旅に、出た。

バス乗ったり、島行ったり。マニア2人の共同旅ブログ

乗り物好き若手リーマン2人、それぞれの旅行記録

こんにちは てらです。
前編ではブルートレインたらぎについて簡単に紹介させていただいたが、後編では実際にブルートレインがあった時代をイメージして何枚か撮影した写真を紹介したいと思う。
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薄暗くなってきた時間帯、駅にブルートレインが滑り込む。寝台特急はやぶさ。仕事を午前中に切り上げて旅行へ向かう私の心は軽やかだ。仕事が終わってその足で乗る飛行機、フェリー、新幹線…。どれもやったがやはりブルートレインのワクワク感にはかなわない。
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乗車率はまばらなのか、カーテンが空いている寝台もあった。
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私が乗車したのはB寝台ソロ。旅行に行こうと決めてから調べたところ、たまたま空いていた。
ブルートレインの個室、心躍るものである。
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年季が入ったB寝台の文字はいつの間にか飴色になっていた。デッキから客室への扉を開ける。
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乗車した時点では3割程度の乗車率。まだまだ乗車してくるのだろうか。
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窓の外を眺めていると県境にさしかかった。この辺りは駅間も長く、街の灯りも見えない。
夜の景色を見ながらビールといきたかったところだが、明日も早いのでもう横になろうか。
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ふと、列車が動き出した時の衝撃で目が覚めた。まだ5時を回ったばかりのようだ。どのあたりを走っているのか気になるがもうひと眠り…。
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なかなか列車内では寝れないもので、部屋を出て顔を洗いに行く。6時前。
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空もだんだんと明るくなってきて、すれ違う列車も増えてきた。もうすぐ終着駅だ。
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一本、また一本と列車とすれ違う。朝ラッシュの真っただ中をブルートレインは走る。
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寝具を畳み、部屋を後にした。腕時計に目をやると少々遅れて到着したいるようだが、旅程には大きな影響はなさそうだ。
新幹線の路線網やホテルの快適さを考えると、ブルートレインは夜中に移動できるとはいえちょっぴり窮屈だったが、過ごした時間の充実度は何にも代えがたかった。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
九州に親戚が居る私にとってブルートレインというと東京や大阪から西に走るブルートレインのイメージが強く、東京発は鹿児島線方面のはやぶさ、日豊線方面の富士、長崎線方面のさくら 京都・大阪発は鹿児島線方面のなは、日豊線方面の彗星、長崎線方面のあかつきあたりはぱっと名前が出てくる。
しかし、関西発着便は2008年に、東京発着便は2009年を最後に九州行きのブルートレインに定期便はない。
私にとってのブルートレインは小学生のころになは・あかつきに乗ったきりになってしまった。(最も、その後にはまなすには何度かお世話になったものの毎度指定席の貧乏旅行であった…)
前置きが長くなったが、九州方面へ1泊2日旅行へ行く際に、どうも天気が思わしくなかったのでドライブ旅行にした。折角なので訪れたのが熊本県南部、球磨郡多良木町にあるブルートレインに泊まれる簡易宿泊施設、ブルートレインたらぎである。 
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スハネフ14がヘッドマークを掲げ我々を出迎えてくれる。3両編成で、2両目がラウンジカーでチェックインカウンターのほか、椅子と机が並んで飲食ができるスペースで、両脇が開放B寝台(スハネフ14)と個室B寝台(オハネ15)である。
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以前訪れた方の写真を拝見すると方向幕も電照していたようだが、訪れたときは点灯していなかった。はやぶさの東京行き。
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一方、スハネフ14のテールマークはこのように点灯していた。薄暗い時間に見ると雰囲気が出る。
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今回、せっかくだしと個室B寝台に宿泊、宿泊料金は公式でも案内があるが、開放B寝台と個室B寝台の値段は同一である。
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廊下。すでに客車の塩素による消毒のようなにおいが車内を漂う。
寝台列車ではなく建物に宿泊する形になるので非常口表示や火災報知器があるが、雰囲気は十分。(目立たないように頑張って撮ってます笑)
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フロントで頂いた鍵をあけると宿泊する部屋が。基本的には空いている時は下段があてがわれるようだ。
ブルートレイン時代は既にリネンがセットされた状態であるが、こちらではセルフスタイル。
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JR九州時代のモケット柄。この細かで不均一なドット柄がどことなく懐かしい。783系のハイパーサルーンとかとも似ているのかも…。
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宿泊者は車内見学が自由にできるのでスハネフ14の開放寝台も見学した。(たまたま、この日は宿泊者が居なかったようだ。)
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こういった寝台表示も健在。
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飲料水の冷水器は使用できないもののそのまま存置されている。
