旅に、出た。

バス乗ったり、島行ったり。マニア2人の共同旅ブログ

乗り物好き若手リーマン2人、それぞれの旅行記録

カテゴリ:ローカル線 > 中国・四国

どうもてらです。
土讃線降り鉄シリーズ、2回目の今回は前回の土佐北川駅から1つ北、大杉駅を取り上げます。

土讃線降り鉄シリーズを初めてご覧になった方へ…。
土讃線は、高知県(土佐)と香川県(讃岐)を結ぶことから旧国名の頭文字を取っているのが由来の路線である。特急に乗っていると讃岐平野を颯爽と駆け抜けたかと思えば、峡谷に囲まれ四国山地を縫うように走り、高知から先は海も見えるというなんとも景色の変化に富んだ路線である。走っているところがピンとこない方はJR四国の路線図を合わせてご覧いただければと思う。(ピンクの路線が土讃線です。)
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大杉駅は大豊町の中心的な駅で、特急も停車するが朝夕の停車がもっぱらで、昼間時間帯は普通列車を含めても3時間以上間隔が空く時間帯がある。
土佐山田~阿波池田の区間は土讃線の中でも列車の本数がかなり少ない区間であり、先述の区間で特急が停車するのは大歩危峡で有名な大歩危と大杉のみである。
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土讃線と国道32号は穴内川を隔てて対岸にあり、橋で結ばれている。画面奥に見えるのが町の中心部。(大豊町は中心部をうろうろ観光している記事がありますので気になる方はこちら
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大杉駅は1932年に開業、開業当初は土讃線は香川側と高知側でつながっておらず、予讃線から分岐する多度津から高知までつながったのは1935年のことである。それだけ人の行き来が少なく、工事も難航していたことがうかがえる。
駅舎はもともとこの地域の特産である杉材を用いた独特な意匠を凝らした駅舎だったのだが、2004年に失火してしまったことから、翌年2つの三角形を重ね合わせたような形のものに建て替えられた。地元の中学生が再建に携わっている。
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JRの駅には必ずと言っていいほどある名所案内も杉材を活用している。
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大杉駅の由来は駅の南側にある八坂神社の境内にある大きな杉の木から来ているそうだ。
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ホームは上り(多度津、高松、岡山方面)が1番乗り場、下り(高知方面)が2番乗り場と分かれており、時間帯によって上下線の列車が行き違う。

(余談)
隣駅の土佐北川とは6km以上離れているのだが、よくまぁ歩いてアクセスしたなぁ…(しみじみ)
八坂神社の境内にある大きな杉の木も実際に歩いて見に行きました。そのときの記事はこちら

(このページの作成者 てら)

どうもてらです。
個人的にこのブログを運営していていいなと思っていることがあり、それは相方のいしに、これこれこういうシリーズものの記事を書きたいと提案すると毎度快諾してくれるところである。
好きなことで記事を書いているのだからと言ってくれるのでありがたい。

で突然始まったこのシリーズ、読者のみなさまも混乱されているかと思うが、、、
私、撮り鉄であるてらが、とある事情から4年ほど前から幾度と乗っている土讃線。降りた駅の記録がてら記事を書くことにしました。
土讃線は、高知県(土佐)と香川県(讃岐)を結ぶことから旧国名の頭文字を取っているのが由来の路線である。特急に乗っていると讃岐平野を颯爽と駆け抜けたかと思えば、峡谷に囲まれ四国山地を縫うように走り、高知から先は海も見えるというなんとも景色の変化に富んだ路線である。走っているところがピンとこない方はJR四国の路線図を合わせてご覧いただければと思う。(ピンクの路線が土讃線です。)

