旅に、出た。

バス乗ったり、島行ったり。マニア2人の共同旅ブログ

乗り物好き若手リーマン2人、それぞれの旅行記録

カテゴリ:ローカル線 > 中国・四国

こんにちは、てらです。撮り鉄のついでといってはなんですが、ふらりと伯備線に乗った時の写真をまとめます。
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朝5時過ぎの岡山駅 どうして仕事の時には絶対に起きれないような時間に趣味の用事だと起きれるのだろうか。
不思議でならないが体はシャッキリしている。
撮り鉄前の朝って、撮りたい被写体が撮れるまでややハラハラした感じを伴ってあまり精神衛生上よくない気がする。この日も、そんな感じだった。
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2両の米子行き。伯備線は新見で運行系統が別れていることもありロングラン運用だ。
瀬戸内に面している岡山で日本海側の米子の文字を見るだけでも旅情が出るのは不思議である。
意外にも座席の窓側がすべて埋まるような混雑。山陽線の始発よりも早い時間のため、倉敷までの乗車も多かった。
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趣のある木造駅舎 美袋(みなぎ)駅
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伯備線は河川と線路がほぼ並行するように走っており、岡山県側では高梁川と、鳥取県側では日野川とともに走る。
川の流れと共に車窓の変化を楽しめるところが乗っていて楽しい。徐々に日が昇ってきて山際から明るくなっていく。
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とある駅で降りた。新見の手前、井倉駅だ。
商店や駐在所、郵便局やJAといった公的機関の施設が集まる。石灰岩が取れる関係か大型車の往来も多い。
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EF64型が米子からけん引する貨物列車。県境越えの運転にはとても気を遣うんだとか。
(先日NHKでも特集されており、興味深かったので参考までに こちら
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やくも8号 この日は国鉄色の運行ではなくゆったりやくも色での運行だった。
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橋のたもとから高梁川の河原まで歩いて移動。
この日の目的はやくも5号として運転される列車。往年のスーパーやくもカラーとして運行されている。
パノラマ車が先頭のスーパーやくもカラーが撮れ、伯備線らしい急峻な地形を川沿いに縫うように走る姿を撮りたかったので、非常に満足した。もう少し水量の多い時期ならば水面も目立ったかもしれないが…。
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気をよくして最寄り駅まで歩いて戻った。こういう時の足取りは軽やかだし、暑さも吹き飛ぶ。駅前の自販機で飲む炭酸飲料が普段よりもおいしく感じる。
電車が来るまで工場の音に耳を傾けていた。操業が駅のすぐそばで行われているというのもまた珍しい。
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下り列車に乗って新見駅へ
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新見は人口2万6千余りだが、伯備線随一の都市。高梁川沿いの平野部に張り付くように街がある。

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姫新線の乗り継ぎまで少し時間があったので駅前を少し歩いた。素敵な窓割のシティホテルと、こじんまりとしたショッピングセンターが素敵だったので何枚か写真を撮った。

