旅に、出た。

バス乗ったり、島行ったり。マニア2人の共同旅ブログ

乗り物好き若手リーマン2人、それぞれの旅行記録

カテゴリ: ローカル線

こんにちは てらです。
三岐鉄道1日乗り放題パスなる切符があり、三岐鉄道の三岐線と北勢線が乗り放題になる切符がある。
お互い北勢線は未踏とのことだったので、久々に一緒に遊ぼうとこのブログの管理人であるいしを誘い合わせて昨年の夏に北勢線へ行ってきた。いしと一緒に出掛けるのは2年ぶり。
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三岐線は近鉄富田から、北勢線はJRと近鉄の桑名に隣接している西桑名から員弁川を挟み込むようにして走る。
三岐線、北勢線をそれぞれ乗り鉄しようとすると、富田から桑名を近鉄ないしは関西線に乗らなければならないが、員弁川を渡って徒歩で乗り継ぐ方法があり、三岐線の東藤原/伊勢治田から北勢線の阿下喜の相互間は徒歩30分ほどで乗り継ぐことができる。
東藤原までお世話になったのは西武の赤電の復刻塗装車。どうしても西武というと黄色のイメージで赤電はちょっとピンとこない。
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当日は天気に恵まれて、大学の時の話、仕事の話、趣味の話をしながら歩いた。
私は相変わらず電車一辺倒だが彼はバスに乗ったり郵便局巡りにも手を出しており、更に沼っている気がした。
こういう他愛もない話をしていると、雲一つない暑い日でも苦にならない。ありがたい。一転残念だった点を挙げるとすれば藤原岳を背に歩いていることだろうか。
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阿下喜駅に到着。改札機もあるし、券売機もあれば、窓口に係員さんもおり、想像の数倍システマティックでビックリした。
ローカル線の終点と思っていたが都市鉄道の一端を垣間見ている気がする。
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入ってきたのは270系と200系をつないだ4連。
三重交通の復刻塗装車だ。ナローゲージの電圧では空調を載せたら機器が悲鳴を上げてしまうのか非冷房である。
調べてみると、車両重量の関係から冷房化改造が進められているものの、非冷房の車両も残っているそうだ。
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駅のホームから一枚。顔のスリムさが際立つ。
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200系と270系の間は運転台を撤去したうえで併結されている。
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西桑名寄りの先頭車両。湘南顔でおでこヘッドライトのいでたちの車両も銚子電鉄2000形や大井川鉄道21000系などあるが数を減らしつつある。この編成が非冷房なのは、200系が連接台車を履いていることから、冷房機器を車上に乗せると台車に掛かる重量が増えてしまうからとの由。この日は東藤原駅から歩いてうだるほど暑かったが、復刻塗装車でかつ、最後まで残ったナローゲージの連接車に乗れるということで我慢した。
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ワンマン用の鏡がある箇所で必ず撮ってしまう構図。駅を出ると山を避けるように弧を描きながら阿下喜の街を進行方向右側に映し出す。先日、そこで写真を撮られている方の写真を拝見したが、街並みと藤原岳が遠くにそびえる素敵な写真だった。撮り鉄な性分なもので、そういう景色も撮れたらなあ…と思う。
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夏の日差しに照らされる鈴鹿山脈を見ながら、非冷房で窓が開いている車内を暑い風が吹き抜ける。
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折角なので途中駅で下車。この時間でも車内の座席の3割ほどは埋まっていた3
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降りたのは阿下喜から2つ目 楚原駅。
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北勢線は西桑名から途中の大泉や楚原で折り返す列車が日中は半分ほどあり、阿下喜~楚原間はおよそ1時間に1本という本数。
近鉄時代に比べて駅間の近い駅を併合したり、交換個所を増やすことで時間帯によって本数を増やしたりといった地道な経営努力がなされており、全駅に改札機が設置されていることからICカードの導入も検討されている。
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下車した理由はねじりまんぽの橋梁を見に行くため。ねじりまんぽとは石材・レンガを斜めに積むことで力が一点に集中しないような積み方の橋梁。コンクリートが一般的に出回る前に架橋された橋梁にみられる。こちらはおよそ100年前に架橋された六把野井水拱橋。
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帰りの電車も非冷房。スプリングポイントを渡って対向列車と交換する。
