旅に、出た。

バス乗ったり、島行ったり。マニア2人の共同旅ブログ

乗り物好き若手リーマン2人、それぞれの旅行記録

タグ:船

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こんばんは、いしです。

東京のはるか南1,000kmに浮かぶ母島も、東京都に属する小笠原村の有人島です。父島からフェリーで日帰りで尋ねることが出来ます。もちろん宿泊もできます。この日は、帰りの船が出るまでの約4時間、島をぐるっと見て回ることにしました。

母島に公共交通機関は存在しません。おそらく、島自体は大きいものの(周囲は父島よりも長い58km)、集落は港付近に固まっているからでしょう。しかし、島の北端には戦時中の集団疎開まで存在した北村という集落の跡地が存在し、都道がそこまで伸びています。また、集落の南数kmのところまでも都道が伸びていて、都道最南端の標識があります。その2つを訪れるためには徒歩ではとても無理なので、移動手段の確保が必要になります。

母島にあるのはレンタカーかレンタルバイク(原付)。レンタカーは予約しないと当日飛び入りで借りるのはなかなか難しそうだったので、原付を借りることにしました。島には2箇所借りられるところがありますが、1箇所目はバイクが既に出払っていました。なんとか2箇所目のところで借りられましたが、もともとバイクは4台だけ置いているようでしたので、バイクを借りようとしている場合は下船してすぐにレンタル場所へ向かった方が無難です。
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父島から乗ってきたははじま丸が見える場所でバイクを借りて、まずは島の北端にある北村集落の跡地を目指します(地図)。

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島の西側を、アップダウンを繰り返しながら北上します。時折、写真のように進行方向左手に海を望めます。

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北村集落に到着です。離村から70年以上が経ち、ほとんど何も残っていません。道の終端には「道路終点」の標識が。なかなかお目にかかれない代物です。
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北村から数km戻った所には、もう1つ堤防のある港が存在します。住居は無いので、写真に写っているもの以外は船が1艘あっただけです。この日は、釣りをしている方が居ました。
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時折、地元の方が使っているのでしょうか。集落からは10km以上離れている場所なのですが。この写真を撮った後、巡回のパトカーと遭遇しました。時折島をパトロールしているようです。

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バイクを走らせて、南へ戻ります。途中のトンネルから、島の南方を見た写真です。このような山林の中をひたすらに走るだけの道です。数km置きに、何かの跡やお墓などが点在しています。
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また、このようなビュースポットもいくつかあります。
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いったん集落まで戻り、そのまま都道を南下し続けます。名前は南進線に代わって南へ伸びていきます。
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数km走ったところで道路の終わりが突然現れました。
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ここは都道最南端です。ここから先は遊歩道となっていて、徒歩のみのアクセスです。時間がなかったので、バイクで来た道を引き返しました。
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集落の寿司屋さんで島ずしを昼食で頂いた後、集落内をブラブラして、帰りの船まで時間をつぶしました。
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母島の沖港の待合所は観光協会も兼ねています。ここで船を待ちます。

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待合所で特産品が売られていたので、レモンソーダを頂きました。無糖できりっとしていました。美味。
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朝乗ってきたははじま丸で戻ります。
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警察官とともに、何人か島民の方も見送りに来ていらっしゃいました。
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母島を離れます。このあと沖に出ると、往路よりも激しい揺れの中を2時間、父島へ向かって船は北上しました。

(このペイジの作成者 いし)

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こんばんは、いしです。

小笠原諸島にある2つの有人島のうち、母島へ行くには小笠原の玄関口である父島から、フェリー「ははじま丸」に2時間揺られる必要があります(地図)。ははじま丸は、東京と父島を結ぶおがさわら丸の約20分の1ほどの小さな船体で、500トン級。船内は3階建てです。父島と母島を1日1往復しています。父島を朝に出発して昼前に母島着。折返し便は午後になります。ただし、おがさわら丸が出港あるいは入港する日は、接続の関係上ダイヤが変わります。また、毎日運航というわけではなく運休日も多々存在します。
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父島の二見港にある、ははじま丸の乗り場で乗船券を購入し、乗船名簿の記入も行います。この日は偶然にもゴールデンウィークの乗船券一斉発売の日で、港のおがさわら丸乗り場は島民の方々が東京行乗船券購入のためにたくさん並んでいました。列先頭の方はどうやら午前3時から並んでいたご様子!

