旅に、出た。

バス乗ったり、島行ったり。マニア2人の共同旅ブログ

乗り物好き若手リーマン2人、それぞれの旅行記録

2021年11月

どうもこんにちは てらです。
今回和歌山から徳島へでるフェリーについて書きます。

関西から四国方面の航路は、三宮から高松、六甲アイランドから新居浜、大阪南港から東予(今治)といった便がある。愛媛方面のフェリーは夜行便になっており昼間の運航はない。
そのなかで1日8往復しているフェリーが和歌山徳島航路、南海フェリーだ。
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南海フェリーは鉄道との接続が考慮されており、和歌山港駅を発着する電車はフェリーが運航されている時間帯以外は和歌山港近辺の工場関係の勤務者が通勤する時間帯に運転されているくらいで、一日に11往復の運転にとどまる。
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そんなこんなで、電車を降りた人は足早にフェリー乗り場に足を進める。駅構内をこそこそ写真を撮っているとあっという間に私一人になってしまった。
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列車の発着時のみフェリーの係員と思しき職員が改札をおこなっていた。
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改札を出て右手に折れるとフェリーへの乗り場に直通する歩道橋があるのだが、まだまだ時間があるのでフェリーターミナルに立ち寄ることにした。
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駅直結のフェリーターミナルも日本津々浦々探しても珍しいだろう。
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南海四国ラインという愛称、いまやあまり見かけない気がするが…。
もともと南海四国ラインは、徳島側は小松島港だったが、徳島港の整備に伴い徳島港に航路が変更となった。
小松島港時代は大阪南港や千葉を結ぶフェリーも運行されていたようだが、徳島港から出る旅客を扱うフェリーは南海フェリーの和歌山便のみである。
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券売機の横にはイメージキャラクターがお出迎え。
しかし、南海電鉄の各駅でフェリーの船賃込みの企画券が売られているため、今回は券売機のお世話にはならなかった。くわしくはこちら
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フェリーの待合室から先ほどの歩道橋まではここの階段を上るのだが、なんか事務所の二階って感じがして本当に利用者が使っていいのか不安感を覚える。実際のところ、徒歩乗船で鉄道以外を使う人はそんなにいないのだろう。
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残念ながら南海フェリーは桟橋からフェリーが近いため、船舶全体がわかるような撮ることができない…。
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たまたま私が乗ったのは新型のあい だった。
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晩の便だったため、晩御飯ついでに晩酌をし、真新しさの残るこぎれいなカーペットで横になっていたら徳島はすぐであった。

(このページの作成者 てら)

こんばんは、いしです。
多摩、埼玉に路線網を広げる西武バスは、秩父地方では西武観光バスの会社名で路線バスを運転しています。

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西武秩父駅を中心に、周辺の谷筋へ路線網を伸ばしていて、旧荒川村の三峰口駅から旧大滝村の奥深くまで行くのが中津川線です。(この日はエルガミオでした)

途中まで三峯神社行の急行バスも並行しているので、一般の観光客がバスを使う機会も多いのがこの路線の特徴でしょうか。この日は三峰口〜大滝温泉遊湯館の間だけ急行バスにも乗りましたが、三峯神社に行くと思しき観光客でバス座席が埋まる盛況ぶりでした。

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(西武秩父駅発の三峯神社行。三峰口駅にて)

秩父鉄道の終点である三峰口駅からさらに西に行く西武バスは、旧大滝村の役場を通って、秩父湖方面の国道へ折れて三峯神社へ行く路線、奥秩父もみじ湖の手前の集落で折り返す小双里行、さらにその先の中津川まで行く路線の3つがあり、中津川行が最長のルート。加えて、中津川行は、途中、中津川へは遠回りになる西の端にある川又集落へ寄り道(複乗区間)するので乗りごたえ十分です。



中津川の手前、出合バス停から終点までは県道指定も外れて道が狭隘なこと、出合バス停から分岐する県道の先にはかの有名な小倉沢集落があること等々、話題に事欠かない路線でもあります。

※友人が出合バス停から歩いて件の集落まで往復していましたが、舗装されているとはいえ登り坂数kmでダンプが行き交う狭路のためなかなかにタフな行路となっていた模様。

中津川行は3本/日と本数は少なめですが、折り返しが10分取られているので、乗りバスも(比較的)しやすい方の部類。私が乗車した日はバスがゆっくり走って10分延でしたのですぐ折り返しとなってしまいましたが。

車内は観光客と見られる人が数人乗るのみで、車内流動もほとんどなく、終点の中津川までバスはゆっくりと走っていきました。埼玉の奥深さを感じるにはうってつけの路線です。

(このペイジの作成者 いし)