このあと、姫新線に乗り姫路までのんびり乗り鉄を楽しんだ。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
もっぱら写真を撮って楽しんでいる私にとって、なかなかケーブルカーに乗る機会がない。
家の近くには六甲、摩耶、妙見、高野山、生駒山、比叡山とあちこちにケーブルカーがあるのだが恥ずかしながら高野山と妙見山のケーブルカーしか乗ったことがない…。
しかし、ケーブルカーもりっぱな鉄道。乗り鉄のいしは気になるところあらば乗りに行っているようだ。
というわけで、今回四国を二人で回っている目的の一つが八栗寺とふもとを結ぶ八栗ケーブルである。
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琴電八栗駅から徒歩20分ほど歩くと高松平野が広がる急坂を登る。
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八栗寺への参道が続く中、ケーブルカー乗り場が姿を現す。
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八栗登山口駅と参道の鳥居を合わせて一枚
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昔のヘッドマークがついている国鉄特急のようなボンネットが特徴的なケーブルカーが我々を出迎えてくれた。
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私といしだけを乗せてケーブルカーは出発。
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昭和39年製…前の東京オリンピックと同い年。残念ながら開業は昭和39年末なので二度オリンピックを見てきたわけではないが…。
開業当初から走っている車両となる。
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軌道脇の木々が生い茂っており、展望は隙間からかろうじて楽しめる。我々が乗っている2号車は青色だが、すれ違った1号車は赤色の塗装が施されていた。
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八栗山上駅に到着。途中ケーブルの運行中に名所案内と民謡が流れるのだが、テープが擦り切れており聞き取りにくかったのが残念。
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せっかくなので八栗寺に参拝がてら山内をすこし散策してみた。
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八栗山の山頂からは屋島がよく見える。屋島と聞くと一つの島のように思っていたのだが、今は干拓されてほぼ四国側と地続きになっている。
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八栗山と屋島の位置関係がおおまかに記された案内。屋島は相引川という川が運河のようになっている。琴電の志度線からも相引川沿いに走る区間で運河と並走する区間がある。
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八栗寺 五剣山という山の中腹に位置している。五剣山というのは空海がこの地で修行していた際に、21日目にして5本の剣が降ってきたことに由来するようである。
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レトロな発車案内に見送られ、我々は登山口駅へと戻った。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
ジーンズの街として有名な倉敷市の児島。鉄道路線図だと倉敷と児島ってずいぶん離れているのにな…と思っていたのだが、
地図で確認すると岡山と倉敷は大半の箇所で隣り合っていて、倉敷市域の広さをあらためて認識する。
倉敷から児島までの路線バスを降りて、レンタサイクルを借りた。駅前でレンタサイクルが借りれるので天気のいい日はマイペースで廻れるところが良い。
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天満屋や市民センター、地銀の支店といった町の中心部にひっそり、でも存在感は十分な建物がある。
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下津井電鉄の児島駅跡だ。下津井電鉄はモータリゼーションによるバス輸送による部分廃止、瀬戸大橋線の開業により残りの区間が全廃と、時代の流れを映し出すような栄枯盛衰を歩んだ鉄道である。1991年に全廃なので、もう30年も前のことになる。鷲羽山近辺の眺望や終点下津井の街並みも観光名所の一つではあるのだが、これも今はバスで回れてしまうのでわざわざ鉄道で回るという選択肢もなくなってしまったのであろう。
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がらんとしているホームだが、自転車でホームに上ることができ…
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このように架線設備や踏切の灯具(?)が残されている区間を自転車で巡ることができる。児島市街地はこのように交差する道路が多いので、ちょっと漕ぎにくいのだがそれでもきちんと手入れがされている花壇を横目に自転車をこぐのは気持ちが良い。
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岡山県内はいくつもこのような遊歩道が整備されているようだ。
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児島の競艇場を横目に見ながら坂をぐっとあがると琴海駅に到着。写真でも見てわかるような勾配だが600vの軽便鉄道がのぼっていたというのだから驚きである。
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琴海駅付近から東側の島々を望む
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坂を上りきってほどなく、本四高速道路をまたぐと鷲羽山駅に到着。
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瀬戸大橋をここまでまじまじと傍で見るのは初めて。大阪に引っ越してきてから瀬戸大橋よりフェリーや明石、鳴門大橋で四国に行くことが多いからかもしれない。
東下津井駅から終点下津井までは長い下り坂を大きなカーブを描きながらゆっくりと下る。
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終着の下津井 写真を撮りながら走っても30分程度で着いたのでちょうどよい運動になった。
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下津井みなと電車保存会がちょうど活動されている日だったので、一声おかけして車庫を見せてもらった。
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保存会の有志の方々で線路を補修されていた。車庫にはイベント用車両として走っていた赤いクレパス号も留置されていた。
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駅の北側からも留置されている電車を撮ることができた。
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下津井駅から下津井の漁港はすぐそば。下津井は蛸で有名で市場にも蛸の幟が掲げられていた。
以前は丸亀への連絡船も下津井から出ていたそうだが、瀬戸大橋が架かってそれも今は昔の話である。
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むかし下津井回船問屋ですこし下津井のお勉強。下津井は江戸時代の北前船の寄港地だっようだ。
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鷲羽山を経由するか元来た道を戻るか少し迷ったが、元来た道を戻って児島へ。
体力に不安のある方はこのように自転車を載せることができる路線バスが下津井と児島の間を結んでいるのでおすすめである。

