旅に、出た。

バス乗ったり、島行ったり。マニア2人の共同旅ブログ

乗り物好き若手リーマン2人、それぞれの旅行記録

こんにちは てらです。
そういえば、蛍茶屋で次々に路面電車が折り返していって時折車庫に入っていく様子をぼんやりと眺めるのは楽しくて記事にしていましたが、味のあるターミナルの紹介をすっかり忘れていた…。
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崇福寺。個人的にはまだ正覚寺下のほうがしっくりくる。川の上に佇む電停。
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ぐっと坂を登り愛宕のほうに抜けていく国道から、脇にそれたところに電停がある。
以前は川のすぐそばまで住宅が立ち並んでおり、窮屈そうな姿がいかにも…な雰囲気だったのだが、川沿いの住居が取り壊されてしまった。
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見通しが良くなって撮りやすくなったのはいいことなのか、果たして…。
崇福寺電停は単線になっているので、折り返し待ちの際に電車が逢瀬することも。
以前から、撮りたくて何度か挑戦している構図があるのだが、再挑戦してみることにした。
崇福寺電停を発車する列車は所定の時刻を回ると扉を閉めて、ヘッドライトを点灯した後に信号の現示に合わせて出発していく。
時たま、発車時刻を過ぎて扉を閉めた直後に交通信号の関係で起動直後に止まることがある。
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以前訪れたときは信号のタイミングが悪く、電停に佇む姿は撮れたもののヘッドライトを点灯しているタイミングが撮れなかった。
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ちょうど日が沈み、夕闇迫る頃合いに、215号車、長崎では最古参のグループの車両のうちの1両がやってきた。
ぼわっと暖かなヘッドライトを灯らせたタイミングで信号は赤に。
誰も乗っていない路面電車を見送る。一瞬のタイミングに立ち会えた。

2022年、おそらく最後の更新となります。
去年から今年にかけて、検索でこのブログを見てくださる方が多くいらっしゃたようです。
誰かの「旅行行きたい」という気持ちの後押しができていればうれしいです。来年もよろしくお願いします。

長崎電気軌道のターミナル、蛍茶屋も素敵なのでよろしければぜひ。
(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
ひさしぶりにいしくんと一日日帰り旅行でふらりと大阪南部と紀北を回ってきた。
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関西空港のおひざ元として、また、ふるさと納税により公共施設の建て替えをすすめる泉佐野市。
泉佐野駅前から旅をスタートした。
大阪南部の自治体としては大きな自治体のように思っていたが、岸和田市や和泉市の方が自治体の規模としては大きく思っていたより駅前はこじんまりとしていた。
南海ウイングバスの犬鳴山線に乗車し、終点の犬鳴山で下車。途中日根野駅も経由するが、泉佐野駅から日根野駅までは結構時間を要した。
地図を見てみると、並行して走っているように見える南海線と阪和線も時折大きく広がっている箇所があり、泉佐野と日根野は3km近く離れている。
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30分ほどで終点の犬鳴山に到着。大阪南部の自治体は南北方向に長い自治体が多く、ここから県境まではさらにバスに乗り継ぐ。
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犬鳴山渓谷に沿って犬鳴山七宝瀧寺(しっぽうりゅうじ)や犬鳴山温泉郷が点在する。ここから渓谷沿いを歩いて七宝瀧寺を参拝した。
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温泉街を抜けると参道の入り口が姿を現す。
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七宝瀧寺の名前の由来は七つの瀧と行場があることからきている。ここから樫井川の上流に向かって歩いていくと大小の瀧を横目に歩く。
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瑞竜門。
5月の上旬ということもあり、気温が高いものの渓谷沿いを歩くため汗ばむということはなくむしろ涼しいくらいだ。
歩くこと約2,30分 周囲が開ける。どうやら林道を経由すればこの辺りまで自家用車で乗り入れることができるらしい。
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身代わり不動明王。
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本堂を越えると行者の瀧が我々を迎えてくれた。七宝瀧寺では実際に1日修行体験ができるようで滝行を行っている方もいた。
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参拝後は犬鳴山温泉、山乃湯さんで一風呂させてもらった。
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源泉の温度が18度台であるため加温しているものの加水無しの少し白濁した泉質。
さっぱりしたところで、県境越えのバスに乗車した。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
尾道から乗船した瀬戸田港、せっかくなので帰りは違うルートで帰ることにした。

