旅に、出た。

バス乗ったり、島行ったり。マニア2人の共同旅ブログ

乗り物好き若手リーマン2人、それぞれの旅行記録

タグ:東京都

こんばんは、いしです。今回も冬に書いたままになっていた、過去記事の放流です。お付き合いください。

路線図
を見れば一目瞭然の通り、西武多摩川線は他の西武線からは孤立して存在する珍しい路線です。

是政橋の府中市側の袂から多摩川線は発車します。府中市のコミュニティバス「ちゅうバス」なら是政駅というバス停が最寄り。
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多摩川線はラッシュ、データイムの区別なく、終日4両編成が12分間隔で運転。列車交換は白糸台駅と新小金井駅で行われ、塗装の異なる3編成が運用につきます(競艇場前駅の交換設備は廃されています)。
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乗車したのはこの編成。撮影は是政駅です。平日の午前に乗車したため、乗客は各車数人といったところ。ワンマン運転のため運転士がドアーを閉めて、武蔵境駅へ向かいます。
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白糸台で下りと列車交換をした後、上の写真の多磨駅では近くにある外大生や地元の人たちが乗車し、車内はだんだんと活気付いてきます(注1)。

結局、武蔵境駅に着くまで乗車してくる一方で、中央線への強い旅客流動を感じます。一応、是政駅から2つ目の白糸台駅は、京王線の武蔵野台駅まで徒歩乗換えが可能で、車内の自動放送で案内もされていましたが(注2)。

終点の武蔵境駅は多摩川線ホームに入線。エスカレータを下って改札階に到着です。多摩川線の改札よりも中央線への乗換専用改札の方が規模が大きく、ここからも中央線への乗継需要の高さが伺えました。


注1:写真は別日撮影。
注2:一方、京王線の車内では、西武線への乗換案内放送がありません。

(このペイジの作成者 いし)

こんばんは、いしです。今回は、冬に書いたまま放置していた過去記事を、お蔵入りさせるのももったいないので放出します。

JR中央線の武蔵境から出発する、たった5駅しかない路線があります。西武多摩川線です。私の親戚が「是政線」と呼ぶものですから、わりと最近まで是政線と呼ぶのかと思っていました(実際、今でも自分はそう言ってしまいます)。どうやら、昔は是政線と言ったようですね。

実は一度も乗ったことが無く、いつかは乗ってみたいと思っていました。所用で京王線府中駅に行った帰り、駅のバスプールに是政循環と書かれたコミュニティバスを発見したため、勢いで乗車。多摩川線に初乗車しました。

府中は京王バスの牙城です。とくに中央線の駅へ向かって、バス路線が何本も伸びています。一方、市の運営するコミュニティバス「ちゅうバス」は5路線が存在し、全て30分間隔で走っています。コミュニティバスにしてはかなり高頻度運転の部類ではないでしょうか。
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乗車したのは府中市を南東部に向かう、是政循環。車体は、これまたコミュニティバスにしては珍しく、中型バスです(ポンチョじゃない!)。乗車率も高く、座席は埋まって、立ち客も居るほど。府中駅で乗せたお客さんは、競馬場を抜けたあたりからパラパラと降り始めます。競艇場近くからは乗車もチラホラありました。
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ちなみに、ここ是政バス停は京王バスも走ってます。しかし、1日1本のみで土日は運休の上、府中駅までちゅうばすより¥100以上高い設定です。はたして使う人は居るのでしょうか。謎です。

(このペイジの作成者 いし)

