旅に、出た。

バス乗ったり、島行ったり。マニア2人の共同旅ブログ

乗り物好き若手リーマン2人、それぞれの旅行記録

こんにちは てらです。
前回、神鉄粟生線の続きとなります。
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神鉄粟生線を乗り換え、私が向かったのは北条鉄道の乗りば。JR東日本で走っていたキハ40系でお役御免になったものを購入し、走らせている。加古川線の接続を受けると車内はキハ40系目当ての人で一杯になった。
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青森県、秋田県を走っていた五能線の塗装そのままである。
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驚くべきところは内装のいたるところが五能線を現役で走っていたままにしてあるところである。座席番号や禁煙のステッカー、ワンマン運転中に運転士に話しかけない旨の注意喚起のステッカーも五能線時代のままであった。
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中づり広告はすべてキハ40がデビューした際のもので、それだけ北条鉄道がキハ40形をカンフル剤としたいのがわかる。
この日は終日運用に入る日だったので、立ち客が出るほどの利用であった。
本社の方が改札を行っていたがみるみる一日乗車券が売れていくのでびっくりした。
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20分ほどで終点北条町へ到着。フリー切符は往復運賃と同額なので来た記念におすすめ。しかしながら北条鉄道線は日中一時間に一本、駅巡りをしようとすると行ったり来たりしなければならず、待ちぼうけになる時間帯もある。
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そこでみなさんにおすすめしたいのが自転車付きのフリー切符。往復運賃に加えて160円で自転車を借りることができるので、天気が良くて時折涼しい風が吹く季節は自転車で回るのも面白いかもしれない。
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終点の北条町から自転車で15分ほどで播磨横田に着く。ホームに桜とツツジが植えられている駅なので、桜の季節は見ごたえがあるかもしれない。
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津軽平野にもこんな風にホームに気が植わっている駅ってあったりするのかな…?と思いながら一枚。
興ざめな話だが、いまはグーグルマップのストリートビューで駅前の写真が一通り見れてしまう…。雰囲気のいい駅はあれど、ホームに大きな木が植わっている駅はなさそうであった。
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更に隣の長駅へ。北条鉄道は沿線活性化の一環でボランティア駅長という駅を管理しながら様々な活動がされているのだが、長駅は婚活相談所が設けられていた。
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長駅の駅舎は登録有形文化財にも指定されており、列車の往来も雰囲気がある。
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長駅そばの第四種踏切を通る列車。五能線で走っていた時と比べるとワンマン運転に対応するために運転台横にミラーがついているが、そのへんも塗装をそろえてくださっているからか目立たない。
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更に自転車を漕ぐこと10分 播磨下里駅。旧国鉄から転換された北条鉄道だが地方私鉄のようなこじんまりした駅舎が特徴。
こちらも登録有形文化財だそうだ。この時は訪れなかったが新たに交換設備が設けられた法華口の駅舎が一番有名かもしれない。
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こうして比べると、キハ40形の重厚感を感じる。
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終着駅の北条町へ自転車を返却。本社機能と車庫機能があるので北条鉄道線の中では一番立派な駅だ。
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留置されているフラワ2000形。北条町駅で取られている写真はこの構図の写真がとても多く、ショッピングセンター(生協)と駅が併設されているのかなと最初ほかの方の写真を拝見して思っていたが、北条町駅とショッピングセンターの間には道路が通っている。
自転車を漕ぎながらいろいろな駅や写真を撮っているとあっという間の一日だった。また桜のきれいな季節にお邪魔したい。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
100万都市の神戸から有馬、三田、三木や小野方面に広がる路線を持つ神戸電鉄。
神戸側の終点、新開地ではひっきりなしに列車が発車するが、終点側は1時間に1本という区間を抱えている。
そんな神鉄粟生線に今回は乗ってみた。
粟生に行くのは実は2回目で、初めての時は乗ってきた列車で往復したのだがその時の写真があまりない。
普通粟生行きの列車に新開地から乗ると、進行方向1番前の車両は座席が8割ほど埋まるほど混んでいた。粟生線は進行方向前側に出口のある主要駅(鈴蘭台西口、西鈴蘭台、志染、三木など…)が多いからだと思われる。_MG_2959
(写真は往路で乗った車両を帰りに新開地で撮影したものなので行先が文章とは異なります…)
三田方面と線路が分かれる鈴蘭台で後続の準急に接続して発車、座る位置にこだわらなければ後続の準急でもよかったんだなと後から学ぶ。
