旅に、出た。

バス乗ったり、島行ったり。マニア2人の共同旅ブログ

乗り物好き若手リーマン2人、それぞれの旅行記録

2021年10月

こんにちは てらです。
久しぶりに乗りバスの記事を書きます。

西鉄の久留米以南からJRに乗り換えて佐賀方面に抜けようとしたとき、西鉄久留米とJR久留米の間のバスに乗るなど、いろいろ考えたのだが妙案が浮かばないでいた…。
そういえば国鉄佐賀線とおおむね並行して走っているバス路線があるのでは…ということで時刻表を調べて乗ってみた。
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柳川は西鉄の天神から小一時間の福岡県柳川市の中心部にある駅。すべての種別が停車する駅で車庫もあるような大きな駅であるが、単線区間であり西鉄が限られた設備でJRと伍していることがよくわかる。
西鉄柳川駅から隣町の大川市の中心部までは1時間に2本、佐賀駅バスセンターまで走るのは1時間に1本というダイヤパターンになっている。
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大川市に入ると特産の家具の広告が多くなる。
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大川市の中心部。昔は国鉄佐賀線の駅があったがいまは鉄道のない自治体である。
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筑後川にかかる大川橋を渡ると大川市から佐賀県佐賀市に入る。九州は県境を越えるバスも多い。
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遠くに見えるのは旧国鉄佐賀線の筑後川昇開橋である。筑後川下流域は有明海の潮の満ち引きに水位の影響を受けやすく、大型船が通行する際に国鉄佐賀線の線路が支障してしまう可能性があった。そのため、このように昇開橋により 鉄道がとおらない時間帯は船を通れるようにしていた。
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バスは筑後川を二度渡る。こちらは佐賀県側の諸富橋。
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旧国鉄佐賀線の廃線跡をくぐる
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諸富橋を越えた佐賀市内側
は市営バスも路線を持っており、西鉄バスは主要バス停にしか止まらないのに対して市営バスはすべてのバス停に止まる。
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佐賀市の中心部に近づくにつれて交通量も増えてくる。
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途中、佐賀市中心部で信号待ち等もあり3分遅れたものの無事に到着。佐賀駅の北側が佐賀駅バスセンターの路線バスの降り場のようだ。
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終点佐賀駅バスセンターに到着。約50分だが景色の変化があり面白い路線であった。
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西鉄バスや市営バスに加えて佐賀から鹿島市方面へ走る祐徳バスや小城、多久方面へ行く昭和バスがひしめく。九州の路線バス・高速バスが乗り放題となるSUNQパスなるものもあるので、ゆっくり路線バスに乗ってみるのも面白いかもしれない。

廃線跡を走るバスといえばこんなのにも乗っていました。
岐阜の名鉄美濃町線跡と並行して走る岐阜バス美濃線です。


(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。先日、撮り鉄中心に福岡県、佐賀県、長崎県を旅行してきた。
そんななか、私鉄っぽさ満載のターミナルを見てきたので紹介したいと思う。
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福岡の最南端の都市である大牟田市の玄関口、大牟田駅である。
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こ線橋を渡り、西側へ向かうと薄いエメラルドグリーンの駅舎がある。西鉄天神大牟田線の終点である大牟田駅である。
西鉄の大牟田駅は大手私鉄最南端の駅である。
店舗が入っており、JRが管理している東側と比べるとこじんまりとしている。
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駅前には大牟田市内線で走っていた車両がちょこんと座っている。
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券売機コーナーと4台の改札を抜けると7番乗り場に天神行きの特急が小休止していた。7両編成で西鉄では一番長い編成である。
写真の右側のホームには久留米を経由して甘木まで走る普通が発着し、7番乗り場は特急または急行が走っている。
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ホームのストップには炭鉱で栄えた町であることを示すかのようなオブジェが終端に置かれていた。
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ホームの新栄町寄りまでいくとJRのホームも見ることができる。
以前は貨物列車の機回しなどもあったのだが、2020年5月に大牟田行きの専用貨物が廃止となってしまったため、寂しげに草が生い茂っている。この後、特急に揺られ私は大手私鉄最南端のターミナル、大牟田を後にした。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
天橋立から足を延ばして翌日は与謝野郡伊根町を観光しました。
丹後半島の北側に位置する伊根町は天橋立から車で走ること2,30分で行くことができる。

