旅に、出た。

バス乗ったり、島行ったり。マニア2人の共同旅ブログ

乗り物好き若手リーマン2人、それぞれの旅行記録

カテゴリ:ローカル線 > 中部

どうもこんにちは てらです。
前回の岐阜バスの乗りバス記録の続きになります。お読みでない方はこちらをどうぞ。
岐阜バスの美濃バス停を降りると、すぐそばに名鉄美濃駅の旧駅舎が保存されている。
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1999年に関~美濃が廃止となったが、当時の姿がそのまま残されているため20年以上もきれいな状態で保存されていることになる。
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窓口は保存会の直売所として運営されているそうだが、私が訪れた日は休み…。
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昭和を駆け抜けたスター、野口五郎が岐阜県美濃市の出身だそう。私鉄沿線という曲の舞台が名鉄美濃町線のようで、駅の中にはポスターや新聞の切り抜き、コラボした企画切符等が展示されていた。
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美濃駅で保存されているのはモ510形のうち512号車。その他、谷汲駅跡や岐阜駅前にもモ510形が保存されており、当時の姿をしのぶことができる。
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改札口を出ると…
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4両の保存車が鎮座している。一番左は札幌市でも活躍したモ870形の運転台のカットモデルだ。
こんな風に異形式がそろい踏みしたことはあったのだろうか…。
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手前からモ600形、モ510形、モ590形。モ590形は高知でも同型が走っている。
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左のモ600形は馬面電車と呼ばれていたりもしましたが、このように撮ると縦長な車体がより際立つ。
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連結ホース周りをアップで一枚。モ510形の曲線美や金太郎塗装が際立つ。
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モ510形は丸窓電車と呼ばれていましたが、赤白の塗分けと丸窓がよくマッチしている。
市内乗車口 という表示がさりげない岐阜っぽさが漂う。
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夢中になって1時間ほど写真を撮っていたが、この一枚を撮った後に奥へ線路が伸びていないことに改めてはっとさせられるのであった。

追記:あまり廃線跡について当ブログで紹介する機会がなく、該当するカテゴリ選びに迷いましたが、ローカル線に分類しました。

(このページの作成者 てら)

どうもどうも。てらです。
先日の街並みを巡る旅シリーズの翌日は富山へ。
長野から富山へ移動する旅行が成立するんだから新幹線はすごいっすね。
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本来であれば上滝・不二越線を撮り鉄する予定だったのだが、あいにくの雨。撮りたい車両も平日はいったん入庫してしまうため、予定を変更して立山線を乗り鉄することに。
特急立山号に乗車。富山~寺田間は地鉄本線を走るのだが、列車密度が多いことに加えて、一線スルーの駅が無いこともあり、駅間で力強く加速したのちに駅の手前でグーンと減速する繰り返しがなかなかにスリルがあった。
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岩峅寺までは富山平野を延々と走っているのだが、平野部が途切れると一気に景色が変わり列車は勾配を登る。車窓に見えているのは常願寺川である。
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常願寺川を渡る箇所で減速の上、アナウンスをしてくださったのだが、ここまで濁っていることも珍しいそうで…。ちょっと残念な景色である。(千垣~有峰口)
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有峰口を出ると本格的に勾配と曲線がきつくなる。
終点の立山駅に到着する直前にもう一度常願寺川を渡る。あいも変わらず濁っている…。
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50分程度で終点の立山に着いた。行楽シーズンは岩峅寺~立山の区間で一部の列車が増発されており、奥の列車はほどなく発車していった。奥に停車している14720形は2019年12月末を持って運行を終了する予定だ。
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食堂や土産店を併設されており、アルペンルートの拠点の一つとしての機能を持つ立派な駅舎である。
立山駅周辺を小一時間ではあるが散策しました。詳しくはこちら
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そのまま、折り返し列車に乗って富山まで行くのももったいないので、本線と立山線の合流点にあたる寺田で少し撮影。ちょっと変わった配線の駅だ。真ん中の建物は駅舎として使わていたようだが現在は使われていない。
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色褪せた看板…。黒部はまたの機会にお邪魔します。
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Y字型のホームの奥が地鉄本線、手前が立山線。写真左が富山側、右が立山、黒部側になる。
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立山線は左側通行ではなく右側通行になっているため独特の配線だ。
4番線に入線する立山行き。
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大和百貨店、北陸地盤の百貨店なので、とっさに駅名表と絡めて一枚撮ってしまった。
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寺田から富山行きに乗り込むと、たまたまレッドアローが来てくれた。普通運用だとヘッドマークが無くて少し拍子抜けである。終点の電鉄富山で一枚撮って、次の目的地へと私は急いだ。