粟生線は「粟生線活性化協議委員会」というものが組織されており、皆さんも想像のつくであろうが、利用者の減少による慢性的な赤字に悩まされている。
ピーク時の利用者数の半分以下までに落ち込んでいるが、阪神淡路大震災の爪痕がまだまだ産業面では残っていたり、地下鉄沿線の開発が進んだりといろいろな要因が絡んでいるようだ。
また、住宅地まで乗り入れるバスで乗り換えなく三宮まで乗り換えられるというのが神鉄にとっては痛いほど効いているようだ。
なるほど…確かに沿線を見ていると、最寄り駅と言えるところに区画の大きな住宅地が広がっているが、確かに乗り換えなしでバスで通勤できればバスの方が便利かもしれない。
線路のそばではなくちょっと離れたところに道路とセットで宅地開発がなされているというのもなかなか利用が伸びないところなのだろう。
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また、勾配が多く鉄道の特性である「高速」が発揮しきれていない箇所も多い。勾配に対して力強い走りが見れるといえばそれはそうなのだが…。(写真は丸山~鵯越を走る神鉄1000形)
車内の利用者もまばらになってきたので、せっかく一番古いタイプの車両に乗っているのだしということで、車内の写真を撮ることにした。
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一面の緑のトンネルが車内を明るく照らす。市場~小野を走行中の車内にて撮影。
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終点の粟生に到着。接続がある程度考えられており、加古川線の上下列車が瞬く間に到着した。
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帰りも1000形に乗車できた。お手軽ローカル線の楽しい乗り鉄 と言ってしまえばそれはそうなのだが、1時間に1本という本数や車内の利用者の少なさは看過できない問題であると感じた。
(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
松山市内から伊予鉄を乗り継ぎ、暖かくやわらかな日差しのもと10分ほど歩いて松山観光港へ
時間に余裕があって天気も良いならば潮風を浴びながら高浜駅から歩くのをおすすめしたい。
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青々とした海を見れる松山観光港の建物。ここから石崎汽船が呉や広島に向けて出ている。
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松山観光港からの眺め、右手に停泊しているのは小倉と松山を結ぶ夜行便 フェリーはやとも。
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今回私が乗船するのは石崎汽船のシーパセオ 3時間の船旅も飽きさせないような船の部屋割りである。船内探検はちょっと人が多いので、落ち着いてから回ることにした。
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3階のデッキに上がってやや肌寒い潮風を浴びる。定刻で松山観光港をあとにした。
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3階は屋上庭園となっており、人工芝があったりテーブルがあったりと楽しめるようにはなっているのだが2月の下旬はちょっと寒いのでさすがに私以外誰もいなかった。
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このようにパノラマを楽しめる席、机のある席、雑魚寝ができるカーペットシートなどいろいろな世代に合わせた座席がある。慣れている方がそそくさとカーペットシートに荷物をまとめて横になっているのを目にしたがやっぱりカーペットシートが一番楽なんだろうか。
以前高校の卒業時に乗船して以来なので10年ぶりくらいともなると瀬戸内の島々に目が釘付けであった。
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店内には売店もあり、うどんやおにぎり、たこやきや唐揚げといったホットスナックも発売されている。
ところで、船内で食べるうどんってなんでおいしいのだろうか…。おすすめメニューのにも出ていましたが肉うどんをいただきました。
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呉が近くなってくると船が航行速度をぐっと落とす。写真左手に見えるのが音戸の瀬戸。平清盛が開削を命じたという伝説も残る。
一番狭い箇所の幅は90mしかない。
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せっかくであればデッキに上がって写真を撮ればよかったな…と後悔。このあたりはまた地上から眺めに行きたいところである。
船は呉に到着後、すぐに広島に向けて航行を開始する。あれ…いつの間にといった感覚で船は動き出していた。
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広島まであと15分くらいのタイミングで荷物をまとめ展望デッキから瀬戸内に浮かぶ島々を眺めた。
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広島港に入港すると江田島へ向かうフェリーとすれ違った。
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出向から2時間半 日がだんだん低くなる時間に広島港へ到着。宇品の街並みが我々を迎えてくれた。
瀬戸内は小さな島々が遠くに見えるのを地図アプリでどこのしまなのか調べたりしているとあっという間についてしまい、退屈しなかった。