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楚原から40分ほどで終点の西桑名に到着。列車交換の頻度や、西桑名に近づくにつれて席が埋まっていくのを見ると日中でも利用する人の多さがうかがえた。
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券売機2台に定期券発売窓口があり、改札も3台。多くの人が足早に桑名駅の連絡通路に消えていった。
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特徴的な発車案内。
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西桑名駅は1面1線で縦列停車のような形での停泊も無く、来た電車がそのまま折り返していく。
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片道しか乗らないとちょっと味気ないような気がする反面、行き帰り同じ道のりはちょっとつまらないと思ってしまう性。段々と景色が都会になっていく車窓の変化を楽しんだ乗り鉄だった。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
JRの中でも東海道新幹線という大動脈の運行を支えるJR東海。
東海道新幹線は数えきれないほど利用しているが、在来線特急は乗ったことが無いところも多い。
その一つに高山本線があり、岐阜から飛騨川を遡上し、宮川、神通川と沿うように富山まで至る路線であるが、長良川鉄道に乗車した際に岐阜側の数駅しか乗車したことがなかった。折角なので下呂や高山といった温泉地、観光地を回ることにした。
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名古屋駅を発着する特急のうちひだ、しらさぎ、しなのは10番、11番のりばから発車する。
複数の系統の特急が行き来する駅のホームに掲示されている行先や乗車位置案内を見るのは楽しいが、名古屋駅はホームの下の通路に掲示されている案内くらいでしか見ることができなかった。
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ひだ9号に乗車、乗車前から外国人観光客がホームにわんさか待っていたのでびっくりしたが、最長の8両編成だった。
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HC85系気動車 量産車は2022年から2023年にかけて製造されている新型車両だ。
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期間限定でブルーリボン賞の受賞ステッカーが貼付されていた。
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8両のうち、5両が指定席、2両が自由席、1両がグリーン車。指定席も約半分の座席が埋まっており平日にも関わらず利用率の高さがうかがえる。
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飛騨の伝統工芸の一つである、一位一刀彫が車内に飾られていた。車両ごとに飾られている伝統工芸が異なる。一位一刀彫のほか、岐阜うちわや美濃和紙、飛騨春慶も飾られている。詳しくはこちら ※JR東海運営のサイトに飛びます。
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さて、特急ひだ号は東海道線を最高速度120km/hで駆け抜けた後、岐阜から高山本線に入り、鵜沼付近から飛騨川と並行に走る。
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飛騨川をさかのぼりつつ共に走ること30分、だんだんと川の流れも急峻になっていく。
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鵜沼や美濃加茂の平野から30分ほど走ると白川口に到着する。
白川郷への入り口という意味で名づけられたのかと思いきや、駅の所在する加茂郡白川町から来ているそうだ。※上り列車乗車時に撮影
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美濃と飛騨の境目が白川町と下呂市の境目にあたり、列車は更に飛騨川沿いを遡上するように走る。
飛騨川は水力発電を行うダムがいくつもある。※上り列車乗車時に撮影
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この辺りは川のうねりも大きくなっており、車窓の右に、左に飛騨川の流れを見ることができる。※上り列車乗車時に撮影
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名古屋から約1時間半。下呂に到着。飛騨の玄関口であり、日本三大名泉の一つに数えられる。
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翌日、下呂から高山まで乗車した際に、前4両が富山まで行くひだ号に乗車した。折角なので高山観光の前に解結作業を見学した。
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雪の舞う高山駅前。高山は江戸時代から続く城下町、商家の街並みが重伝建にも指定されており、街歩きを楽しむつもりが思いのほか降雪が強く泣く泣く途中で切り上げを余儀なくされたので、行けなかったところはまた機会があれば…。