(このページの作成者 てら)

どもども てらです。
長野電鉄長野線沿線の街並みを巡る旅をしてきました。この記事では長野電鉄の乗り鉄を総括した記事を書きます。
それ以前の記事…街並みを巡る旅① 須坂編街並みを巡る旅② 小布施編

高速バスを降りて着いたのは須坂駅前
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電車の時間までまだまだあったため、須坂の街並みを歩いて見学した。 z
そのときの記事はこちらをどうぞ。
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橋上型駅舎の改札では農産物が売られていた。小布施や電鉄長野といった終日係員のいる駅は同じように土産品や農産物が売られていた。売店の延長なのかもしれないけれど風情を感じた。
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須坂は屋代線(2012年に廃止)の分岐駅であると同時に車庫が併設されている駅で、ちょうど特急列車二本が入換を行っていたので駅の近くの歩道橋で写真撮影。ゆけむり(左)は小田急ロマンスカーのお古、スノーモンキー(右)は成田エクスプレスのお古だ。
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以前は4番乗り場が屋代線のホームだったようだ。
今回は下り、信州中野行きに乗車。小布施を出ると沿線の景色ががらっと変わり、山の近くを通ることから、長野電鉄が南北に広がる長野平野の淵を走っていることを実感する。
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信州中野では運行系統が一部の時間帯で分断されており、2両編成の列車に乗り換える。
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信濃竹原で対向の特急を通過待ちするために停車。
信州中野~湯田中は30‰を越える区間が連続するため、列車にとっても小休止だ。
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湯田中駅の写真右手に見えるのは湯田中駅の旧駅舎である。以前は写真右側のホームに止まっていたのだが、スイッチバックの解消とともに写真左側の駅舎に代わった。温泉地の玄関口として野沢、志賀高原方面のバスに乗り継ぐことができる。(修善寺とか水上とか温泉の玄関口の駅ってどこか独特な雰囲気をまとっている気がする)
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旧駅舎は楓の湯という温泉が併設されており、待合室として使われている。すぐの折り返しには乗らず、楓の湯で汗を流す。
折り返し、駅のホームに待っていたのはこの車両
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好きな方は写真を見ただけでわかるかもしれない。小田急ロマンスカーHiSEとして小田急の顔として活躍した後、長野電鉄で特急ゆけむりとして余生を送っている1000形(小田急時代は10000形)である。
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(過去の写真より)小田急時代から編成は短くなったものの格式の高さは当時のままだ。
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車内も小田急時代から全く変わっていない。ロマンスカーは中学生の頃に家族旅行で乗ったので10年以上も前になる。
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初めて乗ったときはこの辺の設備の貴重さがわからなかったのだが、わかるようになってからは栓抜きが車内にある電車がなかなか無いという…。
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前面展望で車窓を楽しませてもらった。志賀高原を見ながら、列車はずっと下り勾配を走り続ける。
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一旦、ゆけむり号を降り小布施で途中下車 小布施編はこちら
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小布施の駅からは晴れていれば北信五岳の峰々がよく見えるそうだが、あいにく山の稜線がかろうじて見える程度であった…。
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また、小布施駅には電車の広場が併設されており、2011年で運用を終了した2000系D編成が展示されている。
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小布施から再び電鉄長野行きに乗車。だんだんと住宅地が増え、長野駅の3つ手前の善光寺下駅から列車は地下を走る。1981年の連続立体交差事業で長野電鉄線を地下化、地上を走っていた用地を片道三車線の長野大通りとして長野市北部とのアクセスに一役買っている。
終点電鉄長野駅では、現役時代は顔を合わせることがなかったような列車の組み合わせを見ることができる。

追記:このほかに長野電鉄線の地下区間と電鉄長野駅についていくつか写真を撮っているが、それはターミナル探訪シリーズでまとめる予定なので、しばしお待ちを…。

この旅が気に入った方はこちらの旅もどうぞ。
いしが2019年春にしなの鉄道を使って野沢温泉方面へ出かけています。
しなの鉄道しなの線【長野2019①】
(このページの作成者 てら)

こんばんは、いしです。5月の連休中に、軽井沢から野沢温泉にかけて鉄道とバスで周ってきました。


【行程】
地図の青線①:軽井沢駅→(しなの鉄道しなの線)→田中駅→戸倉駅→長野駅
地図の緑線②:長野駅→(JR飯山線)→飯山駅
地図の青線③:飯山駅(点A)→(長電バス野沢線)→野沢温泉(点B)