おそらく私は2021年最後のブログ更新になると思います。今年も感染症という大手を振って歩けぬ日々の中ではありましたが、気を付けながらいろいろなところを見て歩いて写真を撮って楽しめたと思います。
来年も何卒よろしくお願いいたします。
(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
駅舎に興味のある人なら、タイトルだけでおっと思われるかもしれない。
岩徳線と山陽本線の歴史を扱ううえで、西岩国駅は必ずと言っていいほど出てくる。
現在山陽本線は岩国を出ると柳井、光方面の海沿いを走るルートであるが、戦前は岩国から徳山間の距離が短いということもあり、岩徳線が幹線だった。そのため交換設備のある駅も有効長が長くホームが長い駅も多い。
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そのなかで、岩国の玄関口となっていたのが西岩国駅である。戦前、岩徳線が山陽本線となっていたときには岩国駅を名乗っていたのがこの西岩国駅である。1,2時間に1本しか列車が発着しない駅とは思えない
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錦帯橋をイメージしたアーチ形の駅舎が我々を出迎えてくれた。下から見上げると駅舎のずっしりとした重厚感が増して見える。
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列車が上下1時間以上来ない時間帯だったためがらんとした待合室。点灯していない電灯が哀愁を漂わせる。
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現在は駅構内の管理をNPOが行っているが、NPOが駐在していない時間帯は無人で、有人改札に係員さんが立つということもないようだ。
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岩国方面のホーム、隣のホームの中線が撤去されていたり、ホームが長いことから戦前、山陽本線時代に列車の往来が多かったことがわかる。
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とても素敵な外観の駅舎で列車が来るまで待っていたかったのだが、どことなく漂う哀愁から岩徳線の過去の栄華を感じさせられた。
旅程の都合もあるのでいわくにバスに乗車して岩国駅へ先回りした。

最後に
西岩国駅へは岩徳線のほか、いわくにバスに乗車する方法もあります。
ご参考までにご覧ください。



(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
土讃線降り鉄シリーズ、7回目は三縄駅から更に一駅南隣の祖谷口駅を取り上げます。

以前取り上げた駅はこちら
土佐北川
大杉
箸蔵

阿波池田
三縄

土讃線降り鉄シリーズを初めてご覧になった方へ…。
土讃線は、高知県(土佐)と香川県(讃岐)を結ぶことから旧国名の頭文字を取っているのが由来の路線である。特急に乗っていると讃岐平野を颯爽と駆け抜けたかと思えば、峡谷に囲まれ四国山地を縫うように走り、高知から先は海も見えるというなんとも景色の変化に富んだ路線である。走っているところがピンとこない方はJR四国の路線図を合わせてご覧いただければと思う。(ピンクの路線が土讃線です。)

祖谷口はその名の通り、東祖谷村、西祖谷村の玄関口の役割を担っていたが、特急が停車する点や道路整備の点から大歩危駅からの方が両地域へのアクセスは良いため、祖谷方面へのアクセスとしての当駅の役割は失われつつある。
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待合室は自治体が当時の池田町と山城町が設置したものであるため、JRの表記が無い。
自転車が置かれていたが利用者の物だろうか…。
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駅の入り口には駅の看板と時刻表の掲示のみ。
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階段を上がったところから待合室を望む。以前は簡易的な券売機があったのかもしれないが撤去されている。
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阿波池田~大歩危の駅では唯一棒線ホームだが、これは用地確保の難しさからであろう。ホームも人が1,2人並んで立つので精一杯の幅である。
吉野川沿いに張り付くように住宅が並んでいるが、駅もまた狭い場所に建てられていることがわかる。
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待合ベンチのすぐそばに駅名表が設置されていた。


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岡山行き特急南風が通過。新型の特急による運用である。速度を下げることなく高速で通過していく。
写真右奥の山の中腹にも集落が見えるが、旧三縄村川崎地区で、祖谷口駅が最寄り駅となっている。
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ホームの大歩危よりから阿波池田方面を望む。駅を境に線路が大きく湾曲しているのがわかる。
吉野川中流域の地形に合わせて集落が、そして土讃線が走っていることを感じさせられる駅でした。