今回は、山間の勾配を力強く走る、徳島県との境目に位置する高知県大豊町の土佐北川駅を取り上げます。
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そんな土讃線降り鉄シリーズの一回目は土佐北川駅だ。大豊町を探訪した時の記事でも降りたことを紹介しているので寄り道した箇所が気になる場合は(こちら)へ
土佐北川駅付近は信号所として開設されており、駅が開業したのは全線開通後しばらくしてから経つ1960年と比較的最近の駅だ。
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この駅、特筆すべきことといえば、これで橋梁の上に駅のホームがあることである。画面中央奥に待合室と出口を結ぶ階段が伸びている。
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ちょうど自分が乗車した普通列車が特急と行き違いを行った。ホームの両端に分岐器があるために特急も速度を落として通過しているとはいえ、迫力がある。
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分岐はいわゆる一線スルーではなく両開き分岐のため、この写真の手前側が上り、奥側が下りの線路になっている。ちなみに、この写真の左側に国道へ降りるための歩道があるのだが、橋梁と同じ高さなので、(下を見なければいいものの)ちょっと風にあおられたりすると怖い。
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駅前を降りると、食堂を兼ねた民家が一軒あるほかは穴内川と国道32号線が広がっている。
これから、不定期で土讃線の駅を紹介していきたいと思いますので、お楽しみに。

(このページの作成者 てら)

どうもこんにちは てらです。
自由に四国鉄道の旅 南風編の続きになります。

高知市内のホテルで一泊した後、朝から高知市街を東西に延びる路面電車の西側、伊野線に乗車した。
路線図はこちら(公式に飛びます。)

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折角なので伊野行きの路面電車に乗り込む前に、通勤通学ラッシュのはりまや橋交差点でしばらくバスや路面電車を撮影した。
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色々なカラーのバスが走っているが、これは以前に土佐電と高知県交通の二社が路線バスを走らせていたことに起因する。現在は統合され全てとさでん交通が運行を行っている。
15分程度で撮影はいったん終えて、伊野行きに乗り込む。高知中心部のはりまや橋を中心に東西に延びている西側、伊野線は高知市の隣町である吾川郡いの町まで乗り入れる。郡部に乗り入れる路面電車は日本ではここにしかない。
全ての列車が終点の伊野に行くわけではなく、枡形、鏡川橋、朝倉など主要な電停で折り返す系統も多く、データイムは1時間に3本しか朝倉~伊野間は走らない。
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鏡川橋を出ると線路が単線となり、途中途中の電停で行き違いのために停車する。鉄道と違って軌道線は信号や自動車による影響を受けやすいこともあってか、4,5分停車して対向列車を待つような電停もあった。特にいの町内は国道と終始並走している区間であるため道路の端に単線の軌道が敷かれていた。
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終点の伊野に到着。小学生の一団が乗っていたこともあり車内はかなりにぎやかだった。
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伊野から分岐している線路があったため覗いてみると、現在はとさでん交通が運営する駐車場になっていた。
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昔は車庫だったようで、電柱などもそのままである。
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次の列車まで20分ということもあり、散歩がてら国道の隅を走る路面電車を撮ってみた。
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伊野~朝倉の特に列車の少ない区間においては、通票閉塞方式という閉塞方式をとっており、通票と呼ばれる輪を対向列車の乗務員に渡すことにより、特定の区間の保安をはかるものである。
通票の受け渡しを電車の中から撮ってみた。この運転台横にある輪を隣に停車している列車の乗務員に渡す。
この輪のようなものが通票であり、通票で運転ことができる区間が定められている。定められている区間の先を運転する場合は先の区間を運転することができる通票を受け取らなければならない。
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朝倉電停では地上勤務者が朝倉からはりまや橋方面に走る列車から通票を受け取り、伊野行きの列車に通票を渡すやりとりを見ることができた。
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列車の交換をする朝倉電停付近は、道も狭く、軌道内を車も走行することができるため、このような標識が設置されていた。
列車の本数は少ないが、見ごたえがあり楽しい乗り鉄だった。

この旅が気になった方はこちらもどうぞ。
2019年4月にとさでん交通桟橋線に乗りに行った時の乗車記です。
とさでん交通桟橋線

(このページの作成者 てら)

