旅に、出た。

バス乗ったり、島行ったり。マニア2人の共同旅ブログ

乗り物好き若手リーマン2人、それぞれの旅行記録

カテゴリ: 自治体探訪

こんにちは てらです。
ふとしたきっかけから、大学時代の先輩と高野山へ行ってきました。
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ケーブルカーについては別記事にまとめますので少々お待ちを…。
高野山から山内に行くにはタクシーに乗るほか、バスの利用が便利だ。
高野山から大きく分けて、奥之院方面と大門方面に行くバスがある。今回は予定が突発的だったこともあり、奥之院を時間をかけて回るのは厳しいと判断。大門行きに乗車した。
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大門に到着。
高野山は金剛峯寺の総本山にあたるのだが、一山境内地と呼ばれ、山全体が寺の境内という考え方のもと守られてきている。そのため、金剛山金剛峯寺の境内は様々なところに点在している。
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大門は高野山の西側の玄関口になる。表敬訪問といった形だろうか。ここから少しずつ東に向かい、高野山の中心地、金剛山の主殿を目指す。
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大門から歩くこと約5分。壇上伽藍(だんじょうがらん)に到着。中門から中に入る。
主要な法要が執り行われる場所で、金剛峯寺の中心にあたる箇所の一つです。大火で焼失したものを新造したこともあり、随所がきれいだ。
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中門をくぐると金堂が前にそびえる。高野山の総本堂の機能を持っている。こちらも1930年代に再建されたものだ。
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根本大塔 密教のシンボルとして建立されている建物にあたる。
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壇上伽藍は多くの建物が集まっている箇所であり、このように金堂と根本大塔の位置関係が見て取れるのではないだろうか…。
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壇上伽藍を出て、蛇腹道を通り、本堂に向かう。振り返ると葉が徐々に色づいており、初秋を感じることができた。
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見えてくるのは金剛峯寺の正門
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金剛峯寺の正門。1593年に再建されて以来、現存しており、高野山内の建築物では最も古い部類になる。
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金剛山の主殿 襖絵が非常に有名である。
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蟠龍庭(ばんりゅうてい)
つがいの飛び立つ前の龍を表した石庭だそうだ。枯山水といえば禅宗では…と思っていたのだが、密教でも枯山水を造るそう…不勉強だった。
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ここから、2つほどバスに乗り、苅萱堂へ。こちらも金剛峯寺の施設の一部にあたる。
苅萱道心という出家した武士にまつわる御堂である。
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金剛峯寺から苅萱堂にかけては高野山のメインストリートになっており、お土産物店が並んでいて人通りも非常に多い。東側は小田原通りと呼ばれている。
このメインストリートからすこし道を外れ金剛三昧院へ。
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金剛三昧院。近年では1843年に落雷で高野山内が大火に見舞われたようだが、辛うじて三昧院は免れている。
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1200年代から現存する多宝塔。滋賀県の石山寺についで古い多宝塔で、高野山内の建物では一番古い建物だそうだ。
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三昧院から小田原通りに向かう道すがら、ごま豆腐屋さんへ
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おやつに和三盆をまぶしたごま豆腐をいただいた。
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小田原通り
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最後に我々が向かったのは徳川家霊台。徳川家の霊をまつっている。
徳川家の霊を祀る…といえば東照宮なのですが、こちらの方が建造が古いそう。
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徳川家三代目将軍家光が、初代将軍家康(右)と二代目将軍秀忠(左)を祀っている。
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右側、家康を祀っている霊屋は東照宮と呼ばれている。
やや駆け足の世界遺産探訪になってしまったが、先輩も満足していただけたようで、案内し甲斐があった。と、同時に不勉強に反省しきりな日帰り旅行だった。

(このページの作成者 てら)

こんばんは てらです。
高千穂での観光を終えた後、熊本空港への帰り道として国道218号線を通り、馬見原を少し観光した。
馬見原は当時の肥後から日向を結ぶ日向往還という街道の宿場町にあたる。馬見原の隣の宿場町は五ヶ瀬(宮崎県)であるため、熊本県側の最後の宿場町ということになる。