ここから広電に乗りました。24時間乗車券もあり、午後から広島で遊ぶのには最適ですね。
以前 広島港まで路面電車に乗った時に広島港のターミナルも併せて見学しました。興味のある方はぜひ。

(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
東予からフェリーを降り、気になる列車をしばし撮り鉄。今回今治の街並みとか内子の街並みとかゆっくり歩いてみたい場所ができてしまった。旅は行けば行くほど行きたいところが生まれていく気がする。
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そんななか、予讃線の伊予市駅の目と鼻の先にある郡中港駅へ。1時間に4本運転のある伊予鉄郡中線に乗る。
というのも松山観光港から船に乗る予定があり、予讃線の松山からバスや高浜線に乗ることもできるのだが、初めて乗る路線の方が面白そうだったので郡中線に乗ることにした。松山市駅で乗り換えて小一時間の乗り鉄旅である。
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郡中港は棒線駅、来た電車がすぐ折り返していく。オレンジ一色の電車が入線してきた。
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オレンジ色一色の電車が発車時刻を待っていた。
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郡中港駅の駅ナンバリングは35 調べてみると伊予鉄の郊外電車の駅数は35駅あるようだ。結構駅数があるなと感じる。
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なんと、京王線を走っていた旧5000系だが車内にLCDがついており次駅の案内などが流れていた。
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予讃線より海沿いを走るため、松山市駅行きの電車であれば進行方向左側から遠くに海を見ることもできる。車内は始発駅を出た時点こそまばらだったものの終点松山市に着くにつれて車内の乗車率も上がり、座席は平日の昼間にもかかわらず8割程度埋まっていた。
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松山市駅に到着。横河原線と高浜線が直通運転を行っているのに対して郡中線は同一ホームで折り返して元来た道を戻る。
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いよてつ高島屋が併設されているので駅はすごく大きいが行き来する列車は15分に1本で2,3両というのにはなかなかギャップがあって、地方私鉄感があってよい。伊予鉄は利用者の多い地方私鉄というイメージがあるものの、新型感染症の煽りを受けて苦しいようである。
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松山市駅の駅名表はLEDの薄型、10分程度の乗り換え時間があったが駅構内の写真を撮っていたらあっという間に高浜行きの列車が入線してきた。
高浜線は大手町で路面電車と直交し、路面電車と郊外電車の車庫がある古町を出ると線路が大きくカーブして予讃線に近づいていく。
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三津付近で予讃線と交差し、海沿いを走る。梅津寺駅は東京ラブストーリーの舞台となったことでも有名で、ホームから海を眺めている人もいた。参考までに、梅津寺駅付近の海岸線で撮った写真を…(2013年の撮影なので実に9年前である)
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松山市から20分ほどで終点の高浜に到着。
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船の時間に近い列車だったということもあり、私以外の人はそそくさと連絡バスに乗り込んでしまい私一人になってしまった。
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昭和初期の木造駅舎が残る終着高浜駅。
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高浜駅付近の交差点にある道路標示。
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忽那諸島へ行く船便は駅から目と鼻の先にあるターミナルから船が出ている。今回は広島まで抜けるので、高浜港を横目に松山観光港まで歩く。