こんにちは てらです
乗車記とともに、沿線で撮った写真も紹介しながら、2022年秋開業で残りわずかとなった特急かもめを見送ることができればと思う。
父方、母方ともに九州北部に実家があった都合、私は長崎と佐賀の間を特急に乗る機会がよくあり、JRの特急と言えば「かもめ」であった。
485系が走っていたときの記憶は残念ながらないのだけれど、2000年に885系が特急として走り出した時のことは記憶に残っている。

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そんなかもめに佐賀から乗り込んだ。佐賀駅もなかなか開発がすすまないと言われていたものの、久しぶりに降り立ったら商業ビルが建っていたりバスセンターがリニューアルされていてこぎれいになっていた。
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おしゃれなデッキにお出迎え。佐賀から博多方面にお盆や年末年始に乗り込んだ時はこのデッキに詰め込まれることも多々あったな…なんて。
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特急かもめは885系車両。以前は革張りのシートが有名だったのだが、いつのまにかシートもリニューアルされていた。
ところどころ破れていたイメージがあったがやはり座り心地とか維持コストとかを考えてのことなのだろうか。

佐賀から肥前山口までは佐世保線系統の列車も走るため列車の本数が多く複線なのだが、肥前山口から先は単線区間になる。
肥前鹿島から先の区間は車窓から有明海を望む撮影地はいくつかあり、ぜひゆっくりめぐりたいところ。
ただ、なにせ第三セクターへの切り離しの構想が上がるような区間。佐賀側は肥前大浦や肥前浜、長崎側は湯江や小長井で折り返す列車が多く、5,6時間ぽっかりと時間が空く時間帯もあり、県境を越える列車はわずか7往復。
一番風光明媚なところなのに…と指を咥えなかなか写真を撮れずにいたが、新幹線ができるまでの時間を考えるとそうもこうも言っていられない。
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降りたのは肥前鹿島。車を借りていくつか行ってみたいところを回ってみた。
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多良駅と肥前大浦駅の間はヤシの木が揺らぐ夏らしい景色を感じられる箇所がある。間に合うと思ってなかったけど普通列車を撮ることができた。
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思うような晴れ方ではなかったものの、885系白いかもめが走り抜けると絵になる。
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そのあとは波瀬ノ浦へ。
国道は海岸線に沿って走るが、小さな入江は橋で渡ってしまう。波瀬ノ浦はそんな小さな入江だ。
祐徳バスの肥前鹿島と大浦を結ぶバスが通って行った。そうか、このバスをうまく乗り継いで撮りに行くこともできたな…。
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入江を渡る特急を、入江に留め置かれている小舟と共に。思ったより潮が引いていて絵にならないかなと思ったのだけれど、これはこれでお気に入りの写真。
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最後は肥前飯田駅を見渡せるミカン畑へ。
ここは一線スルー方式で、通過する列車は行き違いをしない限り手前の線路を走る。
787系のかもめ 昔はつばめで走っていた車両だったのでこの車体の色なんだろうけど、こんな黒いかもめっているのかな…なんて。
それを言い出すと、真っ赤な特急が走っていた時代も博多と佐世保を結ぶ特急は「みどり」だったのでちぐはぐもいいところである。
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やはりかもめは白い車体のこの車両のほうが映える気がします。
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肥前鹿島から再びかもめに乗り込んだ。
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有明海を縫うように走る車窓がみどころである。
子供のころの私は揺れるしなかなか目的地に着かないしでぐずった原因である区間なのだが…改めて両親には迷惑をかけた気がする。

諫早を出てしばらくすると長崎本線は二手に分かれる。
長与周りルートと市布周りルートの二線があり、長与周りは福山雅治の歌にも時々出てくるような穏やかな大村湾を望む景色が眼前に広がるが、短絡ルートを目的として作られた新線の市布周りはトンネルをスピードを緩めることなく突き進む。
普通列車に乗っているとトンネルに突入した瞬間に窓が風圧でへこんだりするのが見て取れる。素人ながらに怖いけど強度的には問題ないのかもしれない。
トンネルを抜けると長崎の市街を時折路面電車と並走しながら走る。浦上に停車すると終点長崎まではあと少し。
485系が走っていたときの記憶は残念ながらないのだけれど、2000年に885系が特急として走り出した時のことは記憶に残っている。
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幾度となく乗ってきた特急かもめ号、新幹線の開業準備がはじまりいつのまにか在来線ホームの横に新幹線のホームができた長崎駅に到着。
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着々と新幹線が走る準備ができている反面、お世話になってきた景色も特急で乗るのももしかしたら最後かなと思うとちょっぴり寂しい。


(このページの作成者 てら)

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