落として軒下の住居表示を撮ってしまう。
_MG_4183
鞆の浦を象徴するスポットの一つ、湾内に位置する常夜灯 湾内を照らし続けている。
_MG_4179
晩夏、蒸し暑い天気だったが時折そよぐ潮風が涼しく感じた。
_MG_4191
最後に、鞆港のバス停付近から湾内の景色を眺めながらバスを待った。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
ひさしぶりにいしくんと一日日帰り旅行でふらりと大阪南部と紀北を回ってきた。
R0030618
関西空港のおひざ元として、また、ふるさと納税により公共施設の建て替えをすすめる泉佐野市。
泉佐野駅前から旅をスタートした。
大阪南部の自治体としては大きな自治体のように思っていたが、岸和田市や和泉市の方が自治体の規模としては大きく思っていたより駅前はこじんまりとしていた。
南海ウイングバスの犬鳴山線に乗車し、終点の犬鳴山で下車。途中日根野駅も経由するが、泉佐野駅から日根野駅までは結構時間を要した。
地図を見てみると、並行して走っているように見える南海線と阪和線も時折大きく広がっている箇所があり、泉佐野と日根野は3km近く離れている。
R0030622
30分ほどで終点の犬鳴山に到着。大阪南部の自治体は南北方向に長い自治体が多く、ここから県境まではさらにバスに乗り継ぐ。
R0030623
犬鳴山渓谷に沿って犬鳴山七宝瀧寺(しっぽうりゅうじ)や犬鳴山温泉郷が点在する。ここから渓谷沿いを歩いて七宝瀧寺を参拝した。
_MG_2997
温泉街を抜けると参道の入り口が姿を現す。
_MG_2999
七宝瀧寺の名前の由来は七つの瀧と行場があることからきている。ここから樫井川の上流に向かって歩いていくと大小の瀧を横目に歩く。
_MG_3001
_MG_3004
瑞竜門。
5月の上旬ということもあり、気温が高いものの渓谷沿いを歩くため汗ばむということはなくむしろ涼しいくらいだ。
歩くこと約2,30分 周囲が開ける。どうやら林道を経由すればこの辺りまで自家用車で乗り入れることができるらしい。
_MG_3010
身代わり不動明王。
_MG_3016
本堂を越えると行者の瀧が我々を迎えてくれた。七宝瀧寺では実際に1日修行体験ができるようで滝行を行っている方もいた。
_MG_3018
参拝後は犬鳴山温泉、山乃湯さんで一風呂させてもらった。
_MG_3019
源泉の温度が18度台であるため加温しているものの加水無しの少し白濁した泉質。
さっぱりしたところで、県境越えのバスに乗車した。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
久大線を本当は色々撮り鉄する予定だったのですが、ちょっと旅程が狂ってしまい日田を観光することにした。
駅前の食堂で日田名物のちゃんぽんをすすり、どこへ行くか迷ったが豆田町を歩くことにした。
_MG_1398
豆田町は日田の駅から少し歩く。
_MG_1399
日田というと日田天領水が有名だと個人的に思っているのだが、水がきれいな日田は天領としてどこの藩にも属さない幕府の直轄地であった。きれいな水を生かし酒造や薬の製造などが江戸時代から行われていた。
_MG_1402
駅から徒歩約20分 豆田の街並みが姿を現した。
_MG_1403
江戸町屋や蔵屋敷が立ち並ぶ街並みは花月川付近まで続く。
_MG_1404
_MG_1405
この付近は御幸通り。この通りは大石峠から耶馬渓を通って周防灘に面する中津まで抜けられるようになっており、現在は国道212号線がそれを辿るように走っている。
_MG_1407
豆田町は一周ぐるりと周ると30分ほどで回ることができるが、ところせましと小さな路地にも古い建物が残されている。
_MG_1408
旧古賀医院 豆田町づくり歴史交流館では豆田町の保全、修繕の様子が展示されている。
_MG_1410
豆田町の東側、上町通り。
_MG_1412
ひときわ目立つ建物、岩尾薬舗の日本丸館は登録有形文化財に指定されている。日本丸ってなんで船みたいな名前をしているんだろうと思いきや、薬の名前からきているそうだ。
_MG_1414
江戸末期から大正にかけて増築を繰り返して今の姿になっているそうだ。
_MG_1416
こちらは日田の地酒 薫長酒造の酒蔵
_MG_1417
試飲のほか、酒蔵見学もできる。
_MG_1418
花月川から南の方、元来た通りを戻る。
_MG_1421
土壁の白塗りの建物が軒を連ねる。
ゆっくり歩くと2時間近くかかるが、九州の小京都と呼ばれる街並みをじっくり回ることができた。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
以前このブログでも紹介した特急かもめだが、せっかくならと新幹線が通らなくなる地域をすこし歩いてみることにした。
佐賀県鹿島市は小倉と長崎を結ぶ長崎街道から枝分かれする多良街道の宿場町の一つとして栄えており、長崎本線の特急も停車する有明海最奥部の大きな街の一つなのだが、新幹線のルートからは外れてしまう。
そのなかでも今回は浜中町八本木宿を歩いてきた。