同様に車内のトイレも使用することができないが、客車のすぐそばに設置されているトイレを使用することができ、ウォシュレット対応便座なので寒い時期も安心。
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洗面台は使用が可能。はまなすで渡道していた時はドライヤー用のコンセントにお世話になりました。
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ラウンジカーには国鉄からJR移行時の広告類が掲示されており、まじまじと見入ってしまった。
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ブルートレインたらぎ「前編」では主な設備や車内の雰囲気についてお伝えした。
後編では実際にブルートレインの乗車をイメージした写真を何枚か撮影したのでその写真と共に旅行記風にまとめてみました。ぜひご覧ください。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
2024年3月のダイヤ改正により北陸新幹線の金沢~敦賀が延伸開業した。
ダイヤ改正を前に特急街道であった北陸本線の特急系統の見直し、系統の変化があった大きな改正だった。
開業に湧く福井県を走る福井鉄道は、ドイツ南西部のシュトゥットガルトで走っていた車両をイベント車両として運用している。
新幹線開業を機に、観光資源として通年運行を可能にするために空調機を設置する予定である発表がされていた。
しかし、開業当日のイベント運行では窓枠の形が若干変更となったのみで工事を実施していないようであった。
せっかくなので、外観が大きく変わる前に開業ブームが醒めやまぬ福井へ行くことにした。
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第三セクターに転換された武生駅で下車 
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から歩くこと約5分で福井鉄道福武線のたけふ新駅に到着。
本来であればゆっくりと写真を撮りたいところだが、時間がないのでそそくさと電車に乗り込んだ。日中のパターンダイヤだとハピラインと福武線の相互の乗り換えは難しい時間が多い。
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最新型のフクラムライナー 角張ったデザインのリトルダンサータイプ。
10分ほど乗車し、家久で下車
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どこで撮影しようか迷ったが、何分初めて撮影するので光線が良く撮りやすいところをチョイスし、日野川橋梁を渡る構図で一枚。
パンタグラフが大きいのと、電柱の間隔が難しかった。両運転台に改造されたのが目立たないように撮ってみた。
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撮影のあと、大いに気をよくして水落駅で下車。地図だけだとわからないが、連続する勾配を名鉄の車両がガンガン走るのは気分の良い物であった。揖斐線とかでの走りはどうだったんだろうか。
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お昼はヨーロッパ軒へ。都心の店舗は土日だと混んでいるだろうと思ったが、福井市街の店舗以外はロードサイド店舗だらけ…。
駅から比較的近い店舗へお邪魔した。ごちそうさまでした。
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専用軌道の箇所では分岐が雪によって凍結しないようにシェルターが設置されている。私鉄で設置されているのは珍しいのではないだろうか。ミニチュアのようなサイズ感なので思わず一枚。
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名鉄車、スノーシェッド、構内踏切 自分が思う福鉄っぽさの三点セット。
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西鯖江でお客さんの入れ替わりが多かったので一枚。特徴的な丸い通路の車内。
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先ほど撮影した家久駅は終日列車の行き違いがある。名鉄車同士とわかるように1枚撮ってみた。富山地鉄に行った際も感じたが、福鉄も古い駅舎がきちんと手入れされて丁寧に使われている。降りてないので写真はないが神明駅や浅水駅も素敵な駅舎の駅だった。
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終点たけふ新の一つ手前、北府駅で下車。車庫のある駅だ。
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ここも有人駅だった名残からか立派な駅舎を構える。
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車庫のそばには引退した200形が化粧直しがされ展示されていた。200形が走っていた頃は北陸新幹線金沢開業前でJRの国鉄急行型ばかり追いかけており走っている姿を撮影することはできず…。
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北府駅でどのように撮影しようか悩んでいたところ、直前になって地元の方のお見送りも含めて撮影者が10人ほどになった。
駅の雰囲気とうまく絡めたかったものの断念。すぐ後の福井方面の電車に乗り込む。
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福井鉄道の福井駅周辺で撮る際に福鉄の運行系統について紹介する。
下り:たけふ新→福井城址大名町(スイッチバック)→福井駅→福井城址大名町→田原町(鷲塚針原)
上り:田原町(鷲塚針原)→福井城址大名町→福井駅→福井城址大名町(スイッチバック)→たけふ新
(一部の急行はたけふ新→福井駅、福井駅→たけふ新)
といったルートで走行するため、福井城址大名町→福井駅は必ず福井駅側にパンタグラフが来る。スイッチバックの折り返し時間や交差点の信号待ちを活用すれば大名町の交差点や福井駅前の通りで何度か撮影することができる。
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西武鉄道沿線で育ったので、馴染みのある西武百貨店とドイツのレトラムを共演させてみた。
新幹線バブルで再開発が進む福井だが、西武百貨店は首都圏以外の店舗を縮小している傾向にあるのでこのような光景はいつまでみれるのだろうか。
今回はレトラムの撮影に合わせて撮影地を移動していたので、名鉄車の770型、880型の写真をあまり撮ることができなかった。雪の降る季節に名鉄のお古を撮りにもう一度訪れたい福井鉄道であった。
(このページの作成者 てら)