月並みな感想だが、ここまで景色の変化が面白い路線だと知っていれば、先代ののキハ85が走っている時に乗っていたら楽しかっただろうなと感じた。
(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
信越線は高崎から碓氷峠を越え、佐久を経て菅平の玄関口の上田、善光寺詣でで有名な長野、豪雪地帯の妙高と長野県の北部を半円を書くようにぐるりと回り、日本海側の直江津に至り米どころ新潟を縦貫する長大な路線だ。
長野新幹線開業のタイミングで横川と軽井沢の間が廃線となり、群馬県側は高崎~横川を30分余りで結ぶ県庁所在地から郊外に延びるローカル線のような風情になってしまった。
ふと、JRの時刻表を眺めていると、お天気のよさそうな日に臨時列車が走りそうなので仕事にやりくりをつけて眺めに行くことにした。
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後補機のSLがやや目立つが電気機関車がけん引する客車列車は本当にかっこいい。
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臨時列車を撮影後、天気もいいし行ったことがなかったので碓氷峠鉄道文化むらを来訪。
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機関車が好きで撮影に行くことが多い私ですが、こんなにいろんな形式の機関車あったんやなあとしみじみ。
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やはりここは碓氷峠のおひざ元ということで、EF63型機関車を色々な角度から撮ってみた。
横川~軽井沢が廃止になったのが長野オリンピックに間に合わせるように開業した長野新幹線の1997年。生まれていたものの残念ながら記憶には無く。横軽については新幹線が開業する前に機関車を連結して運行されていたくらいの知識。
過去の歴史やルート、アプト式の機関車が走っていたことなどを文化むらで初めて知ったくらいだ。
博物館での撮影がお上手な方の写真を幾度となく拝見しますが、足元にも及ばず…。
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ノッチ(加速)の段数やブレーキが単独ブレーキと自動ブレーキの2種類あるところは電車と全然違う。R0031127
横川駅に戻ると、目的の列車がすでに小休止していた。汗が出るほど暑いがおぎのやでそばをいただきながら機関車を眺める。
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個人的には現存している機関車のなかではピカイチにカッコいいと思っているEF65型500番台のP型。
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夏の青い空の中で小休止する姿。最近ちょっとヘッドマークが仰々しい感じなのがたまにキズで…「碓氷」時代はよかったんだけどなあ…。
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組織改正で機関区も「高」から「群」に変わってしまった。
しかし、機関車の妻面の排気口や飾り帯といった凛々しさは十分。
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中央に向かって少し出張っている角度のあるデザインも良い。こういうのはいくら撮っても停泊中にしか撮れないので本当に来てよかったと思った。
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臨時列車の類も普段全く乗らないので客車列車に乗るのもとても久しぶり。大学生や高校生の頃に簡易リクライニングの急行はまなすに乗った時以来かもしれない。
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平日の臨時列車なのでお客さんも少なくいろいろな角度から写真を撮れた。
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実のところ、乗ったのはEF65のけん引ではなくC61蒸気機関車けん引のSLよこかわ号。片道30分少々だが非常に楽しかった。

余談
2日連続でEF65型がけん引するということだったので翌日も撮影へ。
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夕刻、青々と背を伸ばす稲を横目に走る姿を思い切って流し撮り。いや~やっぱりかっこいい。
2日連続で好きな機関車の写真を色々撮ることができて本当に満足でした。

(このページの作成者 てら)

