旅に、出た。

バス乗ったり、島行ったり。マニア2人の共同旅ブログ

乗り物好き若手リーマン2人、それぞれの旅行記録

2019年01月

※2018年夏より、ベオグラードの国鉄駅がBeograd Glavna StanicaからBeograd Centarに変更になっています。詳しくはこちら(セルビアちゃんねるさんのyoutubeページにジャンプします)。

東欧2019:IIの続き。目次はこちら
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セルビア共和国の首都ベオグラードには地下鉄こそないものの、バス、トラム、トロリーバスが市内を縦横無尽に走っていて、移動が便利なだけでなく、乗ったり見たりするのにも飽きることがありません。

とりわけ、旧鉄道駅前は複数の系統が発着して往来も激しく、その場で眺めているだけでも十分楽しめます。周りの風景もヨーロッパの典型的な古い建築から最近の建物までが立ち並び、その猥雑さは他のヨーロッパ都市と一味違った風景を見させてくれます。
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黄色の建物が昨年まで使われていた鉄道駅で、風格のある造り。目の前の電停に止まっている赤い車両(Tatar KT4)は、頻繁に走る9系統です。
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旧鉄道駅構内は自由に入れますが、パトカーが数台置いてあって警察官が居る以外は何もなく、荒れ果てています。ここには新しくビルが建設されるようです。
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こちらは、この日11系統に入っていた黄色いトラム(Schindler)。ほとんどの車両が赤色のため、黄色の車体は目立ちます。屋根上の赤い所には、このトラムがかつてスイスのバーゼル(Basel)を走っていたと書かれていおり、ベオグラードで第2の人生を送っている模様。
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この日は、緑の車両も運用に入っていました。
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緑のトラムはもう一台(Duewag GT6)。こちらも先ほどの黄色い車両と同じく、譲渡された車両のようです。
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一般的な赤いトラムは、この車両(Tatar KT4)が多く見受けられました。本数の多さや、車内を見て確認出来た乗客の多さから、9系統は相当需要が高いと見受けられ、新型の長い低床車両(CAF Urbos 3)が積極的に投入されていました。また、この車両が2連結されて運転している時もありました。

新型の長い低床車両は7系統、12系統にも導入されていました。

訪問した2019年1月時点では、鉄道駅の北のEkonomski fakultet電停からさらに北方に位置するPristanište電停までの2電停間が工事で通行止めのため、2、11系統などが運転区間の短縮または変更を行っていました。変更の際は、系統番号の後ろにキリル文字のЛをつけて運転しているようです。
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ベオグラードの市内交通はこのカードで乗車が可能。1回車内の機械にタッチすればそこから90分有効で運賃は89ディナール(約90円)です。タッチするときに5人まで人数も選択できます。また、遠出するときはゾーン1から5まで選択できます。

このカードは街中に無数に存在するキオスクで一枚250ディナールで購入でき、キオスクで、東京のスイカのように任意の金額をチャージし、使い続ける仕組みです。ベオグラードではかなりの人に英語が通じたのが嬉しいところ。ただし、カードの購入やチャージができないキオスクも多々ありましたので、購入やチャージをする際は複数の店で断られる可能性を頭に入れておくと、ストレスが軽減します。

ちなみにスーパーもキオスクもヨーロッパにしては珍しく、24時間営業のところが結構ありました。便利です。
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坂の多いベオグラードには、トロリーバスも走っています。写真は、トロリーがバスの進行方向とは別の架線に進んでしまったのを直そうとしているところ。運転手がバスの後方に回ってトロリーを一度架線から外し、手でトロリーに繋がった紐を手繰り寄せながら元の正しい架線に戻していました。
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案外すんなりと作業は終わって、バスは出発していきました。

今回紹介したベオグラード市街地の最新の公共交通の地図と時刻表はこちらから確認が可能。また、全体の路線図はこちらから確認できます。


東欧2019:IVへ続く。

(このペイジの作成者 いし)