こんばんは てらです。
先日、撮り鉄の友人に声を掛けられ、半年ぶりに高知へ行ってきました。
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というのも、JR四国が運営している旅行代理店の商品の一つに、「自由に四国鉄道の旅」というJR四国全線の特急乗り放題に加えてホテルの一泊がつくという商品がある。閑散期は1万円台で四国を一泊二日で飛び回れる。
そんなわけで、三宮から高松・小豆島行きのフェリーに乗り込んで高松からこの切符を使って旅をすることにした。(高松行きのフェリーは実は前に乗ったことがあるので気になる方はこちら
高松から今回、高知へ行くにあたってお世話になったのが新型特急だ。 
南風は岡山~高知を結ぶ特急で、列車によっては宇多津で高松~高知を結ぶしまんとと併結して走る。
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高松から高知行きのしまんとにいい時間の列車がなかったため、宇多津まで快速を利用し、宇多津から高知まで南風を利用した。
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宇多津は備讃連絡橋と土讃線の接続駅であるため、多くの特急が行き来する。
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そのため配線もやや特殊で宇多津駅から高松方面を向くと、中央に瀬戸大橋方面へ線路が伸びているのがわかる。
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ちょうど松山行きの特急の併結作業が行われていた。
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…前説が長くなってしまったが、今回はこちらの新型特急キハ2700系の南風15号に乗車した。
(写真の一部で高徳線の特急に乗車した際に撮った写真がありますが内装が同じなのでこちらの記事で紹介させていただきます。)
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JR四国に多い一部車両が指定席となっており、このように区分けがなされている。(写真はうずしおの号のものです)
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ランプで指定席か否かがわかるようになっており、他のJRではなかなか見かけない設備である。
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驚くべきは車内だリクライニングは座面がスライドして連動するタイプで腰に優しく、コンセントも付属している点である。また、テーブルも振り子であることを考慮してか飲み物を奥くぼみが大きかった。
列車は讃岐平野を駆け抜けた後に四国山地を貫くように走る。
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2000系に比べ揺れも少なく、あっという間に終点の高地に到着した。
個人的に高知へ行く際に南風にお世話になることが多いのだが、変化に富む景色をのんびりと快適な新型特急で巡ることができた。(ゆっくり寝てしまい車窓の写真が無いのは反省しています…)

(追記)
いしが島巡り、てらが乗り鉄撮り鉄で高知県にはここ二三年でふたりともかなりお世話になっています。
都道府県ごとの記事の偏りがなるべく無いよう気を配っているのですが悪しからず…。

(このページの作成者 てら)

こんばんは、いしです。
ブログ見て頂いている方、ネットの大海原に漂う弊ブログを見つけて頂きまして、ありがとうございます。※このブログは、友人と共同運営してます

いつも旅(遠征)から帰ってきたら、少し間をあけて落ち着いてブログ記事を書いているのですが、たまには趣向を変えまして、思ったことをそのまま書き流します。

ここ数年、縁あって四国を毎年のように訪れており、今年も早速、高知へ行って来ました。その時乗った予土線がこちら。
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窪川15:01発4825D(しまんトロッコ塗装の54系)です。あまりにも有名な江川崎での長時間停車(トイレ休憩)の時に撮った一枚です。後日、ふと2020年3月改正の時刻表を見たら、乗車した便は2020年3月14日から、ダイヤ改正にともなう減便で無くなることに気付きました。

あくまで個人的イメージですが、JR四国は経営状況の厳しさに比して特急・普通ともにかなりの本数を維持していたと感じていたので、ひとつの時代の区切りのような気がして、記事に書いておこうかなと思い立ちました。(自分の備忘録的な意味で)

昨年のダイヤ改正では牟岐線の末端部分が大減便されたので、予土線も時間の問題だったとは思いますが。実際、この日、近永で途中下車して、近永始発の列車に乗った際に地元の方と少し会話したところ、やはりその方も普段は列車は使わないとのこと。乗降の仕方もあやふやなようでした。ワンマン列車、難しいですものね。
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ちなみに、乗ったのは、近永発17:28(4827D)の宇和島行(キハ32)でした。

さて、予土線はこれまで下記の通りの運転本数でした。
・全線「窪川~宇和島」:6往復
・区間運転「江川崎→宇和島」:朝晩1便ずつ
・区間運転「宇和島→江川崎」:晩2便
・区間運転「近永~宇和島」:朝2往復、午後2往復