あとから宿のオーナーに聞いた話ですが、今年のゴールデンウィークは10連休のため、通常の3から5倍もの予約が殺到し、おがさわら丸の予約は電話・インターネットともに取りづらい状態が続いたそう。宿の電話も朝から昼まで鳴りっぱなしで対応に追われていたんだとか。頭が下がります。

混雑するおがさわら丸の切符売り場を後目に、ははじま丸の乗り場へ向かいます。ははじま丸の出航は7:30とかなり早い時刻。そのため、前日までに母島へ行く旨を伝えておくと、朝ご飯に軽食を作って頂けます。ははじま丸の船内で食べてほしいとのことでしたが、座敷席は飲食禁止だったので、ははじま丸では船外デッキのベンチに腰かけて、朝食を頂きながら母島へ向かうことにしました。
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7:30、父島の二見港を出発です。二見湾を出ると次第に船は大きく揺れ始めます。500トンあるとはいえ、太平洋に出てしまえば前後に大きく揺られます。この日は天気が良かったので波も2.5mとそんなに高くなかったはずなのですが、しっかり揺れます。エスエス製薬さんの「アネロンニスキャップ」が今日も大活躍です。
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1時間もすれば、船後方から見える父島はかなり遠ざかっていました。あと残り半分です。前方には既に母島が見えていました。

ははじま丸の船外デッキの手摺には無料の双眼鏡が結わえ付けられていて、誰でも使うことが出来ます。これはクジラウォッチング用です。船外デッキに座っていると、なるほどクジラがよく現れます。クジラツアーではないので近づくことは出来ませんが、存外頻繁にクジラが登場します。
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定刻通り、母島にまもなく到着です。
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父島の二見と比べるとかなりこじんまりとした印象。この日は日帰りで母島を少しだけ探索します。

続く。

(このペイジの作成者 いし)

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こんばんは。いしです。今月は、先月訪れた小笠原の記事を更新します。

東西南北に広がる日本の中で最もアクセスしづらい場所の1つは、間違いなく小笠原でしょう(地図)。小笠原列島の中に有人島は父島と母島だけですが、本土(東京)からは約1,000kmも離れている上に空港は無く、アクセスは週に数便のフェリーのみ。加えて、そのフェリーは東京を出発してから、延々と揺れる太平洋を片道24時間も航行してようやく父島に到着するという代物です。

時間の自由が利く今のうちにと、意を決して小笠原に行ってきました。ブログの文章では伝えきれませんが、時間をかけてでも行ってよかったと思えるほど、素晴らしいところでした。

目次 ※漸次更新
1日目~2日目:【この記事】フェリー「おがさわら丸」東京→父島
2日目:【記事②】父島一周。
3日目:【記事③】フェリー「ははじま丸」父島→母島
同日:【記事④】母島探索、フェリー「ははじま丸」母島→父島
4日目~5日目:【記事⑤】父島、小笠原村営バス。
5日目~6日目:【記事⑥】フェリー「おがさわら丸」父島→東京
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東京都小笠原村へ行くには、東京の竹芝桟橋から出るおがさわら丸に乗るほかありません。ここ竹芝桟橋は浜松町駅から数百メートル離れたところにあり、伊豆諸島に向かうフェリーや高速船もここから出航します。写真は竹芝のフェリーターミナル。ここから伊豆諸島へは東海汽船が、小笠原へはグループ会社の小笠原海運がそれぞれ運航しており、伊豆諸島へのフェリーは毎日、小笠原へは週に1から2便の運航です。

