旅に、出た。

鉄道乗ったり、島行ったり。学生時代からの友人との、共同旅ブログ

乗り物好き若手リーマン2人、それぞれの旅行記録

カテゴリ:有人島・離島 > 中部

こんばんは、いしです。

佐渡島の南西部の端っこに位置する宿根木集落は、昔ながらの景観が集落ごと残っている、国の重要伝統的建造物群保存地区に指定された、観光客の多い集落です。
IMG_4395
宿根木の集落は海と小高い丘に挟まれており、丘の上には、旧小学校が保存されて、中を見学することができます。写真はその最寄りバス停です。
IMG_4396
学校は現在民族博物館となっていて、主に昭和までの宿根木の暮らしに関するものが展示されています。
IMG_4419
ただし建物は学校そのまま。こちらは廊下です。ドラマで見かけるような木造校舎。初めて入りました。
IMG_4423
ここは敢えて教室のまま保存されている部屋です。
IMG_4424
IMG_4425
IMG_4427
IMG_4426
文集や記念写真、5玉の算盤など、さまざまな備品も展示されていました。
IMG_4434
丘を降りると、宿根木集落があります。舟運で栄えたこの街の風景がそのまま残っています。多くの住宅は今も現役で使われているところもポイント。
IMG_4439
集落の中は細い道が繋がっています。
IMG_4445
IMG_4446
IMG_4438
IMG_4436
昔のままの看板を下げたお宅も。
IMG_4431
集落のうち、3つの家は内部も公開されています。
IMG_4432
当時の生活が分かる展示も。
IMG_4440
家の中はそれぞれ個性的。
IMG_4442
囲炉裏で煤けた壁。時代を感じます。
IMG_4448
上から眺めると、その密集度合いがよくわかります。

佐渡島のなかではかなり観光客が多い印象を受けました。集落内に食事処や「たらい舟」の体験など観光施設がある影響もあるのでしょう。また、集落の前の道路がサイクリストのコースになっている事も影響しているかもしれません。

(このペイジの作成者 いし)

こんばんは、いしです。

新潟からの佐渡汽船が到着する両津港からは、佐渡島一円を走る新潟交通佐渡に乗って、島の反対側にある旧相川町へ向かいました。

乗車したのは、佐渡島随一の幹線「本線」です。本線は、島の東側にある両津から島の反対側にある相川までを結ぶ路線。日中でも1~2本/時の便数が維持され、本土発のフェリーに合わせて朝早くから夜遅くまで走り、車両が新しいものが充てがわれる、名実ともに新潟交通佐渡の幹線です。

現在の佐渡島には佐渡市しか存在しませんが、2004年までは10の市町村が存在しました。そのうち、島の西側に位置していた旧相川町は、金山の遺跡が残る町。佐渡島では路線バスでの観光を推しており、両津発のバスは、日に何本か、旧相川町の山の中にある金山跡地まで足を延ばしています。
(参考:佐渡市=両津市、相川町、佐和田町、金井町、新穂村、畑野町、真野町、小木町、羽茂町、赤泊村)
IMG_4239
佐渡金山のバス停の少し手前、相川分校前でバスを降ります。
IMG_4241
IMG_4618
振り返ると日本海が一望できます。
IMG_4619
バスはそのまま佐渡金山へ向かっていきました。
IMG_4242
ここは選鉱場跡地。相川にはこのように金山の遺構が存在します。
IMG_4461
一方、相川の街は海岸沿いの低いところに密集。
IMG_4243
選鉱場跡地近くの高台から、町の一部を見下ろせます。
IMG_4462
町は海岸から少し上がった高台にも続いており、昔ながらの街並みがここにも残っています。こちらは時報用の鐘。
IMG_4463
狭い道の両端に、茶色に塗られた木造住宅が続いています。
IMG_4464
細い路地も。
IMG_4244
相川は金山とともに金で栄えてきた街。見下ろせる高台からは、街の広さを感じます。
IMG_4466
海岸沿いの集落には、いくつかの細い路地からアクセスできます。相川の町は海に近い方が開けていて、行政や商業施設もそちらに集中していました。食事処もたくさんあり、観光客も多く居て、いまや観光の街であることを実感させてくれました。

続く
(このペイジの作成者 いし)

こんにちはてらです。
今回は三重県の三岐鉄道に乗ってきました。
なぜ、三重に…?と疑問に思っている方もいるだろうが、このブログの趣旨から楽しみにしてくださっている方には申し訳ない理由で、場所というよりも今回は車両が主な目的だ。