(このページの作成者 てら)

こんにちはてらです。
土讃線降り鉄シリーズ、6回目は阿波池田駅のお隣、三縄駅を取り上げます。

以前取り上げた駅はこちら
土佐北川
大杉
箸蔵

阿波池田

土讃線降り鉄シリーズを初めてご覧になった方へ…。
土讃線は、高知県(土佐)と香川県(讃岐)を結ぶことから旧国名の頭文字を取っているのが由来の路線である。特急に乗っていると讃岐平野を颯爽と駆け抜けたかと思えば、峡谷に囲まれ四国山地を縫うように走り、高知から先は海も見えるというなんとも景色の変化に富んだ路線である。走っているところがピンとこない方はJR四国の路線図を合わせてご覧いただければと思う。(ピンクの路線が土讃線です。)

阿波池田から吉野川沿いをほどなくいくと三縄、車でも4,5分で着くほどの距離だ。
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駅の隣が事業所となっているためか、駅前に商店があったりと思ったより人通りがあった。
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駅前の交差点、このまま写真奥の方向へ車を走らせると池田町の中心部へ通じる。
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先ほどの写真と反対方向を向くと、西祖谷方面の県道が通じていることがわかる。
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JR転換直後は簡易委託が行われていたようだが、窓口はふさがれてしまっている。
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駅舎のある下り線側の駅名表。
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過去は貨物扱いや保線基地があったようでそのなごりだ。現在は木材加工会社の事業所となっている。
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阿波池田方面を望む
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跨線橋から阿波池田方面を望む。Y字の分岐になっているため、特急が高速て通過することはできない。
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跨線橋より大歩危方面を望む。左奥の引き込み線の他に、右手にも線路があり、昔は2面3線のホームだったことがわかる。どうやら貨物の取り扱いがなくなってから待避線を使用しなくなったようで、貨物輸送の栄枯盛衰を小さな駅からも垣間見ることができた。

(このページの作成者 てら)

こんにちは、てらです。
土讃線降り鉄シリーズ、今回は吉野川上流域では屈指の大きな町に位置する駅、阿波池田駅を取り上げます。

以前取り上げた駅はこちら
以前取り上げた駅はこちら
土佐北川
大杉
箸蔵



土讃線降り鉄シリーズを初めてご覧になった方へ…。
土讃線は、高知県(土佐)と香川県(讃岐)を結ぶことから旧国名の頭文字を取っているのが由来の路線である。特急に乗っていると讃岐平野を颯爽と駆け抜けたかと思えば、峡谷に囲まれ四国山地を縫うように走り、高知から先は海も見えるというなんとも景色の変化に富んだ路線である。走っているところがピンとこない方はJR四国の路線図を合わせてご覧いただければと思う。(ピンクの路線が土讃線です。)

今回は旧西祖谷村近辺を観光へ行った際に土讃線沿線を訪れた。吉野川沿いを走る国道192号線をドライブし、休憩がてら阿波池田駅へ。
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三角の屋根が特徴的な駅舎。阿波池田は徳島線と土讃線の運行管理上の接続駅ということもあり、土讃線の中でも規模の大きな駅である。列車の夜間停泊も設定されているため、乗務員や保守担当の宿舎と思しき建物なども隣接した箇所にある。
もともと、池田町は徳島・高知間、高松・高知間のほぼ中間に位置することから、宿場町として古くから栄えており、人の往来が多い地域である。旅館やビジネスホテルも軒を連ねていたが、所要時間の短縮や高速バスの運行に伴って最盛期の半分程度の数まで減っている。
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目の前にドカンとアーケードが立っており、突き当たりの交差点まで続いている。また、空き店舗を利用したJR四国直営のホテルも営業している。
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改札を入ると改札側からホームの番号が振られている。一番改札寄りのホームは主に上下の特急南風が発着する。
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こ線橋より三縄・大歩危方面を望む。吉野川の流れに沿って写真の左側に線路も大きくそれていく。
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3~5番線は徳島線の発着に使われており、土讃線との接続もおおむね考慮された運行本数になっている。図らずも、すぐ山が迫っているところがよくわかる写真になった。
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岡山行きの特急南風が入駅、ほどなくして発車していった。