今回乗船したのは3月4日東京発の父島行。この季節はクジラシーズンで船は満員。卒業旅行の学生から団体旅行の高齢者まで客層はバラエティに富んでいます。ただ、ハイシーズンとなる夏のおがさわら丸はほぼ休みなく3、4日に1往復程度東京父島間を行き来するのに対し、3月は週に1往復程度と本数は少なめです。
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出発日は、あいにくの雨模様。風が穏やかだったことがせめてもの救いです。この時期の伊豆諸島、小笠原方面は海が荒れやすいため、天候には敏感になります。気象庁の予報ではこの日の波は伊豆諸島の三宅島で2.5m、八丈島と父島では3mとのことでした。乗客同士の会話によれば、おがさわら丸は波高7mまでは欠航しないようです。動くのは確実ですが、揺れが心配なまま乗り込みます。
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フェリーターミナルで搭乗券を発券し、いざ、乗り込みます。
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出航は11:00。左舷から乗り込み、4デッキの2等寝台へ向かいます。おがさわら丸の船内で乗客が立ち入れるのは、2階(「2デッキ」と呼びます)から8階(8デッキ)までの7層構造。高級クラスになるほど上のデッキに部屋があります。一方、最下層にあたる2デッキ、3デッキには、窓がない雑魚寝の2等和室があります。
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今回予約したのはその1つ上のクラスの2等寝台。4デッキと5デッキの窓がない部分が2等寝台です。2段ベッドが向かい合わせになっている構造で、カーテンを閉めればプライベートな空間が確保されます。
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荷物置き場も充実しています。
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4デッキにある案内所で頂いた時刻表です。東京の竹芝港を出発し、父島の二見港まで24時間の道のりです。
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11:00定刻に汽笛を鳴らして出航。まずは波の穏やかな東京湾を3時間ほど進みます。
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あいにくの曇りでほとんど景色は見えませんでしたが、ところどころコンテナ船や羽田空港、アクアラインなどを横目に、船にしては結構なスピードで東京湾を進みます。

このおがさわら丸は2016年から就航した3代目。スピードアップや揺れの軽減などが図られ、父島への所要時間は従前の25時間より1時間短い24時間となっています。また、新しい船だけあって船内はどこも快適かつ清潔です。トイレもシャワーも洗面所も綺麗です。

加えて、2代目おがさわら丸が6千トン級の船だったのに対し、新しいおがさわら丸は1万1千トン。揺れる太平洋の航海には大変頼もしい大型船です(大きいということは、それだけ揺れにくい)。個人的には、1万トンを超える大型船は北海道方面へ向かうフェリーでしか乗ったことがないので、その大きさに期待が高まります。
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レストランやカフェ、ちょっとしたショップまでついています。写真を撮るのを忘れましたが、廊下には緊急時用のビニール袋が数十m感覚でたくさんぶら下がっています。1万トンを超える大型船ではあっても、それだけ揺れる航路ということですね。乗るには覚悟が必要です。今回も、乗船にあたっていつも服用しているエスエス製薬さんの「アネロンニスキャップ」にお世話になりました。おかげさまで往復共に船酔いにならずに済みました。
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船は予定通り順調に進みます。
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昼食を食べ終わった14時頃、出航から3時間経ってついに船は東京湾を出たようで、だんだんと揺れが大きくなってきました。大型船ならではの、グワングワンとゆっくり前後に揺られる感じが続きます。船内を行き交う人の数もだんだんと減って、通路を歩くのには手すりにつかまらないと右に左に千鳥歩きになってしまいます。

8デッキ(展望デッキ)に上って外を見ると、少し白波が立っていました。遠くに厚い雲に覆われた三宅島と御蔵島を薄っすらと望める以外は、見渡す限りの海です。時刻はまだ16時前。到着まであと19時間です(地図)。
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遠くに八丈島らしき島影が見えた頃、船は日没を迎えました。おがさわら丸は、東京湾を出て一路南進しています。17時頃に日没を迎えましたので、到着まであと18時間です。この日は18時頃にレストランで夕食を食べた後、寝台で横になって暇をつぶしました。