_MG_1079
肥前鹿島下車後、駅前にある祐徳バスセンターからバスに乗車浜三ツ門または肥前浜宿前で下車すれば行くことができる。
浜宿は江戸時代から酒造、醤油といったものの製造で栄えていた。
_MG_1081
いまでも酒造がいくつか立ち並び、試飲することもできる。
あぁ、バスで行きやすいように整備されているのはこのためか…電車を撮りに来るのと兼ねるために車で来てしまった飲兵衛は反省するばかり。

_MG_1085
丁寧に整備されている茅葺 富久千代酒造の建物 なんと古民家の御宿になっているとのこと。
鍋島という銘柄で有名。そうです、鍋島は佐賀の貨物駅…ではなくて肥前の国の藩主です。
_MG_1092
_MG_1093
さすがの存在感 水路のせせらぎの音もよい感じ。
_MG_1086
_MG_1087
蔵や武家屋敷が立ち並ぶ通り。
_MG_1088
奥に見える緑の建物は郵便局(現在は公民館として利用されている)
_MG_1089
醤油の醸造所
_MG_1090
右手は中島酒造 日本酒 君恩の銘柄で知られている。
_MG_1091
時間に追われながら訪れたのがちょっともったいなかった探訪であった。600mに所せましと武家屋敷や酒蔵が並んでおり、次は試飲しながらじっくり訪れたいところである。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
ふとしたきっかけから、大学時代の先輩と高野山へ行ってきました。(すみません、行ったのは2019年9月だったのですが載せるタイミングを逸していました。)
s__MG_4229
ケーブルカーについては別記事にまとめますので少々お待ちを…。
高野山から山内に行くにはタクシーに乗るほか、バスの利用が便利だ。
高野山から大きく分けて、奥之院方面と大門方面に行くバスがある。今回は予定が突発的だったこともあり、奥之院を時間をかけて回るのは厳しいと判断。大門行きに乗車した。
s__MG_4230
大門に到着。
高野山は金剛峯寺の総本山にあたるのだが、一山境内地と呼ばれ、山全体が寺の境内という考え方のもと守られてきている。そのため、金剛山金剛峯寺の境内は様々なところに点在している。
s__MG_4232
大門は高野山の西側の玄関口になる。表敬訪問といった形だろうか。ここから少しずつ東に向かい、高野山の中心地、金剛山の主殿を目指す。
s__MG_4238
大門から歩くこと約5分。壇上伽藍(だんじょうがらん)に到着。中門から中に入る。
主要な法要が執り行われる場所で、金剛峯寺の中心にあたる箇所の一つです。大火で焼失したものを新造したこともあり、随所がきれいだ。
s__MG_4243
中門をくぐると金堂が前にそびえる。高野山の総本堂の機能を持っている。こちらも1930年代に再建されたものだ。
s__MG_4262
根本大塔 密教のシンボルとして建立されている建物にあたる。
s__MG_4263
壇上伽藍は多くの建物が集まっている箇所であり、このように金堂と根本大塔の位置関係が見て取れるのではないだろうか…。
s__MG_4270
s__MG_4272
壇上伽藍を出て、蛇腹道を通り、本堂に向かう。振り返ると葉が徐々に色づいており、初秋を感じることができた。
s__MG_4273
見えてくるのは金剛峯寺の正門
s__MG_4277
金剛峯寺の正門。1593年に再建されて以来、現存しており、高野山内の建築物では最も古い部類になる。
s__MG_4281
金剛山の主殿 襖絵が非常に有名である。
s__MG_4282
蟠龍庭(ばんりゅうてい)
つがいの飛び立つ前の龍を表した石庭だそうだ。枯山水といえば禅宗では…と思っていたのだが、密教でも枯山水を造るそう…不勉強だった。
s__MG_4290
ここから、2つほどバスに乗り、苅萱堂へ。こちらも金剛峯寺の施設の一部にあたる。
苅萱道心という出家した武士にまつわる御堂である。
s__MG_4297
金剛峯寺から苅萱堂にかけては高野山のメインストリートになっており、お土産物店が並んでいて人通りも非常に多い。東側は小田原通りと呼ばれている。
このメインストリートからすこし道を外れ金剛三昧院へ。
s__MG_4314
金剛三昧院。近年では1843年に落雷で高野山内が大火に見舞われたようだが、辛うじて三昧院は免れている。
s__MG_4306
1200年代から現存する多宝塔。滋賀県の石山寺についで古い多宝塔で、高野山内の建物では一番古い建物だそうだ。
s__MG_4312
三昧院から小田原通りに向かう道すがら、ごま豆腐屋さんへ
s__MG_4323
おやつに和三盆をまぶしたごま豆腐をいただいた。
s__MG_4327
小田原通り
s__MG_4332
最後に我々が向かったのは徳川家霊台。徳川家の霊をまつっている。
徳川家の霊を祀る…といえば東照宮なのですが、こちらの方が建造が古いそう。
s__MG_4341
徳川家三代目将軍家光が、初代将軍家康(右)と二代目将軍秀忠(左)を祀っている。
s__MG_4335
右側、家康を祀っている霊屋は東照宮と呼ばれている。
やや駆け足の世界遺産探訪になってしまったが、先輩も満足していただけたようで、案内し甲斐があった。と、同時に不勉強に反省しきりな日帰り旅行だった。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
天橋立から足を延ばして翌日は与謝野郡伊根町を観光しました。
丹後半島の北側に位置する伊根町は天橋立から車で走ること2,30分で行くことができる。