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こんばんは、いしです。

小笠原旅行の締め括りは、おがさわら丸です。船内は快適で申し分ないのですが、なにぶん乗る時間と揺れが不安要素。往路のおがさわら丸は波高3mでしたが、復路は前日に通過した前線を伴った低気圧のおかげで、波高4mうねりあり。徐々に回復傾向に向かっているとはいえ、往路以上の悪天候に不安は尽きません。
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乗船まで時間があったので、荷役を傍から見学。おがさわら丸は貨客船ですので、島への人の輸送だけでなく、物資の輸送も担っていますので、これも大事なおがさわら丸の使命です。台風などで欠航が続くと、島は品薄状態に。1週間ならまだしも2週間となると流石に島の人も備えるのは難しいと、宿のオーナー談。島の暮らしの厳しさが伺えます。
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二見の客船ターミナルは、出港時刻の15:30が近づくにつれて14:00頃から活気が出てきます。旅行客はもちろん、船に乗る地元民や見送りの方々など、港は人でごった返します。
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帰りも相変わらずの2等寝台です。乗船から出航まで少し時間があったので、2デッキ、3デッキにある2等和室を見学。
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最安区画なのが魅力ですが、船底に近いため波音は大きく、満員の場合は体力を使いそうです。
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15:30。船は定刻で出発。10分ほど前から港では太鼓の演奏や旗振りなど、村人総出で見送って頂けます。たった数日滞在しただけでも、感動の瞬間です。
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おがさわら丸の岸壁のすぐ隣にある岸辺から、観光用の小型船がいくつもおがさわら丸に並走して来ます。この日は3月でしたので、小笠原とはいえ気温は15度程度。まさかとは思いましたが、小笠原好例のお見送りです。
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二見湾を出るまでの数分間、おがさわら丸と並走しながら、小型船に乗った地元の方々が次々に海に飛び込んで我々を見送ってくれました。感動!!!

興奮冷めやらぬまましばらく父島を眺めていたかったものの、二見湾を出るとすぐに船を揺れが襲ってきます(地図)。出港前のアナウンスでは「本日は波が高く、少々船が揺れます」とアナウンスされていました。確かに、往路よりも明らかにおおきく船体は揺れていて、ほとんどの人たちが船外はおろか船内のパブリックスペースから早々に立ち去って、自らのベッドで横になっていました。

ドーンという波音とそれに続く大きなグワンという前後の揺れが何度も何度も繰り返され、体が揺さぶられます。たまらず昼寝をしましたが、何度も大きな揺れで起こされました。さすが波4m。

出港から4時間が経った19:30頃。偶然目も覚めたので意を決して夕食へ。ところが激しい揺れのために、うどん、そば、ラーメンといった麺類は提供しないとのこと。とてもじゃないけど重いものを食べたら吐いてしまいそうだったので、カフェのスープとサラダで軽く済ませました。

軽食を食べたらすぐに横になって、ベッドでじっと過ごします。ひたすら横になって寝たり、(揺れで)起こされたりしているうちに22時になり消灯。アナウンスでは深夜頃から揺れは収まるとのことでしたが、消灯後も何度か揺れで起きてしまいました。

8時頃に起き上がって、朝食に向かいます。明らかに揺れは収まっていて、それでも往路と同じくらいは揺れていましたが、麺類の提供も再開されていました。
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御蔵島を左舷に捉えるころには揺れもほとんど収まって、海に白波もうねりもなく、久しぶりに楽しい船旅です(地図)。
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往路は見えなかった三宅島もはっきりと確認できました。
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昨晩の悪天候の影響で、船は揺れが激しかっただけでなく、波にあれだけ大きな音を立ててぶつかっていたぶんスピードが落ちたようで、船は1時間遅れて運行していました。それでも昼過ぎには東京湾に入りました。右にも左にも陸が見え、貨物船や漁船が行き交っています。東京湾が混雑した海だということがよくわかります。
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信号旗を掲げながら、浦賀水道を低速で航行。
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旗を変えて、羽田空港を横切れば、竹芝桟橋はもう間もなくです。竹芝には予定より1時間遅れた16:30に接岸。25時間の船旅となりました。結局、人生で2番目に揺れた船旅になりました(1番揺れたのは2月に乗船した、市営船「すくも」)。


(このペイジの作成者 いし)

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こんばんは、いしです。

小笠原村の母島には公共交通が存在しませんが、父島には村営バスが走っています。1つは二見港周辺を走る循環路線で、もう1つは島の西側に点在する集落を縦に結ぶ扇浦線です。東京都最南端のバス路線である扇浦線に乗車してきました(乗った路線の大まかな位置は、こちらの地図の父島にある青い線)。
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小笠原村営バスは、一回200円で前払い。この日は、循環線にも乗るつもりだったので500円の1日券を購入しました。
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扇浦線は村役場前のここが始発で、営業所も隣接しています。本数は1から2時間に1本と、地方の路線にしてはかなり利便性が高くなっています。便によっては、日に数本走っている循環線からそのまま直通で扇浦線になるものもあります。