近所だけどあんまり写真撮ってないし、撮りに行くか…と、重い腰が上がるのは決まって春、4月から5月ごろ。
こんにちは てらです。
家の近所を走る特急こうや号。都心部では17m4両の短い特急を撮ろうとしてもどうも映えない。
しかし、橋本以南の区間はそれこそ山を縫うように急曲線を登るように走る。新緑が映える季節に撮影に行った。(※1)
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折角なのでそういう姿を存分にと、大阪市内から電車に揺られること1時間半。高野下駅で下車。
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高野下駅から極楽橋駅の区間は特に急曲線、急こう配が続く区間である。高野下駅付近は90度近く方向を変えながら川に沿って勾配を上がっていく。駅から直線距離はすぐそばだがこの通り高低差があり、息が切れそうになる。
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高野下駅付近は良いロケーションの撮影地が顕在しており、こちらも駅から20分程度。
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高野下駅から、さらに下り電車に乗り込むとしよう。
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向かったのは紀伊細川駅。上古沢~紀伊細川の間に急曲線を曲がりながら走る橋梁があるので、その撮影地まで歩いていくことにする。
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新緑の中、影を歩けば涼しいが日が照ると暑い天気を歩くこと35分ほど。
関西電力南大和線の広大な送電線と高野線が見られる撮影地へ。
高野山への参拝という名目ながら、こんなところに線路を敷いて電車を走らせることに驚きだが、隅々まで電力を行き渡らせるために送電網をしいている電力会社もすごい。
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こちらが笠木橋梁。川を挟んで反対側の集落から橋梁の名前がついている。
車窓から笠木の集落をみたときに、あそこまで歩かなければならないのか…と少し覚悟したが、ペースよく歩けば汗だくにならずに済んだ。
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以前の作例を見ると1両半くらいは写っている作例が多いのだが、1両の半分が精一杯だった。所々咲いている藤の花が美しい。
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この後は紀伊細川から上古沢は下りなので楽なのだが、当てにしていたドライブインで休憩しようと思っていたらドライブインが閉まっていたのと、駅までの坂道が急だったのでどっと疲れた。
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5月なのに冷房が入っている電車に感謝しながら乗り込む。
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3枚目、天空を撮影した丹生川橋梁の撮影地は少し進むと、午後順光の撮影地となる。
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折り返し列車を九度山駅から歩いて俯瞰撮影地へ。紀の川フルーツラインの柿の郷大橋の上から一枚。
中央奥に映っている赤い橋梁が1枚前の写真で紹介した丹生川橋梁である。
一面雪が降る季節に再訪したいところだが、果たして重い腰があがるかどうか…。