目次はこちら

東欧2019:Iの続き。
モスクワから最初の目的地ベオグラードへ向かいます。
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モスクワのシュレメチヴォ空港に1時間遅れで到着。タラップを降りて満員のバスで移動します。バスの中は乗継便へ急ぐ客が多く、車内は少しピリピリとした空気が流れていました。そのような空気は意に介さず、バスはゆっくりと進んでいきます。

10分以上かかってバスがターミナルに着くと、乗客は一斉に乗継の保安検査へ急ぎます。流れに乗って一緒に保安検査のところまで行き、名ばかりのパスポートチェックと保安検査を済ませました。

乗客がどっと詰めかけているのに、保安検査もパスポートチェックも1つしか入口が開いておらず、皆が殺到。検査口の前には扇形の団子状に人が群がり、我先にと急ぎます。並んだ方が早そうなのに誰一人として並ばないところに、ヨーロッパを感じます。
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3時間の乗継時間をとっていたため、なんとか乗継は間に合いました。20:45発ベオグラード行SU2092便に搭乗します。

機体はA321。3-3の座席配列です。すんなりと搭乗は終了したものの、中々機体は動かず、しばらくするとアナウンスで機体の融雪をしてから出発との案内が入りました。シャーッという音とともに外から雪を溶かしている模様。なんだかんだ1時間ほどかかって、22時前にベオグラードに向けて離陸しました。
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途中でサンドウィッチがサーブされた他は特に何もなく、ベオグラードに向けて機体はひたすらに南下。個人モニターがないので、どこを飛んでいるのか分からないのが残念なところ。

モスクワとベオグラードには2時間の時差がありますから、1時間遅れているとはいえまだまだ1日は終わりません。ベオグラード時間22時頃になるとようやく降下のアナウンスが流れ、22:30にベオグラードのニコラ・テスラ国際空港に着陸。モスクワでの駐機を除いて、約3時間の旅路でした。

ちなみに、セルビアへの入国はすんなりと行きましたが、待てど暮らせど預け荷物が出てこず、ロストバゲッジ。空港の専用窓口で確認すると翌日には滞在先に届けるとのことだったので、手配をしてホテルへ向かいました。見たところ、少なくとも3組がロストバゲッジしていました。


(このペイジの作成者 いし)

2年ぶりに海外に出掛けたので、複数回に分けて更新します。

【目次(漸次、追加)】
I. アエロフロートロシア航空:東京→モスクワ(このペイジ)
IX. コシツェトラム
X. コシツェ~バルデヨフ
XI. ZSSK IC522列車(Kosice→Trencin)
XII. ZSSK R604列車(DARGOV: Trencin→Bratislava)
XIII. EC276列車(METROPOLITAN: Bratislava→Brno)


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日本からヨーロッパへの航空便は、乗継便まで含めると数えきれないほど豊富にあります。今回は値段の安さもあって、前々から興味のあったアエロフロートロシア航空(SU)を使うことに。

往路の目的地は、セルビア共和国のベオグラード。成田空港から、モスクワ経由パリ行のSU261便に搭乗し、モスクワのシュレメチヴォ空港でベオグラード行SU3742便に乗り継ぎます。
成田からヨーロッパへのSU便は毎日運航しているものの、便名と行先が曜日によって異なります。木曜はSU265便ローマ行、月曜と土曜はSU263便ロンドン行、それ以外はSU261便パリ行です。
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この日は金曜だったため、パリ行で運航。
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成田空港は第1ターミナル北ウイングからの出発。定刻は13:10発です。ところが、12:30搭乗開始と言われていたのでその頃に27番ゲートに向かうと、機内準備に手間取っているらしく12:50搭乗開始に変更されていました。

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飛行機を眺めながら搭乗口近くで12:50まで待っていると、アナウンスがあって搭乗開始が13:00に再変更。さらにその後のアナウンスで、13:20に再々変更されました。

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結局、搭乗が始まったのは13:20少し前でした。SU261便の機材はA330-300(注1)で、2-4-2の座席配列の機内は2割ほど空席があって、真ん中4列は1人しか居ないところもチラホラ。定刻より50分遅れの14:00に飛行機が動き出し、15分後に離陸しました。