宇和島に近づくにつれて本数が増える傾向は変わりませんが、昼の宇和島行(窪川発、近永発)が減少し、夜の宇和島発の列車の行先が短縮されました。
・全線「窪川~宇和島」:5往復(これまで6)
・区間運転「江川崎→宇和島」:朝、夕方、晩1便ずつ(これまでは朝晩1便)
・区間運転「宇和島→江川崎」:午後1便、晩2便
・区間運転「近永~宇和島」:朝、夕方、晩に計2.5往復(これまでは4)

前述の通り、地元利用者は少ないようですし、人材確保が難しく、人口減少も見込まれる中で、むしろよくここまで頑張ってくれたなという印象です。そうは言っても、まだ5往復もあるわけですから、乗車チャンスはそれなりに存在します。単なるわがままですが、まだまだ廃止してほしくない路線です。

※ところで、減便による間隔調整の影響か分かりかねますが、2020年3月のダイヤから4820D(宇和島15:20→窪川17:51)が伊予宮野下駅で20分停車するようになりましたね。少し駅の周りを歩けるチャンスですね。

(このペイジの作成者 いし)

どうもてらです。
元旦乗り放題切符の旅、ついに最終編です。

目次
1. JR山口線
2. 島根県津和野町
3. JR山陰本線 島根県区間
4. 島根県温泉津町
5. 特急やくも (このページ)

出雲市でスーパーまつかぜを降りた。大田市からだと、1駅のみの利用になってしまうのだが、普通に乗り続けているのに比べると30分近く早く着くため、夕食の調達に時間を有効に使うことができた。
出雲市は高架駅で二面四線。山陰線の普通列車に加えて、隣の西出雲から伯備線に直通する列車もあるため列車の本数は一時間に四本ある時間帯もあるなど、先ほどまでの区間と打って変わって列車の往来がにぎやかだ。
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出雲市の隣の西出雲駅から伯耆大山駅までは電化されており、特急やくもは電車特急である。
乗ったのは特急やくも30号 上りの最終の特急で岡山には21時半過ぎに到着する。
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いわゆる国鉄時代に製造された車両。「国鉄形」で運転されている特急も数少なくなった。東京近郊で走っている特急踊り子も置換に向けたカウントダウンが始まったこともあり、特急やくもを除くと四国の一部の特急のみとなってしまう。
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どうしても乗り鉄をしながら自治体探訪をしていると、列車の時間に追われながらせかせかと町を歩いて…という旅行になってしまいがちである。こうやって特急のシートでお弁当を食べながらゆっくり晩酌をして…という楽しい旅行になるはずだったのだが、伯備線の清音~倉敷で自動車と接触する事故が発生(なんとまぁ元旦ということもあり2020年最初の人身事故だったようだ)
新見の手前、備中神代で小一時間停車したのち、意外にもすーっと走ってくれて、約40分遅れで岡山に着いた。備中神代で止まった時間だけそのまま遅れたようだ。一本前の特急は100分遅れだったそうなので、まだまだ遅延幅が小さくて助かった方なのかもしれない。(家に着くのは終電になってしまったが)
そんなわけで、年相応なのんびり旅行がしたいなと思いつつも結局できずにドタバタしてしまった年始の旅行でした。ご覧いただきましてありがとうございました。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
元日乗り放題切符の旅 津和野町編の続きです。