ここから、広島方面へ船を乗り継ぎました。
(このページの作成者 てら)

どうもこんにちは てらです
久々に旅行がてら夜行航路に乗る機会があった。行先は四国、愛媛県の東予。
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家の近くからだとニュートラムに乗って大阪南港へ行くのが近道である。
誰も旅行に行くような格好の人がおりていないのを見るとちょっと不安になるが…翌日は平日であるので当たり前といえば当たり前か。
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大阪南港のフェリーターミナル。今回私が乗る東予行きのほか、名門大洋フェリーの門司行きも運行されている。
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もうすでに船内に入れる時間だったので待合ロビーに人影はない。
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タラップを歩いていると、左手に船が停泊しているのがわかった。
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乗船したのはオレンジ愛媛号。
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乗船して一番最初にエントランスホールの螺旋階段が広がる。4階、5階に客室がある。
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オレンジフェリーの特筆するべき点は全室が個室で、雑魚寝のスペースがない。
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乗船した時期が2月ということもありまだまだ風は寒かったが、旅が始まるワクワク感は何物にも代えがたく、久々にこの感覚を味わった気がする。
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オレンジフェリーは大阪南港~東予以外にも神戸~新居浜の関西各県と愛媛県東部を結ぶ航路と、八幡浜と臼杵を結ぶ航路を運航している。大阪から大分まで船で抜けることもできるのならば次回やってみるのも楽しいかもしれない。
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出港後もレストランが営業、船内価格なのでちょっと高めなのだが…、晩御飯食べてから乗船したのがちょっともったいなかったな…。
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ご当地酎ハイと思っていただいたが、アルコール8パーセント、、、、優しい飲み口でガツンとした飲みごたえであった。これを飲んで熱々のお風呂に入って横になった。
揺れも少なく、深夜に暖房が効きすぎて水を飲んだ以外はぐっすりと眠れた。
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翌朝、6時に東予港に到着、まだまだ空は暗い。
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瀬戸内バスの新居浜便、今治便、伊予鉄バスの松山便がそれぞれ並ぶ。バスの塗装がみな違うのも個人的には高評価。
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バスは定刻、40分程度かけて今治に着いた。
久々の船旅、瀬戸内の穏やかな海にも関わらずぐっすり寝れなかったのはやや不覚であったものの、今後も乗船したいと思った。

(このページの作成者 てら)

こんばんは、いしです。

秩父市の奥、旧大滝村のエリアには西武バス以外にもう1つ、秩父市営バスも走っています。西武の路線図には乗っていないのですが、秩父市営バスと検索すると、川又線「せせらぎ号」なるバスがヒットします。

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せせらぎ号は昨今のコミュニティバスではよく見かけるハイエース。


せせらぎ号は、三峰口駅を出発してしばらくは西武バスと同じく国道を旧大滝村へ向かって西進しますが、旧役場を過ぎて国道が新道と旧道に別れる交差点(仮に「東の合流点」と呼びます)から中津川や川又等の大滝村の西の集落へ向かう西武バスが新道(滝沢ダム側の道路)を経由するのに対して、せせらぎ号は旧道(二瀬ダム側の道路)を通り、旧道沿いの集落を結んで、新道との西の合流点(川又バス停のあるところ)まで向かいます。

さらに東の合流点から西の合流点に向かう西武バスは、三峰口駅→東の合流点→西の合流点→中津川という経路を通るので、中津川行の西武バスに乗った後すぐに乗ってきたバスで折り返せば、西の合流点(川又)でせせらぎ号に乗り継ぐことができます。(時間的にも接続している)
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※中津川線は、少しだけこちらの記事でご紹介。


ちなみに乗車日(ダイヤは2021年時点)は、下記のような乗り継ぎにしました。

三峰口駅12:45発
↓西武バス中津川行(川又経由)
中津川13:50着
折り返し中津川14:00発
↓西武バス三峰口駅行(川又経由)
川又14:26下車
川又14:30発
↓せせらぎ号三峰口駅行
栃本関所跡14:33下車
栃本関所跡16:03乗車
↓せせらぎ号三峰口駅行
三峰口駅16:40着