注1:SU便の成田便は、2019年夏季スケジュールより、機材がB777-300ERに大型化の予定。



以下、モスクワ時間(日本-6時間)。


この日は、機内の個人モニターがつきませんでした。自分の席だけでなく、周りのロシア人もしきりにCAに尋ねており、それでもモニターがついていなかったため、飛行機全体の問題のようです。これが原因で遅れたのかもしれません。結局モニターは離陸してから2時間弱、使えないままでした。

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離陸から40分ほどで飛行機は佐渡島上空を通過し、日本海に到達(モスクワ時間で9:00頃)。日本海を北西へ向かってロシア大陸に差し掛かる少し手前で1度目の機内食が提供されました。

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この日は快晴で、極東の凍った大地が窓からよく見えました。モスクワ時間10:30頃にハバロフスク上空を通過(現地時刻17:30)。ほどなくして機窓は夕暮れを迎え、完全に日没する少し前の昼11時には機内も消灯に。


窓の外は相変わらず真っ暗なまま、モスクワ時間15:00頃に機内の灯りが再び点灯。2度目の食事の提供がアナウンスされ、モスクワまで残り3時間40分とのアナウンスも。このまま行くとモスクワには18:40頃の到着。時刻表上の到着時刻は17:35なので、成田での遅れをそのまま引きずっていることになります。

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16:00前には機内食がサーブされ、間もなく飛行機はウラル山脈を超えて、いよいよヨーロッパロシアへ突入しました。


18:10にはシートベルトサインが点灯し降下開始のアナウンスも流れました。モスクワは0度で天気はみぞれとのこと。徐々に高度が下がっていき、18:50にシュレメチヴォ空港に着陸しました。

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降機は久しぶりのタラップ。足元の雪で滑ら無いようにゆっくりと歩いて、移動用のバスにギュウギュウになりながら入ります。東京の朝ラッシュ並みの混雑でした。


(このペイジの作成者 いし)

実際に見たことは無いけど、記憶に焼き付いている景色
そんな景色、皆さんにはないだろうか。

非常にニッチなのだが、私には早朝の人吉の街並みが記憶に焼き付いていた。
長崎の祖父母の家に遊びに行って、朝のテレビから天気予報で九州各地の景色が流れるとき、熊本支局は決まって球磨川が流れる人吉の街並みを流すのだ。
他県も展望台や山から市街地を一望できる景色を流すのだが、なぜか人吉だけ印象に強く残っているのである。

折角なので長崎の祖父母の家から東京に帰るついでに人吉に寄ってみることにした。
ちょうど4年前 2015年の正月である。
長崎から18切符を片手にフェリーと鉄道を乗り継ぎ、途中熊本市内で一泊して人吉には二日目の朝に到着した。
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表敬訪問を兼ねて青井阿蘇神社へ参拝する。
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禊橋と一の鳥居を横から
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正面から
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楼門
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本殿
寺社仏閣に茅葺をつかうのはこの地方特有だそうで、桃山様式と茅葺屋根が融合している珍しさから国宝にも指定されている。
球磨川と人吉の街並みを見に行くべく、人吉城跡へ向かう。
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城址公園の石段を上ること約5分。この景色だ。
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なんだろうか、川沿いに発展した町の景色としてはどこでもありふれているのだろうけど、記憶のある風景だけに夢中でシャッターを切ったのを覚えている。
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こちらの角度と高さの方が天気予報で流れている人吉の街並みに近い気がする。朝もやが球磨川沿いにある都市を守っているかのようで、食い入るように見入ってしまった。
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人吉市内を散策した後、肥薩線のいさぶろう・しんぺい号に乗り込んだ。
肥薩線の記事は


(このページの作成者 てら)