目次
1. JR山口線
2. 島根県津和野町
3. JR山陰本線 島根県区間
4. 島根県温泉津町
5. 特急やくも

益田から山陰本線に入ると、スーパーおきは振り子機能をふんだんに使う。曲線が多いことに加え、通過駅でも単線区間であるためポイント制限があり減速するので、なかなかに体が前へ横へ振られる。
益田を出ると、三保三隅、浜田、波子(はし)、江津、温泉津と止まる。
岡見駅付近や、折居駅~西浜田駅では一気に海と近くなり、冬のどんよりとした色の日本海を眺めることができた。
今回は温泉に入るべく温泉津で途中下車した。
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温泉津では普通列車と接続を行っていた。左側が先ほどまで乗っていた特急おき4号。益田である程度空いたとはいえ、指定席車も6割程度席が埋まっておりまだまだ一杯だった。
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温泉津駅に近い温泉津温泉を7年ぶりに再訪し、熱い湯に浸かってきた。
山陰は小規模だが歴史のある温泉が点在しており、高校生のころに石見銀山を訪れた時に立ち寄ったのがこの温泉津温泉だった。(温泉津温泉についてはこちらにまとめております。)
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16時49分の出雲市行きを待っていたところ、51分の浜田行きが先に入線してきた。国鉄時代から走るキハ47・48系だ。
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一方、49分の出雲市行きはキハ126系の二両編成だった。こちらの方が窓際に座っても隙間風が無いので寒い季節はありがたい。(夏に乗った際に海風を感じられないのはちょっと残念なのだけれど…)
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山陰らしい白波が立つ日本海と赤屋根を横目にキハ126系は流すように走っていく。制限速度の関係か心なしか普通列車の方が軽快に走っているように感じるが、本気で走っている訳ではなく流しているだけなのかもしれない。
大田市で普通列車を降りて特急に乗り換える。
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駅のホームにある観光案内は日本海が下にある仕様。市町村合併により市域の広さをこういうところでも実感する。
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乗り換えたのはスーパーまつかぜ13号の鳥取行き。先程の普通列車に乗り続けても良いのだが、特急に乗ることで30分ほど出雲市駅に早く着くため、食べ物の調達ができる。走ってる区間や編成を考えると当然なのだろうけれど、車内販売がないので食料調達の時間の有無は重要だ。乗り鉄中心の旅行特有の悩みなのかもしれない…。
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大田市からはものの20分で出雲市に到着。始発のやくもに乗り換える。

2017年に益田から山口県方面へ乗り鉄した時の記録はこちら


(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
前回の700系の記事でも紹介しましたが、JR西日本から元日乗り放題切符が発売された。
詳しくはこちらを参照してほしいのだが、簡単に説明すると有効期間は元日のみである。しかし山陽・北陸新幹線に加えて各特急も乗り放題になるというもの。6列車までであれば指定席(ないしはグリーン車)も指定可能である。そんなわけで、関西から日帰りで行けるギリギリ、山口線と山陰本線の乗り鉄を敢行した。

目次
1. JR山口線(このページ)
2. 島根県津和野町
3. JR山陰本線 島根県区間
4. 島根県温泉津町
5. 特急やくも

JR山口線は、山陽本線と山陰本線を結ぶ陰陽連絡線のうちの一つで県庁所在地の山口を通る路線だ。
阿東町が山口市と合併してからというもの、山口線の山口県側は全て山口市内になってしまった。
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新山口から新幹線を降りて、向かったのは在来線の2番のりば。山口線のディーゼル車は主に2番のりばから発車する。
普段は2両のところ、1両増結して3両になっている特急スーパーおき、ご覧の通り自由席は満席だった(元日乗り放題きっぷのオプションである指定券を取る段階でこの列車は満席だった)車窓やら車内設備を撮ろうにもデッキが身動き出来ないほど混雑していてはトイレにも行けないレベルであった。
山口までは天候に恵まれている中、平野部を軽快に走っていたのだが、山口市街を抜けて宮野、仁保にかけて勾配やトンネルが連続し、JR時代のキハ187系でも時折しんどそうな音を立てて走る。
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新山口を出た列車は山口市内の市街地である湯田温泉と山口に停車し、混雑も増してきた。新山口をでてから、1時間と少しで島根県最初の停車駅、津和野に停車した。
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津和野の街歩きについては別の記事にまとめたので、興味のある方はぜひこちらをご覧ください。
山口線といえばSLの保存運転が有名で、1979年からSLが運転されており、週末やお盆、年末年始にSLやまぐち号が運転されている。元旦は津和野にある太鼓谷稲成神社の初もうでの便宜を図り臨時列車が運行されていた。
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留置されていた客車とレトロ調の駅名表。
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客車は昨年新調されたので、レトロに見えるが立派な新車である。
辛うじて指定席が取れたため、津和野から温泉津までスーパーおき4号に乗車。
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新山口行きのスーパーおき3号と同時に入駅したこともあり、ホームがごったがえしていた。
スーパーおき4号は津和野を出ると日原、益田に止まる。
山口線からそのまま山陰線に直通する特急なので、あっけなく山口線を全線走破してしまった。

津和野町編へ続く

(このページの作成者 てら)