伊根町は伊根湾に並ぶ舟屋が有名である。
そもそも舟屋というのは漁師を生業としている家が船揚げ場と住居又は作業場を兼ねた建物で、伊根湾周辺では江戸時代からこのような住居がみられたようだ。
高潮には弱そうだなというのは素人考えなのかと思っていたが、どうも高潮の被害を受けては修理して…というのを繰り返しているようだ。
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天橋立の付け根から車を走らせること約30分道の駅に車を止めると眼下に湾内に立ち並ぶ舟屋を見ることができた。
伊根の舟屋はこのように入り組んだ湾に複数の集落が広がっている。これは伊根湾の東側の集落のあたり。
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高台に位置する駐車場から階段で湾内に降りて歩くこと10分、舟屋が立ち並ぶ地区が眼前に広がる。
江戸時代にはこのように湾を向いた舟屋に船揚げ場と作業場を兼ねた建物が並んでいたそう。丹後半島の南側で日本海に面しているにも関わらず南向きの湾というのがここまで舟屋が残っている理由のようだ。
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更に10分ほど歩くと伊根町の中心部に出る。舟屋ばかり写してしまい中心部の街並みの写真を取り忘れて反省…。
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一つ一つ、よく見ると高さや間取りも違い、船の大きさに合わせて1階の船揚げ場が設計されていることがよくわかる。
舟屋を見ながらお食事をいただける、舟屋食堂で魚料理をいただいた。
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食堂からでると日が差して暑いくらいだった。青く澄んだ水面の照り返しが眩しい。
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舟屋の内部を公開しているところがあったので見学をさせていただいた。
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このように、所有されている方の好意で舟屋の船揚げ場を公開している家や民泊として泊まれるも舟屋もあるようだが、大半は観光客向けの施設ではないことを念頭に置いた行動をとって欲しい。
観光協会の公式サイトでもわざわざ書かれているということは目に余る見過ごせない行為もあったのであろう。
街並みを守るうえで、そこに住む人の生活が脅かされることのないようにしなければな…と一趣味人として思わせられる。
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最後に梅雨明けの勢いあまるほど照りつける日差しと日本海と思えないような穏やかな波を見ながら夏を満喫させてもらった。

(このページの作成者 てら)

こんにちは、てらです。
日本三大〇〇というのが日本人は大好きなようで、むろん私も漏れなくそういうものを見聞したくなるたちなのであるが、なかなか三つすべてを制覇するとなると話が難しくなってくる。
興味本位で調べてみたのだが、日本三景、三大瀑布、三大夜景、三大名城、三大名園、三大温泉、鉄道とかなら三大車窓が有名であるし、私がよく訪れる寺社も三大寺、三如来、三不動、三大薬師、三大神社、三大八幡、三大稲荷、三大天神宮…といろいろある。

家から日帰りでいくにはちょっと勿体ないけど泊まりで行くには重い腰があがらなかった天橋立に先日行ってきた。

大阪から天橋立へは特急に乗り福知山で乗り継ぐか、京都から直通する特急にのるかのいずれかで行くことができる。
今回はレンタカーで周辺を周遊するべく福知山からレンタカーを借りた。
このあたり、地名が「文殊」であり、鉄道が好きな私は昔このあたりを走っていた特急の名前が文殊だったのでこの地名が由来なのかなと思っていたのだが、天橋立の傍にある知恩寺にある文殊菩薩からきているそうだ。
ちなみに知恩寺の文殊菩薩は日本三大文殊の一つである。なかなか三大〇〇が二つもあるところって珍しいのかもしれない。

