こんばんは。てらです。

このブログはどうやら検索で該当の記事にたどり着く人が多く、記事が投稿されたタイミングでどの程度の方が読んでいるのかちょっと疑問ではあるのだが、この情勢下、あまりお出かけを推進するような記事は書きにくいなぁと思う日々。
そのなかでHDDの写真を整理していてぜひ見てもらいたい画像がいくつか見つかったため、2015年に中国地方を乗り鉄旅行し、芸備線を乗り継ぎ木次線の代行タクシーに乗車した記録を記事にしようと思う。
ちなみにこのブログでは久しぶりに共同執筆者のいしとてらが同じ行程をたどっている旅の記事である(二人とも好き勝手にいろんな所へ行き過ぎとも言う)
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そもそも、2人で乗り鉄旅行へ行くことは決まっていたものの、芸備線の末端区間と木次線を乗ることが決まったのは旅を決行する少し前のことで、2つのルートで決めかねていた。
三次から三江線、江津経由で出雲市
三次から芸備線、木次線経由で出雲市
所要時間が1時間ほどしか変わらず、列車の本数の都合で三江線経由の方が1時間早く起きなければならないものの到着はほぼ同着であった。いしと話した結果、代行タクシーを利用してみたいということになり木次線経由を選択した。木次線の備後落合~出雲横田間は利用者が少ないことに加えて豪雪地帯であることから2012年以降、毎年のように冬季はタクシーによる代行輸送を実施している区間である。
三江線はその後2018年3月末に廃線となってしまった…南無。
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そもそも芸備線とは、安「芸」と「備」前を結ぶ路線として1911年に一部区間が開業、1930年代に国有化された路線である。広島から三次、庄原、西城、東城といった広島県内の内陸部を通り、岡山県の新見に至る路線である。人口減少の著しい地域を走っているということもあり、キハ120系という小ぶりな気動車が走る路線だ。もっとも運行本数の少ないところでは1日3往復しか運行されておらず、なかなか乗り鉄が難しい路線である。
三次から備後落合行きに乗って終点の備後落合で降りたのは18きっぷで旅をしていると思しきいしと私を含め5名のみであった。
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駅舎も保線の詰所を兼ねているのか建物はしっかりしているが人の気配はない。
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駅の正面には道後タクシーのガレージがあったが、受話器がなく電話はつながらない。


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駅から国道に通ずる道をうろうろしていると立派な民家が。以前は芸備線と木次線の乗り換え客向けに旅館を営業していたそうで現在は営業していない。
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あまり広島県や島根県で豪雪地帯といわれてもイメージがつかないと思うが、中国山地は西日本屈指の豪雪地帯である。この日も3月中旬にもかかわらず2度と肌寒い気温であった。
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バスは西城方面を結ぶバスが1日3往復運航されている。駅前の写真をいくつか見ていただいたが、人通りもまばらで、民家もぽつりぽつりとしか見当たらない。

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待合室付近から東側の景色。新見方面から三次行きの列車が停車している。
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駅の待合室には備後落合通信という有志の方が作成された壁新聞が沿線の案内を行っている。
木次線は沿線地域の神話をもとに1駅1駅に愛称が与えられており、神話の登場人物が駅名表の看板に掲げられている。
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もともと、機関車の付け替えなどを行っていたこともあり、駅の南側には転車台の跡がそのまま残されていた。
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蒸気機関車が走っていたころと比べると、広い構内もがらんとしているように見える。
以前は写真のホームで立ち食いそば屋も営業していたというから驚きである。
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木次線の列車の時刻に合わせてタクシーが駅に横付けされた。結局、タクシー代行を利用するのは5人のみ。私といしも、ほかの旅行者と同乗して1台のタクシーに乗車した。
タクシーの運転手さんが「駅巡りをされる方ではなかったら、駅前で食料調達とかもできるしそのまま出雲横田駅へ直行するよ」とのことなんと普段の所要時間よりも早く出雲横田駅に到着した。
それもそのはず、木次線はスイッチバックで勾配をクリアしていくのだが、国道は奥出雲おろちループというループ線でショートカットしているからだ。

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出雲横田駅は神社を模した駅舎になっており、しめ縄も職員が作っているそうだ。
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出雲横田駅に停車する宍道行きの普通列車。これに乗り込んで我々は出雲市へと向かった。

(余談)
このあと、出雲大社や日御碕灯台を観光したので、機会があれば記事として取り上げようと思う。

(このページの作成者 てら)