(このページの作成者 てら)

こんばんは。てらです。

このブログはどうやら検索で該当の記事にたどり着く人が多く、記事が投稿されたタイミングでどの程度の方が読んでいるのかちょっと疑問ではあるのだが、この情勢下、あまりお出かけを推進するような記事は書きにくいなぁと思う日々。
そのなかでHDDの写真を整理していてぜひ見てもらいたい画像がいくつか見つかったため、2015年に中国地方を乗り鉄旅行し、芸備線を乗り継ぎ木次線の代行タクシーに乗車した記録を記事にしようと思う。
ちなみにこのブログでは久しぶりに共同執筆者のいしとてらが同じ行程をたどっている旅の記事である(二人とも好き勝手にいろんな所へ行き過ぎとも言う)
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そもそも、2人で乗り鉄旅行へ行くことは決まっていたものの、芸備線の末端区間と木次線を乗ることが決まったのは旅を決行する少し前のことで、2つのルートで決めかねていた。
三次から三江線、江津経由で出雲市
三次から芸備線、木次線経由で出雲市
所要時間が1時間ほどしか変わらず、列車の本数の都合で三江線経由の方が1時間早く起きなければならないものの到着はほぼ同着であった。いしと話した結果、代行タクシーを利用してみたいということになり木次線経由を選択した。木次線の備後落合~出雲横田間は利用者が少ないことに加えて豪雪地帯であることから2012年以降、毎年のように冬季はタクシーによる代行輸送を実施している区間である。
三江線はその後2018年3月末に廃線となってしまった…南無。
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そもそも芸備線とは、安「芸」と「備」前を結ぶ路線として1911年に一部区間が開業、1930年代に国有化された路線である。広島から三次、庄原、西城、東城といった広島県内の内陸部を通り、岡山県の新見に至る路線である。人口減少の著しい地域を走っているということもあり、キハ120系という小ぶりな気動車が走る路線だ。もっとも運行本数の少ないところでは1日3往復しか運行されておらず、なかなか乗り鉄が難しい路線である。
三次から備後落合行きに乗って終点の備後落合で降りたのは18きっぷで旅をしていると思しきいしと私を含め5名のみであった。
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駅舎も保線の詰所を兼ねているのか建物はしっかりしているが人の気配はない。
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駅の正面には道後タクシーのガレージがあったが、受話器がなく電話はつながらない。


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駅から国道に通ずる道をうろうろしていると立派な民家が。以前は芸備線と木次線の乗り換え客向けに旅館を営業していたそうで現在は営業していない。
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あまり広島県や島根県で豪雪地帯といわれてもイメージがつかないと思うが、中国山地は西日本屈指の豪雪地帯である。この日も3月中旬にもかかわらず2度と肌寒い気温であった。
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バスは西城方面を結ぶバスが1日3往復運航されている。駅前の写真をいくつか見ていただいたが、人通りもまばらで、民家もぽつりぽつりとしか見当たらない。

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待合室付近から東側の景色。新見方面から三次行きの列車が停車している。
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駅の待合室には備後落合通信という有志の方が作成された壁新聞が沿線の案内を行っている。
木次線は沿線地域の神話をもとに1駅1駅に愛称が与えられており、神話の登場人物が駅名表の看板に掲げられている。
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もともと、機関車の付け替えなどを行っていたこともあり、駅の南側には転車台の跡がそのまま残されていた。
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蒸気機関車が走っていたころと比べると、広い構内もがらんとしているように見える。
以前は写真のホームで立ち食いそば屋も営業していたというから驚きである。
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木次線の列車の時刻に合わせてタクシーが駅に横付けされた。結局、タクシー代行を利用するのは5人のみ。私といしも、ほかの旅行者と同乗して1台のタクシーに乗車した。
タクシーの運転手さんが「駅巡りをされる方ではなかったら、駅前で食料調達とかもできるしそのまま出雲横田駅へ直行するよ」とのことなんと普段の所要時間よりも早く出雲横田駅に到着した。
それもそのはず、木次線はスイッチバックで勾配をクリアしていくのだが、国道は奥出雲おろちループというループ線でショートカットしているからだ。