天橋立の南側、天橋立駅のあるあたり温泉街が立ち並ぶあたりから天橋立ビューランドへいくリフトへ乗車した。
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隣にはモノレールが走っており、所要時間はモノレールのほうが早いのだが、1時間に3本なので、待つくらいならばリフトのほうが早く着くことができる。
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宮津湾をきれいに見渡すことができた。左隅には湾内の遊覧船が航行しているのを見ることができる。
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初夏に訪れた割に、空の抜けも綺麗で丹後半島の先のほうまで見えるのだが、残念ながら車を止めていた市営駐車場の時間もあってロープーウェイで降りることに、背中からの日差しがギラギラと暑かった。
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帰りはモノレールが満員だったのでリフトで帰ったのだが、途中でふもとからのモノレールとすれ違った。
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この日は温泉旅館に宿泊。鯛の姿煮やサザエをいただいた。
翌日は天橋立を自転車で渡ってみることにした。自転車だと20分ほどで向こう岸につくことができ、車で湾を迂回するのに比べて早いのである。
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途中、砂州の真ん中あたりに天橋立神社(橋立明神)があり、参拝。神社が建立されるほど大きな砂州というのもなかなか珍しいのかもしれない。陸繋島とかも含めれば函館とか江ノ島とか有名どころは結構ありますが、天橋立神社は砂州の途中にあるという意味で珍しいかもしれない。
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砂州の南端には冒頭にも話しました三大文殊で有名な知恩寺。
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知恩寺の多宝塔は重要文化財に指定されている木造の多宝塔である。
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自転車を返却し、今度は天橋立を北から眺めることにした。
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天橋立鋼索鉄道の府中駅(ふもと側)こちらは鋼索鉄道の駅なのだが、天橋立ビューランドと同様にリフトも同時に運行されている。
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時間がよかったのでケーブルカーに乗車した。こちらは頂上側の笠松駅
このケーブルカーの運営母体である丹後海陸交通は阪急阪神東宝グループの傘下のようなのだが、どのような経緯で阪急傘下となっているのかがよくわからない…。近くに阪急阪神系列の観光施設もないのである。
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傘松駅から傘松公園すぐそばで、北から宮津方向にやや逆光ながらも天橋立を眺めることができた。
写真中央の湾の深い部分が宮津市街である。
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府中駅を発車し、天橋立を眺めつつ索道を登るケーブルカー。
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帰りはケーブルカーまで時間があったのでリフトで天橋立を眺めながら府中駅まで降りた。
天橋立からさらに丹後半島を北へ車を走らせた。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
駅舎に興味のある人なら、タイトルだけでおっと思われるかもしれない。
岩徳線と山陽本線の歴史を扱ううえで、西岩国駅は必ずと言っていいほど出てくる。
現在山陽本線は岩国を出ると柳井、光方面の海沿いを走るルートであるが、戦前は岩国から徳山間の距離が短いということもあり、岩徳線が幹線だった。そのため交換設備のある駅も有効長が長くホームが長い駅も多い。
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そのなかで、岩国の玄関口となっていたのが西岩国駅である。戦前、岩徳線が山陽本線となっていたときには岩国駅を名乗っていたのがこの西岩国駅である。1,2時間に1本しか列車が発着しない駅とは思えない
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錦帯橋をイメージしたアーチ形の駅舎が我々を出迎えてくれた。下から見上げると駅舎のずっしりとした重厚感が増して見える。
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列車が上下1時間以上来ない時間帯だったためがらんとした待合室。点灯していない電灯が哀愁を漂わせる。
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現在は駅構内の管理をNPOが行っているが、NPOが駐在していない時間帯は無人で、有人改札に係員さんが立つということもないようだ。
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岩国方面のホーム、隣のホームの中線が撤去されていたり、ホームが長いことから戦前、山陽本線時代に列車の往来が多かったことがわかる。
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とても素敵な外観の駅舎で列車が来るまで待っていたかったのだが、どことなく漂う哀愁から岩徳線の過去の栄華を感じさせられた。
旅程の都合もあるのでいわくにバスに乗車して岩国駅へ先回りした。

最後に
西岩国駅へは岩徳線のほか、いわくにバスに乗車する方法もあります。
ご参考までにご覧ください。



(このページの作成者 てら)

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