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駐車場に車を止めると、出迎えてくれたのが新八代屋。馬見原の豪商であった八代家の土蔵造りの三階建ての建物である。
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馬見原の商店街は様々なお店が軒を連ねる。
もともと街道の宿場町として栄えた分、いろいろなものが集積していたため商店がこのように集まったようだ。
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白壁の土蔵造りの建物がここまで並んでいる姿は壮観である。
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しかし、高千穂の時と打って変わって観光している人が少なく拍子抜け…。
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若山牧水は17歳の時に日向往還を通り馬見原を訪れたという記録があるそうだが、商店街の一角に歌碑が建てられている。若山牧水が宮崎の出身というのも初めて知りました…。
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歩行者は下を通り、車は上を通る不思議な構造の馬見原橋。太鼓橋と逆太鼓橋を組み合わせたデザインになっている。どうしてこういう形なんだろうかと思い検索してみると、熊本県の土木部建築課のウェブサイトが出てきてびっくりした。
(参考)馬見原橋 熊本県ホームページ
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馬見原橋のすぐ近くにある夫婦岩。もともと、この馬見原橋のかかっていた辺りが関所だったようだ。
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お昼ご飯は肉のみやべさんで馬肉を使ったコロッケのハンバーガーをいただいた。
馬刺しやホルモンでも有名なようで、近県のナンバープレートの車がひっきりなしに出入りしており驚いた。
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ここは熊本バスの馬見原出張所。もともとは営業所であり立派な建物が建っていたのだが、
現在は営業所の建物は取り壊され、バスの転回場と駐車場があるのみ。
昔は熊本の桜町までバスが乗り入れていたようだが、現在は山都町の中心部である浜町に行くバスが走るのみである。
街道沿いの古い町並みを横目に、我々は熊本空港へ車を走らせた。
(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
前回の阿蘇市・南阿蘇村のつづきとなっております。
阿蘇市から国道325号線を走ること小一時間で高千穂の中心部につく。高千穂神社の傍のホテルにて一泊した。観光地としても宮崎県の諸観光地よりも熊本県の阿蘇地域との結びつきが深く、空港からのアクセスも熊本空港からアクセスするのが一般的であるようだ。
翌日は高千穂神社→高千穂峡→国見ケ丘→天岩戸神社というコースで約半日間、高千穂を散策した。
高千穂は阿蘇山の噴火により冷え固まった火砕流が、五ヶ瀬川の浸食によって作り上げられた高千穂峡が有名であるほか、神話の街と知られ、神社が点在している。
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まずは高千穂神社を表敬訪問した。高千穂神社は高千穂郷八十八社の総社であり、高千穂を代表するだけでなく九州を代表する神社である。写真の本殿は重要文化財に指定されている。
ほぼ毎夜高千穂神楽を奉納しており、観光客でこれを楽しみに高千穂を訪れる人も多い。
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高千穂神社の祭神であるミケヌノミコトが本殿の隅に
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二本の大きな杉は夫婦杉と呼ばれ、夫婦、恋人、友達と手をつないで3回まわると縁結び、家内安全、子孫繁栄がかなうとされている。
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高千穂神社から車から10分ほどで高千穂峡へ 奥に見えるのは国道218号線の神都高千穂大橋、その手前が高千穂大橋、神橋と3つの橋が並んでいる。夏になると一番奥に架かる神都高千穂大橋が見えないようだ。
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阿蘇山の火山活動により流れ込んだ火砕流が柱のように冷え固まった柱状節理を見ることができた。
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写真左手の切り立った崖は仙人の屏風岩と呼ばれている。
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五ヶ瀬川を下流に向かって20分ほど歩いた。
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御橋(下流側)から撮った真名井の滝
真名井の滝は日本の滝百選に選ばれている滝で、遊覧ボートから眺めている人も多かった。
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こちらは位置を変えて滝見台からみた真名井の滝。
こちらのほうが「高千穂峡の滝」としてなじみがあるだろうか。
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来た道を戻るようにし、大橋の近くの駐車場から車を走らせて国見ケ丘へ 
熊本県、大分県方面が綺麗に晴れていて見渡すことができた。目の前に見える大きな橋は国見大橋で、熊本県と高千穂町の東部を結ぶ。
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一方太陽の位置の関係か、高千穂の市街は逆光気味…画面中央から右側が高千穂の市街地だ。
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レンタカーの返却時間も考えながら、せっかくなので天岩戸神社にも参拝。
天岩戸神社は天照大神を祭っている神社で東本宮と西本宮がある。こちらは西本宮。
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岩戸神楽を奉納している神楽殿。
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最後に、足を延ばして天安河原へ。こちらは古事記などで、八百万の神がお集まりになられたと書かれている。河原の傍に大きな洞窟があり、こちらに建立されている神社が天安河原宮である。
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天安河原は早朝に行くべきという評、確かに当たっているのかもしれない…。
人が途切れることなくお参りをしており荘厳な感じが写真には撮れなかった。

今回は神都と言われる高千穂をかなり駆け足で回り、荒建神社や槵觸神社といった行くことができなかった神社も多くあったが、時間をかけて行った分の期待を裏切ることなく大いに楽しむことができた。
熊本空港への帰りは、来た道を戻るだけではもったいないので少し寄り道をしながら帰った。

続く

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
2020年の11月に熊本空港を拠点に高千穂方面を観光しましたので記事にします。