お断り
※1この記事は、2回撮影にいったものを1つの記事にまとめております。
※2天空は運転日・ダイヤが日によって異なるので撮影前に要確認。また、上り方に自由席車両が連結されるため天空車両だけ撮影したい場合は撮影地を工夫されたい。
(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
前編ではブルートレインたらぎについて簡単に紹介させていただいたが、後編では実際にブルートレインがあった時代をイメージして何枚か撮影した写真を紹介したいと思う。
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薄暗くなってきた時間帯、駅にブルートレインが滑り込む。寝台特急はやぶさ。仕事を午前中に切り上げて旅行へ向かう私の心は軽やかだ。仕事が終わってその足で乗る飛行機、フェリー、新幹線…。どれもやったがやはりブルートレインのワクワク感にはかなわない。
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乗車率はまばらなのか、カーテンが空いている寝台もあった。
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私が乗車したのはB寝台ソロ。旅行に行こうと決めてから調べたところ、たまたま空いていた。
ブルートレインの個室、心躍るものである。
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年季が入ったB寝台の文字はいつの間にか飴色になっていた。デッキから客室への扉を開ける。
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乗車した時点では3割程度の乗車率。まだまだ乗車してくるのだろうか。
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窓の外を眺めていると県境にさしかかった。この辺りは駅間も長く、街の灯りも見えない。
夜の景色を見ながらビールといきたかったところだが、明日も早いのでもう横になろうか。
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ふと、列車が動き出した時の衝撃で目が覚めた。まだ5時を回ったばかりのようだ。どのあたりを走っているのか気になるがもうひと眠り…。
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なかなか列車内では寝れないもので、部屋を出て顔を洗いに行く。6時前。
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空もだんだんと明るくなってきて、すれ違う列車も増えてきた。もうすぐ終着駅だ。
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一本、また一本と列車とすれ違う。朝ラッシュの真っただ中をブルートレインは走る。
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寝具を畳み、部屋を後にした。腕時計に目をやると少々遅れて到着したいるようだが、旅程には大きな影響はなさそうだ。
新幹線の路線網やホテルの快適さを考えると、ブルートレインは夜中に移動できるとはいえちょっぴり窮屈だったが、過ごした時間の充実度は何にも代えがたかった。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
九州に親戚が居る私にとってブルートレインというと東京や大阪から西に走るブルートレインのイメージが強く、東京発は鹿児島線方面のはやぶさ、日豊線方面の富士、長崎線方面のさくら 京都・大阪発は鹿児島線方面のなは、日豊線方面の彗星、長崎線方面のあかつきあたりはぱっと名前が出てくる。
しかし、関西発着便は2008年に、東京発着便は2009年を最後に九州行きのブルートレインに定期便はない。
私にとってのブルートレインは小学生のころになは・あかつきに乗ったきりになってしまった。(最も、その後にはまなすには何度かお世話になったものの毎度指定席の貧乏旅行であった…)
前置きが長くなったが、九州方面へ1泊2日旅行へ行く際に、どうも天気が思わしくなかったのでドライブ旅行にした。折角なので訪れたのが熊本県南部、球磨郡多良木町にあるブルートレインに泊まれる簡易宿泊施設、ブルートレインたらぎである。 
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スハネフ14がヘッドマークを掲げ我々を出迎えてくれる。3両編成で、2両目がラウンジカーでチェックインカウンターのほか、椅子と机が並んで飲食ができるスペースで、両脇が開放B寝台(スハネフ14)と個室B寝台(オハネ15)である。
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以前訪れた方の写真を拝見すると方向幕も電照していたようだが、訪れたときは点灯していなかった。はやぶさの東京行き。
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一方、スハネフ14のテールマークはこのように点灯していた。薄暗い時間に見ると雰囲気が出る。
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今回、せっかくだしと個室B寝台に宿泊、宿泊料金は公式でも案内があるが、開放B寝台と個室B寝台の値段は同一である。
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廊下。すでに客車の塩素による消毒のようなにおいが車内を漂う。
寝台列車ではなく建物に宿泊する形になるので非常口表示や火災報知器があるが、雰囲気は十分。(目立たないように頑張って撮ってます笑)
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フロントで頂いた鍵をあけると宿泊する部屋が。基本的には空いている時は下段があてがわれるようだ。
ブルートレイン時代は既にリネンがセットされた状態であるが、こちらではセルフスタイル。
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JR九州時代のモケット柄。この細かで不均一なドット柄がどことなく懐かしい。783系のハイパーサルーンとかとも似ているのかも…。
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宿泊者は車内見学が自由にできるのでスハネフ14の開放寝台も見学した。(たまたま、この日は宿泊者が居なかったようだ。)
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こういった寝台表示も健在。
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飲料水の冷水器は使用できないもののそのまま存置されている。