人吉市内を散策した後、肥薩線に乗り込む。
人吉市内の記事はこちら


今回紹介する区間は人吉~吉松間の各駅である。詳しくは地図を参照ください。
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乗車する列車は観光列車いさぶろう・しんぺい号である。
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車両自体はありふれている国鉄形のディーゼルカーなのだが、車内はレトロ調になっていたり、
ガラス細工があったりと凝っている。
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大畑、矢岳、真幸と数分ずつ停車し、肥薩線の魅力を存分に味わえるようになっている列車だ。前面展望も映し出され、スイッチバックやループ線を走る列車を車内にいながら楽しめるようになっている。
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人吉を出ると最初に停車するのが大畑(おこば)駅である。
時刻表の路線図のページを見たことのある人ならピンとくると思うが、ループ線とスイッチバックがある駅である。
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大畑駅の駅舎は名刺がびっしり貼られている。駅のなかにも…。
ご利益があるというわけではないようなのだが、旅人の足跡のように積もっている。
大畑駅を出ると、まず列車はスイッチバックするために元来た道を後退する。
そしてループ線を回り少しずつ勾配を登っていく。矢岳越えだ。
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写真の左上奥の方にあるプラットホームが大畑駅。手前に延びる線路がスイッチバックだ。ループ線は山陰に隠れているが、写真上方から左に延びている。
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次に停車するのが矢岳駅。
肥薩線をかつて走った蒸気機関車が保存されている。同じ列車に乗っている多くの人も停車時分を利用してD51を見に行っていた。
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大畑駅とは打って変わってひっそりしている矢岳駅。駅舎のなかも復元され、料金表や時刻表もレトロなデザインとなっている。
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矢岳を出ると、列車は熊本県と宮崎県の県境に差し掛かり、日本三大車窓の一つに数えられる景色が見える。眼前に広がるのはえびの高原、奥にそびえるのは霧島連山だ。
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日本三大車窓を横目に、列車は真幸駅に到着する。肥薩線で唯一の宮崎県に位置する駅だ。
真幸駅は駅の名前にあやかり、鳴らすと幸せになるという鐘が設置されている。
肥薩線の人吉~吉松の各駅は県境に位置することもあり、通学や通勤といった日常での利用がすくなく、また鹿児島本線や新幹線ができた今、熊本と鹿児島を結ぶ幹線からも外れてしまった。
列車の本数も見る影もなく少なくなり、(といっても自分が鉄道を好きになったころから少なかったのだが…)鉄道遺産を生かした観光路線化の取り組みの先駆けとして有名である。
停車時間の間にそのすべてを回り、満足に記録することはできなかったが、また来たいという思いが大切なのだなと改めて思わされる乗車だった。
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終点の吉松に到着。ここから隼人方面の列車を待った。

(このページの作成者 てら)
探訪日 2015年1月4日
追記:嘉例川駅や球泉洞に行けていないのでその辺と一緒にもう一度行けたらなぁと思うこの頃である。

前回の続き
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みなかみ町の水上駅から北に向かうバスは大きく2つある。1つはJR上越線に沿って湯檜曽、土合と北上し、谷川岳ロープウェイに接続する路線。もう1つは、湯檜曽駅手前から右に逸れて藤原集落方面へ向かう路線(地図を見る)だ。今回は藤原へ向かう後者のバスに乗車した。

1. 水上駅→水上温泉
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上越線の土合駅を訪ねた帰り、水上駅には大雪の影響で1時間半近く遅れて14時過ぎに到着した。次の湯の小屋行バスは15:55とだいぶ時間が余るので、駅から1kmほど南に位置する水上温泉へ昼食を食べに向かった。

14:30発の関越交通バス上毛高原駅行で移動した。バスは土合駅よりも北にある谷川岳の麓からやってくるのにもかかわらず、ほぼ定刻で水上駅のバス乗り場に入ってきた。消雪パイプでびちゃびちゃになったバス乗り場からなんとか乗車し、温泉街へ向かった。
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5つ目の水上温泉バス停で下車した。雪国では、バス停にこのような小屋が付いていると大変にありがたい。
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昼食を食べた後、雪の降る中を温泉街のメインストリートを通りながら歩いて駅に戻った。