軽井沢駅より、しなの鉄道しなの線で長野駅へ向かいます。
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新幹線隣のホームから、小諸行普通列車に乗って出発です。20分ほどで、小諸まで行きます。しなの鉄道は国鉄時代からの車両で運行しているので、トイレが使えない以外は昔ながらの鉄道旅行の雰囲気をそのまま味わえるのが、大きな魅力でしょうか。もっとも、そろそろ新型車両に置き換えられてしまいますが。
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小諸では長野行普通列車に対面乗り換えです。
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長野行のサボが掲示されていました。
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小諸駅から2つ先の田中駅で途中下車。ここから少し歩いたところにある、海野宿という歴史地区へ寄り道します。
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田中駅は木造駅舎です。
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駅の北側にある駅舎から街へ出て、線路づたいに細い道を西へ2kmほど歩きます。途中いくつも分かれ道がありますが、標識が出ているので迷いにくくなっています。
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踏切そばの宿場町入口にはわかりやすく石が鎮座しています。
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大きな神社が構え、その先は一本の整備された長い道に沿って、昔の街並みが続いています。
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人通りも多く、活気づいていてなかなかの観光スポットでした。

続く。

(このペイジの作成者 いし)

鉄道の定義は、2本のレールまたはそれに類するものに沿って走行するもの とある。
鉄道というと電車が走る姿がぱっと思い出されると思うが、モノレールやリニアモーターカー、ゆりかもめや日暮里舎人ライナーといった新交通も鉄道の一種である。
なかでも特殊なのがトロリーバスのように架線から電源を供給し道路を走るものだ。正確には無軌条電車と呼ばれる。レールがないのに鉄道なのである。
日本でもかつて多くの都市でトロリーバスを見ることができたが、環境保全の意味合いもあって、長野県と富山県の県境に位置する立山の富山県側と長野県側でそれぞれ立山黒部貫光と関西電力がトロリーバスを運行を行っていたが、惜しくも関西電力が運行していた2018年12月に電気バスに転換されることになった。実は、いしくんと私で2016年の夏に黒部第四ダムを観光した際に関電トロリーバスに乗車しているので、その時の記録を改めてまとめてみた。
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東京から上越道、長野道を経て、大町市の高瀬ダム近郊にある葛温泉にある旅館 高瀬館さんに宿泊した。
熱めの湯温がとても気持ちの良い露天風呂だったが、食事の写真しか撮っていなかった…。うーん残念。
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翌日、高瀬館から車で30分ほど、扇沢駅に到着。すでにハイカーや観光客で扇沢駅から一番近い駐車場は満車になっていた。
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ホーム(とは言ってもバス停のようなのだが)にバスが停泊しており、案内も行われていたので早速乗り込む。私たちが乗った2016年はトロリーバス開業52年目だそうで、50周年を機に前面にラッピングが施された。
一車線のトンネルをぐんぐん上っていくと途中で行き違い設備が現れ、扇沢行きのバスとすれ違う。通票といういわば通行手形のようなものを用いてトロリーバス同士が安全にすれ違うことができるようになっている。一見するとバスだが、設備は立派な鉄道なのだなと関心させられる。
まずは黒部第四ダムを見学して、ケーブルカーの駅まで散策してみた。
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黒部第四ダム
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黒部湖方面を望む
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休憩所 話題となっているダムカレーも販売されている。
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さっきの立ち位置と逆側へ
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ダム湖沿いの遊歩道はきれいに整備されており、登山者のような格好でなくとも散策を楽しめる。
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ケーブルカー 黒部湖駅
黒部第四ダムは風光明媚で立山黒部アルペンルートの見どころの一つであるが、戦後の関西の復興には欠かせないプロジェクトであったことや多くの死者を出して完成したということを忘れてはならない。
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駅に戻る。
黒部ダム駅。もちろん、法律上鉄道なので正しいのだが、右端「駅長室」という表記はちょっとひっかかる。
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改札口は有人改札で、発車前に検札を行う。
黒部ダム駅のホームをバス車内から
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扇沢駅に戻り、トロリーバスの集電設備をちょこっと覗いてきた。
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バスから伸びている黒い二本のポールのようなものがパンタグラフの役割を果たす。
もし架線とポールが離線してしまった場合は、車両の後ろにあるワイヤーを一旦おろさなければならない。
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扇沢駅を後にし、私といしは大糸線を沿うように北上した。