伊根町は伊根湾に並ぶ舟屋が有名である。
そもそも舟屋というのは漁師を生業としている家が船揚げ場と住居又は作業場を兼ねた建物で、伊根湾周辺では江戸時代からこのような住居がみられたようだ。
高潮には弱そうだなというのは素人考えなのかと思っていたが、どうも高潮の被害を受けては修理して…というのを繰り返しているようだ。
_MG_0844
天橋立の付け根から車を走らせること約30分道の駅に車を止めると眼下に湾内に立ち並ぶ舟屋を見ることができた。
伊根の舟屋はこのように入り組んだ湾に複数の集落が広がっている。これは伊根湾の東側の集落のあたり。
_MG_0849
高台に位置する駐車場から階段で湾内に降りて歩くこと10分、舟屋が立ち並ぶ地区が眼前に広がる。
江戸時代にはこのように湾を向いた舟屋に船揚げ場と作業場を兼ねた建物が並んでいたそう。丹後半島の南側で日本海に面しているにも関わらず南向きの湾というのがここまで舟屋が残っている理由のようだ。
_MG_0861
更に10分ほど歩くと伊根町の中心部に出る。舟屋ばかり写してしまい中心部の街並みの写真を取り忘れて反省…。
_MG_0866
一つ一つ、よく見ると高さや間取りも違い、船の大きさに合わせて1階の船揚げ場が設計されていることがよくわかる。
舟屋を見ながらお食事をいただける、舟屋食堂で魚料理をいただいた。
_MG_0874
食堂からでると日が差して暑いくらいだった。青く澄んだ水面の照り返しが眩しい。
_MG_0887
舟屋の内部を公開しているところがあったので見学をさせていただいた。
_MG_0879
このように、所有されている方の好意で舟屋の船揚げ場を公開している家や民泊として泊まれるも舟屋もあるようだが、大半は観光客向けの施設ではないことを念頭に置いた行動をとって欲しい。
観光協会の公式サイトでもわざわざ書かれているということは目に余る見過ごせない行為もあったのであろう。
街並みを守るうえで、そこに住む人の生活が脅かされることのないようにしなければな…と一趣味人として思わせられる。
_MG_0886
最後に梅雨明けの勢いあまるほど照りつける日差しと日本海と思えないような穏やかな波を見ながら夏を満喫させてもらった。

(このページの作成者 てら)

こんにちは、てらです。
日本三大〇〇というのが日本人は大好きなようで、むろん私も漏れなくそういうものを見聞したくなるたちなのであるが、なかなか三つすべてを制覇するとなると話が難しくなってくる。
興味本位で調べてみたのだが、日本三景、三大瀑布、三大夜景、三大名城、三大名園、三大温泉、鉄道とかなら三大車窓が有名であるし、私がよく訪れる寺社も三大寺、三如来、三不動、三大薬師、三大神社、三大八幡、三大稲荷、三大天神宮…といろいろある。

家から日帰りでいくにはちょっと勿体ないけど泊まりで行くには重い腰があがらなかった天橋立に先日行ってきた。

大阪から天橋立へは特急に乗り福知山で乗り継ぐか、京都から直通する特急にのるかのいずれかで行くことができる。
今回はレンタカーで周辺を周遊するべく福知山からレンタカーを借りた。
このあたり、地名が「文殊」であり、鉄道が好きな私は昔このあたりを走っていた特急の名前が文殊だったのでこの地名が由来なのかなと思っていたのだが、天橋立の傍にある知恩寺にある文殊菩薩からきているそうだ。
ちなみに知恩寺の文殊菩薩は日本三大文殊の一つである。なかなか三大〇〇が二つもあるところって珍しいのかもしれない。

