旅に、出た。

バス乗ったり、島行ったり。マニア2人の共同旅ブログ

乗り物好き若手リーマン2人、それぞれの旅行記録

タグ:須坂

どもども てらです。
長野電鉄長野線沿線の街並みを巡る旅をしてきました。この記事では長野電鉄の乗り鉄を総括した記事を書きます。
それ以前の記事…街並みを巡る旅① 須坂編街並みを巡る旅② 小布施編

高速バスを降りて着いたのは須坂駅前
s__MG_3750
電車の時間までまだまだあったため、須坂の街並みを歩いて見学した。 z
そのときの記事はこちらをどうぞ。
s__MG_3794
橋上型駅舎の改札では農産物が売られていた。小布施や電鉄長野といった終日係員のいる駅は同じように土産品や農産物が売られていた。売店の延長なのかもしれないけれど風情を感じた。
s__MG_3795
須坂は屋代線(2012年に廃止)の分岐駅であると同時に車庫が併設されている駅で、ちょうど特急列車二本が入換を行っていたので駅の近くの歩道橋で写真撮影。ゆけむり(左)は小田急ロマンスカーのお古、スノーモンキー(右)は成田エクスプレスのお古だ。
s__MG_3799
以前は4番乗り場が屋代線のホームだったようだ。
今回は下り、信州中野行きに乗車。小布施を出ると沿線の景色ががらっと変わり、山の近くを通ることから、長野電鉄が南北に広がる長野平野の淵を走っていることを実感する。
s__MG_3841
信州中野では運行系統が一部の時間帯で分断されており、2両編成の列車に乗り換える。
s__MG_3846
信濃竹原で対向の特急を通過待ちするために停車。
信州中野~湯田中は30‰を越える区間が連続するため、列車にとっても小休止だ。
s__MG_3851
s__MG_3852
湯田中駅の写真右手に見えるのは湯田中駅の旧駅舎である。以前は写真右側のホームに止まっていたのだが、スイッチバックの解消とともに写真左側の駅舎に代わった。温泉地の玄関口として野沢、志賀高原方面のバスに乗り継ぐことができる。(修善寺とか水上とか温泉の玄関口の駅ってどこか独特な雰囲気をまとっている気がする)
s__MG_3853
旧駅舎は楓の湯という温泉が併設されており、待合室として使われている。すぐの折り返しには乗らず、楓の湯で汗を流す。
折り返し、駅のホームに待っていたのはこの車両
s__MG_3855
s__MG_3856
好きな方は写真を見ただけでわかるかもしれない。小田急ロマンスカーHiSEとして小田急の顔として活躍した後、長野電鉄で特急ゆけむりとして余生を送っている1000形(小田急時代は10000形)である。
s__MG_2340
(過去の写真より)小田急時代から編成は短くなったものの格式の高さは当時のままだ。
s__MG_3858
車内も小田急時代から全く変わっていない。ロマンスカーは中学生の頃に家族旅行で乗ったので10年以上も前になる。
s__MG_3860
s__MG_3861
初めて乗ったときはこの辺の設備の貴重さがわからなかったのだが、わかるようになってからは栓抜きが車内にある電車がなかなか無いという…。
s__MG_3867
前面展望で車窓を楽しませてもらった。志賀高原を見ながら、列車はずっと下り勾配を走り続ける。
s__MG_3825
一旦、ゆけむり号を降り小布施で途中下車 小布施編はこちら
s__MG_3836
s__MG_3837
小布施の駅からは晴れていれば北信五岳の峰々がよく見えるそうだが、あいにく山の稜線がかろうじて見える程度であった…。
s__MG_3908
また、小布施駅には電車の広場が併設されており、2011年で運用を終了した2000系D編成が展示されている。
s__MG_3929
小布施から再び電鉄長野行きに乗車。だんだんと住宅地が増え、長野駅の3つ手前の善光寺下駅から列車は地下を走る。1981年の連続立体交差事業で長野電鉄線を地下化、地上を走っていた用地を片道三車線の長野大通りとして長野市北部とのアクセスに一役買っている。
終点電鉄長野駅では、現役時代は顔を合わせることがなかったような列車の組み合わせを見ることができる。

追記:このほかに長野電鉄線の地下区間と電鉄長野駅についていくつか写真を撮っているが、それはターミナル探訪シリーズでまとめる予定なので、しばしお待ちを…。

この旅が気に入った方はこちらの旅もどうぞ。
いしが2019年春にしなの鉄道を使って野沢温泉方面へ出かけています。
しなの鉄道しなの線【長野2019①】
(このページの作成者 てら)

どうもてらです。
今回は長野電鉄沿線の街並みを巡る旅をしました。

今回、大阪からの夜行バスに揺られ、降りたのは長野県の須坂市。長野市の右隣に位置し長野駅から電車で20分程度のところである。駅前は橋上駅舎に複層階のスーパーと、典型的なベッドタウンのようなところであった。
s__MG_3750
s__MG_3749
しかし、駅前の通りを抜けて一本路地に入ると…。
蔵の街並みが目の前に広がる。もともと、須坂は明治初期から製糸で栄えた街で、当時の商家の建物や蔵の多くが残されている。
s__MG_3756-2
須坂クラシック美術館 明治初期の建物を美術館に改装している。ここより、銀座通りを道なりにいくと、徒歩10分圏内に古き街並みが保全されているので、順をおって紹介する。
s__MG_3757-2
クラシック美術館付近から東側を向くと、町屋と蔵が並ぶ通りが続く。
s__MG_3758-2
明治初期の製糸家 観光交流センターを兼ねている。正面に写っている3階建の蔵はまゆを貯蔵するまゆ蔵と呼ばれ、製糸業で栄えた街で見ることができる。
s__MG_3761
蔵を改装したブティック。
s__MG_3766
店舗だけでなく集会所や観光施設など、いろいろな建物にリノベーションされている建物が目立つ。
s__MG_3774-2
手前に建つ西田屋は、明治初期の黒塗りの蔵店。隣の山下薬局は江戸末期の造りで、当時から薬屋であり、近隣の藩とも取引があったそうだ。屋根の段にも特徴がある。

s__MG_3778
小田切家 製糸で栄えた須坂らしく、長屋門のある商家と蔵が併設されている家である。
s__MG_3779
最後に、私は墨坂神社へ向かった。銀座通りから伸びる参道と鳥居
s__MG_3783-2
墨坂神社の本殿。墨坂神社はもともと奈良県の榛原に位置する神社であるが、大和地域の部族が須坂付近に移住した際に、墨坂神を遷祀したそうだ。

街並みを巡る旅② につづく。

(このページの作成者 てら)