行きは瀬戸内クルージングでした。
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生口島瀬戸田から本州側へは、広島、三原、尾道へと船が出ている。三原~瀬戸田は弓削商船とマルト汽船が共同で運行している。
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瀬戸田港から5分差で出港する尾道行きは自転車を乗せられるサイクルシップが就航しており観光客がわんさかといった様相だったが、こちらは打って変わって生活路線。
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皆さん日が当たらない方をきちんとわかっていらっしゃる…。
券売機は瀬戸田には無く船内での改札(現金での支払い。)
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船からは左手に高根島、右手に佐木島を望みながら進んでいく。
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高根島が途切れると次は安芸神崎の造船上や呉線の東側を沿うように海上を進む。
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沼田川が見えてくると三原の市街地もどんどんと大きくなってくる。
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三原港に到着。25分ほどの船旅もあっという間であった。
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三原からは佐木島(瀬戸田便の一部が経由する)や生口島以外に因島や大久野島への船も出ている。
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コンパクトな窓口で桟橋の待合室もまばらであった。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
JR西日本が発売しているMaasアプリであるSetowaを使用し、福山市の鞆の浦に続いて生口島の瀬戸田へ。
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尾道駅の目と鼻の先にある駅前桟橋から瀬戸田行きの船を待つ。
がらんとして誰も待っていないので心配していたが、出航5分前になってもなかなか来ないので係員さんに伺ったところどうやら出港1分前の入港のようだ。
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放送に合わせて自転車を手に乗船客がわんさか列を成した。おどろくべきことに女性の2人組が多かった。
自転車が載せられるサイクルシップLazli 座席はあっという間に満席となった。もちろん1分では折り返せず若干の遅延をもって出港した。
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もっとカメラで色々撮れるかなと思っていたのだが、30席あまりしか座席がなく全く身動きが取れなかった。
船室は30席ほど3人掛けシートが3列配置されている。(※下船時に撮影)
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お隣のグループがデッキに出ている間に一枚。
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最前部からは景色が映し出され景色をみることができる。時折デッキを歩いている人も映りこんでいたのでおそらく船の2階部分の展望デッキからの撮影なのだろう。
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船は因島の重井港と生口島の沢港を経由して瀬戸田へ。ウェブサイトで紹介されていた瀬戸田港の建物とは違うのでリニューアルされているようだ。
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30分あまりの短い船旅だったが、今までの船旅との年齢層の差にびっくりする船旅だった。

帰りは弓削商船で三原に出ました。

(このページの作成者 てら)

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路線バス好きにはあまりにも有名な狭隘路線の1つが、井笠バスカンパニーの運行する笠岡福山線です。
山陽本線や新幹線停車駅を結ぶ路線とあって、路線バス乗り潰し界隈的には大変好アクセスですが、ここ数年の間に土日の運行が取り止めとなってしまい、平日しか乗れない難易度の高い路線に。(もっともこの路線に限った現象ではなく、むしろ走ってくれているだけ大変ありがたいのですが)

2020年6月改正ダイヤ(平日のみ運行)
笠岡駅発8:10 11:25 15:10 16:10
福山駅発9:35 11:10 16:50 17:30
※所要約58分。便により若干の差あり
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さてこの日は笠岡11:25の福山行に乗車し、出発してほどなく狭隘区間へ。
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この路線は笠岡市と福山市にまたがり(というか岡山県と広島県にまたがるわけですが)、狭隘路は笠岡市側がメインで、ハイライトは笠岡駅に近いところにある集落内のクランク。

運転手さん曰く、ハイライトが左側に座った乗客席から見やすいのは福山→笠岡の方向の便とのことで、バスマニアは大体、笠岡行に乗るんだとか。確かに家に迫ってる感があって、狭隘区間が終盤に来るのはマニア的には盛り上がる気もするので納得です。
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福山に入ると広い道が多くなります。
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と言っても十分狭い道もあります。
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写真には収めませんでしたが、福山市内の片側2車線道路をグングン走るところも、郊外を走る路線バスといった感じで個人的には推しです。