19時を過ぎたあたりから、明らかに揺れがひどくなってきました。4デッキの寝台ですから、船の中腹の高さに居たものの、波が船体にぶつかるドーンという音が大きく聞こえます。それに続いてグワンという大きな揺れが2、3度。これの繰り返し。それでも問題なく寝られるほどの揺れでしたので、うつらうつらしている間にいつの間にか22時。消灯の放送が流れて船内は暗くなり、就寝です。
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翌日は6時に点灯。揺れはあいかわらず続いていましたが、意を決して8デッキに出てみると、昨日の東京の天気が嘘のような快晴でした。この日は予報通り、高気圧に覆われて天気が回復に向かったようです。7:30、揺れたまま、朝ご飯をレストランで頂きました。危うく酔うところでしたが、ギリギリセーフ。
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10時過ぎ、ついに小笠原列島を視界に捉えました。ここまで東京から23時間、、、船内は再び活気づいて、かなり多くの人が小笠原列島を見ようと船外に出てきていました。もういい加減、皆、揺れになれたようですね。
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10:30。ついにおがさわら丸は父島の二見湾に入ります!
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二見港と、そこに停まる「ははじま丸」の姿が。母島へ向かう人は、1時間の乗り継ぎでなんとははじま丸へ乗り換えです。これからさらに2時間の船旅が待っています。
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ちなみにこの日は湾内にクルーズ船「にっぽん丸」も停泊していました。年に数度しか来ないので、大変貴重な光景です。岸壁はははじま丸とおがさわら丸で一杯ですし、なにより2トン級のにっぽん丸は二見港には恐らく接岸できないのでしょう。この位置に停泊していました。
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伊豆諸島の島々と同じく、警察官もおがさわら丸の接岸を見守っています。IMG_2783
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港には、村人総出で出迎えです。
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船は定刻通り、翌日の11:00に父島の二見港に到着しました。長い道のりでした。

続く。

(このペイジの作成者 いし)

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高知県宿毛市から定期船で約1時間のところにある有人島の1つが鵜来島です。集落は港のところの1つだけ、島民の方も20人ほどと、とても小さな島です。郵便局はおろか、商店も学校もありません。2019年2月、この鵜来島に一泊して来ました。

鵜来島の位置はこちら(オレンジが大まかな定期船のルートと船着場、緑と黄色はこの記事に登場する主な場所、青は徒歩ルート)。

この記事は、この記事の続きです。全体の行程はこちらの記事を、全体のルートはこのマップを参照。
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隣の島、沖の島の弘瀬港にある小屋で定期船の切符を購入し、鵜来島へ向かいます。
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弘瀬港から鵜来島へ向かう人は滅多に居ないのでしょう。乗船券はなんと通算96枚目。宿毛市の片島から沖の島の母島までいく切符が989枚目だったことを考えると、この乗船券の色褪せ具合も手伝って、移動の少なさを実感します。

午後の定期船に乗り、約30分の道のり。しかし、これが人生最強の船旅となりました。

弘瀬港の時点でかなりの強風が吹きつけて居たのですが、乗船時に船員さんが「今日はかなり風が強い」と仰っていたほど。実際に乗ってから港を出ると、船はまるでフリーフォールかジェットコースターのように激しい浮き沈みを繰り返しながら進んで行きます。波にぶつかる度に船はゴンと大きな音を立て、右舷の窓にも左舷の窓にも容赦なく波がかかります。座敷席で横に寝てはいたものの、想像を絶する揺れで、身体が床から一瞬浮いたり、その弾みで枕も押さえていないとどこかに行ってしまったりしてしまうほど。何度も何度も胃が浮く感覚を始めて味わいました。人生最大の船揺れを経験出来ました、、、
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どうやら地元の人も酔っていたようで、我々も強弱はあれどもれなく船酔い。なんとか鵜来島へ到着しました。

港では島民の方が待っていて、船の係留から荷卸しまで行います。島には車がありませんから(車が通れる道もない)、船から先はリヤカーで運搬。下船したところでは、予め電話で予約しておいた民宿「しまの灯り」のお母さんにお出迎えして頂きました。