2. 水上駅→湯の小屋
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湯の小屋行バスは、水上駅を起点として一日6往復している。うち2往復は、途中、外国人にも有名な宝川温泉まで乗り入れる。乗車したのは水上駅を15:55に出発する、終バスの1本前のバス。乗客は6名だった。終点の湯の小屋までは約50分の道のりだ。

水上駅のバス乗り場を出発してしばらくは国道291号を北上する。道は2車線が確保されていて、消雪パイプによる融雪も行われている。湯檜曽駅の数百メートル手前からバスは右手に曲がり、県道63号線に入っていく(地図を見る)。バス停なら、ゆびそ入口もしくは大穴バス停がこの分岐点にあたる。大穴バス停から湯檜曽駅までは徒歩圏内だが、バス車内から見た限りではバス停近くに屋根のある待合場所が無く、歩道も雪で見えなかったので、冬は乗り換えに使わないほうが無難だろう。
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湯の小屋へ向かう県道へ入って程なく、前方に高速乗合バスと書かれた関越交通バスを捉えた。しばらくここから追走することになる。大穴から数km進むと消雪パイプもなくなり、道が雪に覆われ始めた。
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大穴から5kmほど進んだダム管理事務所入口バス停付近で(地図を見る)、前の大型観光バスが止まってしまった。どうやら、前から乗用車数台と4トン級のトラックがやってきて、雪でかなり狭くなったこの場所ではすれ違えなくなってしまったらしい。双方のバス運転士が無線で連絡を取りながら、結局こちら側が道が広くなっているところまでバックすることになった。しかし、乗っていたバスのすぐ後ろにも2トン級のトラックが迫っていて、なかなか下がれない。
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反対側の乗用車の運転手とこちらのバスの運転士が一度道に降りて、さらに後ろにいる2トントラックの運転手に状況を伝えた後、バスは後ろに下がり始めた。もともと狭い道の上に雪が積もっているので、乗っているバスもギリギリまで道の左端に寄りながら、同時に無線で前の大型観光バスのバック走行も誘導していく。雪で見えなくなった側溝に蓋があるかどうか、記憶と勘を頼りにトラブルを回避していく様子は、まさにプロフェッショナルを感じさせる仕事ぶりだった。厳しい気象条件の中でバスを走らせる苦労を見ると、乗客の少なさがなんとも寂しい。
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どうにかトラックとのすれ違いをやり過ごした後、バスはひたすらに雪道を進んでいく。藤原湖というダム湖の堤防で、乗車していた路線バスが観光バスを追い抜かし、先行して道路状況と対向の車の状況を無線で連絡しながら進む体制になった。途中、道幅が狭い洞門やつづら折れで立ち往生してしまった乗用車数台を抜かしながら、バスは進む。この先はスキー場が多いため、数分に1台は乗用車とすれ違う。交通量は存外に多い。
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ダム湖を超えて久保バス停まで来ると(地図を見る)、視界は開けて集落に到着した。郵便局と駐在所もある、規模の大きな集落だった。久保で1名が下車すると、再びバスは雪の山道を分け入って行く。先ほどのすれ違いトラブルでバスは20分程遅れており、もう既に暗くなり始めていた。おまけに、雪の降り方も強くなっていて視界は相当悪くなっていた。
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3. 湯の小屋→水上駅

終点の湯の小屋には、すっかり陽の落ちた17時過ぎに20分遅れで到着した。ここで全員が下車する。このバスの折返しが終バスなので、私もここでこのバスと共にすぐに折り返す。車内点検の後、バス停で待っていた2名を乗せてすぐにバスは折返し、水上駅に向けて出発した。

関越交通バスでは、営業所に電話を掛けると運行状況を伝えて頂ける。折り返してすぐに営業所から無線が入って、どうやらこの先のバス停で数人がバスを待っているようだった。湯の小屋から少し戻った宝川温泉入口バス停から、外国人が4人乗車してきた。このバス停から数十分歩いた所にある宝川温泉は、その巨大な露天風呂から外国人にも有名なところ。おそらくそこから来たのだろう。一日に2本だけ宝川温泉を経由するバスがあるのだが、この終バスは宝川温泉に向かう道の分岐点までしか行かないのだ。