栃本で下車しているのは、この集落がいわゆる天空の集落であり景色を見てみたかったことと、集落から少し山道を登ったところにある両面神社を見たかったことにあります。
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川又から乗車したせせらぎ号を、ものの数分、栃本関所前で下車。(画面の奥に走り去るハイエースが乗ってきたせせらぎ号)
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栃本集落は四国山地や伊那地方を想起させるような山の上の集落で、振り返れば、はるか下に国道の新道(雁坂トンネルへ通ずる道)が見えます。
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詳しい説明は他のブログやweb記事に譲りますが、栃本は埼玉と山梨を結ぶ街道の埼玉側最後の集落ということもあって、史跡も残ります。
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建物は斜面にへばりつく。
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一応、集落を突っ切るこの道も、国道140号。
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さて、お目当ての両面神社へは栃本の集落からさらに山を登ったところにあります。
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山深い林道を十数分歩きます。
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道端にはここが大滝村だった名残が。
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さて、両面神社へは、林道の途中から登山道へ入る必要があります。(というのも、神社は登山道の途中にあります。)
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軽装備では絶対に入れない、ガチの山道。
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十文字峠方面へ。
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写真の真ん中が登山道です。なんとなく人間が歩いてきた道があるので、「道だ」ということがかろうじて分かります。少しでも間違ったら遭難しそうな雰囲気です。神社までは数百メートルですが、心して挑む必要があります。
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突然に表れる鳥居。ここが目的地です。
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ネット記事を見た限りではどうやら三峯神社との関係もあるらしい両面神社。守り神は狼である点もユニークです。

山深さ、霧のかかった天気、へばりつく集落などなど、関東地方の山奥らしさ前回の栃本。路線バスでも比較的アクセスしやすいこともあって、おすすめです。

※2022年3月現在、秩父市では地域公共交通計画を策定中のため、今後、当記事のせせらぎ号をはじめとして秩父市営バスや一般路線バスの時刻、路線等が変更になる可能性があります。

(このペイジの作成者 いし)

こんにちは てらです。
気づけば路面電車が走る街並みを写真に撮るのが楽しくて、足しげく通っている長崎。
一番ターミナルらしいターミナルをブログで紹介していなかったなと思い、蛍茶屋の写真をまとめてした。
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長崎のなかでも東側に位置する終点、蛍茶屋。
東長崎方面へぐっと坂を駆け上がるところが終点となり、赤迫、崇福寺(正覚寺下)、石橋とな行先の列車がせかせかと折り返していく。
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長崎電気軌道の終着駅の中で、すべての行先の列車が発着するのは蛍茶屋だけである。
立山に張り付くような住宅地を横目に列車は中心部へと立山を避けるように走るのがわかる。
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300形のみなとが折り返してきた。
みなとは、JR九州の特急をはじめ鉄道のデザインを幅広く手掛ける水戸岡氏によるデザイン。車内にテーブルがあったりと混んでるとちょっと車内を歩きにくいのが玉にキズだが、尾まがりねこを模した海のような碧い列車が青空によく似合う。
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長崎にお詳しい方なら、3号系統が赤迫行き、4号系統が崇福寺(正覚寺下)行き、5号系統が石橋行きとすぐわかるであろう。
2号系統は深夜にしか運転されない市民会館前(公会堂前)から長崎駅前に抜けず、浜町アーケードや新地中華街を回る系統である。
…が現在は運用されていないようだ。
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蛍茶屋はただ列車が折り返すだけではなく、電停から後ろを向くと車庫機能を有した駅ビルが建っている。最古参の部類にあたる202形がのんびりと休んでいた。
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特徴的なひし形の社章の電車に乗り込んだ。ひし形に長を模した社紋、丸型の社紋の会社が多いなかで存在感がある。

