こんばんは、いしです。
新潟からの佐渡汽船が到着する両津港からは、佐渡島一円を走る新潟交通佐渡に乗って、島の反対側にある旧相川町へ向かいました。
新潟からの佐渡汽船が到着する両津港からは、佐渡島一円を走る新潟交通佐渡に乗って、島の反対側にある旧相川町へ向かいました。
乗車したのは、佐渡島随一の幹線「本線」です。本線は、島の東側にある両津から島の反対側にある相川までを結ぶ路線。日中でも1~2本/時の便数が維持され、本土発のフェリーに合わせて朝早くから夜遅くまで走り、車両が新しいものが充てがわれる、名実ともに新潟交通佐渡の幹線です。
現在の佐渡島には佐渡市しか存在しませんが、2004年までは10の市町村が存在しました。そのうち、島の西側に位置していた旧相川町は、金山の遺跡が残る町。佐渡島では路線バスでの観光を推しており、両津発のバスは、日に何本か、旧相川町の山の中にある金山跡地まで足を延ばしています。
(参考:佐渡市=両津市、相川町、佐和田町、金井町、新穂村、畑野町、真野町、小木町、羽茂町、赤泊村)

佐渡金山のバス停の少し手前、相川分校前でバスを降ります。


振り返ると日本海が一望できます。

バスはそのまま佐渡金山へ向かっていきました。

ここは選鉱場跡地。相川にはこのように金山の遺構が存在します。

一方、相川の街は海岸沿いの低いところに密集。

選鉱場跡地近くの高台から、町の一部を見下ろせます。

町は海岸から少し上がった高台にも続いており、昔ながらの街並みがここにも残っています。こちらは時報用の鐘。

狭い道の両端に、茶色に塗られた木造住宅が続いています。

細い路地も。

相川は金山とともに金で栄えてきた街。見下ろせる高台からは、街の広さを感じます。

海岸沿いの集落には、いくつかの細い路地からアクセスできます。相川の町は海に近い方が開けていて、行政や商業施設もそちらに集中していました。食事処もたくさんあり、観光客も多く居て、いまや観光の街であることを実感させてくれました。
続く
(このペイジの作成者 いし)
現在の佐渡島には佐渡市しか存在しませんが、2004年までは10の市町村が存在しました。そのうち、島の西側に位置していた旧相川町は、金山の遺跡が残る町。佐渡島では路線バスでの観光を推しており、両津発のバスは、日に何本か、旧相川町の山の中にある金山跡地まで足を延ばしています。
(参考:佐渡市=両津市、相川町、佐和田町、金井町、新穂村、畑野町、真野町、小木町、羽茂町、赤泊村)

佐渡金山のバス停の少し手前、相川分校前でバスを降ります。


振り返ると日本海が一望できます。

バスはそのまま佐渡金山へ向かっていきました。

ここは選鉱場跡地。相川にはこのように金山の遺構が存在します。

一方、相川の街は海岸沿いの低いところに密集。

選鉱場跡地近くの高台から、町の一部を見下ろせます。

町は海岸から少し上がった高台にも続いており、昔ながらの街並みがここにも残っています。こちらは時報用の鐘。

狭い道の両端に、茶色に塗られた木造住宅が続いています。

細い路地も。

相川は金山とともに金で栄えてきた街。見下ろせる高台からは、街の広さを感じます。

海岸沿いの集落には、いくつかの細い路地からアクセスできます。相川の町は海に近い方が開けていて、行政や商業施設もそちらに集中していました。食事処もたくさんあり、観光客も多く居て、いまや観光の街であることを実感させてくれました。
続く
(このペイジの作成者 いし)