同様に車内のトイレも使用することができないが、客車のすぐそばに設置されているトイレを使用することができ、ウォシュレット対応便座なので寒い時期も安心。
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洗面台は使用が可能。はまなすで渡道していた時はドライヤー用のコンセントにお世話になりました。
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ラウンジカーには国鉄からJR移行時の広告類が掲示されており、まじまじと見入ってしまった。
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ブルートレインたらぎ「前編」では主な設備や車内の雰囲気についてお伝えした。
後編では実際にブルートレインの乗車をイメージした写真を何枚か撮影したのでその写真と共に旅行記風にまとめてみました。ぜひご覧ください。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
2024年3月のダイヤ改正により北陸新幹線の金沢~敦賀が延伸開業した。
ダイヤ改正を前に特急街道であった北陸本線の特急系統の見直し、系統の変化があった大きな改正だった。
開業に湧く福井県を走る福井鉄道は、ドイツ南西部のシュトゥットガルトで走っていた車両をイベント車両として運用している。
新幹線開業を機に、観光資源として通年運行を可能にするために空調機を設置する予定である発表がされていた。
しかし、開業当日のイベント運行では窓枠の形が若干変更となったのみで工事を実施していないようであった。
せっかくなので、外観が大きく変わる前に開業ブームが醒めやまぬ福井へ行くことにした。
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第三セクターに転換された武生駅で下車 
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から歩くこと約5分で福井鉄道福武線のたけふ新駅に到着。
本来であればゆっくりと写真を撮りたいところだが、時間がないのでそそくさと電車に乗り込んだ。日中のパターンダイヤだとハピラインと福武線の相互の乗り換えは難しい時間が多い。
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最新型のフクラムライナー 角張ったデザインのリトルダンサータイプ。
10分ほど乗車し、家久で下車
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どこで撮影しようか迷ったが、何分初めて撮影するので光線が良く撮りやすいところをチョイスし、日野川橋梁を渡る構図で一枚。
パンタグラフが大きいのと、電柱の間隔が難しかった。両運転台に改造されたのが目立たないように撮ってみた。
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撮影のあと、大いに気をよくして水落駅で下車。地図だけだとわからないが、連続する勾配を名鉄の車両がガンガン走るのは気分の良い物であった。揖斐線とかでの走りはどうだったんだろうか。
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お昼はヨーロッパ軒へ。都心の店舗は土日だと混んでいるだろうと思ったが、福井市街の店舗以外はロードサイド店舗だらけ…。
駅から比較的近い店舗へお邪魔した。ごちそうさまでした。
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専用軌道の箇所では分岐が雪によって凍結しないようにシェルターが設置されている。私鉄で設置されているのは珍しいのではないだろうか。ミニチュアのようなサイズ感なので思わず一枚。
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名鉄車、スノーシェッド、構内踏切 自分が思う福鉄っぽさの三点セット。
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西鯖江でお客さんの入れ替わりが多かったので一枚。特徴的な丸い通路の車内。
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先ほど撮影した家久駅は終日列車の行き違いがある。名鉄車同士とわかるように1枚撮ってみた。富山地鉄に行った際も感じたが、福鉄も古い駅舎がきちんと手入れされて丁寧に使われている。降りてないので写真はないが神明駅や浅水駅も素敵な駅舎の駅だった。
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終点たけふ新の一つ手前、北府駅で下車。車庫のある駅だ。
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ここも有人駅だった名残からか立派な駅舎を構える。
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車庫のそばには引退した200形が化粧直しがされ展示されていた。200形が走っていた頃は北陸新幹線金沢開業前でJRの国鉄急行型ばかり追いかけており走っている姿を撮影することはできず…。
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北府駅でどのように撮影しようか悩んでいたところ、直前になって地元の方のお見送りも含めて撮影者が10人ほどになった。
駅の雰囲気とうまく絡めたかったものの断念。すぐ後の福井方面の電車に乗り込む。
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福井鉄道の福井駅周辺で撮る際に福鉄の運行系統について紹介する。
下り:たけふ新→福井城址大名町(スイッチバック)→福井駅→福井城址大名町→田原町(鷲塚針原)
上り:田原町(鷲塚針原)→福井城址大名町→福井駅→福井城址大名町(スイッチバック)→たけふ新
(一部の急行はたけふ新→福井駅、福井駅→たけふ新)
といったルートで走行するため、福井城址大名町→福井駅は必ず福井駅側にパンタグラフが来る。スイッチバックの折り返し時間や交差点の信号待ちを活用すれば大名町の交差点や福井駅前の通りで何度か撮影することができる。
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西武鉄道沿線で育ったので、馴染みのある西武百貨店とドイツのレトラムを共演させてみた。
新幹線バブルで再開発が進む福井だが、西武百貨店は首都圏以外の店舗を縮小している傾向にあるのでこのような光景はいつまでみれるのだろうか。
今回はレトラムの撮影に合わせて撮影地を移動していたので、名鉄車の770型、880型の写真をあまり撮ることができなかった。雪の降る季節に名鉄のお古を撮りにもう一度訪れたい福井鉄道であった。
(このページの作成者 てら)