一昨年の春のこと
ふと、海が見たくなって青春18きっぷを購入して列車に乗った。

行先は、山陰本線。
日本海の深い青が見たくなったからである。
大阪を9時過ぎに出る丹波路快速に揺られ、海が車窓を占めるようになったのは14時過ぎ。
この日は浜坂、鳥取、米子と乗り継いで益田までただひたすらに急いだ。
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旅は次への宿題がある方がいい。
島根県東部はまた、今度ゆっくり眺めよう。温泉津温泉を再訪したいという宿題もある。
大学時代は(いまでも)、もう一度再訪したい場所のことを「再履修」と呼んでいたけど品が無いのでここではあえてそう呼ばないでおこう…。

前置きが長くなってしまったが、本編はここから。
山陰本線の山口県区間を制覇しようというもの。どこが見どころなのか探りながら、とにかく車窓を堪能するのが目的だ。
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翌朝、キハ120形の単行、長門市行きの始発に乗った。誰も乗っていない…。

話はそれるが、日本海側の県境地域はどこもひょうたんのごとく列車の本数がぐっと少なくなる。
府屋(新潟県)~鼠ヶ関(山形県) 8本
市振(新潟県)~越中宮崎(富山県) 18本
ここも例外ではなく、島根県と山口県の県境(飯浦駅と江崎駅)を通る列車は一日8本。
さて、どんな景色が待ち受けているのか。
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夜が白み、徐々に空と海の境目もはっきりとしてきた。
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県境の集落のない地帯は景色を遮るものが何もなく、一面の海が広がっていた。

列車は萩の街並みを過ぎ、長門市へ通学の学生を乗せ急いでいく。



ハッと起きた。
列車が乗っていた方向と逆方向に動いている。一瞬、何が起きているのかわからなかった。
元来た方向に列車が進んでいるのかと思い、運転室付近にある整理券表に目をやると
「仙崎」
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この顛末を寝ぼけた頭で整理すると。
1.長門市行きの列車がそのまま折り返し時間を経て仙崎行きになる。
2.それに気づかず、惰眠をむさぼり、起きたら仙崎に向けて列車は走っていた。
旅程が崩れてしまい、なんともお粗末であるが、終点の仙崎に到着した。
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もともとは美祢方面への貨物線として開業した仙崎支線であるが、今はキハ120系が7往復するローカル線である。
青海島への航路も近くなのだが、そもそも旅程が狂い予定が大幅に押していることを忘れてはならない。残念であるが同じ列車に乗り、仙崎駅を後にした。
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長門市駅へ戻ると、広大な駅の敷地にぽつりぽつりとディーゼルカーがたたずんでいる。
折角なので駅周辺を散策した。
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駅前には本州最後の定期旅客列車を牽いたD51の動輪が鎮座している。
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広大な駅も、貨物輸送や機関車の機回しなどでひっきりなしに列車が通っていたのかもしれないと目を閉じて想像してみたが、がらんとしておりなかなか想像できなかった。
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長門市は金子みすゞの生誕地ということもあり、金子みすゞをモチーフにした観光列車も走っている。
東京からも大阪からもアクセスしにくいからか、観光地案内をみていると、こんなに観光地があることに驚かされた。
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美祢方面から列車がやってきて、下関から長門市折り返しの山陰本線の列車もやってきた。
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予定より一本後の下関行きに乗り込んだ。
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曇り空が惜しいが、日本海に浮かぶ島々を見ながら列車は西へ走る。
小串まで来ると、線路は海岸線を離れ、列車の本数も増えて乗客も立ち席がちらほら見えるようになった。列車はそのまま終点、下関へ滑り込む。

寝過ごして仙崎まで行ってしまったが、反面いろいろな発見ができたしよい寄り道だった。次回は萩の街並みや青海島、ちょっと足を延ばして角島や秋吉台と周遊してみたい。

探訪データ
2017年3月中旬
益田-1561D-長門市-1625D-仙崎-1626D-長門市-967D-小串-869D-下関

追記
2020年の元旦に、もう一度行きたいなと思っていたところを巡り歩きました。

そして、ちゃっかり温泉津温泉も再訪しました。

よろしければご覧ください。

(このページの 作成者 てら)

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