三岐鉄道は西武鉄道のお古が走っている路線である。西武の車両が走っている私鉄というのは少なくないのだが、ここは一部が復刻塗装車として西武時代の塗装で走っているのだ。
大阪生まれ東京育ちの私にとって西武鉄道はお世話になった身近な存在である。そんななか西武鉄道時代の塗装を残しているの車両が身近で走っているとなると乗りにいかない手はない。
(細かい話になってしまうが、三岐鉄道を走っている車両が西武鉄道に在籍していたのは1990年代で、当然私は生まれて間もないので記憶もないのだが…)
s__MG_3526
大阪から近鉄特急に揺られること1時間余り、四日市駅から普通列車に乗り換えてすぐのところに近鉄富田駅はある。

近鉄富田から三重県の員弁(いなべ)地域を南北に走り西藤原まで至るのが三岐線だ。
写真右側の列車に乗り込んで乗り鉄スタート。高校が夏休みという事もあって学生が少なく静かな車内だった。
三岐鉄道が「近鉄富田」と他社の駅名を使用しているのは、近鉄富田駅近くにJRの富田駅があることに起因している。また、40年以上前はJR(当時は国鉄)の方の富田駅に列車が乗り入れていた経緯があり、誤乗を防止する意味合いで「近鉄」を冠している。2019年現在はJR富田駅に乗り入れる列車は貨物列車を除いて一本もない。
s__MG_3537
途中、黄色い電車を撮るべくちょっと有名な撮影ポイントのある山城(やまじょう)で下車。
もっと上の世代の人(失礼)にとっては西武といえば赤電と呼ばれる赤とベージュの塗装なのだろうけれど、自分にとって西武といったらこの塗装なのだ。

近鉄富田でこの復刻塗装車が折り返しで西藤原行きになるので駅に戻って電車を待った。
s__MG_3547
折角なので、終点の西藤原まで乗りとおすことに。
s__MG_3550
s__MG_3555
車内を見渡すと、あちこちに西武鉄道時代からのステッカーサインがある。非常用ドアコックの案内なんかは今でも西武の一部車両でみることができる。
s__MG_3563
車内は中づり広告の代わりに、西武鉄道時代の写真や復刻塗装の施工行程の写真などが貼られていた。
西武鉄道時代の姿を再現するにあたり多くの人の想いが込められていることを感じさせられる。
s__MG_3564
平野が広がっていた車窓も、終点に近づくにつれて標高に合わせて坂を上っていく。
次第に車窓から鈴鹿山脈の山々を望むことができる。
s__MG_3569
終点の西藤原に到着。一日の乗降客数は100人に満たない小さな終着駅だ。この列車も私以外の3人程の乗客はすぐに降りて行ってしまいホームはしんとなってしまった。
駅舎は2000年代に入ってから供用を開始しているため比較的新しく、駅のなかには簡易郵便局が併設されている。
s__MG_3568
s__MG_3570
駅のすぐ近くに藤原岳の登山口があるため、土休日は登山客で駅はにぎわうようだ。
s__MG_3587
折り返し時間が迫り、運転士が点検や運転準備を始めている時のひとこま。
天気が悪かったので乗り鉄に専念しようと思っていた矢先、晴れてきたので急遽予定を変更して黄色い電車のお見送りへ。
s__MG_3590
西藤原駅を発車する801形。西武鉄道を撮っていたころから感じていたのだが、曇りの日にこの黄色い車体を撮影すると黄色のくすみが強調され辛子色のようになってしまい、あまり映えない。
晴れると黄色の発色がきれいなのでちょっぴりうれしい。

さて、急遽予定を変更したため、次の電車まで50分近く待たなければならない。
駅前を少し歩くことにした。
s__MG_3599
s__MG_3600
駅前には藤原町時代の観光案内図や国定公園の地図が貼られていた。
藤原岳は鈴鹿山脈のひとつに属し、鈴鹿国定公園のエリアにあたる。鈴鹿山脈と聞いてもあまりなじみがないと思うが、東海道新幹線に名古屋から京都に向かって走っていると、鈴鹿山脈の一番北(関ケ原付近)を通り、やがて琵琶湖が見えてくると反対側の車窓は山並みが続いている。新幹線は鈴鹿山脈を避けるようにして走っているのだ。
s__MG_3601
s__MG_3597
駅前も列車の到着前は送り迎えの車が何台か止まっていたがそれも捌けてしまうとひとけが感じられない。駅前の商店では猫が建物の影で休んでいた。
s__MG_3602
一本後の電車に乗り込み、私は三岐鉄道を後にした。

オマケ…
写真に見とれ、こんなお土産を購入してしまった…作りがしっかりしていたので乗り鉄を考えていらっしゃる方はぜひ。
三岐鉄道801形 旧塗装復元記念乗車券

追記
記事をぼちぼち書いていて感じたのだが、セメント輸送で栄えた側面がありながらそれに関する見聞や写真が無いのはちょっと反省…。またの機会という事で。

(このページの作成者 てら)