この記事は野岩鉄道編の続きとなっています。よろしければ野岩鉄道編もどうぞ。


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今回はいろいろと寄り道をしてからの会津高原尾瀬口駅への訪問となったが、東京浅草から電車一本で福島県南会津町まで来れるというのはすごい。実際のところ、1980年代のバブル期は尾瀬のハイキングやウィンタースポーツで人がごった返していたという話だから鉄道の役割というのはすごかったのだろう。
横道にそれるが、50代の方の話を聞いていると平日バリバリ働いて夜は夜行列車やバスに乗ってそのまま土日はスキー三昧みたいな話も聞くし、今の我々よりもはるかに体力があるのでは…と錯覚することがある。
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会津高原尾瀬口駅は会津高原プラザと併設されており、鉄道とバスの結節点として機能している。
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私は寄り道してひとっぷろ。やや暑めの湯温のお風呂をいただいた。駅から5分ほど歩くだけでも静かに深々と降る雪で冷え切ってしまった体がほかほか湯気が出るような温かさであった。
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駅に戻る。JRのローカル線で聞き覚えのある接近メロディと共に東武の特急リバティがやってきた。

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会津高原尾瀬口から会津田島まではノンストップ。レールの長さが短くなったのか、東武線内や野岩線内とは違いガタン、ガタンと短いリズムで揺られる。
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最新型の電車特急から見れる景色がこんな一面の雪景色…。暖冬だった今年だが会津は雪深い。
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会津高原尾瀬口からはリバティ会津リレー号という特急に接続している列車に乗車。といっても各駅にとまる単行のワンマンカーで1時間余りかけて会津田島から会津若松までを走破する。
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派手な塗装だなと思って目をやれば、芦ノ牧温泉駅で駅長猫が勤務しており「にゃん旅鉄道」という映像作品がつくられたのを基にクラウドファンディング方式でラッピングされた電車とのこと。
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「もう列車の来る時間よ。」とあるが会津鉄道も1日11往復なので、本当はのんびり途中下車しながら行きたいもののその日のうちに大阪に帰るとなるとそうもは行かない。野岩鉄道で楽しみ過ぎてしまったか…。
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列車は阿賀川沿いを走る。
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…普通列車で相席の方がいなかったのをいいことにやらせてもらいました。
これがなんと小野上温泉から芦ノ牧温泉までは立ち客が出るほどの利用で、どうやら海外からの団体旅行客が小野上温泉と芦ノ牧温泉の間を鉄道で移動して、駅長猫に会おうという行程らしい。半分ほどの座席が空いていた車内が一気に満員に。
気まずさからお酒も一気に飲み干してしまった。
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大川ダムにかかる若郷湖を渡り芦ノ牧温泉を出ると徐々に開けてきて終点の会津若松に到着する。
列車が混雑していて行程の後半は写真を撮ることができなかったのが残念であった。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
住んでいる場所柄、御堂筋線の南半分をよく利用する。そうするとよく見かける行先が新大阪と千里中央。
御堂筋線はその他にも江坂行きなどが設定されていて、始発の新幹線に乗りたい時などにはお世話になる行先である。
(中津?ラッシュ時に最混雑区間を運用したいから設定されているんでしょうけど知りませんねぇそんな行先は…)
北大阪急行の延伸でも半分くらいは千里中央行きが残るだろうと思っていたのだが、早朝時間帯を除き消滅してしまうとのこと。
万博に合わせて延伸され、50年以上終着駅であり続けた千里中央だがそっけなくその幕を閉じてしまう。
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それならばと新幹線に乗る前に千里中央に寄り道してみた。廃止以外での無くなってしまう「ターミナル編」は初めてではなかろうか。
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ホームの南端と北端に改札口が設置されており、両脇には店舗が並ぶ。特徴的な照明の配置が目を引く。
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1階にある改札からエスカレーター、階段を降りてホームへ向かう。日中時間帯は片方(2番乗り場)のホームを梅田方面への折り返し、もう片方(1番乗り場)を留置に使用している。
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階段の上からホームを見下ろすと、特徴的な形状の歩道がよく見える。
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延伸開業の広告が入ったホームドアもこの時期ならでは。
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格子状になった天井の照明がホームから見渡せるのも、吹き抜けになっている。
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もう一つ、延伸開業に伴ってサイン類のデザインを一新するとの発表がなされた。これらの駅名表も見納めとなる。
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北大阪急行は梅田方面を現す案内サインが「大阪市内」となっているがこれも開業に合わせて貼りかえられてしまうのだろうか…。
「大阪市内」表記が「新大阪・梅田・難波方面」とかになっていたらちょっとそっけない。千里中央駅は既にホーム上の表示は撤去されており、エレベータや時刻表にしか「大阪市内」の記載を見ることができず、着々と延伸への準備が進んでいることがうかがえた。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
この記事は野岩鉄道(前編)の続きとなっています。