この記事は野岩鉄道編の続きとなっています。よろしければ野岩鉄道編もどうぞ。


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今回はいろいろと寄り道をしてからの会津高原尾瀬口駅への訪問となったが、東京浅草から電車一本で福島県南会津町まで来れるというのはすごい。実際のところ、1980年代のバブル期は尾瀬のハイキングやウィンタースポーツで人がごった返していたという話だから鉄道の役割というのはすごかったのだろう。
横道にそれるが、50代の方の話を聞いていると平日バリバリ働いて夜は夜行列車やバスに乗ってそのまま土日はスキー三昧みたいな話も聞くし、今の我々よりもはるかに体力があるのでは…と錯覚することがある。
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会津高原尾瀬口駅は会津高原プラザと併設されており、鉄道とバスの結節点として機能している。
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私は寄り道してひとっぷろ。やや熱めの湯温のお風呂をいただいた。駅から5分ほど歩くだけでも静かに深々と降る雪で冷え切ってしまった体がほかほか湯気が出るような温かさであった。
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駅に戻る。JRのローカル線で聞き覚えのある接近メロディと共に東武の特急リバティがやってきた。

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会津高原尾瀬口から会津田島まではノンストップ。レールの長さが短くなったのか、東武線内や野岩線内とは違いガタン、ガタンと短いリズムで揺られる。
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最新型の電車特急から見れる景色がこんな一面の雪景色…。暖冬だった今年だが会津は雪深い。
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会津高原尾瀬口からはリバティ会津リレー号という特急に接続している列車に乗車。といっても各駅にとまる単行のワンマンカーで1時間余りかけて会津田島から会津若松までを走破する。
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派手な塗装だなと思って目をやれば、芦ノ牧温泉駅で駅長猫が勤務しており「にゃん旅鉄道」という映像作品がつくられたのを基にクラウドファンディング方式でラッピングされた電車とのこと。
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「もう列車の来る時間よ。」とあるが会津鉄道も1日11往復なので、本当はのんびり途中下車しながら行きたいもののその日のうちに大阪に帰るとなるとそうもは行かない。野岩鉄道で楽しみ過ぎてしまったか…。
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列車は阿賀川沿いを走る。
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…普通列車で相席の方がいなかったのをいいことにやらせてもらいました。
これがなんと小野上温泉から芦ノ牧温泉までは立ち客が出るほどの利用で、どうやら海外からの団体旅行客が小野上温泉と芦ノ牧温泉の間を鉄道で移動して、駅長猫に会おうという行程らしい。半分ほどの座席が空いていた車内が一気に満員に。
気まずさからお酒も一気に飲み干してしまった。
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大川ダムにかかる若郷湖を渡り芦ノ牧温泉を出ると徐々に開けてきて終点の会津若松に到着する。
列車が混雑していて行程の後半は写真を撮ることができなかったのが残念であった。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
この記事は野岩鉄道(前編)の続きとなっています。

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湯西川温泉駅で列車を待っていると四筋の光が見えてきた。
トンネル駅で電車が来た時の安心感は何にも代えがたい。ホームで電車を待てる駅ではこういうシーンを撮影してしまう。
野岩鉄道がクラウドファンディング方式により、6050系をイベントでも使用できる車両に改造しておりお披露目を込めた臨時列車「やがぴぃ号」の設定があった。モーター車は掘りごたつや運転台のモックなどがあり整理券が必要だが、付随車は乗車券のみで乗車可能。乗客は整理券が必要な車両に20名ほど乗っていたのに対して、私が乗り込んだ付随車は家族連れ一組のみ。車内の写真を撮るのにはちょうどいいがちょっと寂しい。
野岩鉄道はダイヤ改正で線内完結列車が減り、多くを特急の乗り入れ運用に頼っている状況にある。
どうしても首都圏からの旅行客を見込んでの路線であるため厳しい経営環境であることは想像に難くない。そんななか行楽期は臨時列車等が設定されるので6050系のローカル運用を狙って見るのはどうだろうか。
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湯西川温泉駅を出た列車はすぐトンネルを抜け、湯西川に架かる橋梁を渡っていく。
写真は雪原ではなく凍っている湯西川。6050系に乗っている感じが写真で撮れてよかった。
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上三依塩原温泉口で特急と行き違い。日曜日ということもあり3両で結構な座席がうまっていた。
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降り鉄の方にはおなじみの男鹿高原駅 特急が止まらなくなったことに加え線内完結運用も減ったため1日5往復となってしまい、秘境度が増してしまった。
もちろん臨時列車への乗降はなく発車。
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6050系系列といえば多層建ての列車であるため車内にも方向幕が設置され行先を見ることができる。雪景色とともに一枚。
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日光市と南会津町の境目はさらに雪深い景色となった。
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終点会津高原尾瀬口駅に到着。途中駅からの乗車だったため30分にも満たない乗車であったが、雪景色を楽しむことができた。
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新藤原方には「やがぴぃ号」のヘッドマークが掲出されている。
ちょうど時間があったので、近くの温泉に入浴して会津田島方面への列車を待った。