民宿「しまの灯り」については、ホームページ「とさぶし」さんと、日本離島センター季刊誌『しま』255号、34-38ペイジが詳しいです。是非ご一読ください。

お母さんのお話では、この日の午後便はなんと欠航ギリギリだったとのこと。そんなこととはつゆ知らず、幸運にも乗船できたわけです。宿毛の片島出発時に風速18m/sが欠航のラインだそうで、この日は17m/sだったんだとか。本当にギリギリです。首の皮一枚で鵜来島に来れた喜びと共に、帰りはこれよりひどく揺れることは無いんだと謎の安心感もやってきました。

宿毛と鵜来島、沖の島を隔てる海域はもともと海が荒いようで、おかげで冬は釣り客のメッカになっています。冬はとりわけ荒れることが多く、欠航も少なくないんだとか。
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定期船が去った港は静かなもので、猫が数匹いるほかは動くものが見当たらず。お母さんの案内で、宿へ向かって少し船酔いをさました後、集落の上にある神社を見に行きました。
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島には集落が1つだけで、沖の島の母島集落のように三方を山に囲まれていて、風は穏やかです。港から見て左手に神社が、右手に寺の跡があります。
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神社からは集落が一望できます。
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反対側には寺院跡。
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寺院から見た集落です。向かい側の山の中腹に先ほど居た神社の鳥居が視認できます。
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電柱にはしっかりとウグルシマの文字が。
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集落の道はこのように階段が続く細い路地で、移動は思った以上に大変です。猫は結構な数が居て、どうやら3グループに大別できるようで、それぞれの縄張りで暮らしているとのこと。

この日は、お母さんの夕食を頂いた後、お母さんと島についての話を熱く交わしました。島の将来も含めた大局的観点から島のことを一生懸命考えておられる方で、話している中でその熱い思いをたくさんある感じられました。明日の朝の準備が早いとのことで、お互いに語り尽くせなかったのが残念でなりません。
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翌朝は、朝食を頂いた後、港で切符を購入し、宿毛に戻りました。遠くから定期船がだんだんとやって来ます。海は昨日より明らかに凪いでいました。
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船を降りた後は、宿毛の片島港からタクシーで宿毛駅へ向かい(バスは船とも鉄道とも接続が悪い)、岩本寺へ寄った後、鉄道で東京へ帰りました。

民宿「しまの灯り」さんには、島の到着から翌日の出発まで、滞在の一切をお世話して頂きました。この場を借りて、お礼を申し上げます。ありがとうございました。

完。

追記(2019/3/18)
民宿しまの灯りさんの電話番号はこのサイトのものが繋がりました。これから訪れる方は、参考にしてください。また、島で宿泊できる所はもう一軒、うぐるBOXさんもあります。
(このペイジの作成者 いし)

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四国の離島を思い浮かべる時、どうしても瀬戸内海をイメージしがちですが、太平洋側にもいくつか離島が存在します。その中の1つである高知県の西端に位置する沖の島と鵜来島は、おそらく四国で最も行きにくい離島の1つではないでしょうか。2019年2月にその両島を訪れました。

沖の島の位置はこちら(オレンジが大まかな定期船のルートと船着場、緑と黄色はこの記事に登場する主な場所、青は徒歩ルート)。

この記事は、こちらの続きです。全体の行程はこちらの記事を、全体のルートはこのマップを参照。
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宿毛市の港、片島港からは運休中の宿毛フェリー以外にもう1つ、市営船の「すくも」が出航しています。「すくも」は宿毛市に属する沖の島と鵜来島へ向かう唯一の手段で、午前と午後の1便ずつ、島と宿毛市を結んでいます。