途中の洞門やトンネルで何回かワイパーに付着した雪を落としながら、バスは水上駅へ向かって山をひたすら下っていく。久保バス停まで戻った頃には雪が小康状態になり、道路状況も落ち着いてきた。往路ですれ違ったスタックした乗用車は残念ながらまだそのままレッカー車を待っていたが、それ以外のトラブルは特になく、終点の水上駅には約20分遅れのまま18時過ぎに到着した。
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4. 付記

関越交通では交通系ICカードが使えなかった。一方、2日間有効のフリー乗車券3,000円がある。今回はこのフリー乗車券を使用した。(参考:関越交通バスサイト「水上得々乗車券」

寄り道をしたみなかみ温泉では、蕎麦屋で鍋焼きうどんを美味しくいただきました。雪が降り積もる中では美味しさも一入でした。午後3時近くだったにもかかわらず快く受け入れてくれた店の方に感謝です。
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(このペイジの作成者 いし)

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群馬県の高崎市から新潟県の長岡市までを結ぶのが上越線だ。乗り鉄をしていると、日本海方面へ抜けるのに幾度となく利用するため馴染み深い路線ではあったものの、上越線それ自体を目的にすることは少なかった。同じく素通りするだけだった水上温泉への寄り道も含めて、2018年の年末に訪れた。今回乗車したのはこの地図のオレンジ色の区間(この記事に出てくる主要な所には印を付した)。上越線で、新潟県との県境までひたすらに北上した。


水上駅から同じみなかみ町の北端にある土合駅などを通って新潟県へ超える列車は、日にわずか5本。冬期は臨時の普通列車が出るものの、それでも8本しかない。ゆえに、水上を超えようと思うと、おのずと接続の列車は限られてくる。

この日選んだのは、通年を通して土日と繁忙期に運転する臨時列車(8735M。越後湯沢から先は定期列車1735M)で、それに接続する列車は上野駅を8:35に出発する快速アーバン高崎行(3920E)だ。このアーバンは東海道本線から直通してくる15両編成だが、他の普通列車と同じように籠原駅で前5両を切り離す。高崎まで行くには後ろに乗る必要がある。今回、ボックスシートに座ろうと1号車に乗車した(注1)。

注1:高崎線のボックスシートは、1,2,14,15号車にある。列車によっては、9,10号車にもある。


しかし、アーバンは座席が埋まって立ち客が出るほど盛況のため座れなかった。この列車が高崎線下り方向の最初の快速ということに加えて、終点高崎からの信越本線、上越線両方面への接続もよい。さらにこの日は帰省ラッシュ真っ只中で、車内の客の多くが大きめのボストンバッグやキャリーバッグを持っていた。途中、新幹線接続駅の熊谷でも帰省客はほとんど入れ替わらず、地元の学生や住人が主要駅で降りていく以外は、高崎まで車内が大きく動くことは無かった。
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高崎には定刻の10:15に到着した。水上方面は階段を使って5番線に乗り換える。車内に居た帰省客の多くも5番線へ向かっていった。
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駅構内通路へと向かう階段の下にあるこの電光掲示板を見ると、高崎に来たことを実感する。現在では電光掲示板がかなりの数の駅に普及したが、路線別に種別と番線だけを表示し、行先と時刻が書かれていないものは非常に珍しい。

高崎(地図を見る)を10:25に出発する普通水上行(731M)に乗り込んで、水上まで北上する。高崎地区の普通列車は全てロングシートの211系に統一されていて、乗車したのは4両編成。車内は帰省客とスキーや登山などのレジャー客、地元民で混雑しており、始発駅の高崎を出発した時点で通路も埋まっていた。上越線は晴れていると車窓も変化に富んでいて飽きない。この日の関東一円は雲一つない快晴で、進行方向右手の赤城山も左手の榛名山もくっきり見えていた。