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出雲横田駅は神社を模した駅舎になっており、しめ縄も職員が作っているそうだ。
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出雲横田駅に停車する宍道行きの普通列車。これに乗り込んで我々は出雲市へと向かった。

(余談)
このあと、出雲大社や日御碕灯台を観光したので、機会があれば記事として取り上げようと思う。

(このページの作成者 てら)

どうもてらです。
土讃線降り鉄シリーズ、4回目は吉野川の北側に位置する佃駅を取り上げます。

以前取り上げた駅はこちら
土佐北川
大杉
箸蔵

土讃線降り鉄シリーズを初めてご覧になった方へ…。
土讃線は、高知県(土佐)と香川県(讃岐)を結ぶことから旧国名の頭文字を取っているのが由来の路線である。特急に乗っていると讃岐平野を颯爽と駆け抜けたかと思えば、峡谷に囲まれ四国山地を縫うように走り、高知から先は海も見えるというなんとも景色の変化に富んだ路線である。走っているところがピンとこない方はJR四国の路線図を合わせてご覧いただければと思う。(ピンクの路線が土讃線です。)
阿波池田から一駅、多度津(香川県)方面へ戻った駅が佃駅である。吉野川の南岸に位置する。
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阿波池田~琴平の区間は列車の本数が僅少なのだが、佃駅は比較的訪れやすい場所にある。その理由は次以降の写真を見ていただければわかるかと思う。
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駅名表の表記を見てもらえればわかる通り、左側が二手に分かれている。ここは徳島線と土讃線の分岐駅にあたるのだ。…にしてはちょっと寂しい感じ? からもわかる通り、徳島線も隣の阿波池田まですべての列車が直通する。
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信号の位置もやや特殊で、手前側が土讃線、奥側が徳島線の乗り場になっているのだが、土讃線同士、徳島線同士が行き違いできるようにもなっている。土讃線は手前側の線路から大きく北の方に方向を変えて吉野川を渡っていく。写真の左端に見えるのは徳島自動車道で、迂回することなくすっと吉野川を横切る。

(このページの作成者 てら)

どうもてらです。
土讃線降り鉄シリーズ、3回目は吉野川の北側に位置する箸蔵駅を取り上げます。

以前取り上げた駅はこちら
土佐北川
大杉

土讃線降り鉄シリーズを初めてご覧になった方へ…。
土讃線は、高知県(土佐)と香川県(讃岐)を結ぶことから旧国名の頭文字を取っているのが由来の路線である。特急に乗っていると讃岐平野を颯爽と駆け抜けたかと思えば、峡谷に囲まれ四国山地を縫うように走り、高知から先は海も見えるというなんとも景色の変化に富んだ路線である。走っているところがピンとこない方はJR四国の路線図を合わせてご覧いただければと思う。(ピンクの路線が土讃線です。)

駅舎の紹介をする前に、地図で周辺の紹介を行いたいと思う。

ご覧の通り、地図上だけ見ると、坪尻から吉野川を直線に渡れば良さそうなものを、箸蔵、佃と大きく東に迂回して阿波池田に通じている。これは吉野川を境にすり鉢のような地形になっていることから、吉野川を垂直に渡ると勾配差が大きいことから徐々に迂回しているのだ。
箸蔵駅の隣の駅である佃駅に降りた私は、対岸の中腹にある国道を目印に、箸蔵駅へと歩を進めたが、前述の通り高低差もありなかなかにしんどかった。降り鉄と言いながら徒歩で駅に到達しているので厳密に降り鉄と言っていいのかは微妙なのだが……。
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駅は国道のすぐ側にあり、駅前のこじんまりとしたロータリーには数軒の民家と商店があった。訪れたのが四月の頭ということもあり枝垂れ桜が見頃を迎えていた_MG_6989
写真の奥に線路をまたいでいる橋があるが、国道32号線である。一線スルー方式で通過列車は上り下り関係なく写真右側の線路を通る。
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減速することなく走り抜けるように通過する上り特急列車南風号。
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最後に箸蔵から徒歩10分ほどのところにある撮影地を訪れてみた。箸蔵から上り勾配を登り、県境のトンネル区間へ挑む
(このページの作成者 てら)

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