次はぜひ福山→笠岡の方向で再訪したい路線です。

(このペイジの作成者 いし)

こんにちは てらです。
前回の記事はこちら

鞆鉄バスを乗り鉄した後は常石から船に乗って尾道を目指すことにした。
福山市の常石は造船場があり、バスも複数系統が運行されており通勤を意識したバスの運行本数である。
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常石造船の工場をバックに一枚。
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簡素な待合室と券売機がある。待合室はソファとテレビが置かれた簡素なもの。我々が乗るのはフェリー百風「ももかぜ」
航路上にある百島を意識しているネーミングだ。常石造船の終業の時間に合わせてあるためか、松永から乗車したバスの時間から50分ほどあったのでやや手持ち無沙汰だった。
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フェリー百風が出航する前に高速船ニュー備後が入港してきた。百島と比べると自動車を乗せないということもあってかなり小ぶりだ。
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15分前になると船員さんが船から出てきて改札が始まる。
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ニュー備後が停泊しているのをよそに出港。
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座席定員40名ほどの船内には雑魚寝できる畳敷きのスペースもある…が、常石から尾道まで乗り通しても1時間ほどの船旅だ。
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本州側と百島、向島を縫うように航行する。
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出航直後、我々が歩いた内海大橋をみることができた。
(参考 鞆鉄道バス(沼南線/新川線 内海農協前~松永駅南口/福山駅南口)
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横島、田島を通り過ぎ、船は百島へ舵を切る。
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百島の桟橋では車や原付の大半が下船したが入れ替わりに乗船する船も多い。
航路あるあるだが、乗船、下船時の改札は待合室からおじちゃんおばちゃんが出てきて手で精算、収受していた。
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百島を出ると再び本州側へ航行する。
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海に浮かぶ鳥居が目を引く道越港に到着。
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向島の歌港でも結構な下船があった。因島や生口島方面への近道となっているようだ。
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歌港と戸崎港の間は渡船も運行されており、我々が戸崎港を出るタイミングで歌港から出航した渡船とすれ違った。
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尾道大橋が見えてくると尾道の市街地まで残りわずか。せっかくなのでデッキで潮風に当たった。
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あいにくの曇り空だが夕闇迫る尾道の街が迎え入れてくれた。
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写真右側は千光寺公園やロープーウェイをかすかに見ることができる。
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尾道(右)と向島(左)
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視点を変えてこちらは向島側。兼吉の渡船乗り場が見える。
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尾道市街と向島の間は複数の渡船場があり、双頭船が行ったり来たりしているのを眺めることができた。
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尾道港に到着。改めて瀬戸内を船で回っていると短距離航路でも自動車や原付の利用が多く、人々の生活と密接に関わっていることを肌で感じる船旅だった。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
この記事は沼南線の続きです。

沼南線を沼隈支所で下車し、10分程度の接続で内海農協前行きのバスが来た。内海農協前は福山市の南部に浮かぶ横島に位置する。
折り返し時間を利用してちょっと横島を散策。