単線が運河の傍を行ったり来たりする大浦支線もブログにまとめています。


(このページの作成者 てら)

こんにちは てらです。
ふとしたきっかけから、大学時代の先輩と高野山へ行ってきました。(すみません、行ったのは2019年9月だったのですが載せるタイミングを逸していました。)
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ケーブルカーについては別記事にまとめますので少々お待ちを…。
高野山から山内に行くにはタクシーに乗るほか、バスの利用が便利だ。
高野山から大きく分けて、奥之院方面と大門方面に行くバスがある。今回は予定が突発的だったこともあり、奥之院を時間をかけて回るのは厳しいと判断。大門行きに乗車した。
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大門に到着。
高野山は金剛峯寺の総本山にあたるのだが、一山境内地と呼ばれ、山全体が寺の境内という考え方のもと守られてきている。そのため、金剛山金剛峯寺の境内は様々なところに点在している。
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大門は高野山の西側の玄関口になる。表敬訪問といった形だろうか。ここから少しずつ東に向かい、高野山の中心地、金剛山の主殿を目指す。
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大門から歩くこと約5分。壇上伽藍(だんじょうがらん)に到着。中門から中に入る。
主要な法要が執り行われる場所で、金剛峯寺の中心にあたる箇所の一つです。大火で焼失したものを新造したこともあり、随所がきれいだ。
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中門をくぐると金堂が前にそびえる。高野山の総本堂の機能を持っている。こちらも1930年代に再建されたものだ。
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根本大塔 密教のシンボルとして建立されている建物にあたる。
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壇上伽藍は多くの建物が集まっている箇所であり、このように金堂と根本大塔の位置関係が見て取れるのではないだろうか…。
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壇上伽藍を出て、蛇腹道を通り、本堂に向かう。振り返ると葉が徐々に色づいており、初秋を感じることができた。
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見えてくるのは金剛峯寺の正門
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金剛峯寺の正門。1593年に再建されて以来、現存しており、高野山内の建築物では最も古い部類になる。
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金剛山の主殿 襖絵が非常に有名である。
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蟠龍庭(ばんりゅうてい)
つがいの飛び立つ前の龍を表した石庭だそうだ。枯山水といえば禅宗では…と思っていたのだが、密教でも枯山水を造るそう…不勉強だった。
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ここから、2つほどバスに乗り、苅萱堂へ。こちらも金剛峯寺の施設の一部にあたる。
苅萱道心という出家した武士にまつわる御堂である。
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金剛峯寺から苅萱堂にかけては高野山のメインストリートになっており、お土産物店が並んでいて人通りも非常に多い。東側は小田原通りと呼ばれている。
このメインストリートからすこし道を外れ金剛三昧院へ。
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金剛三昧院。近年では1843年に落雷で高野山内が大火に見舞われたようだが、辛うじて三昧院は免れている。
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1200年代から現存する多宝塔。滋賀県の石山寺についで古い多宝塔で、高野山内の建物では一番古い建物だそうだ。
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三昧院から小田原通りに向かう道すがら、ごま豆腐屋さんへ
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おやつに和三盆をまぶしたごま豆腐をいただいた。
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小田原通り
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最後に我々が向かったのは徳川家霊台。徳川家の霊をまつっている。
徳川家の霊を祀る…といえば東照宮なのですが、こちらの方が建造が古いそう。
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徳川家三代目将軍家光が、初代将軍家康(右)と二代目将軍秀忠(左)を祀っている。
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右側、家康を祀っている霊屋は東照宮と呼ばれている。
やや駆け足の世界遺産探訪になってしまったが、先輩も満足していただけたようで、案内し甲斐があった。と、同時に不勉強に反省しきりな日帰り旅行だった。

(このページの作成者 てら)