一方の日本海側は、この冬最初の寒気が南下した影響で大雪だったようだ。関東北部も多くの降雪が予報されていて、列車が岩本駅を過ぎて沼田駅(地図を見る)に向かう頃には車窓に積雪も見られるようになった。その頃には混雑していた車内もだいぶ空いてきて、沼田で多くの降車があると空席もでき、車内のほとんどが帰省客とスキー客、登山客だけになった。
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終点の水上駅(地図を見る)には定刻通り11:29に到着した。高崎方面の普通列車はいつも駅舎側の1番線から発着する。沼田駅周辺では薄く積もるだけだった雪も、後閑、上牧と北上するにつれて厚さが増し、水上駅では屋根のあるホームにも積もっていた。
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乗車した731Mは、降車扱いの後に車内点検を行って折返し738M高崎行となって折り返す。
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狭い乗換階段を渡って、反対側のホームに待つ長岡行普通列車(8735M)に乗り換える。写真からも雪が舞って、ホームの中深くまで積雪があったことがわかる。上越線は既に写真のE129系に統一されていて、列車によって両数は変わる。この日は4両編成だった。雪の中でも列車は水上駅を時刻表通りに発車し、上越線最後の群馬県の駅、土合駅(地図を見る)にも定刻の11:50に到着した。
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新潟方面へ向かう下り線はトンネル内にホームが存在する。土合駅がマニアには有名になっている一因だ。また、そのホームから山の上にある駅舎までを繋ぐ400段を越える階段も有名だ。
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下から仰ぎ見ると、頂上が見えるためにそこまで長くは感じないが、実際に登ってみると意外にしんどい。
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頂上に到達すると、通路の先に頑丈な斜めの大きな板が見えた。トンネル内の風がそのまま通路に吹き込むのを抑制しているようで、この壁の横からさらに進んで駅舎に向かう。
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新潟との県境がすぐそばということもあって、駅の外は大雪だった。
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駅前のバス停はこの通り、すっぽり埋もれてしまっている。

土合駅からは反対方向の水上行(1732M普通水上行)に乗って、高崎方面に1つ隣の湯檜曽駅に行くつもりだった。土合駅は無人駅だが比較的広い待合室があってそこで列車を待っていると、乗車予定の列車が除雪のために1時間遅れていると構内アナウンスが駅スピーカーから入った。駅前の水上駅行のバスも冬は本数が減るので良い時間のバスもなく、待合室で待つことに。

予定の発車時刻を1時間ほど過ぎた頃、駅にジョイント音が響いて貨物列車がやってきたのがわかった。しかし、待合室から見えるところで止まってしまったのでホームに様子を見に行ってみると、運転士さんが前面ガラスについた雪を箒とスコップで落としているところだった。前面にたまった雪の量も凄まじいが、彼によるとこれは新型機関車だからこの位の量なら問題はないそうだ。しかしガラスについてしまった雪はいちいち列車を止めて手動で落とす以外どうしようもないらしく、既に石打駅と、土合駅の手前のループ線のトンネル内で同じ作業を行ったとのことだった。
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おおよそ10分ほどかけて雪を払い落とし、貨物は再び発車して行った。ほどなくして、遅れていた1732M水上行も2両編成で到着した。前方の信号機が見えないほどの視界の悪さだったため、指令に連絡を取って信号が進行現示であることを確認してからの発車となった。その後は湯檜曽駅に停車し、雪を巻き上げながら水上駅まで進んだ。前方も側方も雪でほぼ視界は無く、運休にならなかったのが不思議なくらいだった。もっとも、貨物の運転士さんの話では雪は県境の峠だけでひどかったようだから、問題はないのかもしれない。終点水上駅には約1時間20分遅れで到着した。



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みなかみ町をバスと徒歩で少し見て回った後、18時台の列車で東京への帰路に着いた。乗車したのは普通高崎行(750M)で6両編成だった。ただ、水上駅で接続の長岡始発の普通列車(1742M、E129系2両編成)が遅れていたため、待ち合わせてからの発車となった。駅は相変わらずの雪で、車内の窓にも霜が降りていた。
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結局、終点の高崎駅には予定より6分遅れの19:54に到着した。