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湯西川温泉駅で列車を待っていると四筋の光が見えてきた。
トンネル駅で電車が来た時の安心感は何にも代えがたい。ホームで電車を待てる駅ではこういうシーンを撮影してしまう。
野岩鉄道がクラウドファンディング方式により、6050系をイベントでも使用できる車両に改造しておりお披露目を込めた臨時列車「やがぴぃ号」の設定があった。モーター車は掘りごたつや運転台のモックなどがあり整理券が必要だが、付随車は乗車券のみで乗車可能。乗客は整理券が必要な車両に20名ほど乗っていたのに対して、私が乗り込んだ付随車は家族連れ一組のみ。車内の写真を撮るのにはちょうどいいがちょっと寂しい。
野岩鉄道はダイヤ改正で線内完結列車が減り、多くを特急の乗り入れ運用に頼っている状況にある。
どうしても首都圏からの旅行客を見込んでの路線であるため厳しい経営環境であることは想像に難くない。そんななか行楽期は臨時列車等が設定されるので6050系のローカル運用を狙って見るのはどうだろうか。
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湯西川温泉駅を出た列車はすぐトンネルを抜け、湯西川に架かる橋梁を渡っていく。
写真は雪原ではなく凍っている湯西川。6050系に乗っている感じが写真で撮れてよかった。
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上三依塩原温泉口で特急と行き違い。日曜日ということもあり3両で結構な座席がうまっていた。
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降り鉄の方にはおなじみの男鹿高原駅 特急が止まらなくなったことに加え線内完結運用も減ったため1日5往復となってしまい、秘境度が増してしまった。
もちろん臨時列車への乗降はなく発車。
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6050系系列といえば多層建ての列車であるため車内にも方向幕が設置され行先を見ることができる。雪景色とともに一枚。
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日光市と南会津町の境目はさらに雪深い景色となった。
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終点会津高原尾瀬口駅に到着。途中駅からの乗車だったため30分にも満たない乗車であったが、雪景色を楽しむことができた。
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新藤原方には「やがぴぃ号」のヘッドマークが掲出されている。
ちょうど時間があったので、近くの温泉に入浴して会津田島方面への列車を待った。

(このページの作成者 てら)