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向かい側の島が田島
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遊漁船がいくつも停泊している。
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12時台は松永からのバスと福山からのバスが短時間でやってくる。睦橋を渡って福山からのバスがやってきた。
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内海農協前バス停は農協の傍の転回場がそのままバス停になっている。
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折り返し福山行きに乗車。百島や常石の乗船場を見ながらバスは海岸沿いを走る。
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田島、横島はもともと内海町という自治体であったが平成の大合併の際に福山市に併合された。
平成初期に本州側と架橋されたものの、旧内海町にあたる田島、横島の人口減少は進んでいるようだ。
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折角なのでバスを降りて小一時間歩くことにした。
田島と本州側をつなぐ内海大橋。大きなカーブを描いているが、中央部に岩礁があり、陸地と岩礁を最短距離で結んでいるため逆「く」の字になっているようだ。
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歩いて渡ることもできるがなかなかに足がすくむ…。
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内海大橋を歩いて渡っている途中、一隻のタグボートが我々の真下を潜り抜けていった。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
福山から鞆鉄バスで鞆と仙酔島を観光した後、乗車したのはこちら、沼南線の松永駅行き。
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乗車したのはわたしといしの二名のみ。
小型バスなのがちょっと残念…と思っていたのだが
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いやいやいや軽自動車がすれ違うのもしんどいような道をバスが…。という驚きである。鞆の浦西部の古い町並みを縫うようにしてバスは走る。
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この箇所、角に「離合箇所」と書かれた立札があった。当然軽自動車とはすれ違えないので軽自動車はあそこで待ってくれる。
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時折きゅっと狭まる箇所があり
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このような箇所はバスが通るのも精一杯である。
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新道ではなく古い住宅地を縫うように走るため、県道が2車線のバイパスのような道路があるにもかかわらずバスの離合もやっとな箇所を引き続き走る。
阿伏兎(あぶと)山のトンネルを抜けるとバスは道路状況もいいため快調に走る。左手には田島を望みながら沼隈に向けて走る。
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沼隈付近は、平成の大合併で沼隈町だったところが福山市に編入された場所であるため、市役所の支所や銀行といった公的機関や商業施設が数多く集積している。
鞆鉄バスの営業所もあり、沼隈を経由して福山駅へ直行するバス便(新川線)も多く出ている。
今回、我々は田島、横島へ向かうため沼隈支所バス停で途中下車した。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
鞆鉄道バスを降りたわたしといしは、さっそく仙酔島の渡船乗り場へ。
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鞆港からは仙酔島のほか、走島へも航路が出ているが、それぞれ別の港からの出港となる。
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券売機と観光案内所を兼ねた窓口、改札は船員さんが兼ねている。
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観光客向けとはいえのんびりとした雰囲気。私たち以外に1組の観光客を乗せて出港した。
瀬戸内の市町村が運営する渡船は数あれど、福山市営渡船はちょっぴり変わり種。
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その名も平成いろは丸。幕末のイギリスの蒸気船を模しているそうだ。
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船内は小さなベンチといろは丸の歴史について触れられている。いろは丸は愛媛の大洲藩がイギリスから購入、所有していたそうだが、土佐藩へ貸与され、このあたりを航行している際に紀州藩の明光丸と衝突して沈没したことにちなんでいるようだ。
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鞆の乗船場を出港
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進行方向左側はハスで通ってきた道を望む
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鞆の街並みを船から
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鞆と仙酔島の間に挟まるように浮かんでいる弁天島
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仙酔島には5分ほどで到着。いろは丸が検査等で航行できない際は停泊している第二弁天丸が航行するようだ。
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仙酔島の港から歩いて5分ほどの所に御膳山という小高い丘があり弁天島越しに鞆の街並みを見ることができる。
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鞆に停泊している平成いろは丸を遠めに見ることができた。
鞆と仙酔島の間は日中20分に1本程度の運行となっており、鞆の乗船場を出たタイミングで船の動きに合わせるように我々も仙酔島島の乗船場に戻った。


(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
いしくんと中国バスで油木・東城線を乗りましたが翌日は同じ福山から出る鞆鉄道バスに乗りました。
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もともとは軽便鉄道として開業した福山~鞆間 1954年に廃止されたあとはおおむねそのあとを辿るようにバスが走っている。
データイムもおおむね30分に1本運転されており、40万都市を感じさせる運転本数だ。
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このような古いボンネットバスに乗って鞆の浦を回るツアーも開催されているようだ(別日に撮影)冷房はないようだが海風を感じながら古いバスに乗るのもありかもしれない。鞆の浦の観光中にも走っているところを見かけたが結構軽快に走っていた。

福山市街を抜け、芦田川にかかる草戸大橋を渡る。
水呑(みのみ)など、軽便鉄道時代の駅と同じ名前のバス停を走る。大きな県道からすっと横道にそれるのであれっと思ったのだが、どうやら軽便鉄道のルートをなぞるように走っているようだ。
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20分ほど走ると、瀬戸内の湾内が車窓の左手に広がる。
バスの窓枠でわかりにくいが右手一番手前に見えるのは仙酔島であり、奥の方に見えるのは笠岡市の北木島や白石島である。
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鞆バスセンターで下車。観光需要に加え区間利用もほどほど見られた。
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バスに乗っている間はどんよりと曇っていたが街歩きをするにつれ、天気は回復。そのまま折り返し同じルートを巡るのはもったいないので松永駅に抜ける沼南線にお世話になった。

(このページの作成者 てら)

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