天橋立の南側、天橋立駅のあるあたり温泉街が立ち並ぶあたりから天橋立ビューランドへいくリフトへ乗車した。
_MG_0803
隣にはモノレールが走っており、所要時間はモノレールのほうが早いのだが、1時間に3本なので、待つくらいならばリフトのほうが早く着くことができる。
_MG_0811
宮津湾をきれいに見渡すことができた。左隅には湾内の遊覧船が航行しているのを見ることができる。
_MG_0820
初夏に訪れた割に、空の抜けも綺麗で丹後半島の先のほうまで見えるのだが、残念ながら車を止めていた市営駐車場の時間もあってロープーウェイで降りることに、背中からの日差しがギラギラと暑かった。
_MG_0823
帰りはモノレールが満員だったのでリフトで帰ったのだが、途中でふもとからのモノレールとすれ違った。
LINE_ALBUM_210725天橋立伊根の舟屋_211003
LINE_ALBUM_210725天橋立伊根の舟屋_211003_0
この日は温泉旅館に宿泊。鯛の姿煮やサザエをいただいた。
翌日は天橋立を自転車で渡ってみることにした。自転車だと20分ほどで向こう岸につくことができ、車で湾を迂回するのに比べて早いのである。
_MG_0827
途中、砂州の真ん中あたりに天橋立神社(橋立明神)があり、参拝。神社が建立されるほど大きな砂州というのもなかなか珍しいのかもしれない。陸繋島とかも含めれば函館とか江ノ島とか有名どころは結構ありますが、天橋立神社は砂州の途中にあるという意味で珍しいかもしれない。
_MG_0832
砂州の南端には冒頭にも話しました三大文殊で有名な知恩寺。
_MG_0828
知恩寺の多宝塔は重要文化財に指定されている木造の多宝塔である。
_MG_0835
自転車を返却し、今度は天橋立を北から眺めることにした。
_MG_0836
天橋立鋼索鉄道の府中駅(ふもと側)こちらは鋼索鉄道の駅なのだが、天橋立ビューランドと同様にリフトも同時に運行されている。
_MG_0838
時間がよかったのでケーブルカーに乗車した。こちらは頂上側の笠松駅
このケーブルカーの運営母体である丹後海陸交通は阪急阪神東宝グループの傘下のようなのだが、どのような経緯で阪急傘下となっているのかがよくわからない…。近くに阪急阪神系列の観光施設もないのである。
_MG_0839
傘松駅から傘松公園すぐそばで、北から宮津方向にやや逆光ながらも天橋立を眺めることができた。
写真中央の湾の深い部分が宮津市街である。
_MG_0840
府中駅を発車し、天橋立を眺めつつ索道を登るケーブルカー。
_MG_0842
帰りはケーブルカーまで時間があったのでリフトで天橋立を眺めながら府中駅まで降りた。
天橋立からさらに丹後半島を北へ車を走らせた。

(このページの作成者 てら)

こんばんは てらです。
高千穂での観光を終えた後、熊本空港への帰り道として国道218号線を通り、馬見原を少し観光した。
馬見原は当時の肥後から日向を結ぶ日向往還という街道の宿場町にあたる。馬見原の隣の宿場町は五ヶ瀬(宮崎県)であるため、熊本県側の最後の宿場町ということになる。