熊本空港から阿蘇山方面へアプローチする場合、国道57号を道なりに進むため、小一時間でアクセスすることができる。
以前、阿蘇山の北の縁(豊肥本線と並走する地域エリア)を観光したことがあったので、今回は阿蘇登山道路赤水線を経由し、阿蘇市の南と南阿蘇村を中心にまわった。
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草千里浜ドライブウェイに車をとめ、草千里が浜をしばし散策した。
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左に見えるのが阿蘇火山博物館、右に見えるのは草千里グリーンパーク、ニュー草千里。土産物店や飲食店が並ぶ。
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草千里が浜は78.5万平方メートルにおよぶ草原と、過去の火口跡による池が織りなす景色だ。
草千里が浜は初夏になると青々とした草が生い茂り、言葉通り草千里なのだが、11月も下旬になると荒涼とした大地が続いている。
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北西方面(カルデラ縁よりむこうは熊本市街)の方向を覗く、うっすらと熊本の市街地もみることができた。
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せっかくなので阿蘇火山博物館に併設されたレストランで熊本の阿蘇名産の赤牛の牛丼をいただいた。
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草千里が浜から火口までは10分ほどで行くことができるためも向かったが、風向きが強く火口への立ち入りが禁じられていた。
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路線バスは感染防止を啓発するくまもんが…。マスクを着けた黒づくめのぬいぐるみ。うーん不審である。このあと、山頂から阿蘇登山道路吉田線を通り車を南部へ走らせ、南阿蘇村へ抜けた。
南阿蘇村は阿蘇郡長陽村、白水村、久木野村が2005年の平成の大合併に合併して発足した村である。
なんといっても有名なのが…。
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阿蘇のカルデラにより、水が湧き出るため、村内には遊水地が複数みられる。
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新鮮な水質で表す青い苔が生き生きとしており、水面も絶えず湧水によりもわもわと動いていた。
空きペットボトルの販売もあり、自分で水を詰めることができる。
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ついで、といってはなんだが、「元」日本一長い駅名だった南阿蘇鉄道の、南阿蘇水の生まれる里白水高原駅を訪れた。南阿蘇鉄道は先の熊本地震により甚大な被害をうけ、今でも半分近くの区間で運休を余儀なくされている。
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記事を書いている現在は、嵐電の「等持院・立命館大学衣笠キャンパス前」が一番長い駅名であったが、2021年の1月から富山地方鉄道の「トヨタモビリティ富山 Gスクエア五福前」にとって代わられるそうだ。日本最長駅名の攻防は話題作りのためなのだろうが執念すら感じる…。
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一通りドライブを終えた後は、ホテルグリーンピア南阿蘇の温泉につかった。
ホテルグリーンピア南阿蘇は、阿蘇五岳が見渡せる温泉として有名で、高岳、中岳、根子岳、烏帽子岳、杵島岳を見渡すことができる。雲一つなくきれいな景色だった。
ここから、国道325号線で高森町を経由して高千穂町へと急いだ。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
先週の続きです。(先週分はこちら

大原三千院を巡ったあと宝泉院と実光院、寂光院を参拝しました。
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額縁の庭園や血天井が有名である。ここはもともと、魚山大原寺勝林院の僧房として建立されたのが現在の宝泉院にあたるそうだ。のちに回った実光院も宝泉院同様に僧房の一つだったそうだ。
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大きな五葉松が出迎えてくれる。画面には収まりきらないサイズだが、樹齢700年ほどに上るらしい。
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鶴亀庭園 池を鶴、築山を亀に模して作っているそうだ。部屋の中から楽しめるよう中庭に作ってある。
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こちらは額縁庭園 五葉松を部屋から望むことができる。お茶菓子を出していただき、ほっと一息休みながらのんびり鑑賞することができた。
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まだまだ9月ということもあり紅葉も青かった。
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お次は実光院へ こちらも客殿からの庭園が素敵な寺院だった。
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客殿から望む契心園
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このように歩いて回ることもできる。
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大原の山並みを庭園ごしから望むこともできた。
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大原の小径を戻り、最後は寂光院を参拝した。
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大原はバスターミナルの通りから少し離れるとこのような里山の風景が広がる。天気のいい日だったが時折涼しい風も吹き、のんびり歩くのも苦にならない。
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最後に訪れたのは寂光院、平清盛の娘にあたる建礼門院徳子はここで終生をすごしたことから平家物語ゆかりの地としても有名である。
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本堂は所々がこぎれいだなと思ったのだが、2000年に放火により失火してしまい2005年に再建したものだそうだ。
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ふたたび混雑したバスに揺られ、我々は京都の街へと戻った。
(このページの作成者 てら

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