こんばんは、いしです。

バス好きを惹きつけてやまない(沼)会社の1つが西鉄バスです。国内最大手バス会社の西鉄であっても、ここのところは急激な社会変化に押されて減便や廃止などのニュースを度々耳にして悲しい限りですが、北九州に行く機会があったので西鉄の代表ともいえる「都市高速経由」に乗車して来ました。
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(写真は降りたところ)

ご存じの諸兄も多いことと思いますが、西鉄バスには、写真のように一般的な路線バス車両でそのままダイレクトに都市高速に入り、市街地と郊外を結んでいる路線がいくつもあります。個人的には福岡市の路線が取り上げられることが多いように感じますが、ここ北九州にも「都市高速経由」は存在します。

路線図を見たところ、小倉駅から南西方面へ行くバスは朝晩の運行を主としているようですが、北東にあたる門司方面へ向かうバスは昼間も運転している模様です。今回乗車した175系統は、途中まで同じ都市高速を通る170系統と合わせて毎時2本と、乗りバスしやすいダイヤ構成。175系統は小倉~門司~田野浦を結ぶ系統で、小倉から門司の間が都市高速経由です。(170系統は門司で都市高速を降りた後も門司駅を経由して海側経由で田野浦へ、175系統は門司駅を周らず山側経由で田野浦へそれぞれ向かいます)

今回は門司側の170と175の分岐点「長谷口」バス停から小倉方面へ乗車。バスはほどなくして都市高速へ合流します。もちろんきっちり制限速度は守られますので、意識していないと「あぁ信号の少ない道だな」といった感じ。追い越し車線側をびゅんびゅんと何台も乗用車がバスを抜き去っていくことで高速を感じられます。

高速が山の上を通っているため西側の景色が東側よりも良く、門司~小倉の景色を見ている間にすぐに小倉に到着しました。

(このペイジの作成者 いし)

こんにちは てらです。
もっぱら写真を撮って楽しんでいる私にとって、なかなかケーブルカーに乗る機会がない。
家の近くには六甲、摩耶、妙見、高野山、生駒山、比叡山とあちこちにケーブルカーがあるのだが恥ずかしながら高野山と妙見山のケーブルカーしか乗ったことがない…。
しかし、ケーブルカーもりっぱな鉄道。乗り鉄のいしは気になるところあらば乗りに行っているようだ。
というわけで、今回四国を二人で回っている目的の一つが八栗寺とふもとを結ぶ八栗ケーブルである。
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琴電八栗駅から徒歩20分ほど歩くと高松平野が広がる急坂を登る。
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八栗寺への参道が続く中、ケーブルカー乗り場が姿を現す。
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八栗登山口駅と参道の鳥居を合わせて一枚
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昔のヘッドマークがついている国鉄特急のようなボンネットが特徴的なケーブルカーが我々を出迎えてくれた。
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私といしだけを乗せてケーブルカーは出発。
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昭和39年製…前の東京オリンピックと同い年。残念ながら開業は昭和39年末なので二度オリンピックを見てきたわけではないが…。
開業当初から走っている車両となる。
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軌道脇の木々が生い茂っており、展望は隙間からかろうじて楽しめる。我々が乗っている2号車は青色だが、すれ違った1号車は赤色の塗装が施されていた。
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八栗山上駅に到着。途中ケーブルの運行中に名所案内と民謡が流れるのだが、テープが擦り切れており聞き取りにくかったのが残念。
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せっかくなので八栗寺に参拝がてら山内をすこし散策してみた。
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八栗山の山頂からは屋島がよく見える。屋島と聞くと一つの島のように思っていたのだが、今は干拓されてほぼ四国側と地続きになっている。
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八栗山と屋島の位置関係がおおまかに記された案内。屋島は相引川という川が運河のようになっている。琴電の志度線からも相引川沿いに走る区間で運河と並走する区間がある。
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八栗寺 五剣山という山の中腹に位置している。五剣山というのは空海がこの地で修行していた際に、21日目にして5本の剣が降ってきたことに由来するようである。
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レトロな発車案内に見送られ、我々は登山口駅へと戻った。

(このページの作成者 てら)

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