午前便は宿毛の片島港を出港すると反時計回りに、鵜来島、弘瀬港(沖の島)、母島港(沖の島)と周って片島港に帰ってきます。午前便はそれとは逆の時計回りで、母島、広瀬、鵜来島と周って片島港に戻る便です。
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午前の定期船に乗って、まずは沖の島へ向かいます。写真は、片島港で出発を待つ「すくも」です。「すくも」は82トン。決して大きくない船体ながら、沖の島や鵜来島までの荒れる海域を力強く走ります。

船内は二階建て。二階席と一階席の船首向かって左側は座席。一階席の右側は座敷で、横になれるようになっています。船内には金だらいも用意され、船酔いで我慢できない時は恐らくこれを使えます。今回は念のために酔い止め(エスエス製薬「アネロン『ニスキャップ』」)を服用しました。

曲者なのは、朝7:00に片島港を出る定期船へのアクセス。片島港は宿毛市街からは2km以上離れていますが、朝はバスが無く、タクシーも原則7:00から。今回は徒歩で港へ行きました。基本的に皆さん車でアクセスされるようです、、、
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片島港を定時に出港すると、50分かけて鵜来島へ向かいます。船はどんぶらと揺れてはいますが、そこまで強烈ではなく、船内は快適。鵜来島を経由した後は沖の島へ。まず弘瀬港に入港した後、15分ほどで母島港へ到着です。
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「すくも」は各島への郵便や荷物、時には車の輸送も行っていて、まさに島の生命線です(船には郵便〒のマークもある)。
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この便も母島港に着くなりすぐに荷卸し作業に取り掛かっていました。郵便局の方も来ていました。
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朝9時前に島に着いても特にやることもなく、散策を開始します。しかしながら、写真に写り込む島の方々を見てわかる通り、2月の沖の島は冷たい強風の吹きすさぶところで、港以外の三方が山に囲まれている母島の集落でも風は強く、とても外に長時間はいられません。
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集落の上の方にあった神社に参拝した後、とりあえず集落の上にあるコンクリート三階建ての建物、沖の島支所へお邪魔させていただきました。支所では、昼食を食べれるところや移動手段などを尋ねて、しばし玄関で休ませてもらいました。仕事中にもかかわらず、丁寧に教えていただきました。

すこし休憩した後、相変わらずの強風でしたが意を決して集落へ。支所から少し下って港に向かう下り道の中腹にある母島郵便局へお邪魔しました。ATMで少し滞在費をおろした後、風景印を押してもらうために葉書を購入し、記入して投函しました。

郵便局では局員の方にとても親切にして頂きました。港近くにある共有の休憩所や昼食の場所など、業務中にもかかわらず、突然訪れた見ず知らずの我々に色々と教えていただきました。この場を借りて改めてお礼申し上げます。皆さま、沖の島へ訪れた際はぜひ母島郵便局へ(弘瀬にも郵便局があるようです)。
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昼食は、港の定期船乗り場の向かいにある旅館おきのしまさんで頂きました。写真は親子丼です。夏であれば、こちらで電気自転車2台を貸してもらえるとのこと。また、空いていれば、車も借りられるそうです。この日はあいにく出払っていましたので、借りられませんでした。
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旅館の方の話では、隣にある弘瀬の集落まで徒歩で行けるとのことでしたので、歩いて移動することに。約1時間半の道のりです。写真は、歩き始めてすぐのところで後ろを振り返って母島集落を撮ったところ。この道、県道です。
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さらにこの県道を登って行くと、青看板が登場します。県道の証、ヘキサゴンも書かれています。ここは右へ折れて弘瀬へ向かいます(久保浦、谷尻という集落は、母島から見て島の反対側、東に位置する集落)。
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途中、視界の開ける展望台(白岩岬公園キャンプ場)もあります。左に見えているのは姫島。無人島です。右に見えているのが鵜来島です(地図で確認)。
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弘瀬の集落が見えてきました。先ほどまで居た母島とは違い、だいぶ海に向かって開けた形をしており、そのぶん風は強く吹き付けてきます。港にある小屋で休ませてもらいました。
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続いて、午後の定期船に乗って、ここ弘瀬から鵜来島へ向かいます。

続きます

(このペイジの作成者 いし)

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