(このページの作成者 てら)

鉄道というと、2本のレールの上を列車が走る絵をイメージする人が多いだろう。
大井川鉄道井川線は前身が森林鉄道ということもあり、大井川の流れに沿って遡上するように走っている。そのため勾配が急な区間も多く、日本一の急こう配(90‰ 1kmあたり90m登る)をクリアしなければならない。そのため、井川線では全国でも珍しいアプト式を一部区間で採用している。アプト式とはレールの間にピニオンラックを設置し、ラックを歯車に噛ませることで線路との粘着力を高める方式だ。そんな、変わった鉄道に乗りに静岡へと向かった。
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今回は、アプト式の井川線に乗車することを目的としていたため、静岡からレンタカーで井川線の始発である千頭駅へ直行した。
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千頭駅は大井川線と井川線の接続駅となっている。
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たまたま、大井川線はSLの発着時刻と重なっていたこともあり多くの人でにぎわっていた。大井川鉄道は、地方私鉄のSLブームの先駆けのような存在で、1970年代からSLの動態保存、保全に携わっている事業者である。
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井川線は、もともと電力会社がダム建設時に建設資材を運ぶために軽便鉄道(762㎜)を開業させ、それを後に1067㎜に改軌したものであるため、車両も通常の車両に比べて一回りも二回りも小さい。流石に頭が天井にあたることは無いものの少々窮屈に感じた。
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列車は川根の街並みを抜けると大井川を遡上するように列車は上っていく。
東海道新幹線に乗っていると、静岡県内は安倍川、大井川、天竜川の3河川とも水量が豊富で、長い橋梁を渡るイメージがあるが、上流域は平地が全くなく急流なのだなと思わせられる。
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アプトいちしろ駅では急勾配を上るため、アプト式に対応した機関車を更に連結、長時間停車する。
機関車の補機はアプトいちしろ駅と長島ダム駅までの2駅、約2.7kmの間をピストン運用されており、長島ダム駅でも機関車の解放のため停車時間がある。
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ホームにて。客車のスケールが改めて小さいことがわかるだろうか。千頭駅が海抜299mに位置しているため、すでに100m近く登っている。
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車窓から見渡すことができる長島ダム。長島ダムは大井川の最下流域の牧ノ原台地の灌漑事業に一役買っているそうだ。治水事業が特産品の日本茶の生産にもまわりまわって役に立っているということをここにきて知る。
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アプト式がわかるように連結面から写真を撮ってみた。レールとレールの間にアプト(チェーン)が設置されている。ここを補機がアプトを用いて勾配を登っているのだ。
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車窓はひらんだ駅を抜けると長島ダムのダム湖を映し出す。
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奥大井湖上駅は、長島ダムのダム湖に設置された駅で、秘境駅の一つとして知られている。
現在はハイキングロードの整備や「奥大井恋錠」駅といって恋錠を駅に設置できる企画切符が発売されており、駅は列車の本数に比してにぎわっていた。
(参考 公式サイト *外部サイトに飛びます)
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ダム湖の西側には旧線をちらりと見ることができる。写真下の方が旧線である。
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接阻峡温泉駅に到着。2017年2月当時、土砂崩れもあり接岨峡温泉~井川が不通になっていたため、ここで乗客は降りていく。
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駅から不通区間(閑蔵駅方向)をむいて一枚。折角なので折り返し時間を利用して温泉へ向かう。
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今回利用したのは接岨峡温泉会館接阻の湯 駅から5分と至近なうえ400円とリーズナブルだ。
(参考 公式サイト *外部サイトに飛びます)
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折り返し準備を行う千頭行きの列車に乗り込み、元来た道を戻った。

おまけ
折角レンタカーで来ているので、不通区間の終着駅、井川駅とその先にある井川ダムを探訪した。
井川線でたどった道のりを県道368号線をたどり遡上していく。
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アプト式機関車を連結した井川線を道路から。改めて、機関車と客車の大きさの差がみてとれる。
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日暮れ間近の井川駅。 営業していないためひっそりとしている。
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井川ダム こちらは治水ダムで、現在は中部電力が管理している。中部電力の前身である会社が井川線を開業したこともあり、現在も井川線の施設管理や赤字補填について、ダム湖周辺住民の利便を図るため中部電力は深くかかわっている。

(追記)
井川駅から井川ダムへ車を向かわせる途中、道を間違え井川の集落に出たのだが、写真を撮り損ねたのを今更ながらに反省…。

(このページの作成者 てら)

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