どうもてらです。
今回は金沢市の北隣、内灘町を探訪しました。
河北郡は金沢市北部の多くの自治体が属していたが、平成の大合併で高松町、七塚町、宇ノ気町がかほく市になって以来、津幡町と内灘町の二町のみとなっている。

戦後すぐ、米軍が兵器の実験に内灘海岸を接収しようとした内灘事件(内灘闘争)で地名が知られているが、それだけ直線の海岸が拡がっているのが特徴のようなので、海岸まで歩いてみることにした。
まずは街の中心部、内灘駅の一つ手前の粟ヶ崎駅で下車。
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内灘町と金沢市の境目となる運河。内灘町は町全体がほぼ運河で囲まれており、砂丘の開墾と干拓によって造成された地域である。金沢への通勤率が50%を越えるため典型的なベッドタウンなのかもしれない。
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金沢と内灘を結ぶ北陸鉄道はデータイムが30分間隔のため、せっかくなので内灘駅まで歩いた。
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駅前のロータリー。ここから海岸方向へ歩を進める。
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駅から内灘海岸に向かって歩いていると区画の広い家が立ち並ぶ
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このあたりは、砂丘により開墾が進んでいるエリアのようだ。写真の中央奥の方に内灘駅と車庫が見える。
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砂丘の一番高いところ付近から、海岸を見下ろす。
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町内で一番大きなショッピングセンター。コンフォモール内灘
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立派なのだが、東半分は空きテナントのようだ…。
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折角の砂丘海岸も、雲が多いと景色が映えないなあと思いながら来た道を戻るのであった。

(このページの作成者 てら)