_MG_8802
駐車場に車を止めると、出迎えてくれたのが新八代屋。馬見原の豪商であった八代家の土蔵造りの三階建ての建物である。
_MG_8789
馬見原の商店街は様々なお店が軒を連ねる。
もともと街道の宿場町として栄えた分、いろいろなものが集積していたため商店がこのように集まったようだ。
_MG_8798
白壁の土蔵造りの建物がここまで並んでいる姿は壮観である。
_MG_8799
しかし、高千穂の時と打って変わって観光している人が少なく拍子抜け…。
_MG_8790
若山牧水は17歳の時に日向往還を通り馬見原を訪れたという記録があるそうだが、商店街の一角に歌碑が建てられている。若山牧水が宮崎の出身というのも初めて知りました…。
_MG_8794
歩行者は下を通り、車は上を通る不思議な構造の馬見原橋。太鼓橋と逆太鼓橋を組み合わせたデザインになっている。どうしてこういう形なんだろうかと思い検索してみると、熊本県の土木部建築課のウェブサイトが出てきてびっくりした。
(参考)馬見原橋 熊本県ホームページ
_MG_8796
馬見原橋のすぐ近くにある夫婦岩。もともと、この馬見原橋のかかっていた辺りが関所だったようだ。
18232
お昼ご飯は肉のみやべさんで馬肉を使ったコロッケのハンバーガーをいただいた。
馬刺しやホルモンでも有名なようで、近県のナンバープレートの車がひっきりなしに出入りしており驚いた。
_MG_8803
ここは熊本バスの馬見原出張所。もともとは営業所であり立派な建物が建っていたのだが、
現在は営業所の建物は取り壊され、バスの転回場と駐車場があるのみ。
昔は熊本の桜町までバスが乗り入れていたようだが、現在は山都町の中心部である浜町に行くバスが走るのみである。
街道沿いの古い町並みを横目に、我々は熊本空港へ車を走らせた。
(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
前回の阿蘇市・南阿蘇村のつづきとなっております。
阿蘇市から国道325号線を走ること小一時間で高千穂の中心部につく。高千穂神社の傍のホテルにて一泊した。観光地としても宮崎県の諸観光地よりも熊本県の阿蘇地域との結びつきが深く、空港からのアクセスも熊本空港からアクセスするのが一般的であるようだ。
翌日は高千穂神社→高千穂峡→国見ケ丘→天岩戸神社というコースで約半日間、高千穂を散策した。
高千穂は阿蘇山の噴火により冷え固まった火砕流が、五ヶ瀬川の浸食によって作り上げられた高千穂峡が有名であるほか、神話の街と知られ、神社が点在している。
_MG_8677
_MG_8684
まずは高千穂神社を表敬訪問した。高千穂神社は高千穂郷八十八社の総社であり、高千穂を代表するだけでなく九州を代表する神社である。写真の本殿は重要文化財に指定されている。