こんにちは、てらです。
大学生のころから、東京から会津方面へ遊びに行くときに東武線、野岩鉄道線、会津鉄道線の乗り継ぎを考えていたのだが、所要時間は新幹線に分があり、価格面では東京会津若松・郡山間でバスが走っていたこともあり乗ったことがなかった野岩鉄道線、会津鉄道線。
調べていると、6050系を使用した臨時列車が走るとのことで撮り鉄も乗り鉄も両立できそうである。
そうなれば話は早い。最初は宇都宮に宿をとって日光線で今市まで出て…と考えていたのだが、浅草から特急に乗れば宇都宮を出る時間と小一時間も差はない。折角なので行ったことのない浅草から特急に乗って野岩鉄道線、会津鉄道線を乗りに行くことにした。
全線複線で高規格な日光線に揺られ、鬼怒川線からは一気にローカル線の様相に様変わりしたものの、鬼怒川温泉まで2時間余りの快適な移動だった。
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終点の鬼怒川温泉駅からAIZUマウントエクスプレスは2分の乗り継ぎ。車両の写真や駅の写真を撮る間もなく列車は満席に。
3両の特急からほとんどの人が乗り換えていたので新緑や紅葉の季節ではないものの奥日光や塩原方面への温泉旅行をする人だらけであった。
野岩鉄道線はもともと国鉄会津線(現会津鉄道)と国鉄日光線(JR日光線)を結ぶ路線として敷設、国鉄の経営改善の一つとして工事が凍結された際に、第三セクターで工事を続行し東武鉄道と直通運転を行うこととなった。
なるほど、国鉄転換線(会津鉄道)と東武鉄道をどうして結んでいるんだろう…という謎も調べてみて初めて知った。
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1週間前に大雪だったようだが、晴れていても残雪がところどころある東武鬼怒川線沿線。
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川治温泉~川治湯元の車窓からはダム設備が見える。最初はダム湖から野岩鉄道を撮影することも考えたのだが帰る時間が遅くなるので泣く泣くあきらめた。
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湯西川温泉は結構な利用者が下車。バスに乗り換えて湯西川温泉に行く人が大半の模様。
AIZUマウントエクスプレスは専門の派手な塗装である。以前は名鉄8500系が担当していた。
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湯西川温泉は日本でも数少ない365日営業しているトンネル駅。土合、筒石などが有名だが、湯西川温泉もこのうちのひとつである。
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階段を上がると、湯西川温泉に接続するバスが待っていた。
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こちらが今回のお目当ての一つ、6050系の定期運用が湯西川橋梁を渡るところ。
撮影するところをどこにするか迷ったが、鉄道建設公団線であるところがわかりつつ、景色も風光明媚なところにしたかったのでこの場所をチョイス。駅からも近かったので非常に良かった。
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駅に併設されている道の駅に温泉があるため、ひとっ風呂浴びて駅へ。
折角のトンネル駅、雰囲気がわかるように色々撮影。
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発売範囲が広くてびっくり。係員さんがタブレットを操作しレシート状の切符が出る。この範囲の駅はレシートの切符を収受することもあるってことなんだろうか…。
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ホームへ続く階段
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列車が来る直前のホームは雰囲気がある。ここで第二のお目当てを待つ。後編へ続く。

※鉄道路線としては新藤原~会津高原尾瀬口が野岩鉄道の所属である。
 今行程では直通列車に乗車しており、新藤原から乗車していないため鬼怒川温泉~湯西川温泉としている

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
今シーズンは寒さが訪れる直前まで暑い日々、とりわけ秋が短かった気がする。
9月下旬のとある日、秋を感じに近所の路線をちょっと撮影しに行きました。
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難波で電車を待っていると乗る予定の電車が6000系だったので先発列車で先回りしてスナップで一枚。ハイキング客が目立ったが空席にありつけた。
高野線の大阪府内とベッドタウンになっている和歌山県橋本市を結ぶこの区間は昔は単線で有効長も短かったが、今は20m車8両が乗り入れる。千早口、天見、紀見峠の各駅は列車本数こそ多いものの、通勤路線とは思えないような風景が広がる。
河内長野市のニュータウンが広がる美加の台を出ると、電車はぐんぐんと勾配を登りながらトンネルを走る。
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6000系は大手私鉄で最後に残った片開扉の車。額縁のように大きな窓から景色を映し出す。
千早口駅を降りると、大阪市内よりもややひんやりしているように感じた。半袖だと寒く感じる。
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頭を垂れる黄金色の稲穂、通過していくのはリバイバル装飾が施された6000系。
里山の風景と高野線の最古参車両を絡めて撮ることができた。
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橋本行きの急行に充当していたので、折り返しを天見駅前の踏切で一枚。前面の丸みを帯びたステンレスボディが光の当たり方で引き締まってカッコよく見えた。
市内からほんの小一時間だが、素敵な秋を感じることができた。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
在来線特急が縦横無尽に走り回り、いろいろな地名が表示板に表示される在来線の駅も少なくなった。
新幹線ネットワークが張り巡らされていることの証左でもあり、利便性を享受している側としてはありがたいことである。
北海道最大のターミナル、札幌駅。高度経済成長期を経て民営化の前後で鉄路の縮小は加速度的に進み、最大の路線網を誇っていた頃と比べると見る影もなくなってしまったが、それでも大きな都市の地名が表示板に踊る。
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独特の盲導鈴の電子音と、この黒基調のサインは札幌に来ていることを思い起こさせる。
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札幌駅は東西に改札口があり、ずらっと改札と行先表示板が並ぶのが特徴的。
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新型感染症の流行時期と来訪時期の関係からコンコースはがらんとしていた。
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函館線下りならびに千歳線上り方面の時刻表。函館本線は函館から長万部、小樽を経由して旭川に至る路線なので江別、岩見沢、旭川方面は下り、千歳線は苫小牧から札幌に至る路線なので札幌から千歳、苫小牧方面は上り。路線の敷設の歴史を踏まえれば当たり前なのかもしれないがちょっと混乱する。
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在来線特急が少なくなって吊り下げタイプの乗車位置案内を見かけることも少なくなった。カムイ、すずらん、オホーツク、ライラックと豪華な名前が連なる。道内は函館方面、帯広、釧路方面も特急が走る。
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駅そば屋の弁菜亭の湯気が寒い冬はそそる。
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これは明り取りの窓…?と思ったのだが、ディーゼル車の排気を逃がす換気口の役割も兼ねているようだ。
雪を纏った気動車特急が停泊していると様になるのだが…。
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各ホームには立ち番の係員がおり、終客相図と出発指示表示が表示される。もともとホーム目いっぱいまで列車が止まっていたころの名残なのだろうが、おおぞらや北斗が短編成化され、ブルートレインが無き今、目いっぱい止まる列車があった時代の証人の一つだろう。
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3両編成の普通が佇んでいる姿はがらんとして見える。
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新型感染症により旅客の往来が少ない時の写真だらけだが、また通勤客や旅行者でにぎわう日々が戻りつつある。