続く

(このペイジの作成者 いし)

三陸鉄道北リアス線には2014年、2015年と二度乗っている。
どのような構成にしようか少々悩ましかったが、初めて北リアス線に乗ったときに、もう一度行きたいと思ったところを再訪したので、それがわかるように書きたいと思う。

初乗車編
恥ずかしながら、三陸鉄道に初めて乗ったのは、偶然だった。
私は18切符で旅行しており、盛岡まで高速バスに乗車後、花輪線周りで青森に抜ける予定だった。
しかし、大雨により花輪線はその日、長時間運休を余儀なくされていた。

そこで
1.IGRいわて銀河鉄道乗車後に大湊線に乗車する
2.田沢湖線に乗車して角館の街並みをめぐり、羽越線で青森にでる
3.山田線、三陸鉄道、八戸線を回って青森にでる

という三つの選択肢から青森行きを考えることになった。
たまたま、その日からさんりく北リアス号が盛岡から久慈まで運行されていることを盛岡駅で知り、まよわず3.のルートを取ることにした。
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この日は運行初日であることに加え、数少ないキハ28・58系のKenji号が運行するということもあり報道陣が詰めかけていた。
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駅員さんのお見送りもあり、盛岡を定刻に出発。
山田線内は列車交換をする以外はノンストップで走りぬけ、宮古で乗務員交代を兼ねた小休止がある。
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Kenjiはもともと非電化区間向けのジョイフルトレインという事もあり座席が2+1列というグリーン車並みの配列である。また、2014年時点ではJR東日本最後のキハ28・58形ということもあり注目度が高い列車だ。(惜しくも2018年に運用を離脱した。)
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宮古駅。ここから三陸鉄道北リアス線に直通する。
三陸線内は一の渡、田老、小本(2015年に岩泉小本に改称)、島越、田野畑、譜代、堀内、野田玉川、陸中野田と比較的乗降の多い駅に停車していく。
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先の2011年の東日本大震災から3年半たっているにもかかわらず、被災の爪痕はいたるところに残っていた。
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島越駅は駅舎が流されてしまい、最後まで北リアス線が不通だった区間にあたる。クウェート政府の援助により駅舎の再建及び車両の新製にこぎつけた。
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堀内駅付近から見える美しい太平洋。
あの日、牙をむいたようにはとても見えない。
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名勝地、十府ヶ浦海岸付近も護岸工事が進められていた。
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様々な思いが頭を巡るうちに、終点の久慈に到着した。
不完全燃焼な全線走破だった。この旅は最終目的地が津軽線末端区間だったということもあり、先を急いだ。

再訪編
翌年の夏、その思いを忘れることなく宮古の地に再訪した。
宮古駅では丁寧に手入れされたひまわりが出迎えてくれた。
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再訪して訪れたかった場所。堀内駅付近から見える青い海と夫婦岩である。
今回は宮古から久慈まで北リアス線を再乗車し、久慈からレンタカーを使って北リアス線の沿線を回る。
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途中、陸中野田駅に隣接する道の駅でラーメンをいただいた。
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車窓から見える景色をもっと近いところでというわけでまついそ公園へやってきた。
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列車から見える景色
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まついそ公園から広がる景色
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公園で海の写真を撮っていると、臨時列車が通過した。昨年乗ったさんりく北リアス号である。
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最後に、連続テレビ小説あまちゃんのロケ地にもなった堀内駅を再訪。
晴れていれば、十府ヶ浦海岸や久慈の街をはっきりと見渡すことができる。
広がる海をバックに列車が通過していった。

今回も天気には恵まれなかったが、初めて乗ったときにまた行きたいと思わせてくれた、三陸の海を間近で見ることが見ることができた。この記事を書いているうちに、海を見にもう一度行きたくなってしまった。

(このページの作成者 てら)

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