ほぼ毎夜高千穂神楽を奉納しており、観光客でこれを楽しみに高千穂を訪れる人も多い。
_MG_8690
高千穂神社の祭神であるミケヌノミコトが本殿の隅に
_MG_8691
二本の大きな杉は夫婦杉と呼ばれ、夫婦、恋人、友達と手をつないで3回まわると縁結び、家内安全、子孫繁栄がかなうとされている。
_MG_8703
高千穂神社から車から10分ほどで高千穂峡へ 奥に見えるのは国道218号線の神都高千穂大橋、その手前が高千穂大橋、神橋と3つの橋が並んでいる。夏になると一番奥に架かる神都高千穂大橋が見えないようだ。
_MG_8712
阿蘇山の火山活動により流れ込んだ火砕流が柱のように冷え固まった柱状節理を見ることができた。
_MG_8717
写真左手の切り立った崖は仙人の屏風岩と呼ばれている。
_MG_8733
五ヶ瀬川を下流に向かって20分ほど歩いた。
_MG_8731
御橋(下流側)から撮った真名井の滝
真名井の滝は日本の滝百選に選ばれている滝で、遊覧ボートから眺めている人も多かった。
_MG_8726
こちらは位置を変えて滝見台からみた真名井の滝。
こちらのほうが「高千穂峡の滝」としてなじみがあるだろうか。
_MG_8736
来た道を戻るようにし、大橋の近くの駐車場から車を走らせて国見ケ丘へ 
熊本県、大分県方面が綺麗に晴れていて見渡すことができた。目の前に見える大きな橋は国見大橋で、熊本県と高千穂町の東部を結ぶ。
_MG_8739
一方太陽の位置の関係か、高千穂の市街は逆光気味…画面中央から右側が高千穂の市街地だ。
_MG_8767_MG_8762
レンタカーの返却時間も考えながら、せっかくなので天岩戸神社にも参拝。
天岩戸神社は天照大神を祭っている神社で東本宮と西本宮がある。こちらは西本宮。
_MG_8764
岩戸神楽を奉納している神楽殿。
_MG_8758
最後に、足を延ばして天安河原へ。こちらは古事記などで、八百万の神がお集まりになられたと書かれている。河原の傍に大きな洞窟があり、こちらに建立されている神社が天安河原宮である。
_MG_8749
天安河原は早朝に行くべきという評、確かに当たっているのかもしれない…。
人が途切れることなくお参りをしており荘厳な感じが写真には撮れなかった。

今回は神都と言われる高千穂をかなり駆け足で回り、荒建神社や槵觸神社といった行くことができなかった神社も多くあったが、時間をかけて行った分の期待を裏切ることなく大いに楽しむことができた。
熊本空港への帰りは、来た道を戻るだけではもったいないので少し寄り道をしながら帰った。

続く

(このページの作成者 てら)

↑このページのトップヘ