(このページの作成者 てら)

こんにちは、てらです。
大学生のころから、東京から会津方面へ遊びに行くときに所要時間は新幹線に分があり、価格面では東京会津若松・郡山間でバスが走っていたこともあり乗ったことがなかった野岩鉄道線、会津鉄道線。
調べていると、6050系を使用した臨時列車が走るとのことで撮り鉄も乗り鉄も両立できそうである。
そうなれば話は早い。最初は宇都宮に宿をとって日光線で今市まで出て…と考えていたのだが、浅草から特急に乗れば宇都宮を出る時間と小一時間も差はない。折角なので行ったことのない浅草から特急に乗って野岩鉄道線、会津鉄道線を乗りに行くことにした。
全線複線で高規格な伊勢崎線、日光線に揺られた後、鬼怒川線からは一気にローカル線の様相に様変わりしたものの、鬼怒川温泉まで2時間余りの快適な移動だった。
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終点の鬼怒川温泉駅からAIZUマウントエクスプレスは2分の乗り継ぎ。車両の写真や駅の写真を撮る間もなく列車は満席に。
3両の特急からほとんどの人が乗り換えていたので新緑や紅葉の季節ではないものの奥日光や塩原方面への温泉旅行をする人だらけであった。
野岩鉄道線はもともと国鉄会津線(現会津鉄道)と国鉄日光線(JR日光線)を結ぶ路線として敷設、国鉄の経営改善の一つとして工事が凍結された際に、第三セクターで工事を続行し東武鉄道と直通運転を行うこととなった。
なるほど、国鉄転換線(会津鉄道)と東武鉄道をどうして結んでいるんだろう…という謎も調べてみて初めて知った。
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1週間前に大雪だったようだが、晴れていても残雪がところどころある東武鬼怒川線沿線。
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川治温泉~川治湯元の車窓からはダム設備が見える。最初はダム湖から野岩鉄道を撮影することも考えたのだが帰る時間が遅くなるので泣く泣くあきらめた。
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湯西川温泉は結構な利用者が下車。バスに乗り換えて湯西川温泉に行く人が大半の模様。
AIZUマウントエクスプレスは専門の派手な塗装である。以前は名鉄8500系が担当していた。
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湯西川温泉は日本でも数少ない365日営業しているトンネル駅。土合、筒石などが有名だが、湯西川温泉もこのうちのひとつである。
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階段を上がると、湯西川温泉に接続するバスが待っていた。
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こちらが今回のお目当ての一つ、6050系の定期運用が湯西川橋梁を渡るところ。
撮影するところをどこにするか迷ったが、鉄道建設公団線であるところがわかりつつ、景色も風光明媚なところにしたかったのでこの場所をチョイス。駅からも近かったので非常に良かった。
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駅に併設されている道の駅に温泉があるため、ひとっ風呂浴びて駅へ。
折角のトンネル駅、雰囲気がわかるように色々撮影。
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発売範囲が広くてびっくり。係員さんがタブレットを操作しレシート状の切符が出る。この範囲の駅はレシートの切符を収受することもあるってことなんだろうか…。
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ホームへ続く階段
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列車が来る直前のホームは雰囲気がある。ここで第二のお目当てを待つ。後編へ続く。

※鉄道路線としては新藤原~会津高原尾瀬口が野岩鉄道の所属である。
 今行程では直通列車に乗車しており、新藤原から乗車していないため鬼怒川温泉~湯西川温泉としている

(このページの作成者 てら)

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