(このページの作成者 てら)

こんにちは、てらです。撮り鉄のついでといってはなんですが、ふらりと伯備線に乗った時の写真をまとめます。
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朝5時過ぎの岡山駅 どうして仕事の時には絶対に起きれないような時間に趣味の用事だと起きれるのだろうか。
不思議でならないが体はシャッキリしている。
撮り鉄前の朝って、撮りたい被写体が撮れるまでややハラハラした感じを伴ってあまり精神衛生上よくない気がする。この日も、そんな感じだった。
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2両の米子行き。伯備線は新見で運行系統が別れていることもありロングラン運用だ。
瀬戸内に面している岡山で日本海側の米子の文字を見るだけでも旅情が出るのは不思議である。
意外にも座席の窓側がすべて埋まるような混雑。山陽線の始発よりも早い時間のため、倉敷までの乗車も多かった。
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趣のある木造駅舎 美袋(みなぎ)駅
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伯備線は河川と線路がほぼ並行するように走っており、岡山県側では高梁川と、鳥取県側では日野川とともに走る。
川の流れと共に車窓の変化を楽しめるところが乗っていて楽しい。徐々に日が昇ってきて山際から明るくなっていく。
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とある駅で降りた。新見の手前、井倉駅だ。
商店や駐在所、郵便局やJAといった公的機関の施設が集まる。石灰岩が取れる関係か大型車の往来も多い。
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EF64型が米子からけん引する貨物列車。県境越えの運転にはとても気を遣うんだとか。
(先日NHKでも特集されており、興味深かったので参考までに こちら
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やくも8号 この日は国鉄色の運行ではなくゆったりやくも色での運行だった。
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橋のたもとから高梁川の河原まで歩いて移動。
この日の目的はやくも5号として運転される列車。往年のスーパーやくもカラーとして運行されている。
パノラマ車が先頭のスーパーやくもカラーが撮れ、伯備線らしい急峻な地形を川沿いに縫うように走る姿を撮りたかったので、非常に満足した。もう少し水量の多い時期ならば水面も目立ったかもしれないが…。
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気をよくして最寄り駅まで歩いて戻った。こういう時の足取りは軽やかだし、暑さも吹き飛ぶ。駅前の自販機で飲む炭酸飲料が普段よりもおいしく感じる。
電車が来るまで工場の音に耳を傾けていた。操業が駅のすぐそばで行われているというのもまた珍しい。
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下り列車に乗って新見駅へ
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新見は人口2万6千余りだが、伯備線随一の都市。高梁川沿いの平野部に張り付くように街がある。

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姫新線の乗り継ぎまで少し時間があったので駅前を少し歩いた。素敵な窓割のシティホテルと、こじんまりとしたショッピングセンターが素敵だったので何枚か写真を撮った。

このあと、姫新線に乗り姫路までのんびり乗り鉄を楽しんだ。

(このページの作成者 てら)

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