出発後は、集落を順番に通りながら島を南下します。終点の小港海岸バス停までは約20分の道程です。
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終点の小湊海岸バス停は、扇浦集落のさらに先です。
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ちなみに、東京都では最南端に位置するバス停留所で、その旨もバス停に書かれています。画像が手ブレしてしまったのが痛恨のミス。
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折返しのバス停まで少し時間があったので、遊歩道で少し南下することにしました。ガイド無しで訪れることが出来て、景色が良いと噂の中山峠へ向かいました。バス停のそばで、環境保護のために靴の裏の消毒やズボンの汚れを落として向かいます。

なかなかの山道をひたすらに登ること数十分。峠というよりは山頂と言った方が良いのではと思う位に道の両端が切り立っている中山峠に到着しました。
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名前こそ「峠」ですが、山の稜線に立っています。この写真ではそのダイナミックさが伝わらないのが残念ですが、左右には島や透き通った青色の海岸が点在し、まさに絶景でした。

続く。
(このペイジの作成者 いし)

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こんばんは、いしです。

東京のはるか南1,000kmに浮かぶ母島も、東京都に属する小笠原村の有人島です。父島からフェリーで日帰りで尋ねることが出来ます。もちろん宿泊もできます。この日は、帰りの船が出るまでの約4時間、島をぐるっと見て回ることにしました。

母島に公共交通機関は存在しません。おそらく、島自体は大きいものの(周囲は父島よりも長い58km)、集落は港付近に固まっているからでしょう。しかし、島の北端には戦時中の集団疎開まで存在した北村という集落の跡地が存在し、都道がそこまで伸びています。また、集落の南数kmのところまでも都道が伸びていて、都道最南端の標識があります。その2つを訪れるためには徒歩ではとても無理なので、移動手段の確保が必要になります。

母島にあるのはレンタカーかレンタルバイク(原付)。レンタカーは予約しないと当日飛び入りで借りるのはなかなか難しそうだったので、原付を借りることにしました。島には2箇所借りられるところがありますが、1箇所目はバイクが既に出払っていました。なんとか2箇所目のところで借りられましたが、もともとバイクは4台だけ置いているようでしたので、バイクを借りようとしている場合は下船してすぐにレンタル場所へ向かった方が無難です。
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父島から乗ってきたははじま丸が見える場所でバイクを借りて、まずは島の北端にある北村集落の跡地を目指します(地図)。

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島の西側を、アップダウンを繰り返しながら北上します。時折、写真のように進行方向左手に海を望めます。

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北村集落に到着です。離村から70年以上が経ち、ほとんど何も残っていません。道の終端には「道路終点」の標識が。なかなかお目にかかれない代物です。
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北村から数km戻った所には、もう1つ堤防のある港が存在します。住居は無いので、写真に写っているもの以外は船が1艘あっただけです。この日は、釣りをしている方が居ました。
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時折、地元の方が使っているのでしょうか。集落からは10km以上離れている場所なのですが。この写真を撮った後、巡回のパトカーと遭遇しました。時折島をパトロールしているようです。

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バイクを走らせて、南へ戻ります。途中のトンネルから、島の南方を見た写真です。このような山林の中をひたすらに走るだけの道です。数km置きに、何かの跡やお墓などが点在しています。
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また、このようなビュースポットもいくつかあります。
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いったん集落まで戻り、そのまま都道を南下し続けます。名前は南進線に代わって南へ伸びていきます。
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数km走ったところで道路の終わりが突然現れました。
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ここは都道最南端です。ここから先は遊歩道となっていて、徒歩のみのアクセスです。時間がなかったので、バイクで来た道を引き返しました。
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集落の寿司屋さんで島ずしを昼食で頂いた後、集落内をブラブラして、帰りの船まで時間をつぶしました。
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母島の沖港の待合所は観光協会も兼ねています。ここで船を待ちます。

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待合所で特産品が売られていたので、レモンソーダを頂きました。無糖できりっとしていました。美味。
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朝乗ってきたははじま丸で戻ります。
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警察官とともに、何人か島民の方も見送りに来ていらっしゃいました。
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母島を離れます。このあと沖に出ると、往路よりも激しい揺れの中を2時間、父島へ向かって船は北上しました。